薄闇を飛ばす火薬の閃光。
月明かりさえ、不吉を感じさせる予兆に思えた。
無性に喉が乾く。
じっとしていられなかった。外の戦火に意識を蝕まれる。
再燃した戦闘は、車内に居る全員を破滅させるためのもの。
個人と個人との喧嘩じゃない。
小規模ながら、国家同士の争いだ。
使用されている銃火器は、誇張なしの本物。
いまも、荒廃した学校を戦場に、血が流れている。
普通に呼吸しているはずなのに、息が苦しかった。
生唾を呑んだ。落ち着きなく指を組み、少女達の会話に耳を傾ける。
中空に投影されたディスプレイに、ロボットの3Dモデルが表示されている。
「わたしのオートマタ、ダメージデータを更新したわ。どう動かす?」
「ハードポイント*1への損傷は軽微ですね、引き続き注意を惹いてもらいます。自律制御で堪えられる間に、あなたはサーバールームへ。カナデ、レティの補助をお願いします」
「任せてー」
「設備の情報さっさと抜いて、施設の防衛機能にマルウェアばら撒いてくるわ」
「ついでに実験データの入手もね」
車を停め、カナデさんが運転席を離れる。
制御端末とキーボードを抱え、ふたりは早々に準備を整えていた。
「基幹システムを抑えることが出来れば、外壁を越えられます。」
……俺は、どうすればいいのか。
銃身の無骨な感触が掌を圧迫する。
伝えられた戦禍の歴史。いま、手元にある銃は、容赦なく命を奪い去るもの。
憂鬱な思いを噛み締める。
自分と歳も離れていないような少女達に、護られるままでいいのか。
地獄に放逐された心地だけど、そこに住むみんなは、全力で生きようとしている。
情けない。
「……俺も」
なにかしなきゃ。
だけど、なにを?
死ぬ前の俺には、何の取り柄もない。
特技、趣味、経験。すべてが不足している。
俯き、爪先を睨む。暗澹とする思考は、晴れる兆しがまったくない。
「マツリカ、あなたは車内で若の護衛を」
「うん、絶対に護る。だから……あなたも」
「ええ──」
不自然に途切れた二の句。
目線を上げると、やはり蒼玉の瞳があった。
花びらのように瑞々しい唇。
何度見ても、現実離れした美しさだ。
「若、私達があなたを救うべきだったか……その結論は、私が判断できるものではないと愚考します」
滔々と降る台詞。
修羅場の緊迫を伝える声色。
もう言葉を交わす猶予は少ないってのに、彼女は俺の意思を尊重しようとしていた。
「けれどせめて、あなたの延命を望みます。あなたが、自らの足で道を進めるように──指先に至るまで、あなたの意思で動きます」
「俺の、意思……」
俺が目覚めたときの会話の焼き直しだ。
事情を知ったいま、覚悟を強く感じる。
人形のような彼女は、切ないくらいに人間だった。
「あなたの命は、必ず護ります」
世界と
残り香。血と火薬と、
待ってほしい。伸ばした手は、呆気なく空を切る。
俺には、なにもなかった。
特技も、他人より秀でた才能も、経験も。
言葉も出せず、今度こそ、見送ることだけしかできなかった。
そうして、マツリカとふたりだけになった。
目が覚めた。
全身に蜜の香りがしみついている。
唇が濡れていた。口腔のなかが不自然にべとべとしてる。
ぼんやりとした視界で、至近距離のアリスの顔が見えた。
荒い鼻息、激しい水音。
密着した肉感。身じろぎするだけで女体の柔らかさを感じる。
「れぉ……んちゅ、あ」
「…………ほは」
舌を入れられたままの口で挨拶。
何十分……いや、何時間そうしてたのか、唇が湿気でふやけてる。
俺の汗ばんだ身体を、アリスの手がまさぐっていた。自分の股間をすりつけるように、俺の脚に絡みついてる。
見てはいけないものを見てしまった。
俺の寝起きに気付いた。アリスが目を剥く。
「…………」
「…………」
「はひす?」
その顔が青ざめていく。
転身。裸のまま、マットレスの上で綺麗な土下座をかます。
「自害します」
「あほ」
混乱してる彼女の頭にチョップ。
息をつく。氷の表情の裏で、どんだけ性欲ため込んでるんだよ。
昨夜の彼女の醜態を想起し、息をついた。すぐに気絶してたし、初体験の実感が薄いのかもしれない。
「別に怒ってないから、顔を上げなよ」
「はい……」
柳眉を下げ、唇を引き結んだ姿。
艶やかな黒髪は、
人の身体を自慰に使っておきながら澄ました顔しやがって。
ムラムラしてきた……いや、イライラしてきた。
妖しい衝動が、唇を歪ませる。
熱くなった身体の芯を隠しもせず、アリスの顔面に差し出す。
「怒ってないけど、アリスが弄んだからこうなっちゃった。責任もって、絞ってよ」
「責任ならば、命を……」
「察しがわるい!?」
この期に及んで武人気質が邪魔するとは。
……というか、乳首を固くしといて殊勝なことを言われても。そのエロい姿態が完全にノイズとなっている。
俺も俺で自分のものを突き出して間抜けな姿だけど。
嘆息すると、股間に息を感じた。アリスは、俺のものを嗅いで興奮を覚えているようだった。
「口でしゃぶって」
彼女の後頭部に手を回し、股間に寄せた。
息を間近で感じる。彼女の目に理解の色が宿るほど、欲望の喘ぎが高まっている。
蕾が開くように、舌で亀頭をなめた。
「ん……」
「アリス、唇を内側に丸めて、歯で傷つけないように咥えて」
「はい……」
口の粘膜に覆われ、呻いた。
膣よりも熱は低くても、唇の窄みで密着した口腔が、程よい快感を生んでいた。
「そのまま、手でするみたいにゆっくり動いて」
「…………」
繊細な首の前後の動き、俺の様子を窺いながら、アリスは献身的に奉仕する。
その見上げる表情が、媚びた色をたまらなく帯びていて、俺は暗い悦びを覚えた。
頭を撫で、首のストロークを速めるように促す。
「アリス、苦しくなったら、そのまま口を離して舐めて」
「ん、ぶ。あぁ……」
品のない口の動きだ。
アリスは、尖った舌先で亀頭の裏をなぞり始めた。
徐々に奉仕する行為自体に興奮を高めてきたのか、アリス自身も下腹部をまさぐり、水音を立て始めている。
レティのときみたいに、甚振るためではなく、共に快感を味わうための行為。
「若、震えてます……」
「気持ちいいんだよ。もっと、口のなかで舌を絡めてみて」
「はい……」
従順な動きで、アリスはきつく目を閉じて根元まで納めてしまった。
舌がチンコの形を巧みに探る。
股間を通じ、電流に似たようなものが脳天を突く。
「アリス、それやばい……!」
アリスの怜悧な眼差しが、俺を見上げ、細められる。
舌を通じ、彼女は俺が感じやすいところを分析してしまったようだ。
水音が激しくなる。
ストロークを速め、そのまま絶頂を予感させるところまで導いてしまう。
せき止めきれない快感で腰を引いてしまう。
「やばい、アリス、出る」
「……!」
腰を引こうとしたが、白い腕が後ろに絡まる。顔を密着させ、彼女は絶頂を喉で受け止めた。
きつく閉じた目。柳眉が苦しみで歪むが、それでも口を離そうとしない。
搾り取るように頬を凹ませ、彼女は柔らかくなった陰茎を丁寧になぶった。
「あ、ぁ……」
「ふふ……若、気持ちよかったですか?」
耳朶を柔らかく叩く囁き。
とろりと甘い眼差し。円弧の唇から漏れる体液。
蠱惑的な微熱。
尖った舌先は、熟れた柘榴のように。
「アリス……?」
変だ。昨日までの彼女じゃない。
こてりと傾ぐ小首。
うなじを這う黒髪。
匂い立つ白い肌。
誘い込まれるように、俺は彼女の身体を押し倒した。
「若、また……
悪戯っぽい笑み。
ああ、そうか。得心した。
自分では制御できない衝動に駆られ、そのまま彼女のことをなぶりつくした。
外壁の
建造物は三階建て。
少女の脚力ならば、三歩で屋上に到達できる。
月を背負い、躍り上がる。
「────」
眼下では、一部隊が警戒態勢を敷いていた。
空中の一瞬で、屋上の部隊の位置を脳裏に叩き込んだ。
中空で翻り、姿勢を整えた。
機関銃が二丁。まずは、この無力化から入る。
銃架とガンシールドを兼ねた固定具の上に着地し、驚愕で目を剥く
もう片方の機関銃の
「て、敵しゅ──!」
鯉口を切り、抜刀。叫んだ女兵士の喉を裂く。
「お邪魔します」
血振りをし、納刀。
そのまま、女兵士の
ボルトキャリアを引き、装填。
数瞬前に記憶した敵の配置通り、機械的な動作でトリガーを絞った。
夜闇に灯る
月明かりだけしかない屋上で、湿った悲鳴が連続する。
撃ち尽くしたとき、硝煙の底に沈黙が落ちた。
空薬莢が血溜まりに転がる。熱された血が異臭を立ちこめる。
「…………」
状況の終了を確認し、少女は息をつく。
沈黙。
妙だった。呆気なさ過ぎる。
狙撃手の配置が不十分な上に、
不気味な停滞を見下ろす。
耳の
気配を感じた。
「貴女が噂の〝
「あなたは……」
会話に応じるつもりはなかった。しかし、反射的に声が漏れた。
柳眉を逆立て、眼前の
腰まで届く
背丈を超える槍を腰に抱え、油断ない立ち姿を晒している。
そして──遺伝子が
戦女神、そんな単語が浮かび上がる。超然とした雰囲気。すべてを睥睨する権力者の驕りのイメージ。
と、女も同様に、自分を観察していた。
「宝石のような目。艶やかな髪。貴女、
「…………
「そう?
部隊編成が露見している。
想定内だ。重要なのは、敵に
目的が不透明な内は、敵の狙いを逸らせる。
思考を巡らせながら、少女は目の前の女に視線を据えた。
彼女は何者なのか。
斥候か、部隊長か。
どちらにせよ、誘い込まれたのは間違いない。
「わざわざ警備の数を減らして、どういう了見ですか」
「どうでしょう? 案外、降伏を申し出にきたのかも」
真意を探るが、回答は期待していない。
ともあれ、だ。
彼女の登場で、戦況のコントロールが極めて困難になったのを直感した。
少女は、自身が帰還できる望みの一切を捨てた。
「マツリカ、ふたりと合流してすぐに脱出を──」
小声で指示を飛ばす。
表情を変えず、少女は胸のホルスターから
ほぼ同時に、金属音。
女体が揺れ、金髪が振り乱れる。
薬莢が地面で跳ねた。
銃口は、そのまま標的に固定している。
幽かな硝煙の奥、女はいた。
「ご挨拶ね」
女は、
槍を眼前で回転させ、銃弾のすべてを叩き落としたのだ。
砕けた金属片が、さながら
桁違いの膂力と、反射神経。
通常の兵装では効果が薄い。
槍の穂先を指でなぞり、女が微笑む。
「
「……あなたの目的は、私ですか」
「ええ、ええ! ご明察!」
綻んだ薄紅の唇から、獰猛な獣の犬歯が覗く。
少女は、武人の血が騒ぐのを感じた。
目の前の相手も、同じ感覚なのだろう。
「単身で政府の侵攻を退かせ続けた〝
槍を撫で上げる所作。下劣な、と少女が口内で言葉を転がす。
危険だ。この女が戦場を自在に駆ければ、一騎当千の性能を発揮する。
ここで始末しなくてはならない。
せめて、彼が手の届かない所へ向かうまで引き留める。
「エマと申しますの。お見知りおきを」
「そうですか──墓石に刻んでおきましょう」
「まぁ、野蛮ね。名乗られたなら、ご自身も名乗るのが礼節でしてよ」
「もう、名は捨てました」
「健気ですね。無意味な覚悟ですが」
女──エマは、結い上げた横髪に触れる。
決して細身ではない肉感的な身体なのに、研ぎ澄まされた刃物の気配で、エマは槍を片手で保持する。
「わたくしの槍で貫かれた方はみんな満足しますのよ」
「妄言を」
短く切り捨て、少女は銃を納めて刀に持ち換える。
平青眼に構え、刃を水平に寝かす。
美貌が、冷たい殺意を帯びた。
刀と槍。己の獲物の向こうで、エマは嘲りを浮かべていた。
「ご存じ? 刀では槍に敵いません」
「あなたこそ、
「ええ、ええ──
校庭で爆発が起きるのを合図に、ふたりは同時に踏み込んだ。
先制はエマの一閃。
疾風迅雷。
稲妻を思わす突きは、的確に顔を狙っている。
少女の対処は最小限。半身に身体の軸をズラし、更に肉薄する。
エマも回避を読んでいた。支点の左手を腰に固定し、回転の勢いで薙ぐ。
だが、少女の踏み込みは並外れていた。地面と水平になるほどの前傾姿勢。槍のリーチでは、その柔軟性に対応できない。
「ふっ──」
鋭く呼気を吹き、振り上げる刃。
首を狙った白刃は、しかし空を切る。地面に突き立てた槍を柱にして、腕の力で頭上に跳ね上がっていた。伸びた脚が少女の顔面を狙う。
斬撃の勢いに任せ、そのまま顎を引いて回避した。
手首に重い手応えがあった。刀の腹を叩き、女の脚は槍に絡みついた。
「……蛇ですね、まるで」
「無駄口を叩く余裕はあって?」
槍を引き抜き、背筋の動きで旋回──しなやかな軌道で円を描き、少女を襲う。
回避困難な間合いまで詰められた。
刃を支え、猛攻をいなす。
鉄床を打ち鳴らすような甲高い金属音。
一振りで、空気が震える。
「ほら、ほら! あなたも踊ってごらんなさい!」
「お言葉に甘えて」
バックステップで距離を離す。
エマは迂闊に追随せず、槍の回転を完全に殺して構え直した。
視線の交錯。
少女の鋭敏な聴力は、エマの極限まで抑えられた踏み込みを捉えた。
左手で拳銃を抜き、
「っや、と、と! もう! なんですの!」
憤りながら深く体勢を沈める。
来る──少女は拳銃を前方に投げ捨て、一瞬の勘で右に跳ぶ。
烈風が迫る。刀を裏に返し、穂先を受け流す。
「リズムが崩れてしまうじゃありませんか!」
「私には付いてこれないと?」
「小細工ばかりで、猪口才ね!」
刺突を弾く度、火花が散る。
刀にこめる力を抜いて、槍を引き流す。
数合の打ち合いで理解した。
少女の
このまま正面から相手をすれば、刀が先に駄目になる。
「──っ!」
「ほら、どうかしらっ?」
槍を軸にした遠心力で放たれる蹴撃。
正面から受けてしまい、砂塵を撒き散らして背後に吹っ飛ぶ。
6メートルの距離を一息に詰め、エマの瞳孔が開く。捕食者の目。下品な笑い声が唇から漏れた。
コンクリートの床面を滑って勢いを殺しながら、追撃で繰り出される穂先に刀身を打ち下ろす。刃鉄が粉になる。
回転ゴマの要領で身体を回し、横薙ぎで刀を振るう。
エマは股を大きく開き、腰を落とす。
剣戟の裏で、柔軟に身体を曲げながら、エマが挑発的な笑みを浮かべた。
「器用ね。けれど、芸がありませんこと。もっと技を磨いてはどう?」
「私からも進言しますと、痩せては如何でしょうか? 動くたび、その肥満体が目についてあまりに不憫です」
「──なんて、破廉恥な!」
令嬢然とした透明感のある頬を紅潮させ、乱暴に槍を打ち上げた。
危うげない足取りで少女は避け、エマの狂乱を吃と見据える。
エマは苛立ちのまま槍をコンクリートに突き立て、早口でまくし立てる。
「わたくし、きっちりボディラインをキープしていますの! そんなだらしない体つきはしていません!」
「それは失礼しました。Mrs.ゴリラ」
「──!」
逆鱗の感触だった。
絶句。軋らせた奥歯の音が、不自然に耳を打つ。
爆発的に膨れ上がった殺気が少女に迫る。
意思を冷然と固めた、殺戮者の空気。
「骨身に刻んでさしあげます。貴女の全てをぶちのめして、服従させます」
轟、と激しい風切音。
エマを中心に嵐が吹き荒れる。
ただ、槍を構えただけ。強者の威風で、空気を圧する。
気の高ぶりが、厳かな声となって発された。
「礼節と──地に墜ちた品性を、わたくしが手ずから矯正しましょう」
「…………」
柄を握り直す。
小手調べは終わり。
本当の殺し合いは、これから。
「俺、何ができたのかな」
返答は期待していなかった。
桃髪の少女は、律儀に俺の瞳を覗き込んだ。
にんまりと、緩い顔。
「ハルくんは生きててえらいよ」
「……それ、甘やかしすぎ」
「えー、困ったなぁ……」
「…………」
「…………」
会話が途切れるのは早かった。
気の利いた言葉は出ない。声が、もやもやと喉の奥でわだかまってしまう。
天井を仰いだ。
絶望的な気分だ。
終末の世界に転生し、自分の処遇を同い年の少女達に委ねるしかない。
「ごめんね……不安、だよね」
「歯がゆいよ。おんぶに抱っこで」
「お荷物は、やだよね……あたしも、雑用しかできないから、わかるよ」
「いや、マツリカはこう、癒やし枠っていうか、ヒーラーポジションで大事なはず、知らないけど」
「そ、そうかなぁ」
頬を掻くあどけない仕草。
1人分の距離を離して、マツリカが隣に座ってる。
癒やしの波動である。波動は、日向っぽい暖かな匂いをしていた。
初対面の男に砕けた態度で話してくれて、心が穏やかな波を打つのを感じる。
世間話をする状況でもないけど、その優しさに縋りたかった。
「マツリカは、なんでこのチームにいるんだ?」
「口減らしでシェルターを追い出されちゃって……そこを拾ってもらったの」
「成り行きだな」
俺もだけど。自嘲する。
「みんな精一杯生きてて立派だよ」
俺は所詮、居合わせただけの他人だ。俺のことなんか無視してもよかっただろうに、
「……だよね。あたしは、付いてきただけだし。なんにも、できることないし……ただの穀潰しだよ」
「いや、マツリカみたいな明るい子がいてくれると、居心地が良くっていいよ」
まだ関係性は浅いけど、落ち込む彼女の姿は似合わないと思う。
励ますように笑う。
マツリカは呆けたように俺を見ていたが、白い頬をぶるりと震わせ、焦点の定めた瞳で見返してきた。
「ふたりが頑張る理由、わかったかも」
決然と、強い眼差し。
……どんな心境の変化か、彼女の表情から陰が吹き飛んでいる。
「あたしも、あなたのために命を使いたい」
ひんやりとした指先が、顎をなぞっていた。
距離感に目を白黒する。
マツリカだけの世界だった。
むっちりした胸の谷間。サラサラとした汗粒が、肌の表面に浮かんでいた。
狼狽する。なんだ、急に。
「いや、マツリカ……? なあ……?」
「触られて、いや?」
「いや……準備が……」
人生でこんなに混乱したことはなかったし、車のなかで女の子とふたりっきりになったこともなかった。
彼女の耳当たりのいい声を聞き、身体の芯が熱くなるのを感じる。
くそ、こんな状況だってのに。
いつも、こうなんだ。
間が悪いというか。
なにも興奮してないタイミングで、不自然に元気を取り戻したり、って……?
「え、ふつうにムラムラしてる……?」
ちょうどそのときだった。
マツリカが形の良い耳に手を添える。通信機に連絡が入ったのだ。
『マツリカ、ふたりと合流してすぐに脱出を──』
音声が漏れ、緊張が走る。
マツリカがモニターに駆け寄り、キーボードを操作する。
モニターの一つに、学校の屋上が映し出された。
監視カメラをジャックした視界。俯瞰した映像。
血だまりと、四肢をのばして倒れ伏す人影。
そして、女性と対峙する少女の姿。
「うそ、あれって……」
「知ってるのか、マツリカ」
「名前はエマ、政府の役人だよ。あたしの住んでた
「……!」
目を開き、モニターを見つめる。
背筋が凍り付く。
カメラ越しで、殺気が伝わってくる。
剣呑な雰囲気だ。
「すぐふたりを呼び戻さないと……!」
マツリカの声が上手く耳に入らない。
頭が、色んな情報で埋め尽くされる。
屋上での死闘は、離れた車内にも嵐の勢いで伝わってきた。
少女が劣勢に追いやられるほど、焦燥が胸を支配していく。
預けられた拳銃を見下ろす。
銃口に巻き付けられた枕。手慰めで、弄んだ。
股間の膨らみ。
……男が勃起できないから、滅びゆく世界。
俺が、ここにいる意味。
「なんで、男って勃起不全になったんだっけ」
「……報酬系の機能が駄目になるとか、欲求とかホルモン分泌とか、諸説あった気はするけど……結局、自滅分子? とかが作用して失敗しちゃったみたい。よくわからない」
「じゃあ、俺は……そういうのの治療実験みたいなのを受けたのかな」
「施術前に助けるプランだったから、大丈夫だよ。肉体は無事のはず」
状況を読めてない質問にも、丁寧な回答をしてくれる。
「じゃあさ、これ……どういうこと?」
「え…………あ、ぁ」
股間に吸い寄せられる視線。
驚愕に目を剥くマツリカ。火であぶられてるみたいな顔。
羞恥を押し殺し、言葉を続ける。
「俺には利用価値がある。交渉できないかな」
「え、ええ?」
「あの子は殺させない。俺達の安全も保証させる。誰にも手を出させない」
「そ、そんなの、全部は無理だよ!」
「いいや、いかせてみせる。会ったばっかりだけど、命を預けてくれた。その気持ちには答えないと、
もう死ぬのはゴメンだし、恩人に背いて恥を捨てるのもゴメンだ。
少女達の必死さにあてられて、そんな強迫観念がうまれたのを自覚する。
「ちょっと、どういう状況?」
ふたりが帰ってきた。
俺とマツリカを見比べ、怪訝な視線を向けてくる。
ちょうどいい。
「……俺が、あの女を退ける。協力してくれ」
「ハル!? あなた、何をしようとしてるの!?」
険しい表情で、全員が俺を止めようと身構えた。
手にした銃をもう一度眺める。
銃身を動かし、自分のこめかみに向けた。
レティちゃんが、痛みを堪えるように眉に皺を寄せた。
「それ、本気?」
「脱出の目処、ついてないんだろ? このまま全員で固まっても、
「カード……あなた、自分を使う気ね、認めない」
「五体満足で帰ってくるって約束する」
銃口がチリチリと熱を持つ。
マツリカが悄然と拳を握る。
「行っちゃ駄目。また捕まって、今度こそ実験で殺されちゃう!」
「犬死にはしないよ。敵の首魁だかが来てるんだったら、交渉の余地はあるはずだ」
「そんなの、どうやって」
俺は、胸が高揚していくのを感じた。
自分が、ここにいる意味。役割。
混乱のなかで、兆しが見えた気がした。
ピースが符号していく快感。
「ある……たったひとつ」
俺にだって、積み重ねてきたものはあった。
これは多分──この異常な世界で、俺にしか出来ないことだ。
もう視界は晴れていた。
立ち上がる。
やるべきこと。
ただ、光の差す、道へと。立ち向かっていく。
「たったひとつの、冴えたやり方」
人物紹介
・ハル
なんかやかましいこと言ってる子
・アリス
レスバ強者
・エマ
槍の扱いが巧み。槍がすき
・マツリカ
曇らせが続くひと