「あれが、あの女の言っていた屋敷ね」
綺麗な半月が空を飾る夜。
岬にある洋館を見下ろす木立の間で、瞳が独り言のように呟いた。
「本当に瞳姉だけで行くの、やっぱり私も付いて行くよ」
不安そうな声で愛がそう問いかける。
瞳はクスリと笑うと、長い髪をなびかせながら愛に向けて微笑んだ。
「大丈夫よ、あんたは泪姉さんと一緒に外で私のバックアップ、何度も打ち合わせしたじゃない」
意図的に軽い口調で言いながら、瞳は泪へと視線を向けた。
今回の盗みは、明らかに敵の罠だ。
屋敷の中で何が起きるか分かったものではない。
瞳一人が潜入するのは、万が一を考えてのことだ。
3人で捕まるという最悪の事態だけは、避けなければならない。
「気を付けて、何かあったらすぐに連絡するのよ」
「解ったわ、姉さん。じゃあ行ってくる」
明るくそう答えた瞳は、木から飛び降りた。
そしてキャッツハンターの罠が待つ屋敷へと、駆け出して行った。
「誰もいないみたいね」
何事もなく洋館へと近づいた瞳は、近くの窓を調べて眉をひそめた。
鍵こそかかっているが、警報などの防犯設備は設置されていない。
手慣れた手順で窓を破った瞳は、するりと中に侵入する。
足音もなく廊下を進む瞳。
時間不足でろくな下調べができなかったため、屋敷の構造は分からない。
目的の絵がある場所を探すのは、泥棒の勘だけが頼りだ。
「さて、いつ仕掛けてくるのかしら」
階段を駆け上がり、瞳は2階へと登った。
普段なら眉一つ動かさず、完璧に盗みを成功させる彼女だが、今回は異常な緊張感のせいで呼吸が乱れ、額に汗が滲んでいる。
「あそこが臭いわね」
2階の奥にある部屋にたどり着いた瞳がそう呟いた。
扉に耳を当て、室内の気配を探る。
物音は何も聞こえず、人の気配もない。
微かな音を立ててノブが回り、扉が開く。
そうっと瞳が覗きこむと、その視線はすぐに目的のものを捉えた。
「あったわ!」
部屋の奥にはハインツコレクションの一つ、『古城の冬』が壁に掛けられていた。
父が描いた、かけがえの無い絵だ。
「ここにも人がいないなんて……」
訝しんだ瞳は、腰布からコの字型の金属板を取り出した。
それをドアのロック部にはめ込み、鍵がかからないよう固定する。
「これでもし罠があっても、閉じ込められる心配は無いわ」
慎重に中を伺いつつ、瞳は室内に脚を踏み入れた。
部屋の中には警報も、監視カメラも無い。
瞳は素早く絵に駆け寄ると、もう一度当たりを見回す。
そして両手で額縁を掴んだ、その時だった。
ガラガラガラッ!
耳ざわりな響きを立てて、一勢に窓にシャッターが降りる。
はっと身構えた瞳の背後でバタンと扉が閉まり、天井の照明に光が宿る。
(やはり、罠だったのね)
瞳の上でパカッと天井の一部が開き、キャッツハンターが飛び降りてきた。
「待っていたわよ、キャッツアイ」
鞭を構えるキャッツハンターの前へ、更に十数人の男達が現れる。
鍛えられた男たちに囲まれ、瞳の頬に冷たい汗が伝った。
「来たのはあなた一人のようね、泪と愛はどうしたの?」
「3人で来いとは、言われなかったはずよ。あなた程度が仕掛ける罠なんて、私一人で十分だもの」
瞳は笑みを浮かべると、絵を脇に抱えたまま身構えた。
頭の中ではこの包囲を切り抜ける方法が、高速で計算されている。
「フン……まあいいわ、一匹だけでも雇い主に顔は立つし。残り2匹は、後からゆっくり捕まえることにしましょう」
「そう簡単に行くとは、思わない事ね!」
瞳は気合いを入れると、走り始めた。
ワッと屈強な男達が、レオタード姿の女怪盗に襲いかかる。
その動きは特撮のように一人ずつでは無く、常に3人が同時に仕掛けて来る。
「ずいぶんと訓練されているようね。でも私を捕まえられるかしら?」
フワッと長い髪が宙を舞い、瞳の身体が沈む。
長くしなやかな脚が先頭にいた男の足を払い、地面に向かってダイブさせる。
「ぐわっ!」
派手な音と共に男が床に転がる。
さらに倒れた男に躓き、数人の男が道連れになって転がった。
武器も使うことなく、アレヨアレヨと瞳は男達を倒していく。
「脚よ、脚を押さえつけなさい!」
キャッツハンターの指示を受けた男が、瞳にタックルを仕掛ける。
瞳は軽くジャンプすると、突っ込んで来た男の上に着地した。
「あら、ごめんなさい」
瞳は猫のような身のこなしで、男達の輪を突破した。
出口の扉にはロックはかからないよう、仕掛けがしてある。
扉の前に立つキャッツハンターさえかわせば、脱出できるはずだ。
「やはり部下だけでは駄目ね、今度は私が相手よ」
口角を上げながら、キャッツハンターは愛鞭をヒュンと振って瞳を威嚇した。
瞳はスピードを落とさず、彼女の前に出る。
「どきなさい!」
瞳が横を抜けようとした瞬間、キャッツハンターのハイキックが飛んできた。
それを予想していた瞳は、サッと身を屈める。
そして軸足になっている脚を払おうとした。
「……えっ?」
頭上で殺気を覚えた瞳は、反射的に横に飛んだ。
青いレオタードに包まれた、魅惑的なボディラインを見せる身体がゴロゴロと床を転がる。
「あら、さすがにカンがいいわね」
右足を大きく上げた姿勢で跳躍するキャッツハンターが笑う。
足払いのスキを見せたのは、彼女の罠だったのだ。
もしあのまま攻撃を仕掛けていれば、全体重を乗せた踵落としを頭に受ける所であった。
(やはり一筋縄では、いかない相手ね)
瞳の美貌に、冷たい汗が流れる。
長期戦になれば、数で勝る相手の方が圧倒的に有利だ。
逃げる体力があるうちに、この場を脱出しなければならない。
「ホラホラ、脚が止まっているわよ」
距離を取った瞳へ、キャッツハンターが鞭を振るう。
スタンガン付きの鞭が、少しでも身体に絡み付けば終わりだ。
何とか身体をよじって避けた瞳は、鞭に狙われぬよう距離を詰める。
だがそれを見越していたキャッツハンターの拳が、瞳の鳩尾へ突き刺さった。
「がっ!」
右手で腹を押さえた瞳が、ヨロヨロと後退する。
ガクッと膝が崩れかかるが、気力で何とか踏みとどまった。
「げほっ……げほっ……はぁ……はぁ……」
「浅かったかしら? 膝を付いてくれれば、ここで終わりだったのに」
ビシッと瞳の足元に、電気を帯びた鞭が叩きつけられた。
その獲物をなぶるような態度に、部下の男達が外野から騒ぎ立てる。
「いいぞ、ボス!」
「キャッツをもっと痛めつけろ!」
声援に応えたキャッツハンターは、部下に手を振りつつ攻撃を仕掛けた。
鳩尾へのダメージが残った所への連続攻撃に、さしもの瞳も防戦一方となる。
かろうじて手を出して反撃に出るが、その拳は片手で簡単に止められてしまった。
「遅いパンチね、まるで止まっているように見えるわ。」
瞳の腕を掴んだキャッツハンターは、そのまま背負った。
そして一本背負いで瞳を床へと叩きつける。
「ぐふっ!」
床に叩きつけられた瞳が、肺の中の空気を吐き出して呻く。
とっさに絵を離して受け身は取ったものの、全身に走った衝撃で息が詰まる。
それでも何とか立ち上がり、追撃の鞭だけは避けた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「ウフフ……だから言ったでしょう、勝った気になるなって」
瞳の息が荒くなっていく。
対するキャッツハンターは息を乱すことすら無く、腰に手を当て余裕の表情だ。
半ば遊んでいる相手に、瞳はまるで歯が立たなかった。
(スピード、反応速度、全てがこの間の夜とは全く違う、まさか……)
キャッツハンターが薬物で身体能力を飛躍的に向上させている事に、瞳は気が付いた。
もともと実力はほぼ互角。
このまま戦えば、ドーピングの差で瞳に勝ち目はない。
(やはり隙を見て、逃げ出すしか無い)
瞳は絵を拾うと、バックステップでキャッツハンターから距離を取った。
鞭を構えた女が、不敵な笑みを浮かべて瞳へと歩み寄る。
ジリジリと後退した瞳の背後に、外野で騒いでいた男達がにじり寄る。
「さあ、キャッツを捕まえなさい!」
キャッツハンターの命令で、男達が一斉に襲いかかる。
背後からの攻撃に反応した瞳が、先頭の男へ拳を放つ。
だが休む間もなく、別の男が蹴りを放って来た。
辛うじて左腕でガードした瞳だが、ジィンと腕に痺れが走る。
「彼らの攻撃すら避けられないなんて、だいぶお疲れのようね」
笑いながら解説を始めるキャッツハンター。
瞳はギリッと奥歯を噛み締め、焦りの表情を浮かべた。
ダメージと疲労の蓄積で、脚は重くなっている。
この状態で戦闘訓練を受けた男達を倒す自信は、とても無い。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が上がり始めた瞳に、男達たちが一斉に間合いを詰める。
クッと呻きを漏らして、瞳はそれを迎え撃った。
先頭の男が放つ蹴りを避け、懐に潜り込みつつ拳を放つ。
手ごたえはあったが、その一撃には鋭さが無い。
案の定、男はすぐに回復し、瞳へ襲い掛かって来た。
「そろそろ、いいかしらね」
扉の前に陣取っていたキャッツハンターが、初めてそこから移動する。
そして男達と戦う瞳の背後へと回った。
背中へ殺気を覚えた瞳が、身を固くする。
そして電気を帯びた強烈な鞭が、瞳の背中へと振り下ろされた。
「たあっ!」
掛け声とともに、瞳は跳躍した。
そして鞭を避け、空中で1回転して男達の頭の上を飛び越える。
(よし、これで逃げられる)
着地した瞳は、門番のいなくなった扉へ向けて駆け出した。
そしてドアノブを握り急いで回す。
だが扉はガチャガチャと音がするだけで、開こうとしない。
(どうして! ロックはされないよう細工したはずなのに)
信じられないという表情で、なおもドアノブを回し続ける瞳。
そんな彼女の背中へ、キャッツハンターの鞭が振り下ろされた。
「キャァァァァァツ!」
背中に鞭を受けた瞳が悶絶する。
鞭打と電撃の二重奏により、彼女の身体は膝から崩れ落ちた。
「扉がロックされていないとでも思った? 残念だけどキャッツの手口は研究済みよ。そのドアは横だけでなく、上下でもロックがかかる特別製なの」
「かはっ……はぁ……はぁ……はぁ……」
ドアにもたれかかるようにして、瞳は立ち上がった。
息は完全に上がっている。
そんな彼女へ向けて、キャッツハンターはさらに鞭を振り下ろした。
軌道を読んで何とか避けた瞳だが、もはや動きにキレは無い。
キャッツハンターは手首を使って巧みに鞭を操り、瞳を追い詰める。
そして遂に、鞭が瞳の左手へと絡みついた。
「キャァァァァァァァァァッ!!」
鞭から発された電撃が、瞳の全身を貫く。
キャッツハンターが柄に付いたボタンを押す度に、瞳は悲鳴をあげて悶絶した。
空いた右手で何とか鞭を外そうと試みる。
だが左手に絡みついた鞭は、固まっていてどうやっても外すことができない。
「無駄よ、その鞭は一度絡みついたら、私が操作するまで外れないわ。さあキャッツアイ、遊びましょう。」
残虐な笑みを浮かべたキャッツハンターが、鞭をグイッと引き寄せた。
左手を引かれた瞳が、ヨロヨロと近づく。
そんな彼女の鳩尾に、キャッツハンターは強烈な膝蹴りを叩きこんだ。
「がはっ!」
瞳の身体がくの字に折れ、背後へ吹き飛ばされる。
倒れようとする瞳の身体を、後ろから部下がキャッチして羽交い絞めにした。
身動きできない瞳に、キャッツハンターの容赦のない拳が叩き込まれる。
「うぐっ、がはっ、うぁっ、はうっ」
全身を殴られた瞳の口から、呻き声が漏れる。
やがて羽交い絞めが解かれると、瞳は膝から崩れ落ちた。
そんな彼女へ、鞭の電撃が更に襲い掛かる。
「キャァァァァァァァァッ!!」
「いい声よ、キャッツアイ。これで貴女に対して抱えていたモヤモヤも少しは晴れたわ」
「がはっ! がはっ! はぁ……はぁ……はぁ……」
床に転がった瞳は、呼吸を荒くして身体を痙攣させていた。
暴行と電気ショックのダメージで、立ち上がる事すらできない。
そんな彼女の頭を、キャッツハンターはヒールで踏みつけた。
そして瞳の左手から鞭の拘束を解くと、部下の男達に向かって微笑んだ。
「次は、あなた達の番よ」
女上司の命令に二ヤついた男達が、一斉に瞳へと駆け寄る。
瞳の髪の毛を掴んで無理矢理立たせた彼らは、先ほどの恨みとばかりに、腹へ大振りの拳を叩きこんだ。
「がはっ!」
口から涎を吐き出しながら、瞳の身体がグラリと揺れる。
後ろに倒れ込みそうになった所で、別の男が背中を蹴った。
さらに前につんのめった瞳を、横からの蹴りが襲う。
まるでキャッチボールでもするかのように、瞳の身体は男達の間を行ったり来たりした。
抵抗の術もなく、蹴られ、殴られ、突き飛ばされ、よろよろとよろけながら瞳が自分の意思によらない移動を繰り返す。
(姉さん……愛……ごめんなさい……後は任せたわ……)
リンチを受けながら、瞳は腕輪につけたボタンを押した。
窮地に陥ったことを泪と愛に知らせる、緊急用の信号だ。
最後の仕事を終えた瞳は、全身を鈍い痛みに覆われながら、意識を朦朧とさせていった。
目の前にニヤリと笑う男の顔が映った瞬間、その拳がまともに鳩尾へと食い込む。
「がはっ!」
瞳の口から涎と胃液が吐き出される。
大きく息を吐き出しながら、彼女の首はガクリと折れた。
そして意識を失った。