「はーい、チェック終わりっ!艤装外して戻ってていいわ。お疲れ様、ジェーナス。」
作業服姿の少女が手に持ったボードを叩く。慣れた手つきでボードの書類に自分の名前…夕張と書きなぐると、散らかった机の上に放り出した。工具、書類、部品、ゴミの山にボードが突き刺さる。
「Thanks。ねえユーバリ、今日の出撃って私達が最後よね?」
金髪の少女、ジェーナスは装着していた艤装を外しながら尋ねる。天井から下げたワイヤーフックに艤装が繋がっているのを確認して、アームを解放してゆっくりと体を外す。ワイヤーが軋む音と共に、外れた艤装が中に浮いて僅かに揺れている。
「ええ。他の隊も今日の出撃はもうないわね。」
「損害は?」
「目立ったものは特に。ああ、そう言えばジャーヴィスが小破って言ってたわ。」
「小破?」
「外傷は無かったんだけど、口に破片が入ったとかで検査中よ。確かあなたもそれで小破扱いになったわよね?ふふっ、姉妹ってやっぱり似るみたいね。」
破片を飲み込んだことによる負傷。夕張の言う通り、ジェーナスはそれを体験した事があった。そして、その後に起きた事も。
自分と似た少女。可愛らしい少女。無邪気な少女。負傷した少女。彼女の中に、不安と恐怖が充満していく。
「ジェーナス?どうしたの?」
「うぇっ?あ、ごめんなさい。それって本当なの?」
「そうよ。検査に関しては時間がかかるから結果はまだ知らないけど。」
「そっか、教えてくれてありがと!Thanks!」
ジェーナスは作り笑いをして、元気に駆け出すフリをした。
彼女は工廠を出るとすぐに走り出した。目的地はすぐそこの執務室。提督と、もしかしたらジャーヴィスも居るかもしれない部屋。
ノックもせずにドアを両手で押しのけ中に入る。中には誰もおらず、誰かが使っていたであろうティーカップが2つ机に放置されていた。
何もない部屋の中で、少女は自分の鼓動だけを聞いていた。鼓動はどんどん早くなっていく。
開けっ放しの執務室を飛び出し、階段へ向かう。下り階段を不慣れなヒールでつまずきそうになりながらも駆け下り、部屋を探す。
そして目的の部屋につくと、ノックもせず、鍵の確認もせず、力の限りドアノブを捻って足で蹴った。
そこに居たのは自分が最も信頼する上官と、自分が最も信頼する姉妹だった。
救護室のドアが勢いよく開く。壁に激突したドアは振動で薬棚を揺らし、中の瓶やら器具やらが音を立てる。
私は振り向き、闖入者をその目に捉えた。J級駆逐艦ジェーナス。予定時刻よりやや早い帰投だった。
「ジェーナス?何をしてるんだ?」
問いかけたが、彼女の目は私に向いていなかった。向いていたのは私の更に後ろ。もう一人のJ級駆逐艦、ジャーヴィス。彼女の姉妹艦だった。
ジャーヴィスは今、緑色の高速修復材が入ったミニサイズのペットボトルを手に持っている。
「あ!ジェーナスおかえり!」
きょとんとした顔で見つめるジャーヴィス。その優しい眼差しに対して、ジェーナスは私達二人を睨みつけている。
彼女のその怒りに満ちた目を見て、私は今何が起きているかを理解した。
「待てジェーナス、これはだなー」
「嘘つき!!!」
部屋中に、もしかすると廊下にも響く大声でジェーナスが叫ぶ。普段見慣れない彼女のそんな姿に、ジャーヴィスも驚いて体を竦めた。
「なんで!?なんで、なんで私じゃダメなの!?私じゃ満足できないの!?」
「待て、落ち着け。誤解してるぞジェーナス、一旦落ち着いて声をー」
「そうよ!私、誤解してたの!あなたがいい人だって!だから何もかも捧げたのに!変な事されても、意地悪されても、私を好きって言ってくれたから我慢したのに!信用してたのに!なのに!なのに…!」
大声と共に、大粒の涙が彼女の目から溢れ出す。
「なのに…ひどい…。私が、ジャーヴィスの事どう思ってたか、知ってたくせに…」
その場に崩れ落ちるジェーナス。両手で顔を抑え、わんわんと泣き出した。
「えと…Darling、これって…」
常に笑顔を振り向いていたジャーヴィスから、初めて笑顔が消えた。ジェーナスを心配するような、恐れるような表情で見つめている。
ついに、この日が来てしまった。
私は泣きわめくジェーナスを素通りし、ドアを締め、鍵を掛けた。このフロアの部屋は防音だが、ドアが開いていれば用は成さないだろう。誰も聞いていないことを祈る。
床にへたり込んだ彼女を無理やり抱き上げる。殴られでもするかと思ったが、全くの無抵抗だった。ベッドに腰掛けさせ、そのまま横に座って背中を擦る。
「ね、ねえDarling、これってどういうことなの?」
ジェーナスはまだ泣いており、話が出来るような状態ではなさそうだ。
「あー…少し長くなる。それと、ここで話した事は絶対に他言しないで欲しい。」
「う、うん。」
それから私はゆっくりと、ジャーヴィスに全てを打ち明けた。
ジェーナスとは相思相愛の関係であること。肉体関係もあること。この関係になった切っ掛けがジャーヴィスと同じ口内の負傷であること。
「つまり…Darlingとジェーナスが恋人同士で、ジェーナスはワタシとDarlingがフリンしてると思って怒った、ってこと?」
「そうなる。」
説明した後も、ジャーヴィスは困惑した表情のままだった。流石に肉体関係を結ぶ中でどういったプレイをしたかの言及は避けたが、それでも自分と同じくらいの姉妹が成人男性とそういう仲にあることはショックだったらしく、視線は私とジェーナスの顔を行ったり来たりしている。
「…嘘つき。」
ジェーナスがポツリと呟く。少し落ち着いて、大声で泣く事はしなくなったが、顔を伏せたまま静かに泣いている。
「待ってジェーナス!その…Darlingはワタシとフリンなんてしてないよ!高速修復材を使った治療でここに来てるの!」
「私の時もそう言われたわ。でも嘘よ。高速修復材を使った治療なんて無いの。全部あなたを襲うためのでっち上げよ。」
私はその言葉にピンと来た。おそらくそこが、今回のすれ違いの原因だ。
「待てジェーナス。確かに君に嘘をついたことはあったが全部が嘘じゃないぞ。」
「…どういうこと?」
ジェーナスは泣き腫らした赤い目で私を見上げる。
「君についた嘘は…あー、その。」
横目でジャーヴィスを見る。ここでおおっぴらに言うことは避けたい。
私はジェーナスの耳に手を当て、彼女だけに説明した。
「高速修復材を使った治療は実際にあるんだ。私がついた嘘は、高速修復材を排泄するのを確認しなければならない、という説明だけだ。」
「えっ…?」
「ジャーヴィスの口内に切り傷があったから、うがいの要領で応急処置をさせようとしてたんだ。」
「ならなんでこんな所で…」
「飲用の高速修復材は数が少ないからここで全部管理してるんだ。君達が入渠で使ってるのとは成分が微妙に違う。」
ジェーナスは状況が理解できず、椅子に座ってぼうっとしているジャーヴィスを見る。目の前のテーブルに置かれたペットボトルは、ジェーナスが飲んでいたものよりもずっと小さいサイズのものだった。
「そもそも、消化器官にダメージがいったかどうかは検査の結果が出てないからやりようがないんだ。」
「え、じゃあ…私…か、勘違いで…今までの事全部喋っちゃったの?」
「…そうなる。」
ジェーナスの顔からみるみる血の気が引いていく。かと思えば今度は真っ赤に染まっていった。ようやく理解したようだ。
再びジェーナスは泣き始めた。顔を真っ赤に燃やして、ベッドの上で唸りながら転がり始める。
「やだ、なんで、なんで私…あんな事…うううううううう…!」
そんな姉妹の奇行をジャーヴィスは呆気にとられながらただただ眺めていた。
「よくわかんないんだけど…解決したの?」
ジャーヴィスが声をかけると、ジェーナスはガバっと勢いよく起き上がりジャーヴィスの肩を握る。
「お願いジャーヴィス!この事は絶対に誰にも言わないで!絶対に!誰にも!約束して!」
「う、うん、約束するわ…」
普段、ジャーヴィスに振り回されっぱなしのジェーナスが、今日はジャーヴィスを振り回している。ある意味愉快な光景だった。
「ジャーヴィス。私からも頼む。この事は秘密にしておいて欲しい。」
「えっと、うん、わかったわ。All right…」
ジャーヴィスはやや困惑した顔で、私達二人に若干引きつつも約束してくれた。
その後、引き続きジャーヴィスの応急処置をして、3人で執務室に戻った。
「とりあえず、今日はもう寝るわ…泣きすぎて喉も鼻も痛い…」
ジェーナスはいつものソファにジャーヴィスと一緒に座り、鼻を鳴らしている。
「大丈夫なの?Candyでも舐める?」
「うん。」
「じゃ、これあげる!美味しいわよ!」
ジャーヴィスは机に置かれたお菓子袋…彼女達がティータイム用に集めてきた駄菓子の山からベッコウ飴を取り出して、ジェーナスの手に握らせる。
「ん…」
戻ってきた二人はまたいつもの調子に戻って仲睦まじく過ごしており、何も問題はない。一時はどうなることかと思ったが。
ジャーヴィスが約束を守るかどうかについては…おそらく心配無いだろう。ジャーヴィスは告げ口をするような性格ではないし、それをする理由もない。
唯一、第三者に口を滑らせるパターンは考えたが…そこは一緒にいるジェーナスになんとかしてもらうしか無い。
結局の所、一番バレやすい相手にバレてしまったに過ぎない。泣きわめいた時のジェーナスの声を聞いた者も居なかったようだし、傷は最小限で済んだ。
「じゃあ、私は部屋に戻るわ。おやすみ、提督。」
「ワタシも寝るわ!Good night、提督!」
「ああ、おやすみ。」
部屋を出ていく二人を見送る。
この時私は、何も気が付かなかった。
異変に気がついたのはそれから数日経ってからだった。それも、他人に指摘されて。
「Admiral、ちょっといいか?」
報告書を提出しに来たアークロイヤルが、提出を終えた後に申し出てきた。
「なんだ?」
「ジャーヴィスの事についてだが。」
背筋が凍った。
彼女、アークロイヤルはジェーナス、ジャーヴィスと共にこの鎮守府へ赴任している英国海軍の空母で、彼女達の後見人でもある。
面倒見がよく二人との仲もいい。歳の離れた姉のような存在で、以前もジェーナスと私の関係を間接的にではあるが看破しかけた事もあった。
「ジャーヴィスがどうかしたか?」
「あの子に何かしてないだろうな?」
その言葉には明らかな敵意があった。彼女が艤装を付けていれば、弓を引かれていたかもしれない。
「何があったんだ?ジャーヴィスの様子がおかしいのか?」
「…本当に気がついてないのか?」
鋭い眼光が私を見下ろしている。下手に嘘をついてもどうにもならないだろう。
「本当に何も知らない。一緒にいる君なら気がつくような事なのか?」
「はぁー…」
大きくため息を吐くアーク。再び私に剥けられたその目は、先程よりは柔らかい。ただ、冷たさは感じる。どうも今度は敵意ではなく単純に見下されているらしい。
「まったく、子供相手とはいえ紳士として恥ずかしくないのか?鈍すぎるぞAdmiral。」
「だから、一体何のことだ?」
「Admiral、ここ数日、ジャーヴィスからはなんと呼ばれている?」
「ここ数日?」
記憶を掘り起こしてみる。今日、昨日、一昨日…そう言えば、あまり会話をしていない気がする。
ジェーナスの居ない時は常に私にくっついていたが、ここ最近は執務室で静かに漫画を読んでいるだけの事が多い。
外ではどうか?大抵はジェーナスと一緒に居たのだが、他の駆逐とも交流があるのだろうか?
「ここ数日は…どうだろう、あまり会話をしていないな。」
「Darling、とは呼ばれたか?」
呼ばれた、と言おうとしてふと気がつく。確かにここ数日、そう呼ばれていた記憶がない。よく考えると、あの日、ジェーナスとの関係がバレた日からずっとその記憶がない。
「呼ばれて…いない。」
「だろうな。今までは口を開けばDarling、Darlingとあなたの事ばかりだったが、最近は妙に口数が少なくて私ともあまり口を利いてくれない。その上、仕事の時に私がAdmiralの話をしていたら、あなたの事を提督と呼んだんだ。」
確かに、あの日もそうだった。それからは一度もDarlingと呼ばれていない。
「何をしたんだ?あの子が自分から人を嫌うなどあり得ない。もし嫌うとすれば、あなたから何かをしたとしか考えられない。」
「私は…」
頭をフル回転させて言い訳を考える。状況に合致して、説明がついて、裏を取られても困らないようなもの。
「私は…ジャーヴィスを振ったんだ。」
「振った?」
「ああ。彼女の好意は嬉しいんだがね。ジャーヴィスの立ち位置は特殊だ。悪い噂が立つ前に距離感を見直そうと思ってな。それで…なんだ、あまり構わないでくれと私の方から申し出た。」
ちらりとアークの表情を見る。彼女は顎に手を当て、私を見定めるかのように見下ろしている。目で続けろ、と言っている。
「まあ、かなり遠回しかつぶっきらぼうな言い方をしてしまったから、ジャーヴィスに誤解させてしまったのかもしれない。とにかく、過剰なスキンシップやら何やらを抑えてくれれば今まで通りでも全く構わない。アークの方からそれとなく伝えてもらえないか?」
「ダメだ。」
即答だった。どうして、と聞く前に彼女が続ける。
「ジャーヴィスはあなたに対して明らかに萎縮している。どう話したのかは知らないが、私が言ってどうにかなるような問題とは思えない。誤解させてしまったと言うのならあなた自身でそれを解くべきだ。」
反論の余地はまるで無かった。適当にでっち上げた嘘なのだから当然といえば当然ではある。
「私も、ジャーヴィスがあなたに過剰に入れ込むことは望ましくないとは思っている。だからこそ慎重になって欲しいんだ。適切な距離を保ちたいというのなら、私も協力する。」
「…ありがとう。今度ジャーヴィスと話してみる。それでダメだったら、君の力を借りることにする。」
そう答えてアークの目を見つめる。彼女は私の瞳を見返しているが、少なくともジャーヴィスの真意を確かめたいのは本当だ。そこに偽りはない。
私の考えが伝わったのか、アークはふぅ、とだけ溜息を吐いて肩の力を抜いた。
「貴方がそうしてくれるなら、それでいい。では、失礼する。」
ふと、ある事が頭に浮かぶ。
「アーク、今の話だが…」
「なんだ?」
彼女は足を止め、こちらを振り向いた。
「ジェーナスの方は特に問題ないか?」
「問題ないが、何かあったか?」
アークは怪訝な顔をしており、それが嘘でないことがわかった。実際、彼女が異常であると認識していたのなら同じ様に私に伝えただろう。少なくとも彼女視点では異常なし。
「ああ、いや…君は二人の事をよく見てるから、一応と思ってな。」
「何かあったらまた伝えるさ。では。」
そう言って彼女は執務室を後にした。
午後。私は執務室でジェーナスと過ごしていた。と言っても、私は黙々と仕事を続け、ジェーナスは横で小説を読んでいるだけ。自室に一人で居るのもなんだか寂しいから、と以前からこうして何もない時は私の元に押しかけていた。
ジャーヴィスが着任してからはそれが二人に増えた。時折二人でどこか出かけていく事はあっても、何故か居着くのはこの部屋だった。彼女達が別々のシフトを組むことになっても相変わらず二人はこの部屋に来ていた。帰投した艦娘が真っ先に立ち寄るのがここだったからだ。
そして今日もまた、ジェーナスはこうして姉妹を待っている。
「ジャーヴィス!帰投しました~!ただいま~!」
扉がいきなり開かれると共に、元気のいい少女の声が中に響いた。
「あっ…」
ジェーナスの目がジャーヴィスの姿を捉える。ぽっかりと開いた口からはそれ以上の言葉は出ない。何かを言いかけて、そこで止まっている。
ジャーヴィスの方も、一度私に向いた視線をジェーナスの方に向け直した。二人の姉妹はお互いを見つめ、言葉を交わす事もなく見つめている。
「…おかえり、ジャーヴィス。」
「うん、ただいま!ジェーナス!」
やや間を置いた二人のやり取り。部屋に漂う妙な空気を払拭するかのように、ジャーヴィスは満面の笑みで私に歩み寄り、何枚かの書類を机に広げた。
「これ、今回のReportよ。どう?ワタシだってReportの1枚や2枚書けるんだから!」
ジャーヴィスがすぐ報告書を提出するのは珍しかった。大抵の場合においてはまず面倒臭がり、放置し、私に言われて書き始め、それでもわからないから教えて欲しいと言ってくるのがいつもの流れだ。
私が報告書の1枚目を取ると、すぐにジャーヴィスは踵を返した。
「じゃ、ワタシは部屋に戻るね?」
これもまた、珍しい事だった。彼女は帰投直後は執務室にジェーナスと一緒に居座り、二人で雑乱に興じていた。
「ジャーヴィス!待って!」
ジェーナスが立ち上がり呼び止める。ジャーヴィスはそのまま、私とジェーナスに背を向けて止まった。
「えっと…その…」
こちらに背中を見せて動かないジャーヴィスとは対照的に、呼びかけた側のジェーナスはしどろもどろで要領を得ない。
私は時計を見た。ジャーヴィスの帰投予定時刻とジェーナスの出撃予定時刻は10分差で、今回も時刻通りに進んでいる。
「ジェーナス、そろそろ出撃時刻だ。」
「えっ…あっ!ごめんなさい。」
ジェーナスは開いていた本をパタンと閉じ、テーブルに置いた。そしてもう一度ジャーヴィスを見つめる。
「ワタシも部屋に戻るから。ジェーナス、提督、またね!」
「まっー」
引き留めようと手を伸ばすジェーナス。
「待てジャーヴィス。話がある。」
改めて私の方から引き止めた。いつもの様子ではないジャーヴィスに、ぎくしゃくした関係のジェーナス。アークの言う通り、何かしら話を聞く必要がありそうだ。
「ジェーナス。君は予定通り出撃だ。」
「でも…」
ジェーナスが不安げな表情で私を見つめる。
「安心してくれ、浮気なんてするつもりは無いよ。」
そう言葉をかけても、彼女の表情は変わらなかった。信用が無いのだろうか。
「大丈夫よジェーナス!ワタシもフリンなんてするつもりは無いから!」
ジャーヴィスが振り返り笑顔を見せた。その笑顔で安心したのか、ジェーナスは笑顔で返して執務室から出ていった。ジャーヴィスと私が部屋に残される。
「紅茶でも飲みながら話そうか?仕事の方はどこかで一区切りつけさせるから、すまないが紅茶は頼む。」
「OK!いつもの美味しい紅茶、淹れてあげる!」
どうしてか、いつものジャーヴィスに戻ったような気がした。軽くスキップを始めながら給湯室に駆け込んでいく。
この奇妙な状態は何かが複雑に絡み合っているのだろう。その何かは確かめなければならない。
「どう?美味しい?」
「ああ、いつもの味だ。美味しいよ。」
久しぶりのティータイムはいつもの雑談から始まっていた。鎮守府で食べるご飯の話、酒保で買った駄菓子の話、図書室で読んだ漫画の話。どれも年相応の可愛らしい話ばかりだ。
「それでね、そのComicの続きなんだけどー」
私は手を挙げて彼女の話を遮る。
「提督?どうしたの?」
「それだ。」
「それって?ナニ?」
首を傾げるジャーヴィス。何の指摘をされたのかもわからない、というきょとんとした顔で私を見つめていた。
「今まではDarlingと呼んでくれていたと思うが、何か心境に変化でもあったのか?」
笑顔でいっぱいだった彼女の顔が暗くなる。と言っても、泣きそうだとか悲しそうな顔でもない。いつも笑顔に溢れているはずの彼女が見せる、笑顔ではない顔。目線を落としてティーカップを覗いていた。
「それは…ジェーナスが、提督の恋人って言うから、Darlingって呼ばない方がいいかなって。」
ジェーナスは以前から、Darlingと呼ぶ事について不満を顕にしていた。しかしジャーヴィスは一顧だにせず呼び続けていた。それが今は自分から呼ぶのをやめている。やはり切っ掛けはあの出来事らしい。
なんとなく、理解はしていた。先程の様子からしても、ジャーヴィスは私とジェーナスの関係を知ってからは、明らかにそれに配慮した行動を取っている。
「私達の関係がバレるのは困るが、だからと言って君を邪険にしたいわけじゃないんだ。いつも通り接してくれると助かる。」
紅茶のカップを口に運ぶ。ジャーヴィスからの反応はない。カップを傾け、紅茶を愉しみ、皿に置く。その間もジャーヴィスは黙ったままだった。
彼女のティーカップに目を向ける。よく見ると、カップの皿には透明な液体がこぼれ落ちていた。
「ジャーヴィス?」
こぼれ落ちているのは彼女の涙だった。縦に流れるストレートの金髪と同じように、彼女の頬にするりと涙が流れる。
「S,Sorry…め、目にゴミが入っちゃって…」
小さな手で目元を拭うが、その手のひらからはすぐにボロボロと涙が溢れ、テーブルに水たまりを作っている。
ジャーヴィスのこんな姿は初めてだった。いつも笑顔で、暗い顔は見せたことがなかった。悲しみや怒りで涙も見せることもなかったし、嬉し泣きすらしなかった。
呆気に取られたまま、彼女が泣いているのを見ていた。
「ジャーヴィス。何か心配ごとや不満があるなら遠慮は要らない。どうして泣いているのか教えて欲しい。」
「うん…グスッ、ごめんなさい。ワタシ、こんなに涙が出るの初めてで…」
「ゆっくりでいい。話しやすい事から話してもらっていい。休むか?」
「ううん、いいわ。うん…ちゃんと話せる。All Right.」
ズル、と大きくジャーヴィスが鼻を鳴らす。顔を上げ、落ち着いた表情で私に向き直り、告げた。
「ワタシね、Dar…提督の事が好きだったの。ホントのホントに、結婚したいぐらい。」
その言葉と視線が私を貫く。薄々勘付いていた事実。目を背けてきた事実。それを再び突きつけられている。
「アークや提督がホンキにしてないのはわかったわ。ワタシ、二人から見ればまだ子供だし。ワタシも提督のお嫁さんになれたないいなぁ、ってぐらいに軽く考えてたの。」
「Darlingって呼んだら笑顔で答えてくれるのが嬉しくて、ずっと呼び続けてたわ。ジェーナスはちょっぴり不満だったみたいだけど、ワタシにはどうして不満だったのかわからなかったの。むしろ、何でジェーナスもそう呼ばないのか不思議だったわ。ジェーナスだって提督の事が好きなはずなのに。」
「どうしてジェーナスが私を好いていると知ってるんだ?」
「そんなのすぐにわかるわ。同じJ Classだもの。生まれてからずっと一緒で、同じことをして、同じものを好きになって、同じように嬉しくなって。ずっとそんな感じだったから。」
「ここに着任してすぐ、ジェーナスは提督の事が好きなんだなってわかって、ワタシもすぐ提督を好きになったわ。ジェーナスが好きになるぐらいなんだから当然よね。」
「それで、昔みたいにジェーナスと一緒に遊んで、そこに提督が居て、ずっと3人で楽しく暮らせると思ってたの。こういう時、Comicだとちゃんとどちらかだけが選ばれて恋人になるでしょ?だけどワタシ達は艦娘で、歳を取らないから、ずーっとずーっと3人一緒にいられると思ってた。」
「でも、違ったの。ジェーナスはもう提督の恋人になってて、ワタシはそんな事も知らずにDarling、Darlingって呼び続けて、ジェーナスを傷つけてたの。同じJ Classだから気持ちがわかるなんて思ってたのに、ワタシは全然わからなかった。」
「提督が好きな気持はあるけど…ジェーナスの邪魔にはなりたくないの。提督と一緒に居る時は今でも楽しいわ。ジェーナスと遊ぶ時も楽しい。でも、3人揃うと、なんだか…気持ちが…めちゃくちゃになっちゃって…。」
「なんだか、上手く言えないわ。寂しいって、こういう時のことを言うのかな?ワタシはずっと、ジェーナスと一緒だったから…」
思いの丈を打ち明けたジャーヴィス。結果的に、私のアークへの返答は間違っていなかった。目の前の少女は失恋を経験したのだ。それも最悪の形で。
異性に対する失恋の悲しみを打ち明けるべきだった相手は、その異性と一緒になっていた。幼い少女が夢見た理想の世界はとっくの昔に潰えており、自分だけが仲間外れになっていた現実とのギャップに苦しんでいる。
ジェーナスとジャーヴィスの対照的な姉妹に共通するのは、相手への強い想いだ。ジャーヴィスが好きだからこそ負けたくなかったジェーナスと、ジェーナスが好きだからこそ傷付けたくなかったジャーヴィス。美しい姉妹愛だが、私という異物がそれを邪魔している。
そしてこれは最早ジャーヴィスの問題だけではない。先程のジェーナスの様子を見れば一目瞭然だ。ジェーナスもまたジャーヴィスの気持ちに気づきつつあり、お互いを傷つけないようにと及び腰になっている。
今更私が身を引いた所でどうにもならないだろう。引けば、ジャーヴィスの不調が結果的に私とジェーナスの仲を引き裂いた事になる。ジェーナスは誰も責めることが出来ず、ジャーヴィスは自己嫌悪に陥る。おそらくそれが最悪のシナリオ。
3人一緒。ジャーヴィスが口にしたその言葉が、ずっと私の中で渦巻いている。
私はテーブルに身を乗り出し、目の前の少女に触れる。癖っ毛が強く、ピンと跳ねた独特の感触とは異なる、ストレートのさらりとした感触が気持ちいい。俯くジャーヴィスの頬を撫で、顔を上げさせる。
「なーに?提督。」
ジャーヴィスの泣き顔を正面から捉える。ジェーナスと同じ泣き顔の可愛らしい少女。
「ジャーヴィス。君さえ良ければなんだが…」
そうして、私は彼女に語り始めた。