『
今考えるとこれはおかしな話だった。だってその時のわたしは、
こちらに呼び掛ける六連の声にも反応出来ないぐらいに気を持って行っていたのに、どうやって姿を見ることなんて出来たのか。
だからこの『姿』の記憶は、本当ならおかしいのだ。
それでも、わたしは覚えている。
遥か遠い天を、先の見えぬ『闇』にも、まっすぐと立ち向かい、進みゆくその姿。
その姿を、わたしは確かに見た。
「なあ、どうして俺を連れ回すんだ」
そう聞かれて、すぐには答えられなかった。
だって理由なんて、わたし自身にも分からないんだから。
「『疑似的な親子ごっこ』、こういう事がしたくて俺をこうして連れ出したんじゃなかったのか」
───そういう向きの遊びは思い付かなかったけど、そうなるのかしらねこれは。
「荷物持ちをさせるなら元の姿のままの方がいいだろうに」
───それもそうよねえ。だってあなた、本当は体格が良くて体力もある人だもの。
「それともやっぱり、外で何かいかがわしい事でも仕掛けようとしてたのか」
───そうね、それも思いつかなかった。
最後の返しには、やめろ、と大声を出されてしまった。そうなったら俺は逃げる、との反応に、やだあにげられちゃう、とくすくす笑ってみせた。
本当は逃げたりせずに説得してくるんでしょう?あなたは。
それにしても、何でわたしは褥の外にまで小さいあなたを連れていっているのかしらね。
それがどうしてもわからない。
いっそのこと、あなた自身に聞いてみようかと考え始めた時だった。
───なあ、お前は、子供に手を出したりしないよな?
突然の質問だった。
日が落ちかけて西日が部屋に入り、黄昏が幼い姿の彼を、私が出会ったことの無い時代の彼をかりそめにかたどった姿が、見つめている。
顔は真剣だった。仮にここで嘘を言ってもこのまま説得に入り場合により捕縛、何にしても止めてくれるだろうと、幼い姿には不似合いな、そんな安心感すらあった。
けれども、根本的な話として。
「───どうして?」
───どうしてわたしが、子供の核を傷付けるような真似をすると思ったのかしら。
子供とは、まだ孕んでもいない、孕む為に準備をしようか閨の心地をどうしようかと言い合っている現場と同じ。何もかも始まる前のまっさらな状態よ。
十と後半ぐらいでようやく産まれ、そこからまた十年程でようやく育ち始めるようなもの。
何もかもが始まる前のまっさらな状態を踏み荒らせば、そこには何も残らない。
そしてわたしは、そのまっさらな中から生まれる可能性のかけらをもらって生きているのだから。
自らの糧を自ら踏みにじるような、損なうような真似をするわけがないでしょうに。
───けれどもこれは上手く説明出来るか分からない。こちらの感覚的なものであって、実際に成人近くなっても小さく見えるとか、時の流れが人間とは違うように思えるとかではきっとないもの。
それでも、彼になら説明する意味はあるはずよ。
元々の服を着直し、元に戻る準備を終えた彼の元に行き寄り添った。目の前には大きな姿見。黄昏色の差し込む鏡面の部屋に光が反射する。
後ろから抱いた彼の顎を寄せる。
「何もかも違うじゃない。わたし、大人の男にしか興味無いわよ」
ねえ、ほら。あなたはこんなに格好いいじゃない。
鏡の反射なのか、元々の黄昏なのか、それともその両方か。
元の姿に戻った彼の眼の中に黄金が混ざり、一瞬ちかりとこちらを刺したように思えた。
その後自分にはこう見えるから、という話を可能な限り分かりやすくして話してみた。
どうちがうんだ、わからん、などという反応も見せないでもなかったけれども、それでもちゃんと分からないなりに受け止め、納得して聞いてくれた。これは人ならざるものの生態や能力を調査する職業柄───というだけではなく、彼の人柄なのだろう。
言葉を鵜呑みにはしないけれども捨て置きもせず、ちゃんと受け止めるのだ。『篝 六連』という人間は。
「なあ、榮美里よう」
「あれ、気持ちいいけど頻度落としてくれよ」
「主導権握られ過ぎると意識が飛んで、戻った時、身体が上手く動かせるか不安になるんだよ」
───そして場合によっては、こちらの多少のわがままも受け入れる。
こちらがどう動いてもきっと、あなたは悪いようには受け取らないのでしょうね。
どちらを取っても、きっとあなたは喜ぶし受け入れもする。
彼がもう一度わたしを呼ぶ。その声が耳をくすぐる。
向こうの乞いにははっきりとは返事をしないまま、お夕飯を作りましょうね、とわたしは話を打ち切った。
六連は熱が入りやすい子だ。それは知っている。それは「付き合う気は無い」と明言していても変わらず、「諦める気はない」と内の熱を秘かにくすぶらせ続けている。そしてそれをこちらに隠す気もない。
だから、いくら愉しみの前だからといっても「どこかでお茶でも」なんて話に乗るべきじゃなかったのよ。
───絶対にお茶だけが目的じゃない、他に何かあるはずなんだから。
案の定、彼は『南欧展』に行かないかと───要はデートに誘ってきたのだ。
寝る前にお酒をどこかで呑むのはいい。終わった後で呑むのも、モーニングやランチに行くのもいい。近所をぶらぶら一緒に散歩するのは───何回もしているけれどもこれはちょっと自分でも理由が分からないから省きましょう───まあ、置いておいて、大概のことはいい。
けれども、寝るだけの相手とデートには行かない。何だか話がややこしくなりそうだもの。
特に六連の場合は───この子の場合は、一度引き受けてしまうと喜んで、熱と勢いを増してこれからもこちらに迫って来そうな気がする。いや、絶対にそうするわ。この子は。
わたしが好きな物を、ちゃんと覚えてこうやって持って来る子だもの。きっとまた諦めもせず同じようなことをするでしょうね。
六連はずっと嬉しそうだ。嬉しそうに、それでもこちらの様子を十分に注意深く観察している。
───別に抱く抱かれるだけが趣味で、休日はもっぱら誰とも何もせずに裸で寝そべっている、なんて事は無いだろう?
何の策のつもりなのか、投げかけてきた皮肉らしき言葉にも全く棘が無い。こちらの表情の一切を優しい眼をして見つめてきて、わたしの返事を待っている。
例えるなら日曜の午後二時ごろの水族館、昼頃のショーも終わって疲れてぐっすり寝入ったアシカやアザラシの姿を見つめる子供の眼、それに似ている。
いかがわしい物を想像されるのなら構わない。だって、実際にそういうことをやっているのだしね。
けれども、こういうのは困るわ。
───ほほえましい物を見る眼で見てくるのはやめなさい。あなたの欲しい答えを、わたしはあげられないんだから。
だから、ちゃんと断ろうと思った、その時だった。
ふとわたしは、自分が接した子供がその後に何を経験したのか知らないことに気付いた。
わたしは赤子の産声や子供のさんざめきを糧とするから、時々子供の近くに寄り、その過程で仲良くなる時もあった。
その時によくこう言っていたのだ。
「色んなものをたくさん見て、色んなことをたくさん経験して、立派な大人になりなさいね」と。
もし数十年経ってお互いにその気ならば、もっと違ったやり取りもしましょうね───
そんな、わたしだけにしか分からないような下らない冗談も絡めた物言いだった。
しかしその後、わたしは自分と触れあった子供らに二度と出会うことはなかった。
いえ、見かけてはいたけれども、気付けなかっただけなのかもしれない。
ヒツキなら───人間と子供の守護者、旅人の守り手である塞ノ神なら、覚えていただろう。どんなに姿が変わろうと分かるだろう。よっぽどのことが無い限り、ヒツキが出会った誰かを忘れるなんて、起こり得ないでしょうから。
けれどもわたしは、子供の守り手でも何でも無い。
むしろ、生きた子供には害のあると見做される存在の側だ。属するものの性質が全く違う。
だから元は子供だった誰かの姿形が変わり過ぎていて、すれ違っても気付かずに終わった、なんてことも十分あり得るのだ。
あの子らがどうなったのか、わたしは知らない。何を見て、どう心を動かしたのか、それによってどう変わったのか、わたしは見ていない。
六連の穏やかな眼の中で、十二の灯が柔らかく揺れている。今この時を見つめ、流れを感じている。
輝く瞳は、とてもまぶしくて。
鋭さと柔らかさを併せ持った光を抱くなんて、難しいことをやってのけていて。
だから、その眼が何を映すのか、とても気になってしまった。
だから、ああやって返事をしたのよ。
「ちょっと気になったのよ。あなたの眼が何を映すのか」
───あなたの眼が何を映すのか。それを見てどんな感情を宿すのか。どう眼を輝かせるのか、それを見たい。
───言ってしまってから、何だか誤解をさせる言い回しになってしまったわと思った。
それは実際その通りで。ほら、六連の眼の光が一層輝いて見える。嬉しそうに燃え盛った、という感じになってしまっている。
それって、とぐっと身を乗り出しそうになった彼を、違う、そういうことじゃないわと制した。
びっくりした、いきなり熱烈な告白をされたかと思ったぞ、と尚も続ける彼にそうじゃない、とまた返して、コーヒーを一口飲んだ。どんな話にせよコーヒーが飲みたいから、と今回着いてきたのよ、わたしは。
それにしても妙な言い方をしてしまった。
このままだとずっと誤解されてしまうじゃない。
こうなればちゃんと釘を刺しておこう。
あなたが思っているようなことじゃない、違うのよ、と。
だから、約束を果たした後───『南欧展』を巡って帰る時に、わたしは何であんな言い回しになったのかをちゃんと説明することにした。
あなたが思っているようなことじゃない、違うのよ、ただそれだけの話なのよ、と。
六連は妙に神妙な顔をしていた。
眼の光達は妙に湿っぽく繋がりを持ち、ひとつなぎの輪のようになってしまっている。
なんだかミルククラウンみたいな形ねえ。
そんなことを考えていたら、六連が口を開いた。
絞り出すような、何だかとても掠れた声だった。
───俺の眼で良ければ、幾らでも。
その言葉を掴み取れずに瞳のミルククラウンを覗き込んだままでいると、なあ、もう一度ここに来よう、と彼が聞いて来た。そうね、わたしもそう思ってたの。
だって半分ぐらい、あなたを見つめっぱなしだったから。見逃しちゃったものも多いのよね。
古典音楽の前でこれは楽しいと、笑うあなたを見た。
現代アートの前でよくわからんと、難しい顔をするあなたを見た。
最近の情勢は難しいんだなあと、人や歴史の動きを眼にするあなたを見た。
翻訳された子供の頃の思い出の本を見て、無邪気にはしゃぐあなたを見た。
子供ねえ、と言われて、俺はずっと変わりませえん、と拗ねてみせるあなたを見た。
───だから、催し物の半分は見られていないのだ。
今度のチケットはわたしが取るわ、と言うと、六連は瞳のミルククラウンを更に波打たせ、輪の形を歪めてみせた。
───どうしたのかしら。
この後ディナーでしょう、と早く次の場所に進もうとするわたしとは反対に、六連は立ち止まり、会場の建物を見つめていた。少し歩き過ぎてからそれに気付き、どうしたの、はやくきてーと呼ぶと、こちらに向き直り、しばらくの間を置いて、はあい、とやって来た。
しばしこちらを見つめたその眼は青い燐光を宿して鋭く輝き、こちらに歩み寄る時、彼の顔は妙に真剣で、その場に不似合いな美しさすら感じた。
それは、わたしが覚えている『初めて見た時の姿』と寸分たがわぬものだった。
そこからも彼はずっと変わらず。
相変わらず熱を持って迫り、全力でふざけ、時たまよく分からないことをしてくる。
ある時は今度の休暇、いい所に行こうぜと言ってきた。
いい所ってどこよと言うと、それは秘密だと言ってきたけれども、日傘やら日除け用の帽子やらがあったほうがいいなあやら、車の中の時間も結構長いからな、なんて、小出しにして伝えて来る。
───車まで借りての行楽なのね。
そしてそれは、到着までにそこそこ時間が掛かると見た。
もちろんそれも的中して。わたし達は車でちょっと離れた所まで行くことになった。
ねえ、何で女連れで牧場なのよ、と到着してからあらためて六連に聞いた。
車で数時間───わたしは運転なんてしていないけれども───の牧場は別に飼育の為だけの場所という訳でもなく、ちゃんと行楽の為の敷地と施設ではあるけれども。それでも、見回す限りは、わたし達のような関係の男女が居そうには思えなかった。
遠出というから、何だかお洒落なところでも行くのかと最初は思ったのよ、というわたしに彼はこう言った。
「何でって、俺が来たかったのとそっちにも良さそうだったから、だな」
ずっと行きたかったんだよな。カズトと来てもよかったんだけど、ほら、何か遠足の引率の先生と生徒みたいになりそうだから。
「あ、カズトが引率の先生で俺が生徒な」
なんて笑う彼に、それは分かってるわ、と返す。そうそう、と彼が更に笑いを深める。
意図しているのかいないのか、彼はヒツキの前だと今以上に子供のようになる。それは彼とヒツキとの仲が子供の頃から続いているからなのか、それとも気が合い過ぎてそうなるのか、どちらなのかは分からないし、色々と混ざっているのかもしれない。
「ほら、ここはけっこういい所だぞ。眺めもいいし、子供らも居るだろ」
それはそうだった。良く晴れた空の元に映える高原の緑は美しく、観光の為に集まった親子連れも多い。子供らのきらきらと笑う声はこちらにも届く。いい滋養だ。
な、いいだろう、と彼は微笑む。『わたしにおいしい物を食べさせに』ここに連れてきたの、と聞くとそうだと頷く。
「『お洒落な所』に連れて行くなら全力で演出するし、こういう『心にも身体にも良さそうな所』に行くなら、良い日和やら時期を選ぶし」
何にしても損はさせないよ、と「どちらにしても損はないということね」とこちらの返事を先回りしたかのように彼が言う。今回の旅行は色々と浮足立った感があるけれども、わたしがどこそこに行きたいと言った上での話でも、きっと同じようにするのだろうという確信の持てる言い方だった。
それにしても、日が高いわね。
ちょっと休みましょうよ、と敷地内のカフェに入った。テラス席だけれども、ここなら日陰があるし、暑さにかまけず緑の美しさを見ることが出来る。
そしてここの名物である炭酸水でも頼もうかしら。
本当に暑いな、と笑う彼が炭酸水ふたつで、と注文する。
彼の眼の光と、炭酸の泡立つ音が合わさり共に弾けている。静かにはしゃぐような囁きと青い燐光が、楽しい思いを伝えて来る。
六連は楽しいを湛えた瞳のまま、ずっと正面のわたしを見つめていた。
前に六連は、どうして小さくした状態で買い物に連れ回すんだと聞いて来た。
ずっと自分でも分からなかったけれども、今なら少し説明出来る気がする。
もったいないと思ったのだ。このまま褥に籠もり切りで何もしないなんて。
一緒に何かすれば楽しいんじゃないかと、そう思ったのだ。
この『楽しい』は説明が難しい。
共寝するということではないし───それは既にしているわ───、親しい相手との交友の際の『楽しい』でもない。元々の子供らと接する時の思いとも違う。
だけど、それは『楽しい』という気持ちだった。
繋いだまま帰らないか、と手を差し出された時に、その『楽しい』が弾け、更に高みに登った気すらした。予想だにしていなかった行動、その、何だかよく分からない気持ちを押し抱いたまま歩く、ふたりでの帰り道。
黄昏の中での陽の光、遠くには早くに点けられた家々の灯。
その全てが夕焼けに照らされた六連の瞳に宿り、まるで幾百もの、幾千もの灯が点されたように見えた。
幾千ものともし火が彼の中で輝いている!
幾千もの輝きと手の温みだけがここに在り、夕暮れの中で歩くこの感覚は、本当に自分が味わっているものなのだろうか、とすら思った。
黄昏が齎した黄金は彼の中で燃え盛り、このままずっと、永遠に輝き続けるのではないだろうかと、そう思った。
やっぱりこれは、何だかよく分からない。
ずっと『何だかよく分からない』のままでゆくのだろう。何処まで行っても説明が難しいままで、自分でも上手く掴めないままなのだろうと、そう思う。
けれどこれは『楽しい』、『嬉しい』ということなのだろうと、それだけは分かる。
それだけ分かるなら上出来よ、それでいいじゃないの。
───いくら考えてもよく分からないので、わたしはそう思うことにした。
榮美里の思考に「それって……?」となるかもしれませんが、本人は気付いておりません。六連は気付いたし自分が気付いてなかった事にも気付けたけれども、榮美里は何も気付けない。(なにもちがわない)
六連に関しては『あなたの眼が何を映すのか~』との乞いを受け入れた時点で覚悟を決め、進み続けるつもりです。「なにもちがわない」なんてあからさまに榮美里の思考を否定する事も無く傍に居るつもりです。
むしろ「ああやって自分に対して口にした全てがサービスであって欲しい」とすら思っているかもしれません。(そうだったならただ自分が勘違い&深読みし過ぎて乗せられただけで、榮美里は寂しい女なんかじゃない。それがあいつにとっての最良の生き方なら否定したくない。けれど、)
ちなみに「ベッドの中のアザラシ」の例えは、六連は直接口にしていないです。色んな意味で感性が似ているのです、この二人は。
(以下与太話)
『何気なく口にした願望を得体の知れない存在に聞かれてしまい、意図しない形で願いが叶う話』というのはよくあります。
それが『約束』という形を取ったなら、絶対に叶えてくれるでしょう。
この小説にどのような描写を求めていますか。
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アクション・動きのある描写
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独白に近い心理描写
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登場人物同士の交流描写
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ぼかしている部分の明示
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R18描写(性的な描写)
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R18G描写(グロテスクな描写)