地霊殿を一歩出ると、また灼熱の熱気が地面から立ち上ってくる。
射命丸は羽を小さく動かし、微笑の風を自分の周りに起こして熱気を少しでも散らそうとしている。
「それ私にもやってくれない……?」
「しょうがないですねぇ」
射命丸は背を向け、羽で生み出した風をミサに浴びせる。しかし空気自体が熱されているため、熱風しか来ない。
ミサは無言で、射命丸の突き出された尻を叩いた。
「次に向かうのはさらにこの下、灼熱地獄跡地の底です」
「さらに熱くなるの……?」
「一応灼熱地獄跡地を経由しない道があるので、そこに向かう予定です」
射命丸はそう言って、手帳を開いた。そして周囲の景色を確認し、歩き始める。
ミサは黙って射命丸の後に着いて行く。射命丸は右往左往しつつも、地霊殿から離れていく。
離れるにつれて、周囲の気温も下がっていく。
「この旧地獄ってどんな所なの?」
「え? 急にどうしたんですか?」
「いや、どうせ幻想郷で生きて行くなら知っておきたいじゃない?」
「また急にどうしたんですか? ……もしかしてお燐さんの提案の影響ですか!?」
「えへへ……」
ミサは頬を染めながら、恥ずかしそうにもじもじとする。
射命丸は何だか自分がダシに使われたようで釈然としなかったが、渋い顔をしながらミサの肩に手を置く。
「悪い事は言わないからやめておいた方がいいですよ」
「え? どうして?」
「お燐さんは地上じゃ有名な墓荒らしとして名が通ってますし、この旧地獄には地上を追放された凶悪な妖怪だってわんさかいます。ここで人間が暮らすのは、あまりにも難しいです」
「でも不可能じゃないんでしょ?」
「……次に会いに行くのはそんな危険人物の一人です、会ってみてもまだその気持ちが変わらないっていうなら……まぁ取材予定が全部終わったら好きにしたらいいんじゃないですか?」
「やったー!」
射命丸は喜ぶ様子のミサを見ながら、ため息を吐く。
その様子に気づいたミサは、射命丸の顔を心配そうに覗き込む。
「どうしたの?」
「……別に、何でもないです」
「え〜? ……そういえば取材予定ってあといくつあるの?」
「次含めて4件です」
「結構あるのね……」
「第一妖怪と人間が一緒になんて……」
射命丸は自分の口を押さえる。幸いミサは4件残る取材予定に思いを馳せており、射命丸の呟きは聞こえていなかったようだ。
射命丸は慧音に言われた言葉を思い出し、自分の頭を抱える。
(種族が違うくても、仲良くはなれます……でも私は無意識的に種族が違ければとか……)
(何に悩んでるの?)
射命丸は突然聞こえた声に顔をあげ、周囲を見渡す。
しかし、そこには自分の体の傷を愛おしそうに撫でるミサ以外誰もいない。
(どうして苦しんでいるの?)
(……私は無意識的にあの人を差別していたのかもしれません。そんな自分に苦しんでいるんです)
(ふ〜ん。無意識的に、ねぇ……でもあなたはずっと意識的よ?)
「違う!」
突然大声を張り上げた射命丸に驚き、ミサはその場で小さく飛び上がる。
射命丸はそんな様子のミサを見て、すぐに平静を装った。
「いや、すいません。み、道が間違ってたんですよ」
「あぁ、そうなのね……早めに正しい道に戻りましょうか」
(びっくりさせないでよ)
「いや、驚かせるつもりはなかったんですよ」
「……? えぇ、そうね?」
(嘘つき、うるさい私を無意識的に追い払おうとして出した声のくせに)
「ち、違うんです。本当に……いや、違うのは。うぅ」
「ねぇ本当にどうしたの、大丈夫? 射命丸さんの体調が優れないなら無茶しないで?」
心配するミサから目を逸らし、射命丸は目を瞑り自分の頭を両手で押さえる。
自分の意識に集中し、ずっと話しかけてくる声だけを無視しようと努力する。
しばらくすると頭の中の声は、急にいなくなった。射命丸はため息をつきながら立ち上がる。
「……大丈夫です。最近休みが取れてなかったもので」
「そう……この取材が終わったら休日にしましょう? 家事も書類関係も出来る部分は私がやるから」
「いえ、博麗の巫女に目をつけられているのでそうはいきません。一箇所に留まっていれば、必ず見つかります。取材を続けながら、新聞社には新聞を作る時だけ立ち寄ります」
「ダメ。さっきの様子も普通じゃなかったし、一度お医者さんに……幻想郷にお医者さんっているの?」
「……とにかく取材を続けます。休みは新聞を配った後です」
射命丸は自分の頬を張り、手帳のメモ書きと現実の風景を照らし合わせて真っ直ぐ歩き出す。
ミサはそんな射命丸を心配しながら、その後ろを着いていく。
しばらく歩くと、岩壁に洞穴を見つける。洞穴にはカーブを描いて下に伸びる階段が掘られており、奥からは濃厚な血の匂いが漂ってくる。
射命丸はずかずかとその階段を降りていく。ミサは鼻をつく古い血の匂いに顔を顰めながら、射命丸の後から階段を降りる。
階段の幅は一人分しかなく、岩を削って作られただけの階段は急勾配で不親切。あまり人が来ない事だけは感じ取ることができる。
光源も宙に浮いているランプだけで、物によっては火が消えて地面に落ちている物も見える。
数十分ほど階段を降り、目が回ってきた頃。光が階段に差し込んでくる。
「うっ……」
「むぅ……」
二人はこの空間に満ちる血の匂いに思わず足を止める。
薄暗い洞窟にはまるで湖の様に血液が波打っている。
「血の池地獄……?」
「正確には、血の池地獄跡地です。ここにいつもいると聴いているのですが……」
射命丸は血の池を見渡す。しかし、どこにも人の影はない。
ミサは血の池の波打ち際にまで近寄り、しゃがみ込んで血の池を観察する。最初は古い血の匂いで鼻が曲がりそうだったが、慣れてしまえば綺麗な景色だ。ほんのりと光を放つ血液は神秘的で、地獄の光景はこんな物だと想像できる。
「おいおい、あんま近寄んじゃねぇぞ」
突然背後から声をかけられ、ミサは立ち上がって振り返る。
射命丸の背後には、羊の様な角を生やした少女が眠そうな目を擦りながら立っていた。
「誰だ、お前ら?」
「射命丸文です、文々。新聞の取材で今回ここを訪れさせていただきました」
「ぶんぶん……? あぁ、なんかあったな。そんな手紙」
ミサは片足が血の池に入っていた事に気付き、足を血の池から揚げる。
少女は尖った歯を剥き出して大欠伸をしながら、側頭部を掻きむしる。
「それで、文屋如きがこの私に何の用だ?」
「えっと、お手紙でも申し上げた通り大変優れた美食家であると存じておりまして」
「世辞はいい。用件を言え」
イラついた様子の少女は射命丸を睨みつける。
射命丸はその視線を右から左に受け流し、ミサを目で合図する。
ミサは姿勢を正し、少し遠くにいる少女を見つめる。
「五島ミサです! 今日はよろしくお願いします!」
「彼女を試食していただき、その感想を新聞に掲載すると言う企画でして」
「はぁ? なんだそのクソみたいな企画は」
少女はそう言い切り、また大欠伸をした。
射命丸はショックを受けその場で固まり、呼吸をすることすら忘れてしまった。
「くだらん。そんな事に時間を割けるか馬鹿者。ちやりぃ!」
「は〜い」
少女が大きな声を上げると、血の池地獄から誰かが岸に上がってくる。
紫の髪に染み込んだ血を絞りながら、よたよたとミサの隣を抜けていく。
「なんすか」
「相手をしてやれ、私は昼寝に戻る」
「殺していいって事っすか?」
「勝手にしろ」
少女はそう言い残し、階段横にある小さな木の扉の中に入っていった。
めんどくさそうに射命丸を一瞥し、ちやりは二ヘラと笑う。
「で、誰っすか?」
「文々。新聞の射命丸文です」
「あぁ、あの手紙の。あれ饕餮さんが適当に返しておけって押し付けた奴なんで、本人覚えてなかったでしょ?」
「え……そうだったんですか」
「まぁ適当に返した結果ここまできてもらったんだし、私が相手しますよ」
ちやりは血の池に片足を入れたままのミサの方を向き、またよたよたと近づいてくる。
猫背にもかかわらず、ちやりの身長はミサを超している。高下駄を履いた射命丸と同じくらいの身長だったが、目の前に来ると威圧感を感じてしまう。
「天火人ちやりっす、あんたが手紙の人間っすね」
「……五島ミ」
ミサは気圧されながらも自己紹介をしようとした瞬間、ちやりは肩に噛み付いた。
そして血を少しばかり吸い上げ、舌を出して口の周りに付いた血を舐めた。
「はい、これでいいっすか」
「え……」
「あの……写真が撮れてないのでもう一回いいでしょうか」
射命丸はあまりの出来事の速さに、カメラを構える事を忘れていた。
ちやりは少し考えるような仕草をし、ミサの肩にもう一度噛み付く。
「ん」
しかし今度は血を吸わず、肩に歯を刺したまま射命丸に目配せをした。
射命丸は気まずそうに、何枚か写真を撮った。
「撮れました、ありがとうございます……」
「なんかもっと動きとかあったほうがよかったっすか?」
「いえいえ! いい一枚が撮れましたよ、あはは……」
ミサはあまりにも作業的な捕食行為に、何だか肩透かしを喰らったような気分になっていた。
こんな行為に興奮を感じる程ミサは見境なしではなく、こんな程度では記事にしようがない事も理解した。
その時、ミサは何かに引っ張られる様に後ろ向きに倒れる。
一瞬で視界が真っ赤に染まり、鼻や口に古い血液が流れ込んでくる。呼吸ができなくて、体を縮こめ水面に上がろうともがく。
「ちょ! 嘘でしょ、こんな浅い所で!?」
射命丸は駆け出し血の池に足を突っ込み、ミサに手を伸ばす。
だが手は届かず、ミサはどんどんと深くまで沈んでいく。
血の池が浅いのはせいぜい池の淵の一歩半ほど、それよりは先は底なしにも等しい血の池であった。
射命丸はカメラと鞄を岸に投げ込み、大きく息を吸って決意を固める。
その瞬間、音としぶきを立てちやりが血の池地獄に飛び込む。
射命丸はその様子に呆気に取られ、水面を覗き込む。透明度など存在しない血の池の底部に向かって、紫の人魂を灯りにしたちやりがどんどんと小さくなっていく。
数秒経つと、急浮上したちやりがミサを抱えて水面から飛び上がる。
「っと、ふぅ」
岸に上がったちやりは咳き込むミサの背中を優しくさする。
射命丸もミサに駆け寄り、背中をさする。
「だ、大丈夫ですか!? どうしたんですか!」
「ゲボッ……ゴホッ……急に引っ張られるみたいに沈んで……ゲホッ」
「血の池は欲に溺れた亡者の堕ちる地獄、きっと欲に正直すぎたんすかねぇ」
射命丸はその言葉を聞き、血の池を振り返る。血の池の波打ち際は、手を伸ばす様にゆっくりとミサに近づいてきている。
ミサを抱え、射命丸は階段を駆け上る。
ここにいてはいけないという自分の中の本能からの警告と、疲労による痺れが身体中で反響する。
全力を出しミサをおぶり、階段を登りきる。
振り返れば、あんなに真っ暗だった階段は仄かな赤い光に照らされている。
「……」
「忘れ物っすよ」
血を滴らせるちやりが、階段を上がってくる。
その手には、カメラと鞄が握られていた。
「あぁ、ありがとうございます!」
「全部終わったらもう一度立ち寄るんすよ、我らがボスがお呼びたてなんで」
「ど、どうして?」
射命丸の問いを無視し、ちやりは階段に向かって歩き出す。
ミサが咳き込みながら立ち上がり、頭を下げる。
「た、助けてくれてありがとうございます!」
ちやりは振り向かず、ピースを掲げて階段を降りていく。
階段を照らす赤い光は、波音と共に下がっていく。
やがて階段は元の薄暗いだけの階段に戻った。
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『逆食レポ 第五回』
『対象、饕餮尤魔。天火人ちやり』
『感想。血を吸われるだけに終わったが、一瞬でも大量の血液を吸われると思われる。興奮はなく、ガッカリ感のほうが強い。十点中二点』
『血液の中から背中を引かれたと言っていたが、私が見ていた限りそれらしきものは見ていない。腕や触手がないところを見ると、何かの能力だろうか』
『とにかく死ななくて良かった』