三と半歩を開け、ルーミアはミサを連れて歩いている。
日差しが肌を焼き、不愉快そうに目を細めるルーミアをミサは観察している。
森から出て数十分。ルーミアは逃げるタイミングをずっと伺いながら、アテもなく歩いていた。
「なるほど。つまり中の人間を食べると争いが起き秩序が乱れるから、外から迷い込んで来た人間は例外的にどうなってもいいという事ですね」
「そうそう。だから幻想郷には人を食べるタイミングを伺っている奴らがいっぱいいるの」
ルーミアは適当に話を流しつつ、心の奥底では感心していた。ミサに一つを教えれば、十を思考し解釈をする。幻想郷の常識を適当に喋っているだけで、ミサの解釈はどんどんと本当の幻想郷に近づいていく。
本当に頭のいい人間はこういう人間なのだろうと、ルーミアはため息を吐いた。
「おや」
ふと気がつくと、妖怪の山の麓にまでやって来ていた。
そしてルーミアの頭の中に悪魔的発想が生まれた。
「この山に、人喰いの妖怪が住んでいるんだ」
「へぇ。どんな妖怪が?」
「え〜っと……犬?」
「犬ぅ……!」
ミサの表情が歪み、顔が蕩けた様に形を変える。今から待ち受ける新たな出会いに胸をときめかせ、食べられる自分の姿を想像して。
ルーミアはその様子を見て顔を萎ませていた。頭のいい人間はきっとこういう人間ばかりなのだろうと、ため息を吐いた。
「じゃあ行きましょうか」
「え、私も!?」
「何か不都合が?」
ルーミアにとって妖怪の山は何の関係もない場所。普段の縄張りとしている場所とはえんもゆかりもなく、友人や獲物の人間がいるわけでもないので立ち寄る理由もない。
だからこそ何の関係もなく、これからも関係を築く事のない場所であった。
それに妖怪の山といえば警備が厳しい。うっかり立ち入った妖怪が細切れになって帰ってきたという話を、ルーミアはどこかで聞いたことがあった。
だからこそルーミアは、早々にその場を立ち去るべきだった。
「さっきからそこで何をしている」
二人の頭上から刺々しい声が降る。
二人は同時に顔をあげ、空に浮かぶ白髪の女を視界に捉える。
「あれが……犬の妖怪?」
ミサは逆光に目を細めながら呟く。次の瞬間、ミサは首を掴まれ喉元に剣を突きつけられていた。
「私は犬の妖怪ではない。白狼天狗だ」
「あら、ごめんなさい」
ミサが素直に謝罪すると、狼の少女は手を離し剣を納める。
そしてミサとルーミアを見て、首を傾げた。
「人喰い妖怪と……外の人間? どういう組み合わせだ、ここで何をしている」
「私は五島ミサ。外の人間で、今はこの山にいる人喰い犬の妖怪さんを訪ねてきたの」
「人喰い犬の妖怪……?」
白狼天狗はルーミアに視線を移す。睨むような、怪しむようなその視線に思わずルーミアはミサの後ろに隠れた。
「ところで、あなたは人間を食べるの?」
「はい?」
「私実は食べられるためにここに来たの」
「はい??」
「生きたまま食べられるのが理想なんだけど、どう?」
「???」
白狼天狗は動きを止め、目の前の女が何を言っているのかを理解しようと頭を捻る。
だが、どうしても聞き間違いとしか結論が出ない発言に、小さな頭痛が起こり始める。
「えっと……? 何ですか?」
つい自分達の縄張りである妖怪の山の周辺を彷徨く不審者という事を忘れ、白狼天狗はまるで客人に対するかのような丁寧な問いかけをしてしまった。
「捕食されにここに来たんだけれども、どうかなって」
「……いいんじゃないですか?」
発言がよくわからなかったが、白狼天狗は問いかけられた事は理解できた。
だから頷いた。上司から中身の無い話をされ、それに無意識的に相槌を返すのと同じように。
縦社会の天狗社会では必須のスキルが、ここでは最悪手だった。
「ふ」
小さくミサが笑う。ミサの周囲だけ空間が歪むかの様に、ねっとりとした湿度を孕む。
その様子をいち早く察知し動き出したのは、ルーミアだった。
しがみつくように隠れていたミサの体から、ワンステップで十分な距離をとった。
その動きに気を取られ、白狼天狗は出遅れてしまった。気づいた時には、既に顔を突き合わせる程の距離にミサが近づいていた。
その目は口に生える牙を眺め、何かを堪えるような吐息を漏らしていた。
「っ!?」
迎撃の為に距離を取ろうと足を動かそうとした矢先、いつの間にか絡まれていたミサの足に引っかかり後方に転ぶ。
上に覆い被さったミサの体から、しっとりとした空気が白狼天狗の体を包み込む。
「うっ!」
白狼天狗は狼、鼻は他の動物よりも数倍敏感だった。他者の感情を匂いで読み取り、円滑なコミュニケーションを図る。
故に嗅ぎ取ってしまった。理解してしまった。自分に覆い被さっている女の異常さに。
「は、は、は、はつじょ……はぁ!」
白狼天狗の脳は既に処理限界を超えていた。
ただでさえ訳の分からない組み合わせと、訳の分からない発言を繰り返す女。
さらにその女は自分の上で発情していて、その起因は謎。
結果。白狼天狗はパニックを起こし、一時的に野生に帰ってしまった。
「わふぅ……」
臍を天に向け、手足を縮める。
舌を出し虚空を見つめるその顔には、普段の面影は一欠片も残っていなかった。
「うちの椛に何やってるんですかぁぁぁ!」
覆い被さったミサの脇腹に、高下駄での鋭いドロップキックが入る。
吹き飛ばされたミサは数メートル吹き飛ばされ、地面に突っ伏したまま動かない。
「あ、文屋だ」
自分には関係ないと、膝を抱えてこの騒動を見ていたルーミアが呟く。
黒い羽を畳み、様子のおかしい白狼天狗に駆け寄る。
ルーミアは転がって動かないミサを見て、死んでたらいいなと縁起でもない事を考えた。
「人喰い! うちの椛に何したんですか!」
「私じゃないよ、あの人間だよ」
未だ野生に帰ったままの白狼天狗を抱き抱え、少女は燃えるような瞳を動かないミサに向ける。
「いったた……」
「おい人間! 何をした!」
「何って……ただ食べてもらおうとしただけだけど」
この場にいる人外達の脳には、ある一つの共通認識が生まれていた。
この女は、この人間は異常である。
そしてこの場の過半数が、今すぐにこの場から立ち去りたいという思考に陥っていた。
だが、この女は。
「……何ですって?」
今までに培った記者としての魂が、けたたましく騒ぎ出す。
生物の本能が発する危険信号と、記者としての特ダネの予感。
それらがこの女を、射命丸文を突き動かした。
白狼天狗を地面に寝かし、懐からペンとメモ帳を取り出す。
「私は食べて欲しくて、ここに来たんだけども。そしてらその人が『いいんじゃないですか?』と快く承諾してくれたの」
「なるほど? どうして食べて欲しいんですか?」
「う〜ん……自分が食べられる姿を想像すると興奮して止まらなくなるから、きっと本当に食べられたら文字通り死ぬほど気持ちいいんじゃないかって思って」
「なるほどなるほど」
視線は一切ミサから外さず、射命丸は風のようにペンを動かす。
企画案を次々とメモ帳の中に生み出しては、次のページに別の企画案を書く。
断片的に脳から弾き出された単語やアイデアを、一つ残らずメモ帳に書き留める。
二人の間の沈黙は、たったの一秒間。その間文はペンを止める事は無かった。
一際大きなペンの音が鳴った。それは、メモ帳に書いた企画案に大きな丸をつけた音だった。
「人間。あなた、【食べられ比べ】に興味ありませんか?」
射命丸文の発行する新聞、その名を【文々。新聞】。今この新聞の発行部数、購読者数は低迷していた。幻想郷での新聞のネタなど異変を除けば近所のいざこざ程度しか転がっていない。故によっぽどの物好きでもなければ、そんな個人新聞のような物は取る筈がない。
それに加え最近の射命丸文はこの低迷を打開しようと、様々な試みを錯誤していた。神や妖怪の昔の話を記事にしたり、幻想郷の空撮写真を載せたり、スカートを少し短くしたり、香霖堂に置かれている物品を解説したり。
だが、どれも効果が薄いどころか逆効果だった。
それに焦り新しい企画を考え様とすると、手が止まる。頭の中で組み上げた企画が、上手くいかないことを悟っているからだ。新しい試みは机上にも出せず、昔の記事の様式を真似したりしてただ日々新聞を刷っていた。
文屋としては、これ以上の苦悩は存在しない。
だが、今。
射命丸文の前に天啓が降り立った。外部からの、全く新しい刺激。
今までのスランプが反動となり、文屋としてのゾーン状態に入った射命丸文を止められるものは誰もいなかった。
「それはそれは……とても素敵な案ですね」
目の前で甘美な提案に舌鼓を打ち、この世の物とは思えない顔をする人間ですら。
それを視界に入れ、脳が頭蓋を叩き割らんばかりの警報を鳴らす自分自身ですら。
射命丸文を止められる存在は、この世にいなくなった。
「私は五島ミサ、五つの島にカタカナでミサ」
「射命丸文。鴉天狗でジャーナリストです」
固い握手を交わす二人を眺めながら、ルーミアは一人空を見る。
彼女の頭の中には、この現状から目を背けるための夢想図しか存在していなかった。
「日の光って……美味しそうなのかー……」
惚けた様子のルーミアの写真を一枚撮り、射命丸はメモ帳にペンを走らす。
そして出来上がった記事の案をミサの前に出す。
「ミサさん。あなたには幻想郷中の人を食べる者の元に赴き、食べられ具合をレビューしてもらいます。私はそれを記事にまとめ、新聞に載せる! 外から来た人間の記事を私だけが独占し、斬新なこの新コーナーで新規顧客も食いつくでしょう! ついに文々。新聞の栄光の日々が戻ってくるのです!」
「……」
そんな記事には顧客の需要が存在しない。
その言葉を飲み込み、ミサは笑顔で射命丸の言葉に頷く。
腹の底を隠した両者は建前の笑顔で二人の将来へと歩き出した。
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精神を磨耗したルーミアは、三日寝込んだ後にやっと動き出せる様になった。
森の中にある荒屋を住処とするルーミアにとって、文化的な生活は縁のない物だった。
引き戸を開け外に出ようとすると、地面に何かが落ちているのを見つけた。
拾い上げてみると、紙の束。新聞だった。
「げ」
文面を見て声を上げる。
『文々。新聞 号外』
『外の世界からやってきた人間を独占配信!』
『新コーナー、【食べられたがりの幻想郷逆食レポの旅】掲載開始!』
『購読の申し込みは山鴉のポストまでご一報を! 今月中にお申し込みいただければ石鹸と洗剤を付けて一年半額に!』
ルーミアは目眩のする目頭を抑え、長年使う事のなかった暖炉に火をつける。
そして即座に新聞紙を放り込み、燃え上がる火をじっと見つめる。
光は苦手だが、物事を忘れるにはちょうどいい。
そんな事を考えながら、自分の写真も乗った新聞は炎の中に消えていった。
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『文々。新聞 ○○の年、号外』
『外の世界からやってきた人間を独占配信! この人間の記事が読めるのは文々。新聞だけ!』
『【食べられたがりの幻想郷逆食レポの旅】』
『記念すべき初回はこの方、宵闇の人喰い妖怪ルーミアさん。早速感想を聞いてみましょう』
『口の中は人間のそれとはあまり変わらず、ですが強い肉食性を感じさせる牙が印象的でした。口が小さいので丸呑みではなく、細かく食いちぎられる事になるでしょうね。個人的には十点満点中八点と言ったところでしょうか』
『また次号をお楽しみに!』
『購読の申し込みは山鴉のポストまでご一報を! 今月中にお申し込みいただければ石鹸と洗剤を付けて一年半額に!』