効果が無いと分かっていながら嫌な引き止め方をする。
それでも思いやっている事には変わりない。
数日経っても、わたしのお腹は膨れたままだった。
六連は、定期的にやって来る。定期的にやって来てはわたしの容態やら当たり障りない近況やらを語り、絶対に解決させるからと言い残して帰ってゆく。
辛くはないかい、とこちらを気遣う声は、甘く優しい。
そこに何の不満も無い。『解決する』と宣言しているのだからこの子は必ずやり遂げるだろうし、わたしとしてもそこには不安を抱いちゃいないのだけれども。
けれども、そこに至るまでの過程には。
じゃあまた来るから、と、こちらを名残惜しそうに見やり部屋の外に一歩出ようとする六連を、ねえ、と呼び止めた。
どうした、と振り帰った穏やかな顔が、一瞬で固まる。
同時にするり、と病衣が床に落ちる。衣擦れの音が静かな病室に響いて、やけに効果的ねと思った。
病衣の下には、何も身に着けていない。
ガウン状の病衣は何の抵抗もなく脱げ落ち、床に落ちる。すり落ちた布地が張った乳房に当たり、刺激を受けた乳頭から白い汁がゆっくりと垂れ、腹や太ももを濡らすのを感じた。
固まったままの六連の腕を取り、今なお張り続ける乳房に押し付ける。
張り詰めた乳房や乳房を揺らす心の臓の音。それがどう伝わってくれるか、それだけが気がかりだった。
「もう、行っちゃうの?」
六連の腕を掴み、胸を圧しながら見上げること数秒。
どうした、と再度六連が口を開き、床に落ちたわたしの病衣を拾い上げた。拾い上げる行き掛けに、太ももや腹にこぼれた乳汁をハンカチで拭ってゆく。
痛くないか、と言いながら乳首の先まで丁寧に拭う手つきには欲情のブレはない。すべてを拭き終えた六連はほら、と病衣をわたしの両肩に掛けた。
「こういうことするなら、全部解決してからにしような」
「ちょっと時間はかかるよ。検査やら事件後の報告書やらの始末があるからな。それが終わったら。勿論「六連が望むのだから」なんて、変に気を張ったり無理に頑張る必要は無い。『そういうこと』じゃなくて、一緒に買い物に行くとか、何処にも行かずに家の中でゆったり過ごすのでもいい。全部終わった万全の状態で、やりたい事を一緒にやろう」
───だから、今はごめんな。
宥めるような口調。肩に置かれた手は重く、それでも話し方を極力柔らかく、軽妙にしてくれようとしているのが分かる。
青々とした瞳のかがやきは、心なしか普段よりも翳を帯びているようだった。
こんな時だからこそ身体をいたわってな、と肩を抱き、再度六連は外へと向かう。今度はもう引き止めたりしなかった。
───つまらないことをしてしまった。
肩に掛けられた病衣を外し、袖を通す。紐を胴に緩く掛け、皺を伸ばす。
あの子は心配こそすれ、『色仕掛け』の類に引っ掛かるタマじゃない。
それに「わたしは孕んでいるの」「あなたはこの子の父親でしょう」と迫るなんて、手垢の付いたやり口よ。
そんな卑怯な足止めに、あの子が引っかかって欲しいとは思わない。
ふと考えた。
わたしはこの状況を───子が腹に宿ることを『好機』だと思える。滅多にない幸運、好機だと捉えて、こうして平気で利用することも出来る。
だけれども仮に、生まれて来る誰かが居るならば。
わたしの『好機』はその誰かの『当然』、在って当然の前提、基盤となる。
誰かのすこやかな『あたりまえ』を、わたしの汚い思惑で侵していいのだろうか。
すこやかに育つという、子が持つ当然の領分をおびやかしてまで、わたしは足止めがしたいのだろうか。
誰かの未来を贄として、あの子の思いやりを汚してまで、傍に居て欲しいと思うのだろうか。
───なんてね。
病衣の前をあらため、肩にかかる髪を払った。
今わたしの腹が膨れているのは、何かしらの怪異によるものだ。中に誰も居ない。奇跡は起こっていないし、胎は空のままだ。
───だから、宿ってもいない『誰か』を侵してやいないかなんて思っても、仕様のない話なのだ。
宿ってもいない、生まれいずることなどありえない。
思ってもしょうがない、居ないものはしょうがない、そうけらけら笑っていると、あの子のことが思い出された。
あの子、今しがたここから出たあの子。
わたしを助けようと、みんなの害になることを完全に防ごうと奔走する、優しい子。
あの子には、希望を常に抱いて欲しい。
正義のためとか誰かの命のためとか、別にそんなご大層な理由でなくてかまわない。
まぐわって気持ちよくなりたい、おいしいものをたらふく食べたい、それだって立派な理由だ。もし低俗だなんて眉をひそめる誰かが居ても気にしないで───そんなのは、あなたが生きるのに何の役にも立たないのだから。
でももし、その誰かが積極的に足を引っ張り妨げるなら、このわたしが許さない。
それともあなたはやけに細かいことを気にするから、こんなのは希望とは言わないと、自分自身を縛ってしまうのかしら。
生きるのなんて、そんなに肩肘張ったご丁寧なものじゃないのよ。
これが終わったら何をしようと、純粋に自分がやりたいことを思い続ける。
胸に抱くのなんて、そんな大雑把な要素でかまわない。
『やりたいこと』のために前を向き。怪我などなく、その他のどんな憂いも宿すことはない。
義務でもない、誰のためでもない、純粋に楽しい希望だけを心の中に持って。
───だから。
絶対に、帰って来てね。
静かな病室。隣には誰の姿もない。
がらんとした虚空には、訳の分からないやりきれなさと笑い声だけが響き続ける。
───胎の中の絡み付く脈動が、湧き上がる嗤いと呼応するように、大きく跳ね上がった。
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