天井に近い位置に取り付けられた鏡に、役割を果たす事の無い燭台が鈍く映り込む。
重厚なカーテンは半端に開けられており、その隙間から差し込む月明かりだけが室内をぼんやりと照らしていた。
薄暗い部屋に影が六つ。眼光だけを光らせて浮かび上がる。
「ご当主サマにご報告いたシマス」
唯一床に跪く影が口を開くと、正面に座る人影が尊大な態度で『早くしろ』と雑に手を振った。
「新しい情報でス。半端モノは彼の魔術師。リアム・ル・モス・アール・ブレイダスの養子となったようデス」
「なにっ?!ホーク家に入籍したのではないのか?!」
「グゲッ。次女と婚姻すル前に養子に入り。ブレイダス家の者として入籍する腹積もりカと」
「そうか!ブレイダス家と縁を持つとは!あの半端者。やっと家の役に立ったな!」
赤黒い液体の入ったグラスを片手に、口の端を釣り上げ上機嫌でニタニタと笑う男へ、隣に座る女が身体を寄せながら話し掛ける。
「旦那さま~。そのリアムなんとかって人はお金持ちなの~?」
「その通りだ妻よ!お前を痛めつけたあの愚図。今は筆頭魔術師の家に転がり込んでいるらしい!有難い話しじゃあないか!これは直接挨拶して歓待を受けてやらねばな!」
「え~?嫌ぁ!だって
唇を尖らせ、ぷいと顔を背ける幼子のような動作をする女に、別の女が声を掛ける。
「あら、でもお母さま?ブレイダス様は王様とも仲良しだとか。直接お会いすれば、もしかしたら王様とも会う機会が巡ってくるかもしれませんよ?」
「そうだよ母さん!あのゴミは僕が近づけさせないから安心して!」
「母さんいつも王様に会いたいって言ってたろ?俺らが守るから大丈夫!怖い事なんて何も起こさせないぜ!」
女の声に追従して、二人の若い男が話し出す。
「まぁ~!うちの子たちはなんて優しいの~ねぇ旦那様~?」
「皆お前が大切なのだ。美しい妻よ」
「うふふ!美しいだなんて、嬉しいわぁ旦那さまぁ~!」
しなを作り、男に甘えるようにしてすり寄る女に男の相好が崩れる。
「そうか嬉しいか!愛い奴め・・そんな可愛い妻には褒美をやろうな。おいっ!新しいボトルを持て!」
「きゃあ嬉しっ!さすが旦那さまは素敵だわぁ~!」
「ふふん!そうだろうそうだろう!ついでだ。お前たちも飲むがいい!」
「あら、お父様太っ腹ですわね。有難く頂きますわ」
「やりぃ!追加が欲しいとこだったんだよね!」
「なぁなぁ!処女の血だよな!だよな!?」
「無論!搾りたての高ランク品だ!」
歓声を上げて喜ぶ家族に男は満足そうにグラスを傾け「それで・・」と放置していた跪く者へと声を掛けた。
「ブレイダス卿と会うのは何時になる?」
「近々、ホーク家の屋敷で婚約発表があルようデス。その場でしタラ、確実にお会いになれるカト」
「ふん、そうか・・アレは愚図だが、親が顔を出せば歓待くらいするだろう。そのくらいの常識は弁えている筈だ」
「親が来たら~喜んでお出迎えするのが当たり前よねぇ~」
自分達にとって都合の良い常識を語る両親に、息子らが疑問を投げかけた。
「なぁ
「だよね!アイツは無能も無能!大した能力を持たない吸血鬼の底辺!何の役に立つって言うのかね?!血が汚れるだけなのにさぁ?!」
「その通りだ息子よ!あ奴らは馬鹿も馬鹿。大馬鹿よ!自ら他種族を取り込んできた所為で頭がイカレたに違いないわ!」
「忌々しい〈異種族喰らい〉共め!」と吐き捨てて、男はグラスを呷る。
「あの家に進んで取り込まれて行った他種族も大間抜けよ!自らの血を穢してどうするのだ!一族どころか、己の種族にすら誇りを持たん愚か者共が!」
「まぁ~そんなお馬鹿さんたちの所に行かないといけないのぉ?嫌だわぁ、ねぇ良い子たち~お母さんを守ってくれる~?」
拳をテーブルへ打ち付けた男の膝を撫でながら、女は子どもらに視線を投げながら声をかけた。
「勿論ですわ、お母さま」
「任せてよ母さん!」
「俺らの力で守ってやるぜ!!」
「ふふん!それでこそ力あるソルシオ家の者だ、息子らよ!」
薄暗い部屋に品性の無い笑い声が響く。
そこへぎこちない動きの給仕係がボトルを持って現れ、新しいグラスに中身を注いで回った。
「おい下僕。引き続きアレの情報を集めろ!婚約発表の日程が分かり次第すぐに報告するのだ!」
「ゲゲッ!畏まりマシタ」
「義理の息子となる者の親がわざわざ顔を出すのだ。ブレイダス卿も喜んで援助を申し出てくるに違いない!」
「当日が楽しみだ!」と男はグラスを掲げ、中の液体を揺らすと都合の良い展開を夢想して楽し気に口元を歪めた。
△ ▽ △ ▽
テーブルの上、ゆっくりと立ち上る紅茶の湯気を見つめながら自身が真祖の〈半身〉へと変化した事・・
おじ上とドラクル氏の二人からもたらされた話しを、寄り添いながら一つ一つ語った。
「・・じゃあ。エトラさんは今、人ではない・・と?」
「そうなる。だがな、自分でも不思議なくらい落ち着いているんだ。不安が全く無いと言う訳では無いが・・合点がいったというか、ジルと寄り添っていく為にこれは必要な事だったのだと理解して、納得もしている」
そう。肉体だけでなく、精神までもが〈半身〉として微妙に変化したのではないかと思う。
今思えば本当の意味でジルに〈傷付けられる〉ことはないと、本能的に解っていた。
依存にも近い、魂が溶けあったような〈共感覚〉が絶対の安心感をもたらしている。
―私はジルの〈片割れ〉〈命を共有する者〉・・うん。
恋人に打ち明け語る中、互いが〈半身〉であると把握し、理解したところで・・胸の奥に確かな熱が灯る。
今まで感じていた薄っすらとした繋がりが明確に、強固になったのを感じてはっと目を見開いた。
完全に馴染み、同一になった魔力を通して互いの感覚や感情、思考が共有される。
隣を見ると、恋人の後悔と自虐に歪んでいた表情が、不意に和らいだ。
〈あ。エトラさんと、繋がった?〉
《そのようだ》
〈・・・あぁ。よかった・・〉
《安心したか?》
〈うん。よかった・・〉
相互に流れ込み、混ざり合った感覚の中で互いの疑問も懸念も溶けるように解消されていく。
手の平を重ねあい、指を絡めて寄り添った。
〈不安はない?〉
《何も?》
〈辛い事は?〉
《何も?》
〈・・嫌う?〉
《それは絶対に無い》
思念が発されるとほぼ同時に答えを返す。
付属して伝わる感情で、この思いが偽りでないと伝わったことが分かった。
繋いだ手が持ち上げられ、甲に恋人の唇が触れる。
止めどなく溢れる愛しい気持ちが互いを包み、行き交う魔力が相乗効果で飽和して、溢れた魔力で髪がふわりとなびいた。
白い前髪が流れて、直接視線が絡み合う。
〈・・好きです〉
《好きだ》
見つめ合ったまま、触れるだけの口づけを交わした。
唇が離れるとほぼ同時に〈共感覚〉が途切れると、二人同時に満足からの溜息を吐いた。
「凄いな・・これが〈半身〉か・・」
「・・・〈魂から繋がった〉・・といった感じでしたね」
「だな・・」
すっかり冷めてしまった紅茶で喉を潤し「さて」と言葉を続ける。
「互いの思いを語る前に理解し合うという不思議な状況ではあるが・・敢えて言葉にするとしよう」
「・・はい」
「ジル。私がジルに怒ることはあっても、恨むことは決してない。どんな理不尽な目に会おうとも、それは自分で選択した結果だからだ。君が気に病む事ではない」
「エトラ、さん・・」
「でも、ジルは心配性だからな。不意に不安に襲われることもあるだろう・・なら私は、ジルが安心できるように、ずっと傍で幸せな姿を見せ続けるとしよう」
「約束だ」と微笑めば、ジルはくしゃりと口元を崩し「はい゛」と涙声で答えた。
「お、俺も゛。エトラざんを守れるように゛・・幸せでいられるように、もっと・・もっと強゛ぐなりまずっ」
「ありがとう。だが、私はジルが元気に楽しく過ごしてくれたら、それだけで幸せだ」
「自分の為に゛も、頑張りまず!」
「わかった。それなら、無茶は程々にな」
「ばい!」
少しばかり泣き虫な愛しい片割れに苦笑して、頬を流れる雫を指の腹で拭う。
「さて、力強く決意表明してくれたのは嬉しいが、明日は大事な日だ。君も今日はゆっくり過ごすと良い。なんなら・・そうだな、一緒に寝るか?」
このまま解放すると今の勢いのまま訓練場に突撃するのではと思い、ちょっとした悪戯心を交えつつ寝室に誘う。
「えっ!?それはっ!!」
「と言っても勿論寝るだけ、添い寝だけだぞ?」
「言ったろう?明日に響いたら困る」と続いた言葉に、わたわたと彷徨わせていた両手をぴたりと止め、片割れは頬を紅く染めた。
「えっと。はい・・エトラさんのお邪魔でなければ・・傍に、居たいです」
「無論、問題ない。それにだ、聞いているとは思うが明日からはここの離れで一緒に寝起きするのだぞ?それが一日早まるだけだ」
「あ。はい・・聞いてます。そうでした、ね」
「だろ?では私は寝屋着に着替えて来る。ジルは・・着替えは不要だな?」
「はい。要らないです」
「ん。では支度が出来たら呼ぶ。それまでゆっくりしていてくれ」
「わかりました」
そうして・・この夜。
手を握り合いながら、初めてベッドを共にした。
△ ▽ △ ▽
恋人の隣で横になったまま、じっと視線を注ぐ。
すぅすぅと穏やかな寝息を立てている愛しい人を起こしてしまわないように気配を抑え、只々その美しい寝顔を眺めていた。
繋いでいない方の手で、流れる黒髪を一束掬い取って口元に寄せる。
―睡眠不要の体と暗視能力に感謝だなぁ―
明りが落とされた光源のない真っ暗な室内で、恋人の安らかな寝顔を視界に収める。
愛しい人の横顔は、一晩中だって眺めていられる。
〈片割れ〉として深い所で繋がったあの感覚のお蔭で、じわじわと這い寄って来るような不安は払拭された。
伝わって来た思念と、それに伴う感情が絶対的な安心をもたらしてくれたから。
彼女の事を信頼はしていても、いつか嫌われてしまうのではないかとどこか、ずっと不安だった。
人外へと堕ちる原因となった自分は、疎まれても仕方ないのだと・・そんな考えを排せずにいたが、それは全くの杞憂だったのだ。
自己肯定感が低いとは自覚していて、常々改善したいとは思っていたが、それももう大丈夫だと確信に近い感覚を得る。
彼女に、真に愛されているのを実感できたから。
―俺は・・強くなる―
繋いだ手に優しく力を込めて、改めて誓う。
愛してくれる片割れに報いる為に・・彼女を構成する全てのモノを失わせないように。
幸福を・・笑顔を守る為に。
それには、自分も幸せでいなくては・・
自身を含め周囲が幸せであるために、どんな努力も手段も厭わないと決心して・・
一先ずは明日の披露宴と結婚式を成功させなければなと、決意を新たにする。
祝い事を目前にして、静かな夜はどこかそわそわと華やかに沸き立ち、ゆっくりと更けていった。
△ ▽ △ ▽
照りつける太陽が地に沈み、暫く経った薄闇の中、上流階級の屋敷が立ち並ぶ区画にて一際大きな屋敷が魔術による明りで煌々と照らされていた。
広々としたホールに大小丸いテーブルが配置され、真っ白なクロスの上には彩り美しい料理の数々が花のように咲き誇っている。
大きな祝い事へと集まった様々な種族の者たちは、楽団が奏でる曲に紛れさわさわと静かに囁き合いながら主役の登場を待っていた。
「―・・ジル?」
「ひゃいっ!?」
「・・緊張し過ぎだ。大丈夫だから、落ち着いて深呼吸だ」
「分かっては、いるんですけど・・ヤバいです。心臓が破裂しそうです・・」
「集まった親戚は気の良い方たちばかりだし、他の招待客もそう畏まる必要のない者が殆どだ。まだ始まってもいないのに、そのままだと最後まで持たんぞ?」
「うぅ・・頑張り、ます」
屋敷の大ホールに近い控え室で待機しているが、恋人はあまりの緊張に挙動不審に陥っていた。
血の気の引いた顔色を心配していると、控えていた執事のスミスが温かいお茶を勧めてくれる。
礼を言った恋人の震える指がカップに伸ばされ一口啜り、ほぅと息を吐くと真向いに座る自分に視線が固定された。
「・・・何だ?」
「―あ。いえ、つい見惚れていたたけです。綺麗だなぁって」
「ありがとう。・・だがさっきも散々褒めてくれただろう?まだ褒め足りないのか?」
「勿論です。幾ら伝えても足りる気がしません・・ので、諦めて素直に褒められてください」
「―わかった・・その分、私も君を褒めるとしよう。良く似合ってるな、ジル」
「ありがとうございます!屋敷の皆さんのお蔭です!」
黒に近い紺で、端に行くほど色が薄くなるグラデーションのドレスの自分と対になる、端が淡い青に染まった白い燕尾服を着こなす恋人は、それはもう素敵だった。
控え室で対面して暫し無言で見つめ合い、使用人たちから生暖かい視線を集めてしまったのは仕方のないことだと思う。
・・・思い起こすと少し恥ずかしい。
互いの装いを褒めながらお茶で喉を潤し、時が来るのを待つ。
壁に掛けられた時計を見て、そろそろだろうかと思った時、丁度入り口のドアがノックされた。
「お時間です。ホールへお越しください」
ドア越しの呼びかけに「分かった」と返事をして立ち上がる。
そこへすかさず侍女が寄って来て、ドレスの乱れを直してくれた。
恋人の方にも侍従が付いて、皺などが無いか確認されている。
使用人達の点検を受け終え、いよいよ会場の大ホールへと向かう。
廊下に出て、ほんの数メートル先にあった大きな両開きの扉の前に、二人並んで立つ。
差し出された左腕に掴まり、視線を真っ直ぐ前に向けたまま小声で話し掛けた。
「いよいよだ。行くぞジル」
「—っ。ふぅ・・はい。エトラさん」
「・・・明日から暫くは二人きりで過ごすんだ。きっちり熟して憂いのない休日を迎えようじゃないか」
「っ!!頑張りますっ!」
「その意気だ」
侍従らによって扉がゆっくりと開かれて行く。
万来の拍手に迎えられ、一挙手一投足に気を配りつつ目の前の階段を降りる。
広々とした踊り場に着くと父、母、兄、そしておじ上と並び定位置で止まった。
腕を解き、同時に男女それぞれの礼をとって眼下の来賓へ謝意を伝える。
拍手が小さくなって、会場に当主である父の声が大きく響いた。
「本日は我が家の慶事に集まってくれて、皆ありがとう!」
一歩踏み出し、話し始めた父へ会場の視線が一斉に集まる。
ゆっくりと来賓を見回した父の柔らかな声音が続く。
「今日、うちのエトラが婚約した事を皆に伝えよう!その相手が彼。ジルコニア・ル・アール・ブレイダス!」
紹介されたブレイダスの名に驚き、どよどよと騒めく来賓に向け、片割れは一歩前に進み出て軽く礼をとると、背筋を伸ばしてきりりと声を発した。
「ご紹介に預かりました。この度、ホーク家の次女、エトラ様と婚約する事と相成りました。リアム・ル・モス・アール・ブレイダスの義息、ジルコニア・ル・アール・ブレイダス。種族は吸血鬼です!どうぞ皆様、よろしくお願い致します!」
礼をとるジルの肩に手を置いて、父が続ける。
「彼は近々一族に迎え入れる予定なんだ。とても良い子だから、うちのエトラ共々よろしく頼むよ!さぁて。気心の知れた者たちばかりだからね。堅苦しいのは無しにして、早速乾杯といこう!グラスは手元にあるかな?大丈夫?・・では、新しい出会いを祝して・・乾杯!!」
「「「「「「二人の出会いに!!」」」」」」
来賓が唱和してグラスが掲げられ、明りに反射して一斉に煌めいた。
一呼吸置いて大きく拍手が鳴り響き、やがて落ち着くとともに楽団が和やかな曲を奏で出す。
この後は下のホールで来客から挨拶と祝いの言葉を順に受けなくてはならない。
数が多いので大変な上、客の殆どが親戚の自分と違ってその顔と名前が一致していないであろう婚約者が少し心配だ。
だが今日は彼のお披露目が目的なので、この怒涛の挨拶から逃れることは出来ない。
—しっかりとフォローしなければ!—
と一人気合を入れ直して、控えて居た侍従にグラスを返す。
差し出されたジルの肘に掴まり、階段を下り切りホールへと降り立つ。
父と母、おじ上と兄に挟まれそのまま階段の前で待つこと暫し、最初に現れたのは姉と義兄だ。
「婚約おめでとうエトラ!」
「おめでとう」
「ありがとうございます。お姉様、お義兄様」
大きなお腹を抱えた姉と、礼装の軍服をカチッと着こなした竜人の義兄がにこやかに声を掛けてくれた。
「ジルコニアちゃんも、おめでとう!どうかエトラをお願い致しますわ。大事にしてあげてくださる?」
「ありがとうございます!勿論。大切に致します」
ふふっと笑った姉は「よろしくね?」と扇を広げて小首を傾げた。
そのタイミングで隣の義兄が話し出す。
「初めまして。俺は〈斜陽の一族〉が長の末子。〈クィン・アルバトロス〉だ。よろしく、義弟殿」
「はい!よろしくお願い致します!」
「あら、クィン様。まだ婚姻してはおりませんわ。婚約ですわよ。こ、ん、や、く。せっかちさんなんですから、もぅ・・」
「む?あぁ、そうであったな。すまん。気が急いた。許されよ」
「いえ。お気になさらず・・」
軽く首を振った片割れに、にこりと微笑んだ姉は「クィン様。後が閊えますからもう行きましょう」と義兄の腕を引いた。
「二人とも、またそのうちゆっくりお話ししましょうね?」
「はい。お姉様もご無理をなさいませんよう。お義兄様に程々に甘えてください」
「ふふっ。分かっていてよ」
「お義兄様、姉をよろしくお願い致します」
「任されよ」
並んで立つおじ上に会釈してから、壁際のソファに向かいお腹を庇いながらゆっくり進む姉。
その姉と歩調を合わせる義兄を見送る間もなく、次の客が進み出て来た。
「エトラちゃんおめでとう!素敵な婚約者を迎えたね」
「ありがとうございますヴィンセント叔父上。ジル。こちら父の弟のヴィンセント叔父上と—」
『妻のルルゥ。よろしく、吸血鬼の婚約者様』
高身長の叔父が抱える小柄な美女が水かきの付いた人差し指を立てると、水滴が集まって空中にそう文字を綴った。
「ごらんの通り妻は人魚でね。地上ではこうやって会話するんだ」
ぱちりと瞬きして驚きを内に収め、婚約者はニコリと微笑んだ。
「初めまして。吸血鬼のジルコニアです。こちらこそ、よろしくお願い致します」
『うん。ルルゥは水辺からあまり離れられないから、そう会う事は無いと思うけど。ヴィーの家族はルルゥの家族だから、仲よくしよう?』
こてりと可愛らしく小首を傾げる叔母に、婚約者も微笑みながら軽く頭を下げて同意を示す。
「じゃあ僕らはこれで。またいつかまた会う機会まで、元気でねエトラちゃん」
「遠い所から会いに来てくださって、ありがとうございました。叔父上もお元気で」
二人が隣に並ぶ家族とおじ上にそれぞれ声をかけている間に、また次の客が来た。
「よぉー。エトラーおめっとさん!元気だったかぁ!」
「違うでしょっ!挨拶はちゃんとしてってば!」
にこやかに話し掛けてきたのは大きな体を礼服に着られたオークで、その隣の女性はオークの態度を注意して顔を赤らめていた。
前に進み出た二人は居住まいを正すと、改めて祝いの言葉を掛けてくれる。
「エトラさん、ジルコニアさん、ご婚約、おめでとうございます!」
「んだ、おめでとうだぁ!」
「ありがとう」
「ありがとうございます」
婚約者と揃って会釈して礼を伝え、目の前の二人を紹介した。
「ジル。こちらは従妹のミューティ・ブロンコと、夫のダドリー・ブロンコ氏だ。二人で農園を営んでいる」
「んだぁ!オラたちの作った野菜と果物はうめぇぞぉ!!」
「ダドリー!もうちょっと声を小さくして!周りに迷惑でしょっ!!あの、でも本当に最近とっても人気なの!今日のお料理やデザートにも使われてるから、是非食べてみてね!」
賑やかな二人に圧倒されつつ、婚約者は「ありがとうございます!後で必ず食べますね」と笑みを浮かべた。
元気な従妹とその夫が離れると、また次の客がやって来る。
引っ切り無しの祝いの言葉と挨拶の応酬は、ダンスの曲が流れるその時まで続くのだった。
△ ▽ △ ▽
義母と義姉と一緒に選んだ婚約披露宴用のドレスは、予想以上に愛しい婚約者に似合っていた。
濃い紺色の両肩を出したスレンダーなドレスに、同じく紺色のレースのボレロを合わせて首から肩を覆い隠している。
彼女のバランスの良い長い手足が映える良いデザインで、肘から広がる袖口は生地のレースに銀糸の刺繡で小さく星や花が散り、動く度につい目で追ってしまう。
ドレスの裾も同様に紺から青、薄い青へと淡くなるグラデーションの艶やかな生地に銀糸で刺繡され、重ねられた薄い布越しに淡く光って存在を主張していた。
高く結い上げられた髪は複雑に編み込まれ、小さな宝石が散りばめられた大きな花の髪飾りで留められている。
その後頭部から首筋、背中、腰へと流れるラインの美しさといったら・・
美しいという言葉以外上手く当てはめる事が出来ず、不甲斐なく悔しい思いが硬く握った拳を震わせた。
婚約披露という状況に合わせ、素肌は顔以外露出していない。
だが彼女のバランスの良い肢体をこれでもかと見せつけて来る身体に添ったデザインに、家族を自慢したい義母と義姉の本気を見た気がした。
—素敵です。素敵過ぎて少々どころか、ちょっとやり過ぎた感が拭えません—
控え室で顔を合わせ、その場で回って一通り衣装を見せてくれた婚約者。
あまりの衝撃に暫し放心して心ここにあらずだったけれど、意識が戻るとお互いに照れながら褒め合った。
向かい合って座り話をしていたけれど、時が近づくにつれ否が応でもこの途方も無い現状に緊張が高まり、挙動不審に陥ってしまった。
婚約者は勿論、執事のスミスさんや使用人の皆さんに心配されてしまい、これではいけないと平常心を取り戻すべく脳内で来賓のリストを捲る。
事前に義兄に教えを請い、相手に失礼がないように勉強したのだ。
けれど、着飾った愛しい人が視界に入ると、つい夢中で眺めてしまう。
そうこうしているうちに時間になって、婚約者と並び扉の前に立つ。
とうとうこの時が来たぞと身を固くする自分に、婚約者は「憂いの無い休日を」と発破をかけてくれた。
現金なもので、その言葉に甘い蜜月を夢想して凄まじくやる気が満ち満ちた。
それからはミスする事なく自己紹介を終え、来賓との挨拶に入った。
・・・様々な種族との繋がりを実際目の当たりにし、流石はホーク家と驚きを交え得心から内心で頷く。
挨拶が途切れたタイミングで、楽団が奏でる曲が途切れた。
ダンスの時間だ。
ずっと立ったままなのは意外と疲れるものなので、ダンスとはいえ動けば身体が解れて婚約者の疲労も少しは軽くなるだろう。
手を繋ぎ、エスコートしてホールの中央へと進み出る。
客が捌け、丸く空いた空間の真ん中で気取らずに、自然な感じでホールド。
始まった曲に合わせてステップを踏み、緩急をつけてクルクルとターンする。
「・・ダンスは苦手だったのだが、ジルと踊るのはとても楽しいな」
嬉しそうに微笑み、そんな風に言ってくれる恋人が愛おしい。
衝動に任せ、人目もはばからずぎゅうと抱きしめたい欲求をなんとか堪え、またくるりとターンした。
彼女の耳元を彩るイヤリングの宝石が煌めいて、繋いだ手元のレースがひらりと舞いなびく。
「俺も、楽しいです・・練習した甲斐がありました」
「あぁ。不慣れだと聞いていたが、とても上手で驚いたよ」
「ふふ。頑張りましたから」
得意げな言葉に少し目を見開いた後、紅を引いた唇が「ありがとう」と礼を紡ぐと、綻ぶように微笑んだ。
幸せを体現したかのような笑顔に目を奪われながら、自分も微笑みを返す。
その時、魔力感知に不快な魔力が触れたのを察知した。
ステップを踏みながらチラリと義父たちの方を確認すると、侍従が傍に寄って何か耳打ちをしている。
やはり、何か異変があったようだ。
自分も動くべきか・・と考えた矢先、エルフの義父から精神感応で連絡が入る。
≪気付いていると思うが、呼んでねー客が来たみたいだ≫
≪はい。俺の関係者ですよね・・出ますか?≫
≪いんや?関係者なのは認めっけど、使用人らで対処可能な範囲だ。気になるだろうがこっちに任せて披露宴を楽しめや≫
≪わかりました。お願いします≫
≪おうよ≫
「ジル?」
自分の雰囲気の微妙な変化に気づいた婚約者が、不思議そうに呼びかける。
微笑みと一緒に「何でもないです」と返して、そのままステップを踏んだ。
周りに気づかれないよう気配を抑えて、足元の影から使い魔を飛ばす。
どういった状況なのか、把握だけはしておきたい。
直後に曲が終わるが、二曲目が直ぐに始まって進み出た他の客たちも一緒に踊り出した。
—元実家の人ら。今更、一体なんの用なんだろうな・・勝手にやって来て・・絶対碌なことじゃない—
正直関わりたくないし、興味もない。
血が繋がっているだけで、既に他人なのだから・・
—もし、エトラさんやホーク家に迷惑をかけるつもりなら・・—
その時は地獄を見てもらおう。
目の前の恋人に微笑みながら、奴らに獰猛な意識を向けた時、先程飛ばした使い魔からの視界が送られてきた。
どうやら元実家連中の所へ到着したようだ。
この時、ホールに居た幾人かの実力者は異常を察知したが、皆ホーク家への信頼から素知らぬふりをして披露宴を楽しむことにした。
披露宴会場では何事も無かったかのように、つつがなく式次第が消化されていくのだった。