地上に出ると、久々の新鮮な空気が爽やかに駆け巡る。
時間にして半日程度の地底旅行だったが、十分な疲労と成果を手に入れた。
射命丸は周囲を警戒しつつ、月光の入り込む大洞窟から出る。
「誰もいなそうです。今のうちに出ましょう」
「……あの巫女さんはそんなに恐ろしい人なの?」
怯える様な射命丸の背中に、ミサが声を投げかける。
射命丸は上空を警戒しつつ、振り返らずに答える。
「あの巫女はこの幻想郷最強です。何度も幻想郷を救い、この幻想郷の掟を破る者を殺してきました」
「射命丸さんは掟を破ったの?」
「……幻想郷には知っての通り人喰い妖怪などが沢山います」
「えぇ、そうね」
「そんな人達は普段何を食べていると思います?」
「人? でも確か幻想郷の中の人間を食べるのはダメだって……」
「えぇ、だから人は食べていません。他の物を食べています」
射命丸は手で合図をし、ミサの両手を掴む。なるべく音を立てずに羽ばたき、低空飛行で森の中を進む。
「牛や豚とか、魚とか。そういう物で我慢しているんです」
「……待って、それじゃあ」
「久しぶりに味わう人間の味で妖怪としての本能を思い出し、他の人間を襲う事を巫女は危惧しているのでしょう」
「……」
「私だって何も考えていないわけじゃありません。人間を食べても他の人間を襲いに行かない知性のある人物。尚且つ、博麗の巫女の恐ろしさを理解している人にしか取材を申し込んでいません」
「じゃあそれを伝えれば」
「可能性が少しでもあるのなら、博麗の巫女は動きます。現に博麗の巫女は私を殺しにきました。きっとこの件が解決するまで、何度でも来ます」
森を抜けると、鬱屈とした墓地が目に入る。
射命丸は墓地の端に降り立ち、カメラを取り出す。
「だから捕まる前に取材を終える。それが今私がとるべきジャーナリズムです」
「……?」
「今日はここでの取材を終えればおしまいです。一旦文々。新聞社に帰り書き置きで留守番を頼んだにとりに写真の現像を頼んで、我々は朝まで休息を取ります」
「やっと休めるのね、なら早めに終わらせちゃいましょう」
「そうしたいのはやまやまなんですが」
射命丸は困った様子でカメラを持ったまま周囲を見渡す。
墓場には文字通り誰もおらず、遠くに見えるお寺にも人の姿はない。
「死体?」
突然地面の下から声がする。
土を掻き分け血色の悪い腕が伸び、地面から何者かが這い出てくる。
血色の悪い皮膚色と、顔に貼られたお札。ミサは面識はなくとも、知識としてそれの事を知っていた。
「きょ、キョンシー?」
「そうです。キョンシーの宮古芳香さんです。この墓地の墓守をしています」
「キョンシーが?」
「主人がいるので大丈夫ですよ」
「侵入者〜」
笑顔で説明する射命丸の腕に、芳香が噛み付く。
「いっったぁ!? 何してるんですかあなた!」
「ひんひゅうひゃはふぁべてひぃんだっへ」
齧り付いたまま喋る芳香を射命丸は腕を振って引っぺがす。地面に落ちた芳香はむくりと起き上がり、首を傾げた。
「侵入者は食べてもいいって〜」
「ねぇ射命丸さん。さっきの話に知性がどうとか言ってたけど、絶対知性ないわよこの人」
「シンブン……」
ミサが振り返ると、口の端から涎を垂らし腕を伸ばす射命丸が。
ミサはキョンシーの特性を思い出す。
「キョンシーになってる!?」
「イイキジ……」
虚ろな呟きを吐き出しつつ、キョンシーと化した射命丸はミサに近寄ってくる。
ミサは逃げようと背を向けるが、後方には芳香が涎を垂らしながら近づいてくる。
「侵入者〜」
「ミンナノエガオ……」
「嘘でしょ……」
ミサは二体のキョンシーに挟まれ、絶体絶命に陥ってしまった。
どうしようもないこの状況、ミサの中には打開策が一つもなかった。
「射命丸さん!」
「ア〜……」
「くっ、仕方ない……!」
ミサは覚悟を決め、すぐ側にある墓石によじ登る。
「うぅ〜ごめんなさい! ごめんなさい!」
必死に謝りながら、墓石を乗り継ぎキョンシー達から距離を取る。
ある程度の距離を取ると射命丸キョンシーは墓石にぶつかったままミサの方に歩き続け、芳香は見失ったのかその場でキョロキョロと首を回す。
「……私キョンシーとかゾンビとか苦手なんだけどなぁ」
「あら、そうなの?」
突然肩を抱かれ、腕の伸びる方向を見る。そこには青髪の綺麗な女性が宙に浮いていた。
「初めまして、私は霍青娥。通りがかりの人を助ける仙人よ」
「た、助けてください! 射命丸さんがキョンシーに噛まれてしまって!」
ミサが指差す先を見て、青娥は頬に手を当て困った様子を示した。
「確かに困ったわね〜。でも私にかかれば迷える魂も救済されるわ」
青娥は笑みを浮かべながら、墓地の中を歩いて芳香に近づいていく。
人の気配を感じ取った芳香は首をぐりんと回転させ、青娥の方向に走っていく。
青娥は簪を抜き取り髪を解き、両腕を大きく広げ芳香を抱きしめた。
抱きしめられた芳香は、すぐにぴたりと動きを止めた。
「ほら、キョンシーだって愛があればお友達になれるのよ。ミサさんも試してご覧なさい?」
「……」
ミサは墓石から降り、射命丸キョンシーにゆっくりと近づく。墓石に向かって歩いていた射命丸キョンシーは動きを止め、ミサを待つようにじっと見つめる。
口の端から垂れる涎を見て、ミサは自分の唾を飲み込む。
「射命丸さん、信じますよ」
「ヒトビトノタメニ……」
ミサは射命丸キョンシーの前で大きく両手を広げる。
射命丸キョンシーは呻き声を上げながら、ゆっくりとミサに歩み寄る。
ミサは不安からか青娥の方を見る。青娥は笑顔で頷く。
その時、青娥の足元に血が滴り落ちているのをミサは見逃さなかった。
射命丸キョンシーの横を走り抜け、墓石にもう一度登る。
「あら? どうしたのかしら、やっぱり怖かったのかしら?」
「……」
目を薄く開く青娥の顔を見て、ミサは自分の疑念が確信に変わる。
ミサの視線を追って、青娥は自分の足元に視線をやる。
「あらら〜。外の世界の人間もそこまで平和ボケもしていないみたいね〜」
青娥は簪を芳香の首の後ろから引き抜き、ベッタリと付いた血をハンカチで拭い取った。
芳香はその場に崩れ落ち、ピクリとも動かない。
「脊髄を刺してキョンシーの動きを止めた……そうですよね」
「正解よ〜。どうしてバレたのかしら」
「名前、まだ名乗ってませんよね」
「あら、平和ボケしていたのは私の方だったみたいね〜」
くすくすと笑う青娥は、芳香の額に手を当てる。
するとまるで再起動をかけられたかのように、芳香はまた立ち上がった。
「ひどいぞ〜」
「とりあえず貴女の肉体が欲しいのよね。芳香、取ってきてちょうだい」
「了解〜」
芳香は大口を開けながら、ミサに向かって走り出す。
ミサは身を翻し、墓石を乗り継いでお寺の方に走り出す。
「そっちは行ってほしくないのよね」
いつの間にか青娥に回り込まれ、ミサはバランスを崩し墓石から落ちてしまった。
もうすぐそこに芳香は迫っている。ミサは立ちあがろうとするが、疲労からか足に力が入らない。大口を開け迫り来る芳香を見つめ、ミサは強く目を瞑った。
「とうっ!」
「やられた〜!?」
ミサに飛びかかろうとする芳香の顔に、射命丸の飛び蹴りが炸裂する。
芳香は吹き飛ばされ墓石にぶつかり、その衝撃で倒れてきた墓石の下敷きになる。
「重い〜青娥〜!」
「あらあら、もう術が解けたの?」
「臨死体験って奴ですかね、記事にできそうないい経験をさせてもらいましたよ!」
「射命丸さん、良かった……」
青娥から庇うように、射命丸はミサの前に立つ。
青娥は射命丸と芳香を交互に見て、芳香の方に歩き出す。
「企みは失敗ね、次はもっとお馬鹿な人間を狙いましょうかね」
「青娥〜助けて〜」
青娥は墓石を持ち上げ、芳香を助け出す。
そして芳香の体を大事そうに触り、壊れている場所はないかと確かめる。
「鴉天狗さんは、次からは取材を選ぶ人は選んだ方が良いわよ。正直なところ、私を選ぶなんて正気の沙汰とは思えないわ〜」
「……すいません」
なぜか襲ってきた相手に説教され、射命丸は釈然としなさと後悔の念を感じて肩を落とす。
芳香の頭を撫でながら、青娥はミサと目を合わせる。
「この幻想郷、貴女には合わないわ〜。早めに博麗の巫女の所に行った方が良いわよ〜」
「……考えて、おきます」
「絶対行かない答え方ね、まぁ選択は人それぞれ。私はおせっかいを焼くタイプじゃないから、早く帰りなさいな」
青娥に促され、射命丸とミサは肩を並べて墓地を出る。
墓地では青娥と芳香が手を振っている。その光景が、ミサにはなぜだか微笑ましいものに見えた。
「……ミサさん、申し訳ありませんでした」
「どうして射命丸さんが謝るの?」
「だって……貴方の了解を得ずに勝手な人選で、結果このような危険に」
「私は危険なのは百も承知よ」
「それでも……私は」
「もう忘れたの?」
ミサは不機嫌そうな顔になり、射命丸の前に立つ。
「『自分の望みを叶えたいのならば、二度と手に入らないモノを捧げる必要がある』って」
「だから……だからなんですか」
「私はこの取材で命を落としても文句は無いわ」
「な、なんてことを言うんですか!」
胸ぐらを掴みかかる射命丸の腕を、ミサが強く握る。
「望みを叶えるため、それならば命なんて惜しくはない。それが私の考え」
「無茶苦茶です! 死んだら何も残らないじゃ無いですか!」
「それでも」
ミサは射命丸の目を見つめる。
「それでも叶える価値がある。私はそう感じているからやっているんです」
「……っ!」
射命丸には理解できなかった。人間は脆く短命で、生きる為には無様を晒してでも生にしがみつく。そう言う生き物だと考えていたからだ。
自分の目の前にいる人間が異質であり、理解不能な異端である事に射命丸はやっと目を向けた。
その瞬間本能が恐怖を嗅ぎ取り、ミサを突き放す。
「何なんですか……貴方」
「……五島ミサ。欲望の為に全てを捨て去る事が出来る人間よ」
「あむ」
突然、ミサの指に少女がかぶりつく。
しばらく口に含んだ後、不味そうに口から吐き出す。
「うえ〜……聖職者の味がする〜……」
「でもこれでお代は払えたわ、後は写真を撮ってもらうだけよ」
ミサの目の前には地霊殿で会ったこいしと、もう一人見た事のある少女がいた。
「あなたは……紅魔館の?」
「わぁ、知ってるの? 私フラン、フランドール・スカーレット!」
「どうしてこんな所に紅魔館のフランさんと地霊殿のこいしさんが?」
射命丸が状況を飲み込めない様子で尋ねる。
するとこいしは嬉しそうに射命丸のカメラを指差す。
「あなた、カメラで私とお姉ちゃんを撮ってくれるんでしょう? だからお友達も撮って欲しいって思って呼んできたのよ!」
「私とお姉様を撮って欲しくって……お姉様のお誕生日も近いから……」
「なるほど、吸血鬼だから写真に映らないんですね。でもその件でしたら先代のカメラでも出来ているので、言ってくださったらいくらでも撮りますよ!」
「ほんと!? やったー!」
嬉しそうに飛び跳ねるフランを見ながら、ミサは噛み付かれた指を抑える。
人差し指は肉が抉られ、骨ギリギリまで持って行かれている。痛みを顔に出さない様に、ハンカチで患部を巻く。
「射命丸さん、ありがとうね!」
「鴉天狗さん、ありがとう!」
「いえいえ。では後日お伺いしますので、今日の所は解散という事で」
「そうはいかないわよ」
突然上空から声が聞こえる。
見上げれば、月の光に照らされた博麗の巫女がそこにはいた。
「文、早くその人間を渡しなさい」
「嫌です。絶対に」
「正気じゃ無いわね」
呆れる様に呟く巫女は、二人の部外者を睨みつける。
「そこの二人は帰りなさい、邪魔だから」
「……霊夢は射命丸を殺すの?」
「えぇ、どうしてもその人間を渡さないっていうならね」
「……ねぇフランちゃん、手を貸してくれる?」
「もちろん、友達だもん!」
こいしとフランは地面から飛び上がり、巫女の目の前に立ち塞がる。
「今夜は月が綺麗だから」
「私の姿もよく見えるでしょ?」
「……あんた達も邪魔するっていうの?」
「久しぶりに遊びましょ!」
「鴉天狗さん達は放っておいてさ!」
「上等よ、痛い目見なきゃ分からないって事ね」
巫女がそう言い放つと、背中から鋭い針を何十本も取り出す。
射命丸はミサを抱え、高速で森の中を低空飛行する。
木々の間から上空で繰り広げられる戦いが見え隠れする。ミサはまるで花火の様な芸術性を見出し、感嘆の息を漏らす。
「あれが幻想郷での決闘方法、弾幕ごっこです」
「射命丸さんの昔の記事に載ってた通り、とっても綺麗ね」
「えぇ、妖怪や人間の差異なく争う手段。殺さず勝敗を決める、この幻想郷には必要不可欠なものです」
飛んできた流れ弾が、二人のすぐ側に着弾する。
地面は抉れ、散った植物が降り注ぐ。
「本当にそんなに平和なものなの!?」
「こっちを狙ってきています!」
巫女は二人の少女を相手取りながら、視線をミサと射命丸にずっと向けている。
隙さえあれば余分な弾幕を二人に向けて放つ。
その様子を見て、二人の少女は憤慨する。
「もう! もっと真剣にやってよ!」
「そうよそうよ! 私たちが『シンガリ』やってるんだから!」
「じゃあ本気出すから、とっとと負けてもらうわよ。【針符『月卿を封じる針』】!」
無数の巨大な針が、高く飛び上がった巫女の手から発射される。
二人の少女は避けようとするが、その攻撃が目下の射命丸とミサに向けられた事に気がつく。
気がついた時にはもう遅く、避ける事叶わず二人は針の嵐に飲み込まれる。
「射命丸さん危ない! すごく危ない!」
「わかってますわかってますから!」
射命丸は上を見る余裕もなく、高速で木々の間を縫って回避行動を取る。
針の嵐は高速で飛ぶ射命丸のピッタリ後ろを貫き続け、地面に針の道を作り出す。
「右右! 次左!」
「はいはいはいはい!」
ミサが針の軌道を読み、射命丸が言われるがままに回避する。
「【禁忌『レーヴァテイン』】コンテニューってね!」
「【『サブタレイニアンローズ』】防御は任せて〜!」
針の嵐を抜けて、二人の少女が巫女に炎の剣で切り掛かる。
射命丸はこのチャンスを逃さず、一気に上昇しトップスピードで妖怪の山に飛ぶ。