※この作品はR-18です。

プレイアデスの瞳   作:甕下 星辰

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※別サイト(pixiv・ミッドナイトノベルズ)にも同作品を投稿しております。
※過去作品の引用・改作です。(概ねのストーリーは違います)

邇獅噛討伐の顛末、ヒツキ目線です。
冬山を走り続け、ようやく辿り着けた。間に合った。間に合えた……?


凛と響き、燃ゆる(篝は焔、焔は業火)⑦

きみの覚悟をそこなう気なんてなかった。

やりとげられないなんて、信じていなかったわけでもないし、妨害したいわけでもない。

配置された場所と役割を投げ出してしまったのも、よくないだろう。

 

それでも、きみの元に来たのは、やっぱり正しかったよ。

 

山間の地面、飛散した血の痕の中に、六連は倒れ伏していた。

 

あお向けに倒れた身体が、『ニシカ』の前足に踏みつけられている。

『ニシカ』は、彼女は今やすっかり本性を現し、その身体は巨大な金色の獅子の体を成していた。

剣や刃が立ち並ぶかのような毛並みは鋭く、かがやきを眼にしただけでもこちらに突き刺さってくるかのようにすら思える。硬質な鬣はしかし、冬の青空の中でなびき、更なる光を成していた。この場に居るすべてを切り刻み、射抜こうとしているかのように。

彼女の前足───鷹や鷲かを思わせる大鳥の足裏は六連の上半身を、腕も胸も踏み付け、固定している。踏み潰されてはいない。それだけは真に『さいわい』と言えなくもなかった。

 

───今はまだ。

 

六連、と今すぐにでも呼びたい気持ちを抑え、ぼくは近付いた。

『ウツツギ』の香に惑わされているおかげで、彼女の五感は乱され、ぼくの存在にまだ気づいてはいない。

 

彼女の首筋───そこに刺さる矢はぼく達の背よりもはるか高く、踏みにじられている六連はもちろん、無傷で立つぼくでも届かない。たとえ手を伸ばそうとも。

 

───たとえあの矢に触れることで、この身を滅する覚悟だけがあろうとも。

 

あの矢は強力だ。『ニシカ』の動きを鈍らせ、こうして六連を今まで生きながらえさせ、彼女をここまですり減らす助けとなってくれる程度には。

でもそれは、安心安全のままに『ニシカ』を滅してくれる、六連の命を完全に守ってくれると保障しているわけじゃない。

 

六連を踏みにじったまま、『ニシカ』が天を仰いで見せた。天に向いた顔はうれしそうで、天に向いた視線はまっすぐで、日のきらめきの中でかすかな湿り気を帯び、なめらかさを強めていた。

 

そして彼女はゆっくりと正面に向き直り、そのまま足下の六連に鼻先を近づけた。

 

彼女が口を広げ、鼻先を近づける。

 

それは、痺れるような一瞬だった。

 

痺れるような感覚はまだ続く。妙に時間の進みが緩慢で、口を広げ立ち並ぶ牙を見せる彼女の所作も、六連の表情のかすかな動きさえも、一目ですべて把握できるぐらいには素早く動いている。実際には意識だけがそれを捉えているだけで、こちらの実際の動きはゆっくりしてうまく前に進めない。感覚の痺れにとらわれ縫い取られている。

 

昼下がりの陽光が彼女の被毛と鱗に照り返し、さらに感覚を焼いた。

 

痺れてちゃいけない、早く、あの子の元へ。

 

一歩を踏む前に、痺れが消える前に、苦悩と苦痛であの子が目を見開く。

 

早く。早く。

 

数秒先に飛び散るだろう赤を、防ぐために。

 

石の砕ける音がした。

硬質な音と音がぶつかり、更なる音を生む。

 

『ニシカ』と六連の間、彼女の口元にすべり込んだぼくの右手首は、衝撃で吹き飛んだ。

更に彼女は空を舞うぼくの手首に顔を近づけ、薬指を噛み千切ってしまった。

 

細かな石片が更に、辺りに散る。

 

彼女はぼくの薬指を砕き、噛み磨り潰しながら、六連との間に割り込んだぼくの身体を横に払い除けた。

飛び散る石片も、意識外からの闖入者も、何の脅威だとは見なしていない。そんな怠惰で、しかし力強い所作だった。

 

───転がってろ、端神(はしたがみ)が。

 

ぼやける意識の中、吐き捨てるように、彼女が嗤った。

 

彼女の嘲りを打ち消すように破音が鳴る。

鉱物を打ち鳴らし、火花の散る音まで含めて純度を高くした、まるで天上から舞い降りたような噪音ときらきらしいさんざめき。

 

これは六連の、『イッショー』の幸運の音だ。

 

ぼくは字(あざな)を付けた相手に、ちょっとした幸運を寄せ付ける力を持つ───正確には『字という関所によって不幸をせき止めている』ようなものだけど、まあ、傍目には同じだ。

その字の効果はずっと消えずに残り、ぼくにはその到来が分かる。

どんな予兆かは付けた相手によってさまざまで、どんな幸福かも分からないけれど、ちゃんと誰におとずれてくれたのかは感じるんだ。

 

ぼくが『ニシカ』の牙に割り込んだ時、『イッショー』への幸運の到来はずっと、聞こえ続けていた。

だから安心した。これで『イッショー』にチャンスができる。致命傷を防いだ。守れた。

 

すべて間に合ったと、そう思った。

 

そして、それが間違いだと気付いたのはすぐだった。

 

全身の衝撃が抜け、脳裏の霞も徐々に晴れてゆく。

そうして明瞭になった視覚と聴覚で一番最初に感じたのは、誰かの咆哮だった。

 

───六連だ。

 

続けて聞こえる消音装置越しの音にもならない銃声と、金属同士がかち合う音。

 

六連だ。六連が、『ニシカ』と戦っている。

 

咆哮と金属音。刀剣立ち並ぶかのような彼女の鱗をこそげ落とさんと斬り付ける音。流れ靡く真夏の陽のような、彼女の金色の毛並みを黒く錆び付かせ腐り落とそうとする音。

そして、彼女の喉笛に喰らい付き、気管を潰し、骨を噛み砕かんとする、黒く焦がした棘を吐き続ける、鋭利で悲痛な叫び。

 

どうやったのか、六連は『ニシカ』の足裏から見事抜け出していた。

 

そして。

 

彼女の首筋にあった矢は、右の眼窩へ突き立てられていた。

 

彼女の体勢はすっかり崩され、満足に立つことも出来てはいない。四肢に力が入らないのか、首元にしがみつき斬り付ける六連を引き裂くこともなく、鼻先だけで躱し倒したりをするだけに収まっている。

今や彼女の金色は褪せ、夏の暑さも七色の環を描くまばゆい陽光もそこにはない。

 

───よくも。

 

六連の声が響く。

 

───あいつをこんな目に、遭わせてくれたな。

 

焦がされ熱の篭るような声は年月を重ねて低く、地を這うようで。

それでも天上から下りてきたような純粋さの名残を感じさせる澄んだ響きが混ざるのが、痛々しくて。

 

六連、と声を掛けようとして口をつぐんだ。

 

『ニシカ』はもうぼくのことは気に留めてもいない。ぼくは彼女の意識から弾き出され、自由な状態だ。

 

今、彼女が認識できるのは、彼女の眼前にあるのは、六連だけだ。

 

ふらつく身体を押し、六連と彼女の元からなるべく離れたところまで動いた。未だ痺れが抜けない指で通信機器を使い、状況を説明する。

 

静かな笑みを思い出す。

穏やかで諦観に満ちた、悲しい笑み。

きみのやさしさ。やわらかい部分。無視もいつわりもしてはいけない、その感情。

 

───六連、きみを置き去りになんてしないよ。

 

説明は簡潔に、指示を仰ぐ。そんなに時間は経ってはいないのに、気持ちだけが急く。

 

すべてを伝え終え、応答と指示を待った。

 

すぐ傍のきみがずいぶん遠くに感じるだなんて気のせいだと、そう思いながら。

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