※過去作品の引用・改作です。(概ねのストーリーは違います)
邇獅噛討伐の顛末、ヒツキ目線です。
『日像 ヒツキ』=彷徨う塞ノ神とはどこから来たのか、追憶する過去。
これはもうずっと、昔のお話。
ぼくは村の入り口に座っていた。
ぼくの横にはぼくの形を象った、石像があった。
だれも入れてはいけない、何かを持ち出させてもいけない。
それだけが今のぼくの役目だった。
少し経って、村に人が来た。
ぼくは座ったまま、退きはしなかった。
ぼくの姿形が見えていようとなかろうと、入れるわけにはいかない。
何日も歩き続けていただろう旅人を追い返すのは、しのびなかったけど。
それでもここを退くわけには、いかないから。
くるりと振り返りあきらめて去るその背に、もうしわけなかった、と声を掛けていた。
良い旅を送っておくれ、この村からずいぶん離れた所に甘い実を成らせる木があると話を聞いたよ、もしそこを通るなら試してみてはどうかなと、聞こえるか聞こえないにかかわらず、座ったままで声を掛けた。
立つも歩くも出来るけど、今はここから退くわけには、いかないから。
しばらく経って、ぼくの像、石像の顔がはっきり分からなくなった。
雨風にさらされ続けて穿たれてしまったのだ。
あの時からそれなりに経ったのだな、と思った。
それでもぼくは、退きはしなかった。
またしばらく経って、また村に人が来た。
もうその頃になると人が入っても問題なかったので、ぼくは村に人を入れた。
長らく座っていたから動くのには一苦労だったけど、まあ、こちらも問題はなかった。
入れた人たちは村の中を丁寧に片付けてくれた。
これで、もう大丈夫。なにも悩むことはない。
そうしてぼくを成すほとんどの要素は、なくなった。
もうぼくの村はない。
新しい人たちの手で作られた村には新しい縁が生まれ、いつの日か新しい神が生まれるだろう。
だから当然、ぼくは消えるはずだった。
それでもぼくは消えなかった。
そしてぼくは、今の自分でも立ち上がることが出来るのに気付いた。
今なら歩いて、どこまでだってゆける。
この村の外だって、山の向こうだって、きっと。
どこまでゆけるか知りたくなって、ぼくは歩いた。
期待と共に足は速くなって、やがて駆け出すように進み続けた。
見上げた空は高く、どこまでも遠かった。
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そこは、『隠れ里』と呼ばれていた。
といっても行商人らと細々としたやり取りはあり、稀に農作物やら山の幸やらを麓の村まで下りて売り歩くこともしていたから、それはそのままの意味合いじゃない。
しかしその地ののどかな雰囲気をあらわすには、まさに適した言葉だった。
人びとは境の内で作物を育て、時折村の外で獣を狩ったり木の実や果実を拾ったり。それだけで十分過ごして行けた。
うららかな春、そのうららかな日がずっと続く、そんな村だった。
そのうららかな日が潰えたのは、いつのことだっただろうか。
確かな年月は言えない。けれどもこれだけは言える。
うららかな日々より、その残滓を見つめていた時の方が、ずっと長い。
村の入り口にぼくは居た。
ここに居ても村の全体がわかる。塞ノ神───村の守り神としての力だ。
まだ『守り神』としての力が残っているなんて。そう嗤ってみても言葉なんて、返ってくるはずはない。
今やこの村は、ここに住むすべての村人の骸が転がるだけの場となっているのだから。
昼過ぎの太陽とけだるい空気。
ぼくと崩れかけた彼らの成れの果てを、日の光があるがままに照らしている。
けだるい午後の日。それが、永遠に続くようだった。
ぼくは塞ノ神、とある村の守り神だった。『守り神』と言い切れる程の力はあり、少なくとも今よりも色々なことができた。
ぼくはどこに居ても村中全てを見渡せた。だから村の中でなにか問題があってもすぐに行くことができたし、大事にはさせなかった。
ぼくは悪いものは内に入れない。村の境、入り口で悪いものを見定め、うちに入れぬように弾く。ときおり訪れる行商人や旅人の中には、よからぬことを企むものも居たから。そういったものを防ぐのも、ぼくの役目だった。
そして、それは大きな形あるものに限った話ではなく。
ぼくは病をも防ぐ障壁を張れた。おのおのにふさわしい障壁を、ふさわしい形で。だから村の人びとはみな息災で、病みつき寝こむなんてことはなかった。
こんな風に、ぼくは境の内を守るためのものだったから。
だからぼくは、この村の外には出られず、ずっと境と内に在り続けたのだった。
塞ノ神の像、ぼくを象った像の前で人びとは祈った。
今年も息災に過ごせた、ありがとうございますとの感謝、生まれる予定の子の名前を見せ、「塞ノ神さまが見て下さった名前だから安心だ」との誕生への備え、祭の時は団子やちょっとしたつまめる『ごちそう』を像の前に置いてもくれたな。
今食べているものに比べると、もっと味もなにもかもささやかだったけれども、多くが込められていた。今でも、覚えている。今よりも質素なはずの穀物で作られたそれらの表面は金色にかがやき、口にする度に中に込められた、喜びにさんざめく声を聞いたものだ。
村の人びとの歓喜。今あるしあわせを祝い喜ぶ、そんな声。
ああ、よかったなあ。
お供えをもらう度、人びとがぼくの像の前で頭を下げる度、ぼくは胸の中にあたたかいものを感じた。
彼らの熱が、喜びが、ぼくにも伝わってくる。
この事実そのものも嬉しいことだった。村の人たちにはぼくの姿は見えないけれども───わざわざ見せる用もなかったので、無理に形を取ることもなくそのままにしておいたのだ───よろこばしいということには変わりなかった。
こうして変わりなくのどやかな日々は続いていった。
つつがなくのどやかなこんな日が、ずっと続くのだと思っていた。
それは、唐突に始まった。
はじめは一人の村人だった。いつもの通り村で野良仕事をする彼。かがめる背のその後ろに、なにかが付いていた。
それは、何とも言いがたいものだった。
やわらかな何かの上に乗った、数々の目玉のようなもの───そうとしか、言いようがなかった。
人びとは気付いていない。見えてもいないのだ。そしてそれは、一日で村の中にどんどん広がっていった。
たった一日の間にそれは、村のすべての人びとに取り憑いた。
それは、本当に何だか分からぬものだった。
熟柿のいっとうやわらかい部分に近く、しかしそれよりは少しだけ固い。腐肉のようなあり様でもあるが腐肉そのものでもない───腐った肉をたくさん見ることになったこの後の経験を経てもその印象は変わらない。見たままの姿ですら語るのが難しい。
そして、その性質を推し量るのは、それよりもさらに難く。
呪いやら負の感情やら、人から生じた何かではない。悪意のようなものは感じられず、自主的に動く様子も今のところはない。
ただそれはそこに『在る』、そんな存在だった。
何故だかぼくはそれに見覚えがあるような気がした。いいや、感覚的にずっと傍に、ぼくの隣と言ってもいいぐらいに近しい所にあった、そんなかすかな覚えがあるのに気付いた。
ぼくは塞ノ神だ。障壁を張り悪しきもの、害となり得るものを防ぎ弾き飛ばす。
ただ、それは『外から来たもの』に限られる。それは───『彼』はずっと、この地にいたのだろう。この地の深くに、もしかしたら、ぼくが生まれるずっと前から。
元から内に在るもの、あって当然とすら言えるほどに近しいものを封じるすべは、ぼくにはなかった。
ぼくは迷っていた。このままにするとこれは外に出てしまう。積極的な悪意はない。今のところ動きもしない。けれども、これは出してはいけない穢れだ。それだけは分かる。外に出てしまうと、山も川も麓の村も、すべて穢れてしまう。そして新たな人に取り憑いて───もしかしたら、人にだけ取り憑くものじゃなかったのかもしれないけれども、とにかく運ばれて───際限なく広がってゆく。
そうなると、もう手の施しようがない。
だからぼくのやることは、ひとつだった。
ここからヒツキの過去。結構長い話となります。
(過去に別サイトに投稿した話の引用です)
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