前回の続きです。
ニシカ、動く。
「すいませーん!止まってくださーい!」
山の麓でぶんぶんと手を振る娘。その目の前で軽トラックが止まった。
車窓が開いて、しばしの間言葉が交わされる。ありがとうございますぅ、バスの停まる場所勘違いしちゃって困ってたんですよ、と言いながら乗り込む娘に、災難だったなあと、運転手である中年男は声を掛けた。
ちょっと街を離れたら田舎だもんなあ、田舎のバスは大まかにしか停まらんよ、といいながら、男は後部座席に乗り込んだ娘の姿を再度見つめる。
大学生ぐらいだろうか、山に登るらしい荷物はちゃんと持ってきている。しかしながら軽装といってもいい姿に近く、ハイキングコースしかないなだらかな山といえども、今の季節にこれとは幾分か不適当に思えた。
───好きこのんで山やらに一人で行こうとする子とも思えんけどなあ。
「お嬢ちゃん、ひとりかい?」
「待ち合わせしてたんですけど、すっぽかされました」
やる事は分かってるんですけど、とりあえずひとりで行けって最悪でしょう、前から約束してたのに、と、娘は言葉を続ける。いったい何しにこんな所へ、との質問には答えないままだ。
昼下がりの陽を受けて、娘の髪の亜麻色は輝き、金の輪が掛かる。
「『前からの約束』って事は、友達との卒業旅行とかかい?それにしても先に行っててくれなんて、約束を守らないのはよくないなあ」
そこまで言ってしまってから、でも、事情があるのかもしれないからなあ、ちゃんと話し合ってみるがいいよ、と言葉を付け加えた。よく知らない娘の事情に介入し過ぎるつもりは、男には無かった。
そんなところです、本当に腹が立ちますよ、ずっと前から決めてたのにこんなんとか、と娘は───
本当はさして腹など立てていない。ただ、そう言った方がこの男の気を引けると思ったのだ。
『約束』自体も邇獅噛にとってはさして前からという訳ではない。ほんの少し前、三十年程前に決めた話なのだ。
───しばらくひとりで気儘に過ごそうと思うのじゃ。
───今から三十年程、西の暦で言うと『二千年』じゃ。その時は再び相まみえよう。血肉を浴び、考えうる限りを引き潰し、思う存分戯れようぞ。
勝手に決められた、決まった話だ。勝手に何処かで死んだのもまた、勝手な話。
だからこうして、約束の相手が居なくなろうと決行するのを勝手だとは、言わせない。
加わりたい奴が居るなら来い。ただしあたしが気に入らなければ引き潰す。
遠方に居て足が無い、楽しそうだけど気付けなかったなんて言うならば捨て置く。呼び付けたりはしない。間が悪かったと諦めておけ。
あたしは、今この時に、楽しい事をしているだけだ。
山に行くのはちょっとした休憩の為だ。本当は街中の何処かしらでも構いはしないのだが、故郷に似た形というのが少し気に入った。だからこその、この場所だ。
少し休んで、間を置いてまた街に。今度はほんの少し本気を見せても、いやまばらに元の姿を見せつけてやった上で蹂躙してやっても構わないかもしれない。
今まではざっくりと引き潰すのを好んでいたけれども、成程、細々とした事でも結構楽しいもんだ。
だからこうして簡単に行ける所でも、あえてこんな無駄なやり取りをして運ばせるのも面白いかもしれない。
───さあて、この後はどうしてやろうかな。
脳の奥で繰り広げられるで残忍な妄想を、この後の運命を知らせる事も無く、和やかな会話が繰り広げられる車内。
四輪は停まる事無く、山中へと進んでいた。
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