※この作品はR-18です。

「時間操る系のチート能力」を手に入れた   作:あああああ

7 / 8
なんだか筆が乗って8000文字程度あります。
お暇な時にお読みください。


第7話 黒羽めるこ③☆

 

 

「その格好で校舎全体を走り回れ。私は変態女ですって叫びながらな」

 

 俺は滔々と詳細を説明する。

 本当は剛川一派に見舞うの予定の内容を流用した形だったから、我ながら簡潔で分かりやすい説明が出来たと思う。

 

 ・1階の正面玄関からスタート。

 ・各教室の前で「私は変態女です」と大声で宣言すること。

 ・誰にも捕まってはならない。

 ・3階屋上までたどり着ければゴール。

 ・挑戦中は常に片手を性器、もう片手で乳首を弄っている状態でいること。

 

 全ての教室に変態宣言をしたのち、屋上まで誰にも捕まらなければゲームクリア。

 晴れて黒羽さんは俺から解放される。

 

「む、無理だよ。そんなの……」

 

 ルールを説明した後、黒羽さんが愕然とした表情でそう言う。

 

「え? なに。黒羽さんの謝意ってそんなもんなの。

 あの謝罪は嘘だったのかよ」

 

「いや、あの。精神的な話はさておくとしても──」

 

 さておけるらしい。こんな事したらもうこの学校にはいられないだろうに。

 

「──物理的に無理だよ、1階から3階までのどこかで絶対捕まっちゃう」

 

 成程。尤もだ。女子生徒が全裸でそんな宣言をしたら教員は保護しようとするだろう。

 そうなると、確かに黒羽さんの走力では大人の脚力に勝てないだろうし、非力な彼女では一度捕らえられたら振りほどくことは困難だ。

 

 だ(・)が(・)そ(・)れ(・)は(・)通(・)常(・)の(・)、(・)一(・)度(・)し(・)か(・)チ(・)ャ(・)ン(・)ス(・)が(・)な(・)い(・)場(・)合(・)の(・)想(・)定(・)だ(・)。(・)

 

「もし失敗したら、スタートからやり直させる。

 ああ、別に回数制限とかもない。

 ギブアップも認めない」

 

 そう。成功するまでやり続ければ良いのだ。

 仮に黒羽さんが捕まったり、嫌になって逃げたり、

 或いはどこかに隠れて動かなくなったりしたら、

 スタート時点まで巻き戻してしまえばいい。

 

「じゃあ、行こっか。正面玄関まで」

 

「……うん。分かった。行く──行くよ」

 

 黒羽さんを見やる。今の彼女の表情は、読めない。

 ただ、俺の後をついてきている。

 

 彼女はあのクラスの、それなりのポジションにあった。

 下層とはいえ、ピラミッドの頂点。陰キャの女王。

 それなりに居心地は良かったはずだ。

 関係をはぐくんだだろう。友情を築いただろう。

 もしかしたら、誰かに恋だってしていたかもしれない。

 

 家族はどうだろう。どんな両親なんだろうか。

 兄弟姉妹はいるんだろうか。

 どういう関係で、どう育てられたのだろう。

 

 ────それが、今日終わる。

 そうでなくても、積み上げてきた関係に修復が効かないような変質を遂げる。

 親からの期待を蹴り捨てて、これからの友情を踏み砕き、みんなの好意を踏みにじる。──つまり、裏切る。

 

 死刑囚が断頭台に行くような、そんな恐慌に陥ってもおかしくないだろうに、黒羽さんは前を見ていた。

 

 前髪の隙間から、しっかりと前を。

 

 泣き喚くでもなく、睨めつけるでもなく、決死でも必死でもなく。ただ許されたように前を見つめていた。

 

 罪に対する罰にただ殉じるような彼女を見ていると、ほんの少しだけ虚しくなる。

 

「……」

 

 だが。どれだけ覚悟に殉じた前向きな姿勢を取られたところで、彼女の見た目は全裸に卑猥な落書きが施されている変態女なわけで。

 そのどうしようもない滑稽さが俺の調子を戻してくれた。

 

 ◾︎

 

「黒羽さんは、本当に申し訳なく思ってるんだ?」

 

 正面玄関に向かう道中、俺は黒羽さんに投げかけた。理由は──どうも手持ち無沙汰になったというか。

 彼女の前向きな、覚悟の決まった姿勢に触発……は、違うか。疑問。そう、疑問だ。これから自分がする事を黒羽さんは正しく理解出来ているはずなのに、どうも受け入れすぎているというか。

 

 申し訳なくて、反省していて、という彼女の陳述をどうも信じ切れないというか。

 

「本当は追いつかれた時、殺されてもいいって思ったの。だから、まぁ。社会的に死ぬくらいは──ね? 

 私は、私がした事をあなたの望む形で償いたいよ」

 

 流石に、これは驚いちゃったけどさ。と卑猥な落書きを笑ってすら見せる彼女の目は、前髪の奥で真摯さすら宿っているようだった。

 

 どうにも、嘘はついてないらしい。

 

 ◾︎

 

「んじゃ、時止めを解除するよ」

 

「……うん」

 

 俺は局所局所で時止めを使用して、遠目から黒羽さんの姿が確認できる位置で隠れて見ているつもりだ。

 もし俺の存在が露見しても、それが俺だけであるのならなんら問題は無い。

 俺だけ巻き戻して今度は見つからない位置で見守るだけだ。

 

「1回目、スタート」

 

 瞬間、世界が存在感を帯びる。

 時の止まった世界にしばらくいると、この世界の喧しさに耳が鳴る。

 とはいえ、黒羽さんは走り出した。

 

 正面玄関を右手に曲がり、1-1組の前を走る。

 

「わ、私はっ! 変たい女ですゅ!」

 

 大声が慣れないのか、それとも緊張か。声は裏返っているけども、1-1クリアだ。

 続いて隣の1-2へと駆けてゆく。なかなか速い。

 これは一発クリアもあるんじゃないのか。

 

「私は! 変態女ですっ!」

 

 1-1の時はどうやら発声の問題だったようだ。

 黒羽さんは緊張も羞恥も感じさせない、よく通る声で1-2の前を通り過ぎて行った。

 

「な! えっ!? え!」

 

 このタイミングで、1-1のHRをおこなっていた教員が教室の戸を開けて目を白黒させていた。

 ちなみにおばちゃんの教員だ。

 

 にわかに1-1組の教室内もざわめいているようだ。

 黒羽さんは1-3組に差しかかろうとしていた。

 

「私は! 変態女です!」と、黒羽さんが言い切る前に、

 

「不審者ぁ! 不審者よ! ちょっと皆川先生! 捕まえてェ!!」

 

 と、おばちゃん先生は警告音を発した。

 ちなみに皆川先生は1-2組を受け持っている強面の男性教諭だ。中年だが、それなりにタッパがある。

 黒羽さんなどひとたまりもないだろう。

 

「待て!」という声と同時に1-2の戸が雷の様な音を立てて開けられた。皆川先生、力が籠っているようだ。

 

 黒羽さんは既に階段に足をかけていたが、ズンズンと皆川先生が迫る。

 どうも乳首と性器を弄りながら階段を登るのは辛い様で、2Fにたどり着く前に皆川先生に追い付かれていた。

 

 黒羽さんが羽交い締めにされた段階で、俺は時を戻した。

 

 ◾︎

 

「むり、むり。ムリだよ、これ」

 

 おじさんに体をまさぐられたのが精神的にきたのか彼女は弱音を吐いていた。

 

「ムリでもなんでも、やるんだよ」

 

「これさ。キツいの私だけじゃないよね、多分、屋上までたどり着くのに千回単位だよ。これ」

 

 それで済めばいいな。皆川先生は強敵だぞ。

 

「ああ、その点は大丈夫。何回か見守ったら俺の意識だけ時を戻すつもりだから」

 

「そんなことも出来るんだ……」

 

 今、この瞬間を意識的に意識だけ時間を巻き戻す。

 こんがらがって来そうだが、黒川さんという自意識が常にいるから成立するだろう。

 

 この正面玄関をアンカーにして、例えば──100回目挑戦の黒川さんに、10回目観測の俺が合流する事は出来るはずだ。

 

「んま。1万回でも1那由多回でも付き合うよ」

 

「その前に寿命が尽きちゃいそうだね……」

 

 遠い目をし始めた黒羽さんに告げる。

 

「んじゃ、時間停止を解除するよ」

 

 ◾︎

 

 それが一体、何回目なのかは知らないが。

 黒羽さんが捕まることを見届けるマシーンと化して、俺の意識的には20回目を見届けた位の時。

 黒羽さんが皆川先生を攻略していた。

 

 その時点で黒羽さんの動きはかなり洗練されていて。足速に1-3組へ直行して「私は変態女です」と叫ぶと1-2→1-1へと宣言を続け2Fへと駆けて行った。

 

 その間、30秒を切っていた事も驚きだが。皆川先生の妨害が、2Fに上がるまで一切発生しなかったのが大きかったように思う。

 

 どうも、あのおばちゃん先生が皆川先生召喚のキーマンらしいのだ。

 

 おばちゃん先生が皆川先生に名指しで助けを呼ぶと、すぐに皆川先生が来る。

 だから黒羽さんは1-3(ダンマリ)→1-2(皆川先生)→1-1(おばちゃん先生)と、一見非効率に思える奥から手前へのカウントダウン方式で変態宣言をした後、2Fへと渡った。

 どういう訳かこのやり方だと、皆川先生もおばちゃん先生も妨害してこないのだ。

 

 この法則を見つけるのにどれだけ繰り返したんだろうと思うと気が遠くなるが、癖のように乳首を人差し指でつまみ、性器をぬちゅ♡ぬちゅ♡っと音を立てて弄りながら──嬉しそうにそれを黒羽さんは報告していた。

 

 今は挑戦中ではないのに。時の静止したクールタイム中で、そうしなければならない理由はないのに。

 最早そうしないと落ち着かないのだろう。

 

 ◾︎

 

 さて。実を言うと1Fは本命ではなかったのだ。

 あそこまで苦戦する要素があるのは、予想外だった。

 

 本命は2Fだった。正直、壁という壁になりうるのはココしかないと思っていて、何も仕掛けなければ数回の試行で突破されると思っていたのだ。

 

 まさか皆川先生があそこまでの壁になるとは思わなかった。ただ、まぁ。突破できたのならむしろ僥倖。

 乳首とおまんこ虐めるのが癖になっててエロいし。

 

  (・)2(・)F(・)は(・)既(・)に(・)異(・)変(・)が(・)発(・)生(・)し(・)て(・)い(・)る(・)。(・)

 そう、俺達だ。

 

 HR中に消えた、俺と黒羽さん。そして遠くから聞こえてくる「私は変態女です」という声。その声は消えた黒羽さんの声と酷似しているときた。

 声を張ってるからすぐには気づかれないかもしれないが、俺らのクラスは2-3組。順番的には一番最後になる位置だ。

 

 迫ってくる変態女の正体はあの大人しい黒羽さんだと嫌でも気づくクラスメイト。

 

 というのを想定していて。

 俺的には1Fと3Fは、2Fを乗り越えたら消化ゲーで試行回数の問題になると思っていた。1Fを乗り越えられてよかったよ。本当に。

 

「んじゃ、時間停止を解除するよ」

 

「ちょっと、休憩させて……」

 

 ──実際、黒羽さんもかなり苦戦しているようだ。

 流石に疲れたのか、乾いた無機質な眼で遠くを見ていた。

 

 俺はその瞳を見て、何か直観的に虚しさを覚えたのだった。

 

 

 ◾︎

 

 1Fを駆け上がり、2F。

 2-1から2-2まで問題なく、彼女は声を張上げた。

 しかし、2-3へ取り掛かる瞬間、立ち塞がるように俺らのクラスの担任が出て来る。

 

「黒羽──!? お前、一体」

 

 とろんとした、焦点の合わない目で。

 身体中に描かれた卑猥な落書きを見せつけるようにくねくねとしなを作り。

 白い肌を上気させて。乳首をすりすり♡と擦り上げ、

 ガニ股でぷっくりとした未発達の割れ目に指を突き立てて汁音がぬちょ♡ぬちゅ♡と漏れながら。

 少女は言う──自分の正体を。

 

「ふっ♡ふっー♡う’’ぅ♡ふぅー♡

 ぢがうんですっ♡わ、わだじ……はっ♡」

 

 繰り返し繰り返し繰り返し。

 どのくらい繰り返したのか、やっと2-3前まですんなりと行ける法則を見つけたのに、担任に弁解をする黒羽さん。やっぱり、顔見知りだと恥ずかしいんだろうか。

 

「わ’’だじはぁ!! ♡♡変態女れふ……♡」

 

 じょっ、ばあああああ────ーっっ!!! ♡♡♡

 彼女の顔が歪み、全身が弛緩する。

 性器と絡んだ指の隙間からジェット噴霧のような強烈な潮が噴いた。

 そして、その殆どは余りの光景に唖然てしていた担任に直撃していた。

 

「なっ!? あぅぅ。沁みっ……うぇっ」

 

 動転し、取り乱した担任は咄嗟に小便を袖で拭い、

 顔を拭った。

 その隙に脇から抜けるように黒羽は駆け出した。

 

 ──そうか。羞恥ではない。作戦だったのだ。

 あえて痴態を晒して動揺を誘うと同時に、会話の余地アリと思わせてフリーズしてる隙を狙い潮をぶっかけて目潰し。

 幾重にも思惑が絡んだ攻防だったのだ。あれは。

 

 俺が感心していると教室の中からざわめきが聞こえてきた。

「え? いまの。めるこちゃん?」「声、そうだよね」「やばくない?」「てか、消えたよな」「ありえないんだけど」「やば。めっちゃエロw」「きも」

 どうやら無事、彼女の居場所は無くなったようである。

 

 ◾︎

 

 3Fは大方の予想通りとなった。

 1F~2Fから追いついて来た教師と、流石に不審者の通知が来ていて立ち向かってくる3Fの教師を交わしながら変態宣言をして、最奥の屋上への階段を目指すのである。

 

 

 人が多い分掴まれたら終わりだが、躱し続ければ教師陣がぶつかり合って隙ができる。

 予知めいた動きをしなければ躱しつづける事など土台不可能だが、彼女には無限の試行回数があった。

 

 2Fの安定化を測るために潮を何時でも噴けるようになったり。指先が疲労骨折してたり色々あった。

 

 だがやり遂げたのだ。彼女は。

 乳首と性器を弄り回しながら──無駄のない研ぎ澄まされた動き瞬間的に要求される。

 ミスは許されない。掴まれたら、終わる。

 

 躱す。避ける。屈む。縮。躱。立。避。駆────

 

 ────ガチャ。

 

 ◾︎

 

「おめでとう」

 

 俺は、万雷の思いを込めて言った。

 本心からの言葉だった。

 

「は、ぜ、は、は、ぜ、は、はっー。はっー」

 

 彼女は酸素を求め、犬のような呼吸をした。

 肺に空気を満たした後、数度咳をこむ。

 大の字になって倒れた後。

 どうしても息が絶え絶えと言った感じで、言う。

 

「──終わった、んだね。屋上、これた」

 

 夏の部活動。青春少年、と言った風情だ。

 とても爽やかな、顔をしていた。

 

「いやぁ。ハハ。社会的には、死んじゃったけどさ! 

 凄い──達成感」

 

 そこにもうかつての陰気な面影は、ない。

 晴れ晴れとした陽気が彼女を包んでいた。

 俺は、言う。

 

「黒羽さん、もうこの学校には居られないと思うけど」

 

「んー。ま、そーね。でもま、問題にはなるだろうけどさ。フフっ。大問題にはなるだろーけど、まあ転校でもして生まれ変わったように生きるよ」

 

 臆面も無く、後悔も微塵も感じさせず、むしろそれが正道とでも言うように女は言い切った。

 ちらりと女はこちらを見る。

 

「あっ。でも、これじゃあ。復讐になんないかな」

 

 女はこちらを見る。陽気に包まれも変わらない、

 重い前髪の中で双眸を光らせながら。

 

「乱暴。しても良いよ──」

 

 被せるように、言った。

「──33万6336回だ」

 

 

 

「えっ。そんなには無理だけど」

 

「ちげぇよ! 馬鹿! 

 ──33万6336回。お前が繰り返した回数だ」

 

 思わず、目を逸らしていた。

 逸らしたまま俺は俯いて、おそるおそる言う。

 

「お前、なんなの」

 

「あ。いや、その──。多かった、かな。流石に。

 もうちょっと抑えるべき、だよね?」

 

 まんじりとも女と目を合わせないまま、俺は思考をめぐらせる。

 俺は自分の意識を巻き戻す事でこの女の

「繰り返し」に付き合った。

 

 そう。別に俺は意識を巻き戻したからといって彼女の繰り返した回数が分からないということは無い。

 時間を冠する事柄において、およそ不可能がないこの能力は、望むだけで彼女が繰り返した回数を教えてくれた。

 

 俺自身が意識して立ち会えたのは数百回前後だろう。

 俺はもう途中から正気を保ってらんなくて、毎回意識を巻き戻して耐えていたのだ。

 

 この女は、黒羽めることは、なんだ。

 

 俺は、深い思考の波を巡る。

 

 

 ◾︎

 

 俺が、うっすらと彼女に覚えていた違和感。

 その正体の欠片が脳髄を巡り、点と点を繋いでゆく。

 

「ねぇ、黒羽さん。俺の名前、言える?」

 

「……え?」

 

 彼女は予想外の事を聞かれた、とばかりに俺の顔を見つめる。その後には目線をあちこちに泳がせながら、ついには俯いてしまった。

 

 しばらく経って、絞り出すように、消え入るような声で。「ごめんなさい。分からない」と言った。

 

「……んじゃ、苗字は?」

 

 正解は宇山だ。普段人間扱いされてない俺は、

「おい」だとか「ブタ山」だとかそういう呼ばれ方をしていて、ウチの高校には出席確認という文化が存在しない為、ここしばらく自分の名前を親以外の口から聞かなかった程だ。

 

「わから、ない、です……」

 

 とはいえ、だ。一度関わりを持った人間で、しかもクラスメイトに苗字すら覚えられていない、というのは初めての経験だった。

 いや、違うな。まだ仲が良かった頃の黒羽さんには自己紹介もしたし、名前でも呼ばれていた。

 正確には、忘(・)れ(・)去(・)ら(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)。(・)出会ってまだ半年すら経っていないのに、だ。

 

「え、えっとね。あのね……あの」

 

 そう。黒羽めるこ、彼女は。

 

「気づいてるか、黒羽さん。君は俺の事を今日一度も呼んでないんだ。名前でも、苗字でも」

 

「え、と。それは、あの」

 

 はじめは時を操る俺に出会ったという異常事態に巻き込まれて、名前を呼ぶどころじゃない混乱の最中だと思っていた。

 だけど、ちがう。

 少なくても俺が意識できているだけでもかなりの時間、あの時の止まったクールタイムに彼女と会話をしたが、一度として名前で呼ばれたことは──ない。

 

「君は混乱なんてしてなかった。どころか、

 本当は冷静に、実直に、どう動くのが一番被害を被らないかを計算して、今の様に振る舞っている」

 

「ち、違う。私はほんとに! ほんとに申し訳ないって思ってて! それで──」

 

「申し訳ないと思ってるやつの苗字すら覚えてねぇなんて、有り得ねぇだろ!」

 

 演技派──とかじゃなく。多分、無意識なんだろう。

 全部本気で、全部嘘なのだろう。

 

「お前は。自分が得だと、有利だと、損害を被らないと、そう思ったら、多分、心がそういう形になるんだ」

 

 俺は思い出す。剛川に虐められはじめ、黒羽さんと疎遠になった時の事を。

 それとなく俺を遮断し、別のやつと親しげに会話している黒羽さんを。あの時に、黒羽さんにとって俺は意識の外に置いた方が有利だと判断し、防衛本能的に俺の事を記憶から消した。

 

 俺は思い出す。俺が裸にひん剥かれ暴力を受けていた時の、あの厭らしい黒川さんの嗤いを。そうだ。

 あの時。黒羽さんはその方が得だから、心を無意識に形作り、俺を笑う多数派に変形したのだ。

 

 そして俺は思い出す。今日のHRで土下座までした、

 黒羽さんの本当に申し訳なさそうな顔を────そして、その償いに対する前向きな姿勢を。

 

 そうして、思い出し、思い至る。

 陰気さが消え、爽やかな少年のような雰囲気すら纏った彼女の発言を。

 

『乱暴。しても良いよ──』

 

『あ。いや、その──。多かった、かな。流石に。

 もうちょっと抑えるべき、だよね?』

 

 取(・)り(・)入(・)ろ(・)う(・)と(・)し(・)て(・)い(・)た(・)の(・)だ(・)。(・)俺(・)を(・)。(・)

 

 体を許すような発言は、俺を敵に付けないように、憎まれつつも、あわよくば味方に。

 

「繰り返しの多さ」も、反省の色を見せようとアピールしてたとしたら、どうだ。

 1万回でも、1那由多でも。そんな言葉を真に受けて、本当はもっと早くに屋上に来れたのにあえて多く繰り返していた。

 だから、それが不自然だと悟れば、すぐに同調して「多すぎだよね」と取りなす。

 俺に気に入ってもらう為に。

 

 

 全部。全部だ。一貫して、黒羽さんは損を避けて得を受ける。無意識にそれを選択して、本音や感情や自我すら変形させて見せたのだ。

 

 俺は、戦慄していた。顔を歪ませて、恐れすら目の前の女に浮かべていたかもしれない。

 

「俺は、裏切られてすらいなかった。のか」

 

 そもそもなんとも思われていない。

 初めから親しくなっていないし、なんならきっと嫌われてないし、軽んじられてすらいないのだ。

 

 ────控えめに言って、狂っている。

 俺はもう、目の前のこの女が人の皮を被った化け物のようにしか見えなかった。

 

 黒羽めるこ。その存在は、その在り方は、最早そういう装置なのだ。生きやすいように自分を変形させて、周囲を欺いて土壌を作り、泥の中でゆっくりと君臨する。

 

 今日俺にみせた羞恥や焦りや真摯さ──艶やかとしたどの表情さえ、やもすると彼女の冷えた防衛本能でしかなく。

 

「────」

 

 俺はもう、恐ろしくも虚しくなってしまった。

 前髪の奥で申し訳なさそうに見つめる二つの瞳がどうしようもなく空虚に思えてしまった。

 

「約束通り、俺はもう、なにもしない。

 お前に関わらないし、お前の邪魔もしない。

 なにより────」

 

 ────意味が無い。

 暖簾に腕押し。糠に釘。

 俺の一連の行動はこの女に何も残さない。ただの徒労で終わってしまった。

 俺はなんだか、裏切られた気分にさせられたのだった。

 

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