[真祖]一族の祖となり得る強大な力を持つ、その種族の頂点たる者。
有り体に言えば[真祖]とは、その種族最強の存在だ。
あまりの強さに広大な土地を支配し、国の王や実質的支配者になる者は珍しくない。
勿論、全ての真祖が表立って行動するわけではない。
そしてそれらの殆どは自らの存在を善なる者と認識行動し、周囲に良い影響を与えた。
しかし、中には力に溺れ非道な行いをした者もいた。
山をも動かし、小国を含めた数十の国を地上から消し去った巨人族の真祖[暴虐の王]
海域の殆どを支配し、数多くの島国を強制的に鎖国に陥らせた人魚の真祖[永遠なる歌姫]
広大な土地を食い荒らし、数か国で大飢饉を引き起こした蟲人の真祖[無限口嚼]等が有名だ。
負の力を撒き散らす真祖が現れると、大抵洗脳のような形で同族を支配するので世界規模で悪影響が出る。
更に質が悪いのが、洗脳状態で支配された者はその間の記憶を保持しているということだ。
つまり真祖が討伐され、洗脳から解放された時・・自らが行ってきた行為に発狂する者が続出する。
周りの者はそれが分かっていても、被害の拡大を防ぐために真祖を討伐せざるを得なかった・・
過去、そのような経緯で邪悪なる性質の真祖が生まれた種族は、他種族から強く迫害されてきた。
だが、この国は迫害ではなく共存を選んだのだ・・
種族の大部分が洗脳を受けたという事実に対する同情もあっただろう。
だが、同情だけで救うにはデメリットが大きすぎるにも関わらず、この国は傷つき彷徨う者達を保護し、受け入れて来た。
そして受け入れられた者達は・・・決して、救われた恩を忘れなかった。
この国が様々な種族と共存出来ているのは、そのような経緯が強く影響しているからなのだ。
くるりと辺りを見回して、遠くに人やアラクネ、人馬、竜人・・蟲人や獣人といった様々な種族が行動を共にしている姿を眺める。
生まれた時から他種族は身近な存在だった。
この何の変哲も無い光景は、世界規模で見ればとても珍しいものらしい・・
—その原因となるのが[真祖]・・か—
真祖という存在を振り返り、恋人が居る天幕の前に一人で立つ。
結界に阻まれ、中の様子を窺い知れぬ状況もあって・・様々な不安が湧き出していた。
「暫く、一人にして下さい」と婚約者が天幕に引き籠り、丸一日が経っている。
昨晩、彼と別行動をして直ぐセラスに捕まり仮眠を取るよう言い含められた。
無理やり横になったものの眠れる筈もない。
身体は怠いのに、まんじりともせず朝を迎える。
陽が上り、軽く食事をして本部へ報告に向かい、それが済んだ途端色んな奴らに声を掛けられた。
大体は魔獣の足止めをやり遂げた事への称賛と感謝。次に婚約した事に対する祝い。
他にも冗談だと匂わせつつ「自分に乗り換えないか」と言ってきた者や「彼、素敵だし。一晩お願いしたいなー」などと牽制してきた者も居た。
前者は軽くあしらい、後者には強めの威圧をお見舞いしてやった。
思い合う者同士、婚約もしているのに割り込んでくるなと言いたい。
そんな奴らは『騎竜に轢かれてしまえ』と割と本気で思う。
なんだかんだと忙しく動き回り、夜になってやっと時間が出来た。
そうして天幕の前で何をするでもなく佇んでいた所へ声を掛けられる。
「よぉ。エトラ!」
「おじ・・筆頭殿!戻られたのですね?!」
「おうよ。ちと遅くなっちまったがな。何か変わったことはあったか?」
「いいえ・・ジルが出て来る様子は無かったので・・」
「そうか」と一言だけ口にして、おじ上はパチッと指を鳴らした。
「中に入れるようにした。出る事は不可なままにしてある・・様子を見に行くだろ?」
「はい。ありがとうございます」
「なに、俺様もジルコニアくんに用事があるからな」
ホルダーから煙管を取り出し、火を付けながら「お先にどーぞ」と促された。
「俺様は一服した後で行くわ」
気を遣ってくれた事に感謝して軽く頭を下げ「では、お言葉に甘えます」と前を向く。
紫煙を燻らせ、ヒラリ手を振るおじ上に見送られる形で結界内へと足を踏み入れた。
「ジル、私だ・・入るぞ」
天幕の前でそう声を掛けると、中から「どうぞ!」と了承の返事があった。
入り口の布をのけ、スルリと中に入る。
「エトラさんっ!!」
暖色の明りを背に、恋人が勢いよく抱き付いてきた。
咄嗟に腕を広げて受け止める。
「ジルっ?!」
その姿は[真祖]へと変化する前のもので、恋人に何が起きたのか理解が追い付かない。
驚きに口を動かすものの、言葉は出てこなかった。
「見てください!俺、元に戻れました!!元通りです!これで何の心配もせずに済みます!」
目に涙を滲ませ笑う恋人に「落ち着け」と声を掛けようとしたが、先に背後から言葉が投げかけられる。
「興奮しすぎだジルコニアくん。ちょっと落ち着こうや」
「あっ!リアムさんもほらっ!俺、元に戻りましたよ!!もう大丈ぶ―」
体を離して向き直り、はしゃいで声を上げる恋人。
彼の興奮した声に駆けつけてくれたのだろう。
おじ上は、その目の前でパンっ!と一つ大きく手の平を打ち鳴らし、強制的に言葉を止めた。
「先走るなジルコニアくん。気持ちは分かるがよ・・詳しい者から話を聞いて「間違いない」って確信が持てるまで、その気持ちは抑えておきな」
歩を進め恋人の肩を軽く、ポンポンと叩いてから通り過ぎる。
「心に余裕を持っとかねぇと。望み通りにならなかった場合、後がキツイぞ?」
「・・・はい」
神妙な顔で頷く恋人は不安な思いに耐えるためか、ダボついたシャツの裾を握りしめていた。
少しでも気を楽にしてあげたくて、そっと背中に手を添える。
「さて、早速だがジルコニアくん、実は紹介したいヤツがいるんだ。おーい、入って来い!」
呼ばれ、出入り口の布を手でのけて入って来たのは黒衣を纏った初老の紳士だった。
丈の長いマントを翻し「呼ぶのが遅いぞ粗忽者」と顔をしかめていたが、恋人の前に立つときには真摯な表情へと改めている。
「こいつはドラクル。割と古い吸血鬼で俺様の友の一人だ。ジルコニアくんの相談相手に良いかと思って連れて来た!」
「こっちが義理の息子のジルコニアくん。で、その婚約者のエトラだ」と簡単な紹介をされる。
「吾輩、そこなエルフに随分と丁寧な招待を受け、やって参ったドラクルという者。見ての通り吸血鬼である。〈ドラクル〉と気軽に呼ぶとよい。以後良しなに」
「は、はい。ジルコニア・・です。よろしくお願いします?」
すっと差し出された手を躊躇いがちに握り返す婚約者。
ドラクル氏は軽く頷くと、今度はこちらへと向き直り自然な仕草で私の右手を掬い取った。
そのまま手の甲に唇を寄せ、口づける動作の後に「よろしく、素敵なレディ」と上目遣いで視線を向けられる。
「んなっ?!」と驚愕の声を上げる婚約者を手で制し、強めの視線とサインで『動くな』と伝える。
こちらの指示に従い、身動きせずに固まる恋人の引き結んだ口元から、僅かに犬歯が覗いた。
あまり褒められた態度ではないが、今はそれで良い。
殴りかかったりするよりはマシだ。
—これは後で説明しなくてはな—
ドラクル氏の古式ゆかしい作法に自分も内心驚いていたが、直ぐに姿勢を正して名乗りを返す。
「これはご丁寧に。私は軍に勤めております、エトラ・ホークと申します。リアムおじ上とは家族ぐるみで親しくさせて頂いております」
すっと頭を下げると「随分と礼儀正しいレディだ。軍人の鏡だな」と少々ズレたお褒めの言葉を頂いた。
「失礼。何分、人の世に触れるのが久々なものでな。何か気に障ったなら申し訳ない」
「いえ、お気になさらず。実直な評価を頂き嬉しく思います」
「左様か。それは重畳・・だが吾輩、リアムの義息にも何か失礼をしたようだ」
「すまなかった。君にも謝らせて欲しい」との氏の言葉に、恋人は毒気を抜かれたようで少し戸惑いながらも「いえ、気にしないでください」と返していた。
恋人が態度を軟化させ、氏を受け入れたことに内心で称賛を送る。
この素直さは、彼の美徳の一つだ。
「よしっ!挨拶は済んだな!続きは座ってからにしようじゃないか!」
おじ上は出したままだったガーデンテーブルを異空間収納へと仕舞い、替わりに一回り大きなテーブルを設置して足りない分の椅子を取り出す。
皆に着席を促した後で「今日の茶はこれな!」と飲み物が入った状態のティーポットと人数分のグラスをテーブルへ並べた。
物を冷やす魔道具もテーブルに置き、その上にティーポットを乗せる。
今回は冷たい飲み物のようだ。
「さて、ジルコニアくん。こいつから何か感じるか?強者の気配とかそういの」
「えっと、その・・正直よく分かりません・・古い吸血鬼というのは何となく分かりますけど・・」
「だろうな。こいつ年だけはくってるからなー」
おじ上の言葉に眉根を寄せ「エルフであるお主に言われとうないわ」と強めの溜息を吐いたドラクル氏はグラスのお茶を一口飲んで切り出す。
「気配を人里で垂れ流せば要らぬ騒動を引き起こす。そんな事をするのは礼儀のなっていない半人前だけであろうよ。それで?・・吾輩は何の為に呼ばれたのだ?」
「おう。まずはジルコニアくんの話を聞いてやって、それから相談に乗ってくれや」
「・・そう、ですね。お願いしたいです」
おじ上からの視線に頷いた婚約者は、ドラクル氏へ頭を下げて願い出た。
「俺は親族とは折り合いが悪くて・・相談できる同族が居ません。だから・・話しを聞いて頂けたら、とても助かります」
「・・・よかろう。では聞くとしよう」
そして、恋人の口から事の経緯が説明された。
身体が変化した時の状況はぼかした上で話したのだが、歳を重ねた経験豊富な者には意味が無かったようである。
「つまり、性交中に体が変化したと・・」
「そう・・なります・・」
恋人は顔を赤くして俯いている。
そういう自分も、前を向いてはいるが顔が火照っている自覚があった。
流石に身内の前で性的な話をするのは気恥ずかし過ぎる・・
だが羞恥心に赤面する自分達に構う事無く、氏は真剣な表情で話を続けた。
「成程。よく解った・・結論から伝えよう。間違いなく君は[真祖]へと覚醒した」
「―っ!でもっ!この姿は以前の、変化する前の姿ですっ!俺は元に戻れたのでは?!」
「いいや違う。その姿は【変身】の能力によるものだろう、これこの様に」
そう言った氏の姿が一瞬塵になったかと思えば、おじ上の姿へと変化した。
隣に座るおじ上と瓜二つの顔、背格好に言葉を失う。
「力の強い吸血鬼が持つ能力の一つだ。良く見知った他者や、生物に姿を変化させることが出来る」
声までおじ上とそっくりで、二人の間に鏡が現れたような感覚に陥る。
感心して眺めていたが、おじ上本人は落ち着かないようで「さっさと戻れよ」と顔をしかめていた。
「状況から察するに、以前の姿に戻りたいと強く願ったのであろう?ならば本能的に【変身】したのも納得できよう」
また一瞬塵に変化した後、元の姿へと戻ってそう告げるドラクル氏。
恋人は俯きがちにテーブルの上のどこか一点を見つめ、ぽつぽつと言葉を零した。
「・・・なんだ・・・そっか・・そうなんですね・・・なら、俺は・・・もうエトラさんと一緒に居る事は出来なくなります・・ね」
「なっ?!ジルっ!それはどういう事だっ!!」
「だってそうじゃないですかっ!!こんなっ、[吸血鬼の真祖]だなんて化物を国が放って置きますか?!良くて監禁か国外追放!最悪暗部に消されます!」
恋人の叫びに、全身が雷に打たれたかのように硬直する。
そんなまさかという思いの裏側で「そうだろうな」と納得する自分を殴り飛ばしたくなった。
「違うっ!ジルは、ジルはそんな
そうだ絶対に違う!
私の大事な恋人で、婚約者で、この世で唯一の愛しい・・最愛の人。
優しい人なのだ・・誰が、何と言おうとも!
「違わないっ!違わないんですよエトラさんっ!今、この瞬間にだって・・俺自身何をするかも分からないのに!」
叫び返す恋人の姿が、氏が見せてくれたのと同じように一瞬塵に変じると覚醒後の姿へと変化した。
白髪は伸びて瞳は紅く輝き、体格は一回りも大きい。
食いしばる口元には伸びた犬歯が目立ち、テーブルへ両肘をついて頭を抱えた両手の爪は鋭く伸びていた。
得体の知れぬ自分自身と、近々起こるであろう未来に脅え、震える恋人をどうにか落ち着かせてあげたくて声を掛けようとした時・・酷く冷静な声が耳に届く。
「君は何故そのような懸念を抱く?」
恋人へと真っ直ぐに視線を向け、テーブルの上で指を組むドラクル氏。
「・・・[真祖]は強くて・・国の脅威になるから・・」
氏からの静かな問いに、恋人は頭を抱えたままポツリと返す。
「何がどう脅威になると?」
「・・何をするか分からない、から・・邪悪な存在になる可能性が・・」
「ならば自身を理解した上で力を制御し、〈善なる者〉であると国の上層部に証明すればよかろ?」
「・・え?・・」
「つまりだ。君は自らの能力がどういった働きをするのか・・理解出来ておらぬが故に不安を抱いた。そういう事ではないのかね?」
「その、通りです・・・でも、あの。制御して証明なんて、どうすれば?」
グラスを持ち、クイと傾けてから「何、簡単なこと」と散歩に誘うような気軽さで氏は答えた。
「吾輩が能力の把握と指導を請け負おう・・それで良いのだろ?リアム」
「—さっすが!任せて良いか?友よ!」
ばんっ!ばんっ!と背中を叩く手を鬱陶しそうに払いのけ、氏は驚きに目を見開いている恋人へ問うた。
「どうかね?吾輩に師事するのは理にかなっていると思うが・・不服かね?」
「―っ!?いいえ!?どうかよろしくお願いします!能力が制御出来れば、そうすればエトラさんと離れずに済むんですよね?!」
「君の努力次第としか言えぬがな」
「死ぬ気で学びます!」
両手をテーブルに付き、椅子を倒す勢いで立ち上がり声を上げる恋人の様子にほんのり笑みを浮かべるドラクル氏。
おじ上も腕を組み、ウンウンと頷いている。
「まっ。王家に報告は必須だがよ。俺様が上手く話して置いてやるよ!まずは修行頑張ってみな!ある程度制御出来るようになれば登城する事になると思うが、俺様が同席すっから、安心してどーんと構えてろや!!」
「大事な義息なだしな!」と笑うおじ上がこんなに頼もしく見えた事はない。
恋人は笑みの形に口元を歪めながら目に涙を溜め「ありがとうございます!」と頭を下げた。
自分も椅子から立ち上がり、二人に向けて真摯な気持ちを込めて礼をする。
「リアムおじ上、ドラクル氏。お二人に深く感謝を・・ジルの事、どうかよろしくお願い致します」
「任せろ!」とおじ上は笑い、氏は鷹揚に頷いて承諾を示した。
△ ▽ △ ▽
ここ数十年、新たな真祖が生まれたという話は聞いた事が無い。
善なる者、邪悪なる者どちらともだ。
久方ぶりの[真祖]の誕生・・それがまさか、自分の恋人とは。
—人生というのは、何が起きるか分からんものだな・・—
意識をどこか遠くに向け、つらつらと思考していると衣装合わせの手伝いをしてくれているメイドに声をかけられた。
「お嬢様、腕をお下げください」
「あぁ」
「お裾を失礼いたします」
ジルと並んだ時のバランスを考慮して、今穿いている靴のヒールは低く作られている。
とはいえ、ずっと立ちっぱなしで少々疲れてきた。
体を動かさずに、ただ立ったままというのは案外きつい。
思わず現実逃避するのは仕方ない事だと大目に見て欲しいところだ。
「奥様、ルクレラ様、如何でしょうか?」
「そうねぇ・・ルクレラはどう思って?」
「そうですわねぇ・・エトラの魅力は凛とした佇まいから生じるもの。フリルなどは裾や腰部分に飾り程度に残し、後は身体のラインがはっきり出るドレス方が良いのではないかしら?」
「この形が今の王都での流行なのだけど・・確かにエトラには微妙よね。一応着せてはみたけれど、この前の夜会の時のドレスの方が何倍も似合っていたわ」
「母上、お姉様。分かっていらしたのに着替えさせたのですか?」
扇子で口元を隠し、ほほほと上品に笑って誤魔化す母と姉を疲れた目で見やる。
衣装合わせも十数着目だ。流石に辟易して溜息が零れる。
「あらだってあなた、こんな機会でもないと着飾った姿を見せてくれないではないですか。折角近くに居るのに、家に寄りもせず仕事ばかりで」
「
それを言われると心が苦しい。
少し調整すれば時間は作れるのに、母と姉に捕まると長い話に付き合わされるのでつい、実家から足が遠のいていたのだ。
申し訳なさで口を噤んだ私に苦笑して、母は扇子を閉じて言った。
「まぁそれでも、その仕事を通して婿を迎える算段が付いたのは良き事よね」
「本当に。良かったわねエトラ」
「はい。自分でも、とても幸運な事と思っております」
母がメイドに指示を出し、着せられていたヒラヒラしたドレスを脱ぐと、下に穿いていたパニエも脱ぐ。
動きやすいワンピースへと着替えを終え、二人の向いに座ると控えていたメイドが出してくれた紅茶を口にする。
一息ついた所で母に訊ねられた。
「それで・・その婿殿の様子はどうなの?」
「はい・・今は落ち着いております。リアムおじ上から紹介された古き吸血鬼、ドラクル氏に師事した事で能力の方も大分安定してまいりました」
「その件については報告を受けています。説明は不要よ。あたくしが聞きたいのは婿殿の精神面、心情の話です。あなた、彼とちゃんとお話しは出来ていて?」
「それが、お互い忙しく・・話そうとしても「大丈夫です」の一点張りで・・」
母が危惧する通り、実地演習から戻ってからというもの、まだまともにジルと話せていない。
視線をカップの水面に向けたまま上げられないでいると、呆れた様子で溜息を吐かれる。
「あらまぁ・・困った子たちだこと・・」
「まぁまぁ、お母様。こればかりは二人の問題ですわ。周りの者がとやかく口を挟んでは余計に拗れるだけでしてよ?」
「分かっていてよ・・でも、何とももどかしいわ」
「我慢ですわお母様。それはそうと・・エトラ?」
「はい、お姉様」
呼ばれ、姉へと視線を向ける。
三つ折りほど開いた扇子で口元を隠した姉は、長い睫毛が縁取る目を細めて言った。
「お母様が仰る事も、あなた達を心配しての事だと理解しているのでしょう?披露宴まであまり時間も無いのだから、少々強引でも二人できちんとお話ししなさいな」
「はい・・そう致します」
俯きがちに首肯する自分を気遣って、母と姉は視線で会話した後に優しく話し掛けてくれる。
「・・あなたも疲れが出ているわ。今日の衣装合わせはこれで終いです。夕食まで部屋でゆっくりさないな」
「明日も仕事でしょう?帰ってきたらまた衣装合わせの続きがあるわ。しっかり身体を休ませておきなさい」
「・・はい。お気遣い、ありがとうございます母上。・・姉上も、お腹の子に障らぬようごゆるりとお過ごしください。では、失礼して部屋に下がらせて頂きます」
席を立ち、一礼して部屋を出た。
勝手知ったる実家なので、特に案内もなく一人自室に戻る。
普段軍で寝泊まりする宿舎の自室より、実家の部屋は広く、質も良い。
だけど、今やあちらにすっかり慣れてしまい、実家の方がなんだか落ち着かなかった。
寝室に入り、広々としたベッドに行儀悪く背中から倒れ込む。
柔らかな寝具に体を沈みこませ、長く深く息を吐いた。
見るとは無しに天蓋を視界に収め、考えるのは恋人の事。
駐屯地から王都へと戻ってすぐに古き吸血鬼に師事し、能力の制御訓練を始めた恋人。
集中して訓練に当たる為、体調を崩した事にして周囲には婚約発表の披露宴まで療養すると伝えてあった。
仕事は一月ほど休むことになったが、半分は未消化だった休暇を当てたのも良かったのだろう。
上司や同僚たちからは「ゆっくり休ませろよ」と気遣いの言葉を掛けられた。
優しい人達だ。自分達は周囲の人達に恵まれているとつくづく思う。
だが、そうしてまとまった時間を確保した筈の恋人は訓練で忙しく、自分とゆっくり話す時間を取れないようだった。
正直寂しい・・しかし—
―頑張って、いるものな・・―
影からそっと様子を窺った時の事を思い出す。
実家の所有する訓練場でドラクル氏から指導を受ける恋人は、それはもう真剣そのもの。
見た事の無い凛とした表情に、思わず見惚れた。
世界中の人に「この素敵な人が自分の婚約者なのだぞ?!」と自慢して回りたくなる衝動を抑えるのに苦労した程だ。
カッコいい恋人を着飾らせて親戚や知人達に紹介するのが楽しみだ。
―でも、その前にちゃんと話をしなくては、な・・―
真剣な表情・・その目の奥に宿る、追い詰められた者特有の焦りの色を思い出して心配が募る。
そうして今後の事を考えながらぼんやり過ごしていると、扉をノックする音が部屋に響いた。
「失礼しますお嬢様。起きていらっしゃいますか?」
「あぁ、スミスか。起きてるぞ?来客か?」
寝台から身を起こし、扉越しに声を掛ける。
「はい。リアム様とドラクル様がお話しがあると小客間でお待ちです」
「分かった。直ぐに行く」
「畏まりました。ではその旨お伝えして参りますので、後からお越しください」
「分かった」
「失礼いたします」と扉の前から気配が消え、直ぐに寝台から立ち上がる。
鏡の前で軽く身だしなみを整えると、足早に自室を後にした。
△ ▽ △ ▽
「おっ!来たなエトラ!」
少人数での集まりに丁度良い広さの小客間に到着し、ノックをして中に入るといつもの調子でおじ上が軽く手を上げ、こちらを招いた。
「お待たせしました」と声を掛けテーブルに着くと、程なくしてメイドからお茶が差し出される。
礼を言って一口含むと、好ましい香りと温度で肩の力が幾分か抜け、軽くなったように感じた。
使用人からの気遣いに、気分もふわりと浮き上がる。
「それで・・お二人から話があると伺いましたが、どういったものでしょうか?」
「あぁ、内容は俺様も把握してるがよ。詳しくはこいつが話すって聞かねーもんだからさ」
「成程・・では早速、お話を伺いましょう」
おじ上へ向けていた視線をその隣に座るドラクル氏へと移すと、それまで静かにカップを傾けていた氏が口を開いた。
「我が弟子の訓練を始めて20日経ったのでな。そろそろエトラ嬢とも話をしなくてはと思い、呼び出した次第だ」
一部白い筋の入った髪とは違い、黒々とした口ひげを撫でつけて氏はこちらを見据える。
その雰囲気に当てられ、思わず背筋が伸びた。
「いやー。ジルコニアくんはすげぇ頑張るな!覚醒して能力の発現だけでなく、元々の身体能力やらも向上してっからな。制御は大変な筈だが、必死で訓練に食らいついて・・うん。最初の頃よりかなり上達したんじゃねぇかな!」
「?・・はい。気を散らせてはいけないと思い、私はあまり様子を見に行けていませんでしたが・・家の者から報告は受けています」
「左様。まだ完全に制御出来たわけではないがな。感情の乱れによる暴走などの心配は・・まぁ、余程の事が無い限り大丈夫であろうよ」
そう改めて氏から直接恋人の状態を聞かされると、しこりの様に残っていた不安が払拭されほっと胸を撫で下ろした。
「訓練が終了した暁には制御も完璧に近づいておろう。後は能力を十全に使いこなせるよう使い慣れれば良い」
本当に良かった・・あれだけ自身に不安を懐いていた恋人だ。制御訓練から少しでも自信を付けてくれていれば、母と姉に言われた話し合いが上手く行くかもしれない。
「我が弟子の事はもうよいであろう。話したいのはエトラ嬢についてだ」
「あ、はい。お話しがあるとの事でしたね」
自分がどういった要件で呼ばれたのか、皆目見当がつかない。
[真祖]の恋人である事の心構え・・とかだろうか?
「まずは確認からだ。ここ暫く、自身の身体に何か異変を感じる事は無かったかね?」
「えっ?・・いいえ。特にコレといっては・・」
「左様か。ならまず、己の目で見て確認した方が話が早いであろうな」
そう言って横に座るおじ上に顔を向けると、おじ上は「はいよ」と言葉で返しながら異空間収納から鋏を一挺取り出した。
「それで髪を一房、切り落としてみてくれたまえ」
氏の発言に、控えていた使用人たちがザワリと気配を険しくした。
自分も一瞬驚いたが、ドラクル氏は無意味なやり取りを好まぬ方であったと思い直し、くるりと視線を巡らせて使用人たちに控えるよう指示を出す。
きっと、何かしら理由があるのだろう。
使用人たちが居住まいを正したのを視界の端に捉えながら、ドラクル氏から向けられる視線を真っ直ぐに受け止める。
「・・切れば、何かが分るのですね?」
「左様。今から説明する事の証明にもなる」
「・・分かりました」
承諾して、おじ上がテーブルの上に置いた鋏に手を伸ばす。
輪に指を掛ければ、ひんやりとした鉄の冷たさが肌に染みた。
衣装合わせの為、こめかみから下ろしていた両サイドの髪の右側を、左手の指で挟みピンと張らせる。
—あまり切り過ぎても、後で整えるのが大変だな—
髪を挟んだ指を端に向かって滑らせ、二センチ程切り落とすようにして指の背に刃を当て、鋏を閉じた。
シャクッと軽い音がして、毛先が断ち切られる。
「切りましたが・・これで何が分かるのですか?」
「・・切り口をよく見たまえ」
「・・え?」
鋏で真っ直ぐに切られた髪は、当たり前だがそこだけが短くなっていた。
その失われた部分が、胸元に流れる他の髪と同じ長さまで
意味が解らない。
見間違いかと思い、今度はもっと長く顎の辺りで切り落としてみた。
「お嬢様?!」と使用人たちが動揺に声を上げる中、不揃いになった髪が目の前でぞろりと伸び始め、あっという間に元の長さへと戻ってしまう。
「こ、れは・・一体・・」
左手に残る切り離した分と、自身の胸元に広がる髪とに忙しなく視線を彷徨わせると、震える声が口を衝いて出た。
理解し難い状況に続く言葉が見つからないでいると、冷静なドラクル氏の声が部屋に響く。
「ふむ。やはり推測どおりであったか」
「だな・・」
平静を保ったままカップを持ち上げるドラクル氏とは対照的に、おじ上は眉根を寄せ難しい表情をしている。
「ドラクル氏・・おじ上・・一体、私の身に何が起こったというのですか?」
未だ動揺の真っ只中。冷静にならねばという思いとは裏腹に、緊張に喉はひりつき声が震えた。
「何。少し考えれば当然の帰結よ・・エトラ嬢。貴女は我らの
「まぁ、今のエトラに無理やり種族名を付けるとするなら[準吸血鬼]ってとこだろな」
「意味が、分かりません・・吸血鬼化するほど血を吸われた覚えは無いのですが」
「今回の事、吸血の量は然程関係無い。我が弟子が[真祖]なれば、その片割れが
ドラクル氏は遠回りな話し方を好むようで中々結論を口にされない。
平静を失っている現状では、そんな氏の態度に苛立ちが募るばかり。
コトリとテーブルの上へ鋏を置き、手に持ったままの髪をスミスが差し出した盆に落とした。
これまでに語られた内容に動揺して精神が乱れ、それに引きずられて魔力も不安定に揺らぐ。
—落ち着こう。冷静になるんだ、私—
自分が吸血鬼になったとして、何が問題になる?・・何が不安だ?
恋人との関係。家族との時間。仕事の都合。自身の変化。
目を閉じて自身の心へと問いかけ、気持ちを整理する。
—一番嫌な事・・絶対に譲れないモノはなんだ?—
答えは直ぐに出た。
—ジルと離れるのだけは嫌だ—
その為なら仕事も、友も、家族も、・・全部切り捨てられる。
自分が、人ならざるモノになろうと構わない。
—彼の傍に居られるなら・・—
目を閉じたほんの一瞬の間に覚悟は決まった。
思いが定まり精神が安定したことにより、魔力の揺らぎが治まる。
「お聞かせ下さい・・おじ上は「無理やり種族名を付けるとするなら」とおっしゃった・・[準吸血鬼]より正確に、今の私を表す呼び方があるのですね?」
勘だが、確信を持ってそう口にするとドラクル氏の目が楽しそうに細められた。
「流石、軍事に力を入れているミネコラルヴァ王国の軍属・・立ち直りが早い。もう少し焦らしたくも思うが・・これ以上はリアムに攻撃魔術を打ち込まれるな」
「残念だ」と続けた氏に「当然だ!何しれっとしてんだお前はよ」としかめっ面で言ったおじ上は、こちらに視線を移すと申し訳なさそうに眉をハの字にした。
「すまんエトラ。こいつの遊びに付き合わせちまって・・不安にさせて悪かった」
「いえ、大丈夫です。自分の不甲斐なさが原因ですので、お気になさらず」
「それで・・」と問いへの回答を促す。
「あぁ・・お前は、もう人ではない・・」
誰一人として身動きせず、水を打ったようにしんと静まり返る室内に、おじ上の真剣な声が響く。
「そして、吸血鬼でもない・・[真祖の花嫁]という存在に、なったんだ」
正確な意味は解らずとも、おじ上の声音から大体の内容を察する。
どうやら私は、真祖に次ぐ化物へと変じたらしい。