前回の続きです。
両者の真実と心理。ひりついた空気。(&次回への引き)
俺達が拠点を構える時に気に掛けるのは、何も家賃やら景観やらの事ばかりではない。
人ならざるものを討ったり封じたり、交渉したり、そしてそれらを補助する物品を製作したり。そんな生業を持つものらは拠点を隠す。より正確には、ある程度条件が整っていないと、俺達の動きを快く思わない側からの物理的な襲来やら迫りくる因縁やらを防ぐ術が無い。だから、拠点を設ける立地には十分な吟味・厳選が必要であり、それが用意されて初めて隠蔽が成功する。
言い換えると条件さえちゃんと整えば、『敵対者からの居所を曖昧にする術』、『万が一侵入されても手を打てる設備』というのは、その界隈に居たら案外在るものだと分かる。これまでこの世界を生き残って来た奴らの叡智は、確かに存在しているのだ。その先人達の力を借りて、俺達は今もこうして生きていられる。
だから、下手な人ならざるものや害をなそうとするものは俺達の居場所を見つけられないし、協力者であっても───人ならざるものならば特に───登録・照合されない限りは入れない。害意を持たぬ一般人ならば事務所を見つけられはするが、不埒な輩がそういった人間を操ったり、または取り憑いた上で探し当て侵入しようとしても、こちらの拠点を見つける事は出来ない。それどころか弱い者ならば引き剥がされたり、あまりにも弱ければその場で祓われてしまう。
守りは万全であり、下手に入ろうとすると守りの力によって著しい損傷を受ける、と、こういう訳だ。
だがそれを、この『ニシカ』は事も無げに成し遂げて見せた。
あいつの姪の隣でちーっすと明るく笑うこいつを、俺達は不気味な思いで見つめていた。
一見で感ずる不協和。何気無い様で巧妙に姿を隠して、こちらに全容を伝えようとはしない。
そんな俺達の姿に何かを感じ取ったのか、ニシカが笑みを深めた。その時の眼。こちらを射貫く金色の輝きが放たれたあの時に、俺はこいつへの得体の知れなさが形を成し、答えに結びついてくれたと感じた。
こう思ったんだ。
右の蹴爪で絡め取ったナイフをニシカが一度に振り払う。投げ捨てられたそれは、速度を持って俺の方に降り注ぐ。何とか日本刀で弾き庇う様を見て、ニシカはにやりと嬉しそうな笑みを浮かべた。
「なあんだ、初っ端からか」
慣れないのにさかしげな事なんてするもんじゃねえな、こうしてボロが出ちまうと悔悟を口にしてはいるものの、その実そんな事など全く気にしちゃいない様子で、ニシカはだだっ広くなった事務所と俺の姿を見つめている。
顔は笑みのまま。大層ご満悦な様子だ。
一度目にニシカが事務所を去った後、俺達は慌てて『守り』を置いてある部屋に向かった。ニシカはあいつの姪よりも早く事務所を去り、あいつの姪に共に帰るなと建前を用意する必要がなかったのだけは助かった。
いや実際、助かったのはそこだけだった。
根拠の無い妄想であってくれと思った。あるかもしれない未知の不安に怖がり過ぎた俺が生み出した、ただの妄想染みた考えであってくれと。
それなら、ただ単純に、俺の神経が昂りすぎているからというだけで済む。
それなら、こちらの拠点の隠蔽をも突破し、適当な理由を付けて近づいた人間の娘を、平然と盾としてかざす輩など存在しない。
それなら、全てが俺の妄想って事で済むから。
だから、どうか。
ノブに手を掛け、掴んで回す。
引いた扉が、妙に重量を持ってこちらを圧し返している様にすら思えた。
開けた扉の向こうは惨憺たる有様だった。
『守り』が、この場所を守り襲撃者から隠蔽する為に置かれた御守、呪物、アミュレット、呪符───呼び名や種類はともかくこの場所を守っていた品々が、全て潰され砕け散っていた。
物理的な力ではない。ある物は中に封ぜられ育っていた花が、花びらや葉の一枚一枚まで内部の土もろとも黒ずんで朽ちていた。ある物は天秤の均衡が取れず、重りすら無いのに片側に不自然に沈ませ、その皿を卓上に落としてしまっていた。他の残骸も壊れ方から見るに、侵入した何者かが外側からどうこうしたというよりは、自壊した、あるいは内部より破裂した、といった具合だ。ここに在ったのはこちらの拠点を守るに十分過ぎる利益や効力が強い物ばかりだった。だから、並大抵の事では壊れない。
それがこの様に一度に全て壊れてしまっている。あのニシカが現れた、すぐ後に。
どう考えても、これは尋常では無い。
俺達はすぐに他の奴らに状況を説明した。
ニシカの『やや無礼な、それでも人懐っこい普通の女子高生っぽさ』に接していた連中は半信半疑だったが、それでも壊滅した守りの部屋を見たら一様に理解してくれた。それほど、この状況は異常事態なのだ。
秘密裏に動く。関係ない者へは悟らせず且つ護衛を付ける。事を起こさせない。他の機関に連絡を取り、他方への報告や同様の事案は無いか、いざという時の尽力を仰ぐ。その場しのぎの出来る代替の守りを都度用意し、同時に新たな拠点を確保し、そちらに移る準備をする。その為に、戦力の高い職員以外は殆ど外に出していた。
害意は無いのではないかという考えは最初から無かった。あの様に強力な守りを砕ける存在だ。故意なら勿論の事、仮に意思に関係無く不随意に起こるのであっても、その力を全く知らないなんて事はあるだろうか。
───自らが何をしているかを全く知らないまま隠蔽効果を通過し、防御を砕き、人間の娘を盾とした上でよく分からない理由で居座る。そんな事が有り得るのだろうか。
自分の力をよく知った上で、こちらの負担にならない程度の『おねがいごと』や、自分達に理があるのだと信じ、是非ともに訴えたい主義主張、そんな物を携えてやってきたというのでもない。
礼節の是非は置いておいても、そういった物は予断を許さぬ状態であり、仮に『一旦は黙っていろ』などと命ぜられたにしても気が急いてしまう。
こんな悠長に構え、人を用い、妙な芝居を打っていられるものでもないだろう。
それに、こいつに限ってはそんな道理など何も無いと、そう言い切れる。
───最初はさあ、そのまま喰っちゃえばいいとも思ってたんだよなあ。
人差し指を立てながらニシカが呟く。立てた人差し指でこちらの放った弾丸をスイと撫でて軌道をずらす。
「ほんの少し前にお前らを見たよ。他の奴らと一緒に、仕事の真っ最中だった」
「色々励む武芸者。『強い』人間。一日一日一生懸命気を張り、筋を鍛え上げていく、良さそうな奴ら」
「だからこそ。最高に滋養に満ちて旨い。一日一日丹念に鍛えた肉もそこに至るまでの心持ちやら精神やらも、喰えばこっちを滾らせて筋を膨れ盛り上げてくれる、そんなの分かってんじゃん?」
───程よく強い、旨そうな奴ら。その中でもお前は最高の出来だったよ。
そう笑うニシカは、最早『娘』の姿は取っていない。
わざとらしく大降りに振り上げる腕も、空ぶる為にこちらの少し上を蹴る脚も───先程ナイフを防いだのとは反対側、左側も変化して輝く毛並みをした猛獣の脚へと変わっている───ずっと筋密度が高く隆起し、重く太い、逞しい物に。
体躯は二回りほど大きく、俺の肩をも超えんばかりに。
髪は伸び嵩を増し、腰ほどの長さに振り乱れ、荒々しい形を保っている。
額からは一対の角が生え、鹿の角の様に、もしくは珠枝の如きそれの先端は細やかに分かれ、緑の燐光を淡く放っている。
変形していない上肢の爪すら鋭くこちらを抉る準備を済ませ、眉すら攻撃的に釣り上がり、こちらを嘲り突き刺す準備は出来ている。
唇は色を深め、睫毛は伸び、鼻梁は更に高く。
間違いなく、目の前に居るのはふてぶてしい『女』だった。
「昔ならそのまま飛び掛かって喰ってたよ。でも、ちょっと違う事をやりたくなってさあ」
───題して『食べ歩きツアー』、なんてね。
蹴散らすのが一番楽しいけど、たまにはこういうのもいいじゃねえかと、ニシカは更に笑い続ける。
「今ここでは出ていかない。何も見ないし聞かない。そろそろと適当に歩いて、行きついた所から適当に話を聞く。そんでまた歩く」
「歩いている内に旨そうな物が別にあれば、それも喰う。寄り道、順路や手順なんてない楽しい旅路だ。繋がりなんて何処にでもあるんだから。だから、それらしい物を辿っていったらいつかは着くだろ?」
───まあ、特に目に付いて『旨そう』ってのは無かったし、喰うんならいつでも何だろうと喰うから、本当に気分次第の遊びだあな。
その『遊び』がよっぽど楽しかったのだろう。ここまでずっとニシカは上機嫌だった。『目的地』に辿り着けた事が、そこで何をどう食べるかを想像するのが、それ程までに嬉しいのだ。
───虫唾が走る。
ぺらぺらと遊びの成果やらを絶え間なく語る口と同じく、繰り出され続ける止まぬ斬撃やら蹴りを何とか避け食い止めながら、そう苦々しい気持ちが溢れた。
やっぱりずっと、俺達が気付くよりも前から、こいつの気紛れで泳がされてたって事になるじゃねえか。
あいつの姪に付けた護衛も他への協力要請も、全て気付かれた上で泳がされているのだろうと、どうにも落ち着かない座りの悪い心持ちの中で、それでも俺達は捜査を進めていた。
あいつの姪から辿って、あの『ニシカ』が何処から来たのか。その糸口を少しでも掴みたかったのだ。
「え、ニシカちゃん?さあ……てっきり誰かの友達だか妹だかだと思ってたんですけど、違うんですか?」
「……あー、あのハーフっぽい子かあ。いや、あいつと一緒だから俺らも仲良くなっただけで、そういやどういう付き合いなのかとか知らねえな。あいつもそんな感じじゃないかな」
当然と言わんばかりに、結果は出なかった。
関わりのあった高校生や大学生は全員、ニシカが何処から来たのか、どういう関わりでそこに居る事になったのか、誰も知らなかった。誰かの知り合いかの様に当然といった顔で居て相応に仲良くなる、色々話してまた次へ、そんな事を繰り返していた。交友関係は幅広く薄くあまり深く関わりはしないが、高校に侵入して運動系の部活動に助っ人として急遽加わったりと、体育大やスポーツに強い学科の学生など、特定の人間らとは比較的長く交流を持ったりしていたようだ。
証言を集めた当時は何故だろうと思ったが、今は分かる。
「もっと色々呼べよ!犬っころ共だけじゃ足りねえんだよ」
「大勢来たらまとめて喰おうと思ったのに、何で呼ばねえのよ」
「だ・か・ら!こうしてあたしがわざわざ水を向けてやってるんだろうが」
楽しそうにけらけらと笑い唸る声が、心底煩わしい。
『頑張りながら一生懸命に動く人間の肉が好きだ』。
『歩いている内に旨そうな物を見つけたら、それも喰うつもりだった』。
こいつにとっては、『武芸者』である俺達も体育大の学生達もそう変わらない。遊びの中で見つけた肉でしかない。
弾丸の軌道を逸らした人差し指を、今度は俺の日本刀の刃に突き刺してきた。いや、『摘まんだ』というにはあまりに鋭いその動きをそうだとは認識出来なかったといった方が正しいだろう。摘ままれた日本刀は、そのまま軽く捻られた。
捻られた刃は圧力に負け、いとも簡単に曲がってしまった。そこを刃を摘まんでいた指を貫通させ、『融かす』。牛脂やバターの様に鋼鉄の刃が曲がるのを、融かされる様に形を崩されてしまうのを見たのも初めてだった。
それだけの事を成しながらも。
こいつはまったく全力を出していない。
三割、いや二割程か。いいとこそれぐらいだ、出しているのは。
こいつがその気なら、この事務所に居る俺達全員の首なぞとうに刎ね飛ばされていた。勿論、俺達の中で一番硬いカズトも含めてだ。
それぐらい容易なのだ。
それをやらずにいるのは、遊びのつもりだから。
楽しみの為に遊んでやって撫でてやってる、それぐらいの心持ちだから。
そんな事は、よく知っていた。
メノウが事務所からあまり動きたくない、叶うならニシカに接触して何かしらを探りたいと言い出した時は内心冷や冷やしていた。
悪意を嗅ぎ取れなかったと悔やむ気持ちは分かる。しかしその悔いは、あまりに危険すぎる。
けれどもそれを止めなかったのは、ほんの少しでも何かを得たいという気持ちからだった。
何でもいい、誰でもいい、何かを掴んでくれたら。
だからメノウがニシカとの接触後にこんな事を聞けました!重要情報です!!と言わんばかりの顔をしていても、呆れる気持ちはまるで無かった。
こいつは成した。頭に血を上らせる事無く、やり切ってくれた。
下手したら、あいつに頭から食い千切られていたかもしれないのに。
得意げな顔になって当然だ。
少なくとも、今の俺よりはずっと立派だ。
事を成してご満悦なのはいいけれど気を付けてくれよとの言葉の後に、はい!申し訳ありません!と背筋を伸ばしたしゃっきりとした返事が響く。
その、響いた元気のいい返事と満足感の中に(こんなものしかさぐれなかった)というちょっとした陰りの様な物を感じ取ってしまった。
いいやそれはきっと、メノウ本人じゃなく、きっと俺が心の何処かでそう思ったんだ。
メノウはよくやった。掴んでくれた。
『下らない』だなんて誰にも言わせない。
重要な情報なんだ。
少なくとも、俺にとっては。
伸びをしたポーズばかりが目立って溶けてしまった様な顔。あまりにしょぼついて訳が分からなくなった顔。
そんな物は、俺は知らない。
けれども、他の表情ならよく覚えている。
大きく見開かれた眼は、鋭くこちらを射貫いている。
立ち並ぶのは鋭い牙。肉を抉らんと鋭利な形を取りながら、こちらの動向を嘲笑う。
黒っぽい茶毛が目立つ縞柄の身体。過去に喰らった大勢の血で磨かれ、こびり付かせ、毛皮に波打つ艶を与えている。
如何にも獰猛な、獣の面構え。
見開かれた眼。こちらを嘲笑う眼。金色と土色の中間の色合い。永遠に金色には辿り着けやしない、成り損なった黄土色の眼。
忘れられないんだ。
───あの時から、ずっと。
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