前回の続きです。
ニシカが少し動きます。
『アオジャシン』事件からこっち、ずっと忙しい状態が続いている。一時は休暇を取らされ休まされる程度にはちょっとした間が存在したが、その後に起こった事案の為に未だに駆けずり回っている状態だ。
そんなこちらの状態を無理くりに突き破る様に、やはりあいつはやって来た。
「あれー?引っ越しでもするんですかあ?」
冬は日が落ちるのが早い。まだ十七時にもなっていないのにもう外は薄暗く、日が落ちつつある。ただでさえ陽光の感じ辛い薄曇りの日。その灰色の空が夕刻に迫り、更に影の気配を濃くしている。
バタバタと色んなもの運んじゃってさ、とニシカが事務所の中を一瞥して言った。事務所の中は既に片付いている。あらかたの物はもうこの日の前に出してしまっている。俺達が残っていたのは、細々とした事への片付けの為だ。
「ああ、ちょっとな」
そう返した俺を、カズトが不安げな顔で見やる。いつもの如き表情の読み取りにくいらしい顔で、それでも俺には十分すぎるほど伝わる、そんな様子で。
大丈夫さ、問題ない。
先に行けと促すと、カズトはわかった、と返事をし外に出た。小さな段ボール箱を抱えたまま、こちらを十分に気遣ったままで。
あれ、行かなくてもいいんですか、とニシカが笑う。そしてそのままの顔でベッチャベッチャと相変わらずの足音を立てながら、遠慮無く事務所の中に入って来る。この寒いのにサンダルは無いだろう、なんて質問は今更だと知っていた。
「あーあ、誰も、なんにもなくなっちゃった」
ふんふんと興味深そうにニシカは事務所の中を歩き回っている。眼や耳を必要なだけ活用して、どういう事なのかを知ろうと動いている。
その姿を見ていると、やはり眼を引く外見をしているなと思った。
異国の血が入っているのか、濃い顔立ちと高い鼻梁が目立つ。顔を縁取る色素の薄い髪と相俟って、人の目を引き付けるには十分だろう。
しかしやはり、一番印象に残るのは。
「『自分はここに来た』、『自分が見つけたのはここだ』って前に言ってたけどな。それまではどうしてたんだ」
何かきっかけがなきゃ誰も動けないんだ。
───こう探したい、動きたい、と考える、何かきっかけでもあったのか。
やたらと重々しいそんな含みを一切無視したかのように、ニシカが答える。
「あーっと、見かけたから、かなあ」
ぼやけた過去の思考を思い出さんとする間抜けな声。そこから少し体裁を整えて、見かけたから気になって、だからこうして来たんだ、それでいいでしょと、問いへの答えになっていない返事を飛ばしてくる。
「ねえ、篝さん」
「篝さんは、この仕事長いの?」
そして今度は、こちらへの問いを飛ばす。
ああ、それなりにな、と答える。
俺の腰に下げられた日本刀。ニシカの視線はずっとそこに向けられている。
いつでも現役、ずっと緊急時の為に鍛えているんだ、『常在戦場』だって前にも言っただろ?と続けて返すと、すごいすごい、やっぱいろいろ経験積んでるから強いんだろうなあ、すごいなあと拍手をしながら歌うようにけらけら笑った。はしゃいでいるのだ。
そのはしゃいだ声に、まあな、と簡潔に答える。
電気やらはまだ通っているものの、家具の類も殆ど無くなってしまった事務所の中は閑散としていて、俺の乾いた声がよく響いた。
そっか、そっか、そうなのかあ、などとニシカは完全に勝手に一人で何かを納得した様子で独り言ちていた。そして笑顔のままこちらに振り返り、こう尋ねた。
「そっか、ねえ、ところで」
こちらを刺す様な光を放つ金色の眼が、一層明るく輝いた。
───
身体が震える。痺れ上がるような感覚だ。刀を打ち付けた反動がここまで身体に迫って来るなんて、俺は知らなかった。何より俺の一太刀を全く避けようともせずに平然としている奴の存在も。
硬直の痺れからすぐに持ち直し、今度は袖の下に隠していたナイフを放った。
時々によって装備の差異はあれど、俺は何時でも動ける様にしている。事務所内だろうが、何処だろうが。
だって俺は、常に先手の布石を置かないと成す術無く殺されてしまうという事を知っているから。
空を切る音がする。
わざとらしく大きく振り上げた脚はこちらを蹴り上げる為ではなく。
十二月の冷え切った大気に相応しくない、ビーチサンダルのみを履いた素足。引っ掛けていたサンダルは何処へやら、今やその素足は猛禽の物となり、蹴爪によってこちらが投げた刃を全てを絡め取っていた。
「いつから気付いてたか」だって?
───そんなの、一番最初からに決まっているだろうが。
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