勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─【Another Story】 作:一般指揮官
「──ぱぱ〜!」
パタパタ。そんな擬音が似合う足音。舌足らずに加えて覚束ない足取りながら、一直線に向かう先にいる自身の父親を目指して駆ける姿は周囲を和ませた。
「──元気だったか?」
足下まで辿り着いた息子を抱き上げた長身の青年は平素と変わらない服装のままだ。戦闘服のパンツと黒い無地の半袖のシャツ。機械仕掛けとなった左手薬指には婚姻の証が鈍い光を放っていた。
抱き上げられた息子を追って青年に歩み寄った同じ年頃の女性。正体は言わずもがなだ。その証明となる意匠が揃いの、しかしやや小振りの指輪が左手薬指にあった。
「──あなた。それに皆さんもお久しぶりです」
彼女は長身の夫を見上げた後、彼の背後に控えている部下達に向き直るや否や深々と腰を折る。
「──奥様」
部下達の一人──分隊のリーダーは畏まった態度で一礼を返す。
「あしょぼ〜」
そのやり取りに目もくれず──むしろ意味すら分かっていないのだろうが夫妻の幼い息子は居並ぶ彼女達へ遊び相手を強請る始末だ。
「──あ〜…後で、ね?」
「やー!!」
「──やー、って…なんというか我が強いですね…」
今遊ぶのだ、と要求を口にする幼子から滲み出る唯我独尊の雰囲気。一体、誰に似たのだろうか。
思わず彼女達は長身の青年へ──幼子の父親を見上げた。
「……俺に似た訳ではないぞ。たぶん。家内に似た筈だ」
「いや、絶対に指揮官様だよ」
我が強い──気軽に言える仲なのは良いことだ。少なくとも青年の妻が心配していた部下との関係性は良好らしい。
「──どうぞ奥様」
「ありがとうございます」
玲瓏な声の持ち主──夫である青年の部下に促され、彼の妻は庁舎の中へ足を踏み入れる。
「ぱぱ〜あしょぶ〜」
「……今?」
「いま〜」
「……後では駄目か?」
「や〜〜」
地上で数多のラプチャーを粉砕し、スクラップの山を築く──
「──奥さんのことは私達に任せて。久しぶりなんでしょ?」
「──師匠は遊んであげて下さい」
「……分かった」
現時刻からの任務は息子のご機嫌取りである。部下達からの気遣い──或いはお節介か。いずれにせよ、彼は幼子の言うがままに振る舞う他ない。
「──コーヒーで宜しかったですか?」
「ありがとうございます」
指揮官室へ招かれた青年の夫人は勧められるまま応接用のソファに腰掛ける。饗応の為、分隊のリーダー──青年の副官も兼ねているだろう部下がコーヒーを淹れに退室するのを見送った後、夫人は室内を見渡す。
相変わらず煙草とは縁が切れないようだ。
紫煙の香りが染み付いた室内は部屋の主が誰かを主張している。
息子を身籠り──尤もその手段は
溜め息を吐き出す。とはいえ仕方ない。むしろストレスの捌け口が煙草程度で済んでいるのだ。
彼の妻として──ではなく、彼女自身が青年の任務を良く理解している。彼女も士官学校を卒業したのだ。青年の同期でもある。
結婚と同時に退役し、現在はアーク市内に構えた住まいで暮らしているが──肝心の夫は
寂しくない、心細くない──と言えば嘘になる。
「──どうぞ」
声を掛けられた。ふと気付けば、眼前のローテーブルに湯気立つカップ、そして敷かれたソーサーを認めた。
「ありがとうございます。突然、押し掛けてしまったのに済みません」
「…いいえ。……大丈夫ですか?」
玲瓏な声が気遣う言葉を放つ。何がだろうか。彼女の眉根が寄る。
「……その…思い悩んでいる様子でしたから……」
あぁ、と納得した。どうやら
「おっ邪魔しまーす」
「師匠も大変そうですね」
居心地が悪かっただろう空気。それを割ってくれたのは部下達の内の二人だ。
我が物顔で冷蔵庫を開け、炭酸水の350ml缶を取り出す部下。マガジンラックから雑誌を取り出す部下。
思い思いに振る舞う姿を見て彼女達のリーダーは深い溜め息を漏らした。
「……二人共、奥様の前よ」
「え〜?そんな堅苦しくなる必要あるの?」
「そうですそうです」
たちまち不平不満を漏らし始めた同僚達。それほど筋違いのことを言っただろうか。
「──ふふっ」
不意に微かな笑い声が響く。思わず三対の視線が向けられた先──青年の夫人が口元を押さえながら笑みを漏らしている。
「…あぁ、済みません。仲が良さそうでつい。──頂きますね」
折角、淹れてくれたコーヒーに手を付けないのは無礼だ。彼の夫人がカップを摘み、一口を静かに啜る。
「──ねぇ、奥さん。ちょっと聞いても良い?」
「なんですか?」
プルタブを起こした炭酸水を片手に彼の部下の一人が対面へ腰掛ける。
「ぶっちゃけだけど……
「ちょっ…!!」
それはあまりにも無礼極まりない発言だ。直ぐに訂正と謝罪を、と彼女達のリーダーが口を挟もうとした瞬間だ。
「──やっぱりそう思います?」
侮辱的とも捉えられかねない発言を受けたにも関わらず、夫人は肯定してみせた。
「──家には帰ってこない。メッセージを送っても全然既読にならない。既読になっても返信は数日経ってから。そりゃまぁ?ちゃんと税金代とか光熱費に生活費、あの子の養育費はきちんと口座に振り込まれてますけど、あまりにも家庭のことを蔑ろにしすぎだと思いません?」
「え?あ、そ、そうよね?」
「──ですよね?急に押し掛けたのだって、あの子があの人に会いたいって駄々を捏ねたからですけど、会うのが2ヶ月ぶりですよ?それなのに第一声が《元気だったか?》ってなんですか!?」
「は、はぁ……」
「まぁ?別に?士官学校の頃から彼の性格は分かってましたし?それは構いませんけどね?──任務で負傷しただの、手脚が失くなっただの、その連絡が退院してからってなんですか!!」
こんなに良く喋る人だったとは知らなかった。彼の部下達は同様の思いを抱く。しかも相当に早口で不平不満──いわゆる愚痴を矢継ぎ早に述べている。
同時に彼女達は脳裏へ上官である青年の姿を思い浮かべる。確かにやりそうだ──などと考えてしまった。
「この前なんて──家に帰ってきたのが2ヶ月前ですけど!玄関を出る時に彼がなんて言ったか知ってますか!?」
2ヶ月前──と彼女達は記憶を遡る。そういえば地上へ1週間ばかり派遣される任務を仰せ付かった。その直前に24時間の休暇が与えられたタイミングの話だろうと思い至る。
その任務へ赴く為、彼が自宅の玄関を開いて出ていく寸前の言葉を夫人は述べた。
──大丈夫だ。戦死しても加入している保険がある。遺族年金も支給されるからな。生活には困らない。安心しろ。
それを聞いた途端、彼女達は天井を見上げた。次いで盛大に溜め息を吐き出す。
絶対に言いそうだ、いや間違いなく言う、と確信が出来た。
「──そんなこっちゃないんですよ!月々に何十万、何百万クレジットが振り込まれるかは分からないですけど!私は、そんなものの為に彼と一緒になった訳じゃないし、彼との子供が欲しかった訳じゃない!!」
「お、奥さん…」
「お、落ち着いて下さい。ほ、ほら、深呼吸。深呼吸です」
指揮官室に反響する程の大声。眼前には夫の部下達が心配の眼差しを向けつつ宥めようとしている。それに気付いた彼女が息を飲んだ。
「──す、済みません…急に…」
「…いいえ、お気になさらず。……月並みですが、お気持ちは察して余りあります」
彼女達を代表し、玲瓏な声の持ち主が重ねて夫人を宥める。
ちょうどその時だ。外から──指揮官室の窓越しに幼子のはしゃぐ高い声が聞こえた。
「……取り乱して済みません。……溜め込んでいたようです」
夫の活躍は聞き及んでいる。だがそれは同時に──死へ限りなく近付いている証拠でもあろう。
「──色々と言ってしまいましたが……
きっと生き辛いだろう。彼の才覚を良く知る夫人だからこそ良く分かる。家庭に縛られるのは妻帯者、既婚者の常だ。人それぞれの程度の差こそあれ、墓場、とも称される。
しかし彼にとっては──地獄であろう。生きながらにして獄卒から延々と責め苦を負う亡者に等しい。
自分達を顧みて欲しい、気に掛けて欲しい。これは本心だ。
だが同時に──思うがままに生きて欲しい。これも紛うことない本心。
相反するふたつの本心。
それを抱えたまま──夫人は彼女達を見据えて深々と頭を下げる。
「──彼を、宜しくお願いします」
そう頼むしか出来なかった。
この奥さん、とんでもなく懐の深い御方ですね。普通は離婚ですよ。