「断ります」
「ふ〜ん。そう」
巫女は冷たい目で、お祓い棒を振り下ろす。
空を切った音のはずなのに、射命丸は自分の命がすり減るような感覚に陥る。
「じゃあいいわ、勝手に処分するし」
「させません……!」
巫女は地面を蹴って駆け出すと同時に、射命丸はミサを抱えて上昇する。
「な、なに!?」
「少し我慢しててください!」
「あの人は?」
「幻想郷の守護者、きっと貴方が捕まれば外の世界に送り返されてしまいます!」
「それは嫌!」
「えぇ、私も同じです!」
射命丸の背中に鋭い蹴りが入る。
「ぐっ!?」
「この幻想郷の和を乱す者を放っておくわけがないでしょう」
射命丸は体を捻り、巫女の顔に蹴りを入れる。だが巫女は眉一つ動かさず、少し身を引いてその蹴りを避けた。
ゆっくりと右手をあげ、素早く印を結ぶ。
その瞬間、射命丸の背中が爆発する。
「蹴りの瞬間に貼っておいたわ。今のうちなら降参の言葉も耳に入るけど?」
「……くっ」
射命丸はミサを抱え直し、腹の前に持つ。
そして羽と風を使い、巫女に背を向け逃げ出す。
「ど、どうするの?」
「と、とりあえず逃げます! 戦っても勝てない!」
「えぇ、そうね。戦っても勝てないものね」
巫女が並走し、ミサの腕を掴む。
射命丸はミサを抱えているためトップスピードを出せなかった。とはいえかなりのスピードを出していた、巫女が追いつけるのは射命丸にとって完全に想定外だった。
「猶予は与えた。今からは妖怪退治の時間よ」
「危ない!」
巫女の振り上げたお祓い棒を、ミサが腕を伸ばして受け止める。
妖怪が食らえば真っ二つの神力を含むが、人間が触れてもそうはならない。悪しき者に特化した特効兵器は、ミサにとってはただの棒に過ぎなかった。
だが巫女は怯まず、お祓い棒に全体重をかける。
ミサの持つ部分を支点に、お祓い棒の先端が射命丸の顔に近づいていく。
ミサは両手でお祓い棒を握り、巫女の方に押し返そうとする。
「じれったい! このまま真っ二つにしてやる!」
巫女は押し返される事なく、全力でお祓い棒を押し続ける。
ミサは両手で握ったお祓い棒を左右に振り、巫女を引き剥がそうとする。
「くっ、いい加減にしなさい!」
巫女がミサの頬をビンタした、乾いた音だけが空に響いた。
ミサは折れたお祓い棒を握り締め、巫女を睨んだ。
「私の邪魔を、しないでください」
射命丸は巫女の怯んだ瞬間を逃さず、全力で速度を出す。
巫女は折れたお祓い棒を握り、飛び去っていく二人をただ見つめた。
射命丸は幻想郷の外周を全速力で飛び回り、巫女が追ってきていない事を確認すると妖怪の山に降りた。
まだ早鐘を鳴らす心臓を抑えながら、射命丸はミサを地面に下ろした。
ミサは動かず、ぐったりとした様子で地面に倒れる。
「ど、どうしたんですか!?」
「ううん、大丈夫……少し疲れた……だけ」
「あ、あや、とりあえず家に入りましょう」
射命丸はミサを抱え、文々。新聞社と書かれた紙の貼られた薄い扉に入る。
中のソファーにミサを寝かせ、ミサに寄り添うように跪く。
「少し休んだらよくなるわ……明日も取材でしょ?」
「いや……それはそうですけど……貴方の体が」
「今日休めば大丈夫。私は大丈夫よ……」
ミサは目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。
射命丸はその様子に安堵し、寄り添う様に眠りについた。
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翌日昼前、二人は出立の準備を整え小屋を出た。
射命丸がミサを背負い飛べば時短になるが、今は巫女に狙われる身。隠密性を高めるために歩きでの移動を選択した。
「今日は地底の旧地獄に向かいます、あそこは人喰いの天国ですよ」
「人喰い天国!? はふぅ……ん」
「興奮していないで、早めに移動しますよ」
「は〜い」
射命丸を先頭に、旧地獄の入り口に向かって妖怪の山の木々の下を移動する。
ミサは幻想郷に来たばかりの頃を思い出した。あの頃はまだ未知の存在だった幻想郷の景色が、今では見慣れたいつもの風景だ。
まだ一ヶ月も経っていないが、ミサの感覚では住み慣れた世界だ。
すれ違う白狼天狗に軽く挨拶を交わすと、間欠泉センターと看板に書かれたフェンスが見えてくる。
射命丸はフェンスを軽々と飛び越え、内側から鍵を開ける。
「ここは……?」
「ここは間欠泉センターです。河童が建てた間欠泉を利用した発電施設があり、関係者以外は立ち入り禁止の施設です」
「そんな所に入ってもいいの?」
「普通にダメですよ。だから内緒で入ってるんです」
射命丸は『解放厳禁』とスプレーされた鉄の扉のノブをひねるが、鍵がかかっているのか開かない。
射命丸は少し下がり、ドアノブを蹴り落とす。ドアノブがちぎれた影響で、ドアのロックが外れる。
「さ、今のうちに入っちゃいましょう」
「いいの……? 社会倫理的に良くないんじゃ……」
「貴方が社会倫理を語るなんて何の冗談なんですか、いいから早く……」
射命丸がドアを押して開けようとするが、ドアはピクリとも動かない。
射命丸は首を傾げ、体を押し付ける様にドアを押す。それでもドアは動かない。
射命丸はドアノブがあった部分に指を引っ掛け、ドアを引っ張ると鉄の軋む音と共にドアは開け放たれた。
その瞬間、大量の半透明の物体が噴き出るように放出される。
「あやや、間欠泉と一緒に亡霊が……まぁドアを閉じれば閉じ込めれますから……」
射命丸はドアの内側のノブを引っ張る。するとドアノブが最も簡単に取れてしまった。
その場にドアノブを捨て、射命丸は発電施設の中に入ろうとする。
「おや?」
すると中から誰かが出てくる。その人物はドアノブを掴むために伸ばした手で、そのまま射命丸の腰を掴む。
射命丸の顔が一瞬で引き締まる。
「あやぁ!? どうしてこんな所に!?」
「あん? 何だ、射命丸か。ちょっと呑んできただけだよ」
ミサは射命丸の肩越しにその人物を見る。側頭部から左右に伸びた捩れた角が、既にその者が何者かを物語っていた。
その人物は肩越しに見つめるミサに気付き、射命丸を押し除ける。
「何だお前は」
「あ、五島ミサです。……もしかして、鬼の人ですか?」
「あぁそうだとも! 私こそ畏れ多き伝説をいくつも残す御伽草子の『えむぶいぴー』、伊吹萃香様とは私の事だ! がはははは!」
萃香は腰に両手を当て、胸を張って高笑いした。
ミサは予想していた鬼の姿よりもだいぶ小さいと感想を抱いたが、射命丸の緊張具合を見てその言葉を封印した。
萃香はひとしきり笑った後、射命丸の方に首だけを向ける。
「ところで、どうしてこんな所に?」
「はい! 実は今から地底に向かおうとしていまして、ここの通路を利用しようとした所存であります!」
「そうかそうか。ここは関係者以外立ち入り禁止である事は知っているな?」
「……は、はい」
「まぁ私も関係者じゃないから叱る権利はないんだがな! がはは!」
今度は腹を抱えて大笑いを始める萃香。
ミサはその姿を見て少し落胆の感情を抱いていた。
鬼といえば大柄で人を食う化け物のイメージが強かったが、萃香の幼い姿で食うものといえば飴玉くらいしかイメージが湧かない。ミサには萃香の姿がそれほど脅威に映らなかった。
そして人の恐れを食らう生き物である鬼が、それに気づかないという事はあり得ない話だった。
「おい人間、随分と無礼だな。無礼と親しさは対極にあると親に教わらなかったか?」
腕を伸ばしてミサの胸ぐらを掴み、引っ張り地面に膝をつかせる。
ミサは一瞬の出来事に反応が遅れ、両手を突き出し地面に付ける。
幻想郷の恐ろしさは解っていた。どれだけ弱そうに見える者でも、人間など一捻りで殺せてしまう者が殆どだ。
いつも一緒にいる射命丸でさえ鴉天狗で、人間のミサからすれば敵う筈のない怪物。この幻想郷において見える姿で相手を知った気になるのは、一番犯してはならない愚行。
だがミサは無意識的に抱いていた強く逞しく巨大な鬼への憧れが、その愚行を。幻想郷のタブーを犯してしまったのだ。
「あ、あ、ごめんなさい……」
「あぁ?」
「失礼しました……」
「なぁ射命丸、こいつは何だ? お前のペットか?」
「いえ、その人間は……」
射命丸は弁明の言葉を述べようと息を吸い込む。その時、慧音から言われた言葉を思い出す。
人間と妖怪ではなく、対等な存在。
射命丸は覚悟を決め、胸ぐらを掴む萃香の腕に手を添える。
「五島ミサは、私のパートナーです」
「……あ?」
萃香の顔は怒りに満ち、ミサの胸ぐらから手を離した。
そして射命丸の腕を掴み、地面に投げ飛ばす。
「今言ったよな。無礼と親しさは対極にあるって」
「それでも、事実です」
萃香は大きく足を上げ、地面を踏み締める。一瞬の静寂を得て、地面が割れ発電施設が倒壊する。
ミサは衝撃に足を取られ、その場に蹲る。萃香の一踏みは妖怪の山を揺るがし、幻想郷を騒然とさせた。
「前々からおかしな奴だとは思っていたが、超えちゃいけないラインを超える奴とは思っていなかったぞ!」
射命丸は地面から飛び上がり、ミサの手を掴んで萃香から距離を取る。
「私が人間と仲良くするのに何か問題があるんですか!」
「あぁ? そんな話はしちゃいない、礼儀を忘れた鴉天狗がどうなるか教えてやる!」
萃香は巨大な三角形の付いた鎖を取り出し、射命丸に向かって投げつける。
射命丸はそれを飛んで避けるが、萃香は鎖を引っ張り軌道をずらし射命丸に鎖を巻き付ける。
射命丸がミサから手を離すと同時に、鎖が引かれ射命丸が萃香の元に飛んでいく。
頬を掴み、萃香は射命丸の目の中を覗き込む。
「何があった射命丸。お前はそんな無礼な奴じゃ無かったはずだ」
「私は私の記事を作るだけです! そのためには彼女が必要なだけです!」
「……? 何言ってるんだお前……? 本当にどうした?」
「な、何がですか……?」
「どうしてずっと嘘しか言っていないんだ?」
「え、どういうことですか?」
萃香は何かに気づいた様に、ミサに視線を向ける。
疑う様に、訝しむ様に、そして見透かす様にミサを観察する。
ミサは地面にへたり込んだまま、射命丸を心配した瞳を向けている。
「そういう事か」
萃香は射命丸を地面に捨て、ミサの方に歩いて行く。
ミサは逃げようと立ち上がるが、一瞬にして鎖で足を絡め取られる。
萃香の周囲に霧が立ち込め、一瞬にして萃香の姿が大きくなる。
拳を振り上げ、ミサに目掛けて振り下ろす。
その瞬間ミサは萃香の拳を避け、巨大な腕を這い上る。
一瞬で萃香の口元にまで駆け上ったミサは、萃香の口の中に潜り込む。
「おほ〜!」
萃香の口の中から、嬌声が響き渡る。
萃香は口をもごもごとさせた後、地面に向かってガムでも吐き捨てるかの様にミサを吐き出した。
ミサは頬を真っ赤に染めながら、荒い息を吐き体を震わせている。
「ま、こんなもんでいいか」
萃香はため息を吐きながら、元の大きさに戻る。
萃香は大きく伸びをし、またため息を吐いた。
「なぁ射命丸、そいつはさっさと処分した方がいいぞ」
「え?」
「人間に情が湧いたんなら、私が代わりにやってやるから。その時は声掛けろよ」
「ど、どういう事ですか……?」
「は〜、博麗神社で飲み直すかァ……」
萃香は静かにその言葉だけを残し、トコトコと森の中を歩いて行った。
射命丸は萃香の背中が見えなくなると、まだ地面で快楽の余韻を味わっているミサを見る。
「だ、大丈夫ですか?」
「さ、最高だった……でしゅ……」
射命丸は心の奥底に残った疑問から一旦目を逸らし、メモ帳を開いてミサの感想に耳を傾けた。
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『逆食レポ 第三回』
『対象、鬼。伊吹萃香』
『感想。念願だった丸呑みが叶った。歯が自分の顔の横で自分を噛み砕くために打ち鳴らされ、舌がある程度の大きさに潰すために体を葉の方向に押し向ける感覚。唾液の粘ついた感じと、酒臭い口内が昔見た踊り食いの場面を思い起こさせる。十点中十点』
『処分、情、嘘しか言っていない。』
『発言の意図が分からない。萃香さんは一体何を伝えたかったのか』