邇獅噛戦後、何も知らずのんのんと過ごす榮美里視点です。
(今話はバトルなし・モノローグ回です)
ページを捲る。
捲った先の一行一行を眼でなぞる。
視線でなぞった先の文章が内側に入り込む。身体の中になじんで、情景を深く考える。
手の平の背表紙の感触をあらためて手の平に感じ、ため息が漏れる。
あの子と逢うようになってから、何だか色々なことがより楽しめるようになった気がするわ。
もちろん、そんなことを伝える気などないのだけれど。
六連と出会ってから、時間の使い方が変わった。
まずは「暇だから」と適当に誰かを捕まえるをやめた。
手頃且つどうでもいい相手達だ。行きずりならもちろんのこと、何かしらを書き留めていたにしても、住所録やらを一新した後では何もかも消えてしまい、それでも惜しくも悲しくもなんともない。
それはきっと向こうも同じ、おたがいさまだから。
空いた時間で本を読んだりお勉強をしたり。
これは今までも好きだったし、決して誰かを寝床に引き込むことばかりしていた訳じゃないはずなのだけれども。それでも時がずいぶんと長く感じる。
いかに今までだらだらと過ごしていたのかしらと、少しびっくりしている。
別にわたし自身は何も変わっちゃいない。
裸で抱き合うのは相変わらず好きだし、あの子とも『清いお付き合い』などというものはしていない。
───ああでも、あの子なら「おままごとして遊びましょう」と誘っても喜んで応じるかもしれない。
そう考えると笑えてくる。
───まったく、なんにも面白くないわ。
あの子とのやり取りは裸で抱き合うだけじゃないから。
あの子はわたしと居る時も、別にそれだけを求めるわけでもないから。
あの子は、わたしのやることなら何でも、楽しそうに見つめるから。
だからわたしも無為を過ごすことなく、楽しいことだけして過ごせたのだ。
───まあこんなことを伝えると、絶対にあの子は調子に乗るだろうから。
だから、伝えない。
あの子は、六連は、妙に子供っぽい所がある。
箱入りとか坊っちゃん坊っちゃんしているのではなく、女慣れしていないという訳でもないのに───むしろ、こっちに関しては色んな意味で『手慣れている』といってもいいかもしれないわね───それでも、妙な所で無邪気に瞳を輝かせ、飾り気のない語彙で賞賛や賛美のようなものを寄こしてくる。
きっと半分は本気で、半分はこちらの気を惹き、油断させるために。
あの子だって大人の男だもの。愚かで無邪気なだけではないのだ。
───それはそれとして『愚か』ではあるとは思うけれどもね。
恐らく戦略的にやっているであろう部分も含めて、本人の裁量を超えて無自覚に稚気を振りまき過ぎる時もある。
可愛らしいといえば可愛らしいのだけれども、正直鬱陶しい。
初めて肌を合わせた時に口にした『わたしは遊びのプロだから』という言葉が心の琴線に触れたらしく───いいえ、『根に持った』と言うべきかしら───あの子はしつこく擦り続けている。
『いいんだろうか』『失敗した』なんてめそめそ落ち込んでたから言っただけのこと。次への期待を、気持ちよくなるのを途切れさせられるのが嫌だったから、早く再開しましょうと促す軽口というだけなのに。
褥での色々で擦るのは構わない。色々やられるのもやるのも好きだ。気持ちいいもの。
けれど、それ以外で引っ張るのは流石にしつこい。
例えば、何でもない時にこちらの髪に生花を一輪差す。
眼を一瞬別の所にやった隙に、卓上に精緻な細工の施された砂糖菓子を置く。
そうして「どうだ、プロのお眼鏡に適うかい」と笑うのだ。
この『遊び』は少しづつ頻度が増している。このままだと鬼ごっこやかくれんぼに誘ってくるんじゃないかとすら思う。
───だから子供っぽいのよ、あなたは。
くだらないわねえ、と一息付いた。
物語もキリがいい。休憩でもしましょうか。
カップに粉を振り入れ、ポットからお湯を注ぐ。
焦がされたコーヒーの香りが快く、わずかに疲れた感覚を包む。
こうして簡単に飲めるのはいい。
食べるものも飲むものも手間を掛けたりはしない。出来る限り、簡単に済ませる。
『手っとり早い』というのは便利だもの。余計な手間も思い入れもなく、ただ快いというのは。
───六連。二枚目を気取って成り切れない道化、そう見られたい、思わせたい、不器用な子。
温かいコーヒーの香りは卓上に行き渡り、疲れた神経に沁み入る。
コーヒーの香り。
朝の日差しに白いシーツ。身に纏う熱い体温の名残。
───どうだ、美味いだろう。
六連の家に行き、共に迎える朝。ベッドの上で、いつもあの子はコーヒーを渡してくれる。
初めて飲んだ時に思わず、おいしいと漏らしてしまったのが良くなかったのかもしれない。それからいつもカップを手渡される時、あの子からは妙に大きく胸を張ったような、得意げな感じが抜けない。
「豆も粉も両方揃えてあるんだ、どっちも出せるぞ。インスタントは忙しい時には重宝するけど、やっぱりひと手間かける方が俺は好きかな」
手間を掛けるとそれだけ美味くなる気がするし、本当に飲みたくて堪らない時には『手間』だなんて思わねえのよ、とこれまた得意げな様子で続ける六連に、ねえ、と声を掛けた。
「あなた、美味しいコーヒーで女を釣ろうとしてない?」
まさか、単純に美味い豆が知れたからこれは美味いぞ!って出してるんだよ、とあの子は笑いながら返した。
そんな物で誰も釣られるわけないだろう、と続けた後にしばし思考を巡らし。
「まあでも、もし本当に誰か釣りたいと思うなら、今頃俺はコーヒーの店でも開いてるな」
いや商店街を仕切って、いや色々追って手に入れるトレジャーハンターに、とこちらが口を出さない間に馬鹿馬鹿しいぐらいに話が壮大になってゆく。
どうしてそんなことになるのよ、と聞くと、こちらを妙に丸っこい眼で見つめ返してきた。
「だって、好きな奴に知って欲しい物、味わって欲しい物なんて、世の中にあり過ぎるだろう」
そして、妙にあどけない顔でにっこりと笑ったのだった。
本当に子供っぽい、馬鹿な子。
自分は何でも出来る、頼まれたら何でも用立てられる気の利く奴だ、下らない冗談も言えるし、泥も平気で被れる。そうみんなに、自分自身にも、思い込まそうとしている。
本当に馬鹿な子だ。
───ねえ、もっと心の内を出してもいいのよ。
女は影のある男に惹かれるの。
流石に出し過ぎたら見ている側も困るかもしれないけれども、少しぐらいなら出しても誰も怖がらないわ。
内にあるおぼろげな悲しみを、重厚に綴られる思考を、『守りたい』という全てに掛けた信念を、ほんの少しだけ、知ってもらえたなら。
「何て影のある素敵な人なの」、「この人には私が居ないと」、「支えられたい」、なんて思ってくれる子が居るかもしれないじゃない。
いえ、わたしはいいわ、遠慮しておく。
だって色々と面倒臭いじゃない。
だからそんなのは───
こんなことをぼんやりながら、ふと、部屋の空気が変わっていることに気付いた。
あらあの子、いつ来たのかしら。
かすかにあの子の気配がする。
ここ半月は色々忙しいと聞いていたのに。面倒ごとはもう終わったのかしら。
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