六連視点の話。
混在する過去と守りたいものと、全ての顛末。
奴の動きはやたら緩慢に感じた。その癖、その動きからは一生懸命さが伝わって来た。
挙動の一切から遊びが消えた。もうそんな余裕は残っちゃいない。
効いているのだ。
眼にぶち込んでやった鏃もナイフも明確に奴を削り、弱っていっているのが分かる。潰した右の眼窩からは血が垂れ、もう片方の眼も焦点が合わず、眼だけでなく全身の輝きも褪せ始めている。俺ですら分かる瘴気に満ちた『神打ちの鉄』を、深く体内に押し入れられるというのが、どれほどの苦痛なのかは計り知れない。
計る気も無い、そんなのはどうでもいい。
俺が知りたいのは、あとどれだけ喰らわせたら貴様が斃れるかという事だけだ。
ニシカが駆けて鼻面を俺の胴に押し付け、地面に引き倒そうとした。鋭い牙が立ち並ぶ口吻はしかし、均衡が取れず俺の身体から徐々にずれて剥がれていく。
そうはいかない。
俺は奴の首に組み付いた。組み付き、奴の首を押さえた。針の如き金毛が手の平や指に刺さる。毛先が当たる細やかな感覚はする、だが、痛くはない。
───そんなにくっつきたいんならそうしてやるよ。
首筋の、元々は矢が突き刺さっていた部分。瘴気が故に毛量が減り、間近で見ると鱗の根本が黒く溶け、縮んでいる部位。
今にも脆く崩れそうなその一枚を───指で摘まんで引き千切った。
脆く崩れそうになりながらも硬度を保っていた鱗が、爪の間に突き刺さり裂傷を負わせる。劣化こそしているものの切れ味の良い剃刀の先端を爪の隙間に入れてしまったようなものだ。血が滲む。流石にこれは痛い。があっと口から声が漏れる。流石にこれは痛いという納得と、痛みをまだ感じたのかという素直な驚きが混ざったまま、
消音装置越しに破音と火花が散る。何発も傷口に撃ち込んでやった。金属の骨組みが軋み、崩れる様な大きな声が響いた。
指は血だらけで震えていたが、これは奴に押し倒された辺りからこうだ。これで何も出来なくなるという訳じゃない。まだやれる。やり足りない。
ニシカはもうだいぶん弱っているらしく、首元に居る俺を振り落とせないでいた。やっと俺を鼻面で掬おうとした時にはついさっきよりも力が大分削げていて、満身創痍の俺でも奴の角を掴む事は容易だった。掴んだ角を圧し折るつもりで強く握り、再度右の眼窩にナイフを突き刺し、鏃をもっともっと奥深くに沈めた。
珠枝の如き角から舞う燐光も今や、すっかり色が褪せ朧げになっている。
金属の軋みこすれる様な悲鳴は聞こえ続けている。圧は感じる。しかしそれは弱々しく、俺の気すら削げぬ程にしかならなかった。
やかましい軋めく音はそれでも、嘲る事を止めやしない。
───さっさと喰われろやバカガキ。
俺の肩に喰いつく牙は、もはや一撃で上肢を食い千切れもしない。
うるせえ、ゴミカス。
───よくも、カズトを砕いたな。
俺の吼える声も何処まで響いたかなんて分からない。痺れた感覚とふらつく身体で、俺と奴はお互いに怯む事無く相手を威嚇し合った。
肩に喰い込む牙が痛く、何度も鼻先を刃で刺し柄で殴り、どうにか外した。ニシカの歯列から抜けて背後に回り、背に乗った。馬乗りにされるのを簡単に許す程、こいつは弱っていた。
剣山にも似た硬質な鱗と被毛。先程までは刃を跳ね返す硬度だったのに、今では刃物が容易に入ってしまう。鱗の隙間に刃先が落ち込んでいるだけなのか、それともちゃんとその下の肉にまで突き刺さってくれているのか、それは分からない。
頭で理解するよりも先にずっと滅多刺しにし続けていれば、延々と刺し続けていれば、おのずと答えなんて出るだろう。
刃に当たり硬質な飛沫が散り上がり、俺の肌を刺した。
もう生命力など殆ど尽きているのに、ニシカの鱗は夏の熱を帯び、反射する光が微かに肌を焦がした。
───ねえ、もういいでしょう。
そんな声を聞いた気がした。
───もう十分やったわ。あとはあなたのお仲間に任せればいいじゃない。
俺の髪を掻き上げる優しい指。柔らかい声が染み入る様に響く。
血に塗れた首筋に口付けをし、動脈の奔流を宥め、昂りを抑えようとしてくれている。
いつかの首筋への口付けの痕が、熱く疼いた気がした。
ああ、そうだなあ。いつもお前は俺を鎮めようとしてくれる。
血の様に思念を、情念を、全身に巡らせてしまう俺に、もっと気楽に考えてと、それとなく制止を掛けてくれる。
───でも、まだ駄目だ。
まだ足りない。
もし俺がここで諦めてしまったら、他に任せようとしてしまったら、その時こいつはすぐさま息を吹き返すだろう。頼もうとした相手も関係無い奴も全てを引き裂き喰らい尽くし、今度こそ完全に姿を隠すだろう。そうしたら俺は自分がやり切れなかったのを後悔する。そうはなりたくない。
やれるまではやりたいんだ。ちゃんと確証が得られるまで、俺は止めない。
もしかしたらしばらく帰れないかもしれない。待たせる事になるかもしれない。
───それでも。
ごめんな、という微かな呟きに、後ろに居ただろう幻影は消え、首筋の疼きも治まった。今は感傷に浸っている場合じゃない。己の無事を案じている場合じゃない。
やるんだ。
ナイフで引き続き刺突を繰り返した後、刀の柄に持ち換えたその時だった。
───『イッショー』。
穏やかな声がした。
ニシカの上から辺りを見下ろした。俺達の周囲には、いつの間にか皆が集まっていた。カズトが入口から退いた事で結界が解け、その後『ウツツギ』の香も匂いが飛んだらしい。今の俺の鼻には血の臭いしかしない。だから効果が消えたのも気付かなかったのだ。
六連さん、篝さん、とメノウと犬養が走り寄って来た。他に待機させてた奴らもわらわらと寄って着ている。早乙女は居ない。よかった、あいつがここに来ると万が一の時に困るからな。
大丈夫ですか、と俺に叫ぶメノウと、通信機器で早乙女に報告している犬養と。
そして、その横には。
カズトが、ヒツキが立っていた。
砕かれた右手首を持ち、こちらに手を振るようにゆっくりと揺らす。全くの無傷という訳ではないけど無事だ。
よかった。本当に、よかった。
『イッショー』、と再度語り掛けながらカズトがこちらにゆっくりと近付いてきた。
ニシカはもうぴくりとも動かない。眼窩からぬうっと突き出した矢羽根が、黒い塵となって消えようとしている。ここからでは見えないが、眼球に押し込んでやった鏃も、黒く朽ちている事だろう。
『神打ちの鉄』は見事に役割を果たした。
気が抜けたと同時に笑みが顔に浮かんだ。同時に、意識が下に沈んでいく。刀の柄を持ったまま、体重をかけて下へ落ちるがままにする。
皆は無事だ。誰も欠けていない。何も殺されちゃいない。
ああ、よかった。
これで、俺の役目も果たせた事になる。
───俺は、誰の元にも奴を行かせなかった。
その事実に安堵しながら、俺は薄れる意識の中に潜り、黒い眠りへと落ち込んでいった。
───行かせない、絶対に行かせない。
安堵の中に意識は沈み、より下に、深層へと。
邇獅噛との対峙・顛末(結末)です。
今回の六連はいつも以上に手段を選ばず、己の身をも顧みない行動ばかりをしておりました。
これは『守るもの』として邇獅噛の横暴に憤り、周囲の被害を防ぐ為というのも勿論ありますが、過去への焦燥に突き動かされてというのが大きいです。
作中六連は子供の喧嘩のような罵りをしていますが、これはまさにその通りです。
六連にとっては邇獅噛との戦いは十六年前の焼き直し、あの時の続き、もしくは選手を若干変えての延長戦です。
ずっと前に中断した勝者の居ない試合の続きを、今度は勝つ為に再開したのです。
(十六年前の出来事には明確な勝ちや綺麗な結末が存在しない。強いて『勝者』を挙げるなら『大切な友人を喰わせる事無く逃がし切った』ヒツキでしょうか)
六連は『守るもの』として身体を張り、皆をこんな目に遭わせたくないと動き、冷静な判断も出来る奴ですが、それは普段の、言い換えれば、『ヒツキが逃がしてくれた後、心身落ち着いた状態で自分が出来る事・周囲の人達に対する思い・進みたい道を整理して歩みだした状態』です。
邇獅噛に(正確には虔彌関連に)対峙すると、六連はそれよりもっと前に戻ります。
もっと前、ヒツキの腕の中に抱えられ、虔彌から逃げている最中に。
手段が無い中、『抱えている自分を捨てて逃げてほしい』と友達に言える子供が、手段を得られる状態になったらどうするでしょうか。
きっと少しの躊躇いも無く、その手段を襲撃者に打ち付けるでしょう。
呪われた矢だろうが、妖しげな香だろうが、何でも使う。
どんな負荷が掛かろうと、相手を滅し大切な存在を助けられるならそれでいい。
見ているだけで何も出来ないなんて、そんなのは嫌だ。
誰の元にも、行かせない。
この子供の部分は六連の根本であり、『守るもの』となった後もずっと残っています。いつも傍に在り、これからも消える事はありません。(こんなに多く前面に出すのはこれが初めてですが)
この先も虔彌関連(睥睨獣関連ではない)ではこの面を多分に出すでしょう。
今回、六連は自らの『遠い夏の日』に直接関係し、その時に遭遇した存在の上位互換ともいえる相手を打ち倒しました。
しかしながら六連は『守るもの』で在り続けます。肉体が削られようと滅されようと、それをやめる事はありません。
『遠い夏の日』とは邇獅噛や虔彌単体ではなく、『一瞬でこちらを損なってくる超常的存在』・不条理の全てを指しており、邇獅噛を滅したとて状況は変わらず姿勢を変えられるものでもないのです。
この小説にどのような描写を求めていますか。
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