※過去作品の引用・改作です。(概ねのストーリーは違います)
邇獅噛討伐の顛末、ヒツキ目線です。
不思議な縁に柔らかい気持ちになり、立派になったとため息を付き───それでも消えぬ懸念は足を進ませ、亡霊は警告を残す。
『ウツツギ』の香は強力だ。不安こそあれど、もう少し工夫すれば彼女を、『ニシカ』を縛り留めることが出来る、そう考えられていた。
そしてその『工夫』と香との相性がよかったからこそ、ぼくが今こうして山の入り口に配置されることになったのだ。
中秋の名月のもとで汲んだ清水───境界を定め設ける験をもたらしてくれる水だ───静かな夜の下で醸された雫は、香の霧散と彼女の逃走を防ぐために。その水を張った皿を山の出入り口に置いた。ぼくはその補強としてここに居る。
元より『守る力』を増幅することはできなくはない。だから、清水の力を増幅できはするかもしれないけれども。
まさか、今のぼくが役に立ってくれるとは思わなかったよ。
境界に在り境界を守る───塞ノ神としての本来の役割なんて果たせないと思っていたのに。さまよっているからこそ、役に立つなんて。
───本当に、不思議な縁だ。
やわらかなため息が口から漏れる。
そんな場合ではないのに、ここまでの巡り合わせ、引き合わせてくれた縁を思い返してしまう。
『イッショー』、きみとの出会いでぼくの歩みは変わったよ。
進む方向は変わってはいないけれども、歩く内に見える風景が変わり、だれかと共に歩くということができるようになったよ。
だからこそ、今のきみが少し心配だ。
通信機器からは何も聞こえない。
有効打となるであろう矢玉は『ニシカ』へ撃ち込めた。成功だ。これから『ニシカ』に単独で接近する。絶対に逃がさないようにしたい、だから動かないでくれ───そんな通信がずいぶん前に届いただけだ。
きみはきっと、うまくやってくれている。だから手負いの彼女をこの山に留め、退路を断つために、ぼくはここに居続けないといけない。
それでも、不安は胸にかすかな灯をともらせた。
『イッショー』、きみは熱くなりすぎちゃいないかい。
熱くなりすぎて、留まることを忘れちゃいないかい。
不安で胸が熱い。寒さなど碌に感じぬはずなのに、胸にともされた灯があまりにも熱いものだから、周りの温度が凍えるように冷たく貼り付いてくる。
胸の中の熱はさらに熱く大きくふくらんで───いつのまにか、ぼくは一歩前へと踏み出していた。
踏み出した足は歩を踏み、やがて早足に。留まるように命じられた場所、山の入口を背にしながら、ぼくの足はどんどん速くなっていく。ふくらんだ熱はさらに嵩を増してしっかりとした輪郭を持ち始め、ついには明確な予感となってゆく。
死のにおいがする。ずっと前に旅立ち見送ったはずの存在が爪先をこちらに向け、走るぼくの背にぴったりと寄り添っている。
ぼくの背骨に沿うように密着した彼は、詠うようにささやいた。
───ヒツキ。六連くんが。六連くんが、あぶない。
死のにおい。暗く静かな闇のにおい。それに交じってなお馨しい、梅の香り。
それは、今まさに『ニシカ』を逃がさぬようにと醸された『ウツツギ』の香りだった。
遠くで硬質な音が聞こえる。純度の高い鉱物同士をぶつけたような、ぶつかり合うことで奏でられた噪音。おさな子のさんざめきに近い、それが添えられたさわやかな夜も、打ち合うことで生じたまばゆい火花をも見えるような、そんな純粋な音だ。
これが聞こえるということは、ぼくがこうして向かったのは正解だったのだろう。
───きみよ、どうか熱くなりすぎるな。
確信を持ち、さらに足を速める。走る速度は風となり、身体にぶつかる。
熱くなりすぎて疲れ果て、力尽き凍えてしまう、なんて、ならないように。
冬の空は青く、青い色はどこまでも澄んでいる。
その遠く澄み切った色にとらわれることなどないように、ぼくは前を向き直し、足を進めた。
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