※過去作品の引用・改作です。(概ねのストーリーは違います)
邇獅噛討伐の顛末、ヒツキ目線です。
妙に引っかかる言い回しをした六連と、その狙い。(どうしてそういわざるをえなかったのか)
『ニシカ』がぼく達の事務所を襲撃した後───正確には『新たな拠点にほとんどの職員も物品も撤退が済み、警戒と懸念の後始末のために残っていたぼく達がニシカと遭遇し、六連が彼女と交戦した』その後だね───六連は淡々と状況を説明した。
彼女の厳密な正体、目的、これから何をするかとの予測、そして───彼女と『ケンヤ』との詳細な関係と、彼女がなぜそんなことを六連に伝えたのか、その経緯も。
「ちょっと引っ掛かる言い方したら、勝手に勘違いしてくれたぜ」
「本当、馬鹿だよな」
そう笑う六連に、そんな危険な真似を、と声が漏れた。
彼女の心のありようなんてぼく達は知らない。残虐なことを好む強大な存在であることだけはこの時点でも分かっていたけれども、それぐらいだ。
なんてことないこちらの所作に対しても思わぬ感情の沸点があるかもしれない、ましてや『お前の弟を殺した』などとほのめかすなんて。
仮に彼女が自分周りの縁にすらまったく興味のない、殺戮だけを好む存在だったとしても、この挑発行為は矛先をこちらに向けるきっかけと成りうる。こちらへの嘲笑でも、いいがかりでも、強大な力の暴れる理由の違いが威力を抑える効果を成す訳でもなく。どんなきっかけだろうと、その暴力の矛先を向けられた相手はただでは済まない。
そして力が強大なら、本人だけではなくより広範囲が荒らされる。より多くが死に、破壊されるのだ。
だから、あえて嘘のほのめかしをしてまで、そんなことを言う必要は、まるでない。
危険だ。どうしてそんな───
ぼくの言葉など気にせず、六連は笑い続ける。無言で、ただ表情だけを緩めて。
おや、と思った。
六連は強大な相手を、ほとんど情報など持ちえない獰猛な神獣について語る時、こんな笑みを浮かべるだろうか。
六連は激しく怒っている時───正確には敵意を向ける相手について言及する時、あえて笑顔で語る癖がある。
冗談めかしく怒ってないよ、という素振りで。感情を噛み殺し、咀嚼して形を分からなくするように、心とは裏腹な態度を取る。
目の前に居ない相手の存在を奥歯で噛みつぶし、感情を熱で燻し、一見しただけでは分からない黒い棘として吐き出す、これが、彼の常だった。
六連は『ニシカ』と交戦し、その強大さを思い知った。
手加減の上で生かされ、それでもなお身体に響く彼女の金剛力を理解し、警戒を解いてはいけないと判断した。
だから彼女に対して語る際に、警戒を緩めて嘲笑うなんてありえないのだ。
だって、まだ何も解決も、討伐の目途すら立っていない、強大で未知なる相手なのだから。そんな相手を侮り、自ら死地を作り、周りを窮地に陥らせるなんてことは絶対にしない。
本来なら『ニシカ』について語るとしても、もっと強敵への警戒と畏怖、語られた目的への嫌悪などを欠かさない、黒く刺々しい感情を含んだものになるはずだ。
鋼鉄の肌を破り、喉笛を喰い切りたい、その為ならば歯なんて折れてもかまわない、どうあってもすり減らす、絶対に喰らいついて放さない、そんな暴力性と焦燥を含んだ笑みになるはずだ。
今目の前に居る彼の表情は、それとはまったく違う。
こちらを向く視線は、やわらかく光を帯びている。
焦がすような感情や刺々しさとは無縁な、妙に穏やかで諦観に満ちた、静かな、静かな笑み。
その表情に、ほんの少し昔を思い出した。
いや、あの時のこの子は涙を流しながら一生懸命で、こんな笑みなんて浮かべていなかったじゃないか。
───お願いだ、俺を捨てて逃げてくれ。
───あいつが狙ってるのは俺だ、だから俺を離せばお前は逃げられる。
───ここらの人ならざるものは人間が嫌いなんだろ?俺を捨てたらそいつらが助けてくれるかもしれないじゃないか。
十六年前。六連の、きみの郷里にて。
睥睨獣『ニシカ』の弟───『ケンヤ』の襲撃に遭ったきみは、すんでのところで連れ抱えて逃げるぼくの腕の中からぼくをじっと見つめ、こう言った。
小児を喰らうのを好むと自称した『ケンヤ』は子どもの心を嬲るのにも長けているようで、即座には追いつくことをせず、延々と体力と気力を奪う追いかけっこを仕掛けてきた。
得体のしれない大きな獣が自分を喰おうと襲い掛かり、あげくずっと追いかけてきて。
自分を抱きかかえ逃げている塞ノ神は獣を振り切る速度も出せず、体当たりを受け続けてひび割れて、頼りにならない。安全なんて保障されない状態だ。
明確な安全地点も彼に対処できる武器や道具もない。
じきに体力が尽き追いつかれて───もしくは獣が追いかけっこに飽きたら、ふたりとも喰われてしまう。そんな状況だった。
当時まだ少年だったきみ。
ずっと殺気と嗜虐の意を向けられ、さぞ怖かっただろうに。
それでもぼくを守ろうと、ぼくだけでも逃がそうと、涙をいっぱいにためた顔で、こう頼んできた。
ずっとぼくを神だと信じ続け、『神頼み』をした。
「どんなことがあっても、守ると言ったよね」
だからこそ、なにがあっても絶対に守りたいと思ったんだ。
色々あってまた巡り合って、ぼくがきみのことを完全に思い出した後、きみはぼくに彼の───きみを襲った『ケンヤ』の行方を聞いたね。
自分が気絶した後どうなったのか、あいつは逃げてしまったのかと、身を乗り出すようにして、たずねてきたね。
彼はもういない。ちゃんと見届けた。
もう彼は誰を傷つけることもない。ぼくのことも、もちろん、きみのことも。
そう答えた時のきみの顔といったら。
ほっとした、やわらかくあたたかな安堵があった。自分が討ちたかったのにと、焦がすような刺々しい悔しさを感じた。
そして、一番強く含まれていたのは。
ごめんなあ、と言った後で、言ってもどうしようもないよなあと飲み込み直し、それでも飲み下せてはいない。
───静かな長雨のような、湿度の高い悲しみと申し訳なさだった。
過去のあの時、きみはずっとぼくのことを『カズト』と呼んでくれたね。
きみの考えた
彼女が、『ニシカ』が本性を現し交戦する直前、きみはギリギリまで事務所に残っていたぼくに、早く行くようにと伝えた。
残るな、早く逃げろと、さりげなく促した。
───本当、馬鹿だよな。
先ほどの声が頭の中で反響する。
───彼女じゃない。きみが嘲笑っているのは。
きみが愚かだと、益もないのに妙な事を言ってと、嘲笑うのは。
きみは、と声をあげようとしたぼくの前で、きみは自らの唇に指を当てしーっと笑った。
穏やかな笑みのままで、分かっているんだと、そう示しながら。
「俺はあいつを討つ。お前の、みんなの力を借りて、ちゃんとやり遂げる。討ってちゃんと帰って来るから」
「大丈夫、『命と引き換えに』なんて無茶はしない。約束するよ」
───俺が約束を破った事なんてないだろ?
なあ、ヒツキよ、とこちらを振り返ったきみがにっこりと笑う。
重い話じゃない、なんてことはないのだ、と振舞いながら。
重くないだなんて、どうしてそんなことを。
ぼく達が本名で呼び合いながらする約束の意味を、きみが覚えていないわけはないのに。
『約束』というのは、とても大きなことだ。
約束事というのは境界があいまいだ。どのあたりで手を打ったらいいかなんていう、際限がない。あいまいな要素をあいまいな行動でつなぎ止めているようなものだ。それはとても不安定で、侵食されやすい。
だからぼくは今まで『約束』だけで動くことはあまりしなかった。
『約束』になりそうなことは、できる限りちょっとした『契約』や『売り買い』の形に収めた。「なんでもはしないよ」「ここまではぼくのやることで、きみの関わるところ。その外はちがうよ」としていた。ぼく自身が駄賃など必要とせず、無償で動くのを好む性質であっても。
約束を守るのは人だけじゃない。神の側とて同じこと。
あいまいなものを守り切れず、侵食されしてしまう間柄になったら───その時はお互いに、今の自分の在りようを保てるか分からない。それを防いでいたのだ。
けれども、『イッショー』との間では、その関所は取り外される。
『イッショー』とカズトから、六連とヒツキに。
ぼく達が本当の名前で呼び合う時。呼び合い、誓いを交わし合う時。
それは境界を取り払い、お互いの根底にふれあい、あいまいでいてまっすぐな法則に無防備な自分をさらし合うことである。向こうもそういう認識だ。だからこそ、このふれあいは成立している。
お互いに何かしらの覚悟を決めた時でなければ、ぼく達が本名で呼び合うことはないのだ。
それは、何よりも強い効力を持つ。
眼前のきみは、かつて十一歳だった少年は、もう既に立派な大人に、『守るもの』となっていた。
あの時には持たぬすべを持ち、言葉も、素振りも、術として存分に使う技量を磨き上げた。
技量も心も、磨き上げたすべてを、同輩も、市民も、守りたいと思うみなを、背負う覚悟がある。
だからその覚悟を、ぼくは受け取ることにした。
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