鳥籠に囚われた罪人 作:トリカゴ
那須さんの家族周りは今後も含め完全に独自設定です。
行為シーンはまだないです。
パチリと目を覚ます。
視界に映ったのは、見慣れた自室の天井だった。
どうやら、自分でも気づかない内に自室に戻っていたらしい。
目を閉じ、昨晩の記憶を呼び起こす。
思い返そうとするだけで、頭痛と吐き気に襲われる。
それでも、必死に朧げな記憶を手繰り寄せた。
はっきりと思い出せた内容は決して多くはない。
あの日の玲の、絶対に忘れることが出来ないあの言葉。
そして、記憶が途切れる瞬間に映った、状況に似つかわしくないどこか安堵したような微笑み。
それだけがはっきりと記憶に残っていた。
俺の犯した過ちの記憶は、どこかぼんやりとしていて思い出せず、その時自分が何を感じていたのかも定かではなかった。
玲をそのままにしておけない、こちら側に引き寄せなくてはいけないという衝動が誤った形で表に出てしまったのだろう。
けれどそれは、どんな理由があろうとも決して覆らない罪の証だった。
謝らなければいけない、償わなければいけない。
一体どの面下げて、という気持ちばかりが胸中を満たす。
それでも逃げることだけはできなかった。
むくりと起き上がり、適当に服を着る。
急な夜勤ということで昨晩家を不在にしていた玲の母親は、この時間には既に帰宅しているだろう。
家族愛の強いあの人が俺が犯した罪を知ればどうなってしまうのか、想像するだけで背筋が震えるようだった。
グッと歯を食いしばり、俺は玲の家のチャイムを鳴らした。
程なくして、扉が開かれる。
「おはよう、仁君。合鍵を渡しているんだからそれで入って構わないっていつも言ってるのに」
「おはようございます。……緊急時のために渡されたものですから、そういうわけにはいきませんよ」
「真面目ねぇ……。それと、昨日は急にごめんなさいね? どうしても断れない夜勤が急に入っちゃって……本当は他所の子にこんなことをお願いするのは良くないのだけれど」
「っ! ……大丈夫ですよ、気にしないでください」
フラッシュバックする昨晩の記憶。
他に誰もいない家で、抵抗出来ない玲に、俺は……。
それを悟られないように、どうにかいつも通りを装う。
今はただ、玲の顔を見てとにかく謝りたかった。
「まだ玲は寝てると思うわ。そろそろ起こす時間だから、そのまま部屋に入って仁君が起こしてあげて?」
「わかりました。失礼します」
心臓が激しく鼓動し、冷や汗が流れる。
今の雰囲気からして、玲の母親は昨晩何があったのかまだ知らないのだろう。
話していてもおかしくはないと思ったが、単純にタイミングがなかったのかもしれない。
あの場で、俺から切り出すべきだったのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は玲の部屋の扉を開いた。
「────あら、おはよう。仁」
窓から外を眺めていた玲は、部屋に入った俺に気づくとふわりと微笑んでこちらを向いた。
……こんな玲の表情を見たのは何時以来だろうか。
直近の記憶にある玲の表情はどれも申し訳無さそうだったり、辛そうだったり、悲しそうだったり、そんなものばかりだ。
だからこそ、今見せた玲の表情は信じられなかった。
「……ああ、おはよう。玲」
何故昨日あんなことがあって、そんな表情が出来るのか。
そう問いたかったが、結局口から出たのは取り繕うような言葉だけだった。
そのままいつも通り、玲のベッドの縁に腰を下ろす。
「今日は、調子が良さそうだな」
「ええ、自分でも少し驚くぐらい。そういう仁は、気分がよくなさそうね?」
「っ!」
グッと距離を詰められ、玲の肌白く華奢な手が俺の頬に触れる。
その手を俺は、思わず振り払った。
「仁……?」
「何でだよ。昨日何があったか、忘れたわけじゃないだろ……!」
玲の顔を見ることも出来ないまま、そう吐き零す。
昨晩の出来事は、俺の見た幻覚や夢だったのか?
否、そんなわけはない。
あの夜の玲のあの言葉も、俺が犯した罪も、間違いなく実際にあったことだ。
だからこそ玲の態度が理解できなかった。
何故、俺を気遣うような真似をする?
非難し、詰り、痛罵する、そうあるべきだった、そうされたいと俺は願っていたのかもしれない。
あるいは、玲が優しすぎるから昨晩のことはなかったことにしようとしているのだろうか。
そうだとしても今の言葉でそんなつもりがないことは伝わっただろう。
そう考えていたから、玲の両手が俺の頬を包み込むように再度伸ばされたことに驚き、俺は身を硬直させた。
「……ごめんなさい。仁がどうしてそんなに怒っているのか、私にはわからない」
伸ばされた両手が俺の視線を玲へと向けさせる。
そして玲が告げたのは、謝罪の言葉だった。
「それは、おかしいだろ。謝らなくちゃいけないのは俺の方で……!」
「やっぱりそれも、わからないわ。確かに昨日の仁は、少し強引だったかもしれないけれど……
「う、あ…………」
俺は絶望した。
もしかしたら玲は俺を許してしまうのではないか、そう思わなかったかと言えば嘘になる。
それでも俺はその許しを受け入れた上で罪を自白し、償うためのケジメはつけるつもりだった。
だが玲は、
赦すことも咎めることもせず、そんなものなかったのだから謝る必要などないと。
罪がなかったことになれば、償うことなど不可能だ。
そんなこと、受け入れられるはずがなかった。
「────ッ! そんなわけ、あるか! わかるか、俺は玲をレイプ、強姦したんだぞ!? 謝らないといけないようなことをしていないなんて、ありえない……!」
「仁の言うようなことなんてなかったわ。ちょっと強引だったかもしれないけれど、それだけ」
「玲の意思を確かめもせず無理矢理襲ったのが、ちょっと強引なんて言葉で済ませられるはずがない。玲の合意はなかった、それが事実だ」
「いいえ、合意はあった。私は拒絶していないし、無理矢理でもなかった」
だって、と玲は言葉を区切った。
「仁が望むならいつだってそうしても構わないって、ずっとそう思っていたから」
「…………」
「だから私は合意していた、拒絶も抵抗もしなかった。仁は少し強引だった、それだけが事実なの」
「なんだよ、それ……」
詭弁だった。
俺の犯した罪は変わらない。
事実だけが、玲の言葉で覆い隠された。
もし俺が、玲の両親にこの事実を告げるとどうなるだろうか。
きっと玲は今のように、少し強引だったけど俺の言うようなことはなかったと、そう主張するだろう。
玲の両親とて、玲が庇うようにそう主張していれば事実を見逃すことはないはずだ。
だが、玲の言葉は本心なのだろう。
被害者たる玲が本心でそう主張してしまえば、俺を本気で咎めるようなことなどしないはずだ。
若い少年が少しばかり性衝動を暴走させてしまい罪悪感に苛まれているのだろう、くらいにしか思われない。
あるいは、口頭で少し注意はするかもしれない。
でもきっと、それ以上のことは起こらない。
絶望で視界が真っ暗に染まる。
俺の罪はもはや誰も咎めることができなくなってしまった、俺自身にすらもだ。
それを覆すには、玲の言葉を覆さなければいけない。
そしてそれは不可能だろうということ、悟ってしまっていた。
「……私ね、嬉しかったの」
ポツリと玲はそう呟く。
「ずっと、私の生きる意味は何だろうって思ってた。仁に助けて貰わないと生きていけない私に何の価値があるんだろうって、思ってた」
その言葉に、俺は何も言えなかった。
昨夜のあの言葉を聞くまで、玲がそんなことを考えていたなんて欠片も思っていなかったのだ。
そんな愚かな自分に一体何が言えるのだろう、そう思ってしまえば口を開くことなどできるはずもなかった。
「だから、本当に嬉しかった。生きてていいんだって、生きる価値はあるんだって、仁は証明してくれた」
玲は俺の目を覗きこみ、にっこりと微笑む。
「ありがとう、私に生きる意味を教えてくれて。仁が私を求めてくれる限り、死にたいなんて思わないで生きていけるから」
ふざけてる、それが俺の素直な気持ちだった。
レイプされて生きる価値を見出すなど、そんな話があるだろうか。
玲の生きる価値が、俺に抱かれ求められることだけなど、そんなふざけた話があるわけがない。
そんなことを認めるわけにはいかないと拒絶しようとした、その時。
「もしかして……」
玲はスッと表情を消す。
瞬間、俺はその言葉の先を聞いてはいけないと察した。
けれど玲が既に口を開いている以上、察したところで俺にできることはなかった。
「────やっぱり仁は、私のことなんていらない?」
心臓が止まったかのような錯覚。
視界に映るのは、昨夜見た黒く濁ったあの瞳。
駄目だ。
それだけは駄目だ。
あの瞳だけは駄目なんだ。
例えどんな罪を犯すことになろうとも、それだけは受け入れることが出来ない。
あの瞳は、あの夜の象徴だから。
絶望し、今にも消え去らんとしたあの夜の玲だ。
この瞳を許容することは、あの夜の玲を許容するということになる。
だからこそ、絶対に駄目だった。
どれだけ重い罪を重ねようとも、それだけは。
だから俺は自分の犯した罪も、後悔も、その全てを飲み込むことにした。
償うことも咎められることもないそれを、一生抱えて生きていく覚悟をした。
それが玲が生きるために必要なものであるのならば、それ以外に選択肢はない。
「仁……?」
俺は何も言わず玲の肩を抱き寄せ、強く抱きしめる。
恋とか愛とか、俺にはまだわからない。
それでも玲という少女のことが大事なのだということくらいははっきりとわかっていた。
そんな彼女を失ってしまうくらいならば、自分の犯した罪など些細なことだ。
「玲、俺はお前に生きていてほしいよ」
「……うん」
「生きる価値とか理由とか、俺にはわからないけど、でも玲がそうじゃなきゃ生きられないって言うなら俺は何だってしてやる。だから……だから、約束してくれ」
「約束?」
「ああ、もう二度と……死にたいだなんて、言わないでくれ」
玲はその言葉に頷くと、俺達はゆっくりとお互いの唇を重ね合わせる。
────こうして俺は、玲という鳥籠に囚われた、償うことの出来ない罪を抱えた罪人となった。
不定期更新です。
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