原作通り、叶馬の『情報閲覧』のスキルをアップデートしてもらったところを見計らい、健太が自分も取引を申し出る。
「実は俺も、自分のスキルについてご相談に乗って欲しいのですが」
「ん、確認すっぞ。手出せ」
素直に差し出した健太の手を掴んだ露店精霊は、丸眼鏡の奥の眼を厳しくしかめた。
「……オメ、聞きたいスキルはどれだ?」
「いくつかありまして。このスキルで転職の時以外も転職可能になっている職をいつでも確認できるように……」
「無理だ」
健太の言葉を途中でぶった切る様に、露店精霊はそう言い切る。
「無理、ですか」
「ああ、無理だ。オメの言うスキルはこの四つだな? そのうち三つはオラが手出し出来る領域にねえべ」
「それは権限の問題ですか? それとも能力?」
無理と言っているのだからそれを聞く理由はあまりないのだが。半ば知的好奇心に駆られて健太はそんな問いを投げかける。
「両方だな。例えていうならオラ達はプログラムを修復、改良、複製、消去する能力と権限を持ったAIだ。それに対してオメにそのスキル寄越した奴はAIどAIを搭載しでるサーバーやそごに電力おぐっでる発電所を製造、管理してる人間みてなもんだ。
そいつがオメに寄越したスキルっつうのは、プログラムじゃなくてはなからそういう機能ば持ったCPUやメモリば搭載されたよなもんだ。
だがらオメのそのスキルをいじるつうのは、プログラムを書き換えんじゃなくてCPUとメモリを乗せ換える必要があんべ。
CPUやメモリ乗せ換えれるAIなんざいねべ?」
「なるほど?」
露店精霊の言っている内容が全て理解できたわけではないが、ひとまずあの上位存在が思っていたより高位の存在であることは健太にも理解できた。
「でしたら、『脳外記憶領域』についてご相談、可能なら改良をお願いします」
出来ないとことにこだわっても仕方がない。健太は、そう次の提案をする。四つの内三つは無理、ということは残り一つは可能ということだ。
『戦士の不動心』『職業選択の自由』『周回レベル上げ』の三つはこちらの世界に転生する直前に謎の上位存在からもらったスキル。対して『脳外記憶領域』だけは彼女と同じ露店精霊から購入したスキルだ。四つの内三つは無理と言われた時点で、例外の一つがどのスキルであるかは一目瞭然である。
その健太の判断は間違っていなかった。
「ん、『脳外記憶領域』ならアイツの仕事だで、オラでもどうにかできっぞ。アホみてに職を重ねたおがげでオメの容量も多少は広がっでっがらな。新しいスキルばインストールするならともがく、既存のスキルをアップデートするぐれえの余裕はあんべ。
……これもまたけったいなスキルだべ。アイツの新し物好きは何百年経っでも変わんねべ。けど、こっちはそこまで大したスキルじゃねべし、特に直す必要もねぞ?」
その答えは健太にとって少々予想外の物だった。
「そうなのですか? 実は市販されているプログラムをそこに目で見て記憶しているのですが、どうもいくつかのプラグラムで予想外の動きをする物があるのです。その辺りの改良が出来ればと思ったのですが」
健太の言葉に露店精霊は怪訝そうに鼻の上に皺を寄せると、
「ん、ちょっと見っぞ。……オメ、これ何無駄にマシン語噛ませてんだ? しがもこんなに複数。こんな無駄なマシン語複数インストールしたら、誤作動でんのもあたりめえだべ」
「ええと。でも土台のマシン語がなければどんなプログラムも動かないのでは?」
「それはコンピュータの話だ。コンピュータはマシン語しか理解できねがらな。一般的なプログラム言語は人間とコンピュータを繋ぐ翻訳言語見てなもんだ。けんどオメの『脳外記憶領域』はコンピュータじゃねえべ。コンピュータにとってのマシン語に相当すんのは『最源言語』だ。
流石にアイツもそこまで適当な仕事ばしてねがら『最源言語』は破損、欠損なくインストールされてっべ。『最源言語』ならどんな言語にも対応できっから、どんな言語のプログラムでもたたっこめば作動すっぞ。逆に作動させるプログラムと、ただの情報の集合体を分けとかねと、誤作動の原因になんべ」
正確ではないが例えて言えば、英語から日本語に翻訳すればよいところを英語からスペイン語、スペイン語から日本語と間に余計な言語を挟んでしまったことで、誤訳の可能性が爆発的に高まってしまったということらしい。
「……ということは、マシン語を落としたのは無駄、というか有害だったということでしょうか?」
難しい話をどうにか理解できる範囲で理解した健太の答えに、露店精霊は無情にも首肯する。
「そゆこった。んでも、せっかくインストールしたのアンインストールすんのももっだいねべ。悪さしねよに他と干渉しあわねフォルダこさえてそこさ放り込んどげ」
「分かりました」
その程度ならば露店精霊の力を借りずとも、健太自身にもできる。
「そんだけか?」
「いえ。本命は別にあります。現状俺は、『脳外記憶領域』に自分の体験情報を丸ごと落して後でそれを己の五感で再生は出来るのですが、それをさらに限定的なリアルシミュレーターのように出来ないかと試行錯誤しているのですが、これは可能でしょうか?」
健太が言っていることを具体的に説明すれば、例えばある日のダンジョンダイブ中、ずっと『脳外記憶領域』を作動させておいて、全経験を落しておいたとする。そして、後日その記憶を健太が脳内で再生すれば、健太はそのダンジョンダイブを五感を伴った形で再体験できる。
だが、それは言ってしまえば物凄く上等な3D映画を見ているようなものだ。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、感じる全てがリアルに再現されるが、あくまで再現するだけ。
「実際の過去では右の通路に進んだけど、今度は左に行ってみよう」などという自由は効かないのだ。それどころか、瞬き一つ自由にならない。過去に瞬きをしたタイミングでは絶対に瞬きをするし、それ以外のタイミングでは絶対に瞬きできない。
しかし、『脳外記憶領域』にはゲームのプログラムを丸ごと落せば、意識下でゲームをプレイすることも可能。3Dのゲームもプレイ可能だ。
ならば、自分の現実体験からダウンロードしたデータを基にしたシミュレーターも可能なのではないかと思ったのだが、流石にこれは難易度が桁外れだった。
まあ、当然と言えば当然だろう。既存の3Dゲームと健太が『脳外記憶領域』で落した実体験では必要データの総量が違いすぎる。
視覚、聴覚のデータだけでも精度が段違いだし、当然ながら嗅覚、味覚、触覚、第六感に関するデータは存在しない。
レベルアップでインスタント秀才になっている健太が情報処理関係の技能を主に独学で学び続けているが、少なくともネットで拾えるレベルの3D処理技術の延長ではとっかかりも見つからないレベルだ。
嗅覚、味覚、触覚の再現方法はインターフェースから自分で考えなければならない。第六感に関しては皆目見当もつかない。
チート頼りの凡人の手には余る。
健太の問いに露店精霊は小さく鼻を鳴らすと、
「でぎるができねがで言えばでぎる。ただし、十分な情報量が集まらねど無理だ。ある程度は予測で埋められっが、それでも既存データの90%以上の情報がねと再現は無理だべ。
やるとすだら既存データにランダム性を持たせだ仮想空間作る方が早えんでねが」
そう有益な提案をしてくれる。
ようは現実の『羅城門』ダンジョンを再現するのではなく、『羅城門』ダンジョンのデータを流用した疑似ダンジョンを『脳外記憶領域』に新造するべきだと言うのだ。
そこは健太の過去をランダム再現するのであって、現実の『羅城門』ダンジョンとは異なる。例えば、現実の『羅城門』ダンジョンでは第四階層では『粘土狼』というモンスターが出没するのだが、健太は遭遇したことがない(弱いモンスターなので健太がダイブする『既知外』領域では淘汰されている)。
そのため、健太の経験から作り上げた疑似『羅生門』シミュレータには『粘土狼』は出没しない、といった具合だ。
「なるほど。確かに『羅城門』ダンジョンは複数の『異界』を内包する超巨大ダンジョン。俺の『脳外記憶領域』に入りきらないか」
納得しかけた健太に、露店精霊は怪訝そうな顔で否定の言葉をかける。
「あ? 何言ってんだ、オメ? 容量の問題なら楽勝ダベ。確かに『羅城門』は馬鹿広れえけんど、オメの『脳外記憶領域』だって一つの異世界なんだ。情報しが入れられんね極めて低レベルの世界だが、その分情報の収納容量はとんでもねぞ。オメに理解でぎる単位だと無限と言うしかねレベルだ」
「…………ん? 異世界?」
健太はしばし露店精霊の言っている意味が理解できなかった。どうも、自分の認識と齟齬がある。
『戦士の不動心』がオンになっている健太は冷静に考えて、やがて自分の認識と今露店精霊が言っている内容の齟齬が具体的に何なのか思い至る。
「このスキルは自分の霊的部分に記憶領域を拡張させて、そこにアクセスできるようになっているのではないのですか?」
健太のイメージでは『脳外記憶領域』は大容量のハードディスクかSSDを追加で搭載されたようなイメージだ。霊的ということで自覚は出来ないが、自分の霊的部分の一部を拡張され、記憶領域を作られたのだと考えていた。だが、露店精霊の説明では違うようだ。
「んなわけねべ。アホみてにガッチリ固定されでるオメの霊格――人間性にオラ達程度が手加えられっか。そもそも名称がクラウドストレージだべ。
霊的情報領域っつー低レベル世界が最初がらあんだ。『脳外記憶領域』つうスキルはその世界へのアクセス権と、最低限そごを使えるようにした霊的プログラムの刷り込みだ」
「……つまり、『脳外記憶領域』は叶馬の『空間収納』と同系統のスキルということですか?」
『脳外記憶領域』でアクセスしている領域が低レベルの異世界なのだとしたらそうなのではないかという健太の推測に露店精霊はきっぱりと首を横に振る。
「全然違うべ。あっちの『空間収納』は所有者。オメの『脳外記憶領域』は独占使用者だ。
あっちのアホみてな容量でも世界の所有なんざ身にあまるぞ。魂だけじゃ足りなぐで神格の権能まで使っでどうにか所有してんだがらな。
人間に固定されだままのオメが同じことしようとしたら、一瞬ではじけ飛ぶど。『空間収納』と比べりゃ『脳外記憶領域』の存在量は芥子粒みてなもんだが、本来のオメじゃ瞬殺だ。今のオメでもただの自殺だ。その調子でけったいな成長続けげて、容量広げつづげで将来どうにか、つうくれだ」
「なるほど」
健太は一応そう言って頷いて見せる。正確には分からないが、とりあえず全く違うということは分かった。
「ま、オメのやりてことは分がった。『脳外記憶領域』内に現実レベルのリアルシミュレータが欲しいんだな?
ちょっと貸してみれ……やっぱ無理が。仕方ね」
健太の手を取り、何やら内部を探っていた露店精霊は途中で何やら少し怪訝そうに眉をしかめたが、やがて折り合いをつけたのか、未知の作業をやり終える。
痛覚を刺激されるわけではないのだが、明らかに自分の中を弄られた感触を覚えた健太に、露店精霊は満足げに言う。
「『脳外記憶領域』に最低限の仮想空間どオメが弄るためのインターフェースば作っでおいだ。
初期状態は重力、気圧、摩擦全て均一な平面空間だ。後はオメが情報を仕入れて好きにしろ。拡張もほぼ無限に可能だべ。
ログインポイントにデータを弄れるインターフェースを用意してやっだがら、そこさ使え。
初はデータ量が少ねえ無機物から取り込むべきダベ。モンスターは比較的データ量少ねが、現実の生き物はアホみてに多いがら注意しろ。
ま、最悪どんな馬鹿やらかすでも初期化は可能なようにしてあっから好きに弄って覚えろ」
「分かりました。ありがとうございます」
出来ればこの場で始動してみたいところなのだが、流石に今は後回しだ。
偶然『ダンジョンショップ』を発見しただけで、本日の目的はボスがいると思しき、領域中央の岩山の探索。可能であれば、ボスの撃破なのだから。
「そんだけか? なら、とっとといね。ボス達ば倒さねばこの『異世界』は消えね。いい加減、オラもこんのせまっ苦しいとこは飽き飽きだべ」
「ひょっとして、そこから動けないのですか?」
「視りゃわかんべ。そんためにサービスしてやっただ。とっとどいっで、ボス達ば倒してごい」
ずけずけという叶馬に露店精霊は鬱陶しそうにそう言うと、叶馬と健太を追い払うように右手を振るのだった。
『ダンジョンショップ』を後にした叶馬の健太は再びもやっと雲上の結跏趺坐、龍背上の木のポーズとなり、頂上を目指す。
切り立った岩山の壁に沿うようにして上昇し続けるだけだから、道中は楽なものだ。
必然的に叶馬と健太は、会話で暇をつぶす。幸いというべきか、ついさきほど「後で」と切り上げた話がある。
「では、やはりこの『情報閲覧』で見る健太の情報は正しいのだな?」
「ああ、多分な。かなり異質に映っているだろう? 具体的にどの辺がおかしい?」
聞き返す健太は『戦士の不動心』がオンになっている。この状況になった以上、叶馬相手に下手な隠し事は無意味だ。むしろ、叶馬の『情報閲覧』を利用して自分の知らない自分を教えてもらう方が良い。
「うむ。端的に多い。全部が全部多い。おかげでバグかと思った。実際このスキルはこれまでも結構バグが発生しているのだ」
そう言う叶馬だが、もちろん『情報閲覧』にバグなどない。勝手な固定観念で決めつけていたことと『情報閲覧』の表記が連れていた場合、叶馬が勝手に「バグ」認定しているだけである。
「これほど自信満々な上級生が、この程度の雑魚のはずがない。これは表記が間違っているな」といった具合に。
「ああ、『能力』とか『存在強度』とかか。俺はちょっと特殊なスキルがあるからな。それであってるんだ」
原作を思い出した健太はモモノスケの背の上でそう答える。
原作通りならば、人間の場合『能力』とは主に職を差し、『存在強度』は獲得している職の数を表す。
例えば第四段階職の大将軍ならば、
能力:『人間』『剣士』『侍』『将軍』『大将軍』
存在強度:☆☆☆☆☆
と表記される。
健太の場合、ここに『職業選択の自由』で獲得した一次職、二次職数十が加わるのだ。存在強度のところにも☆が獲得した職プラスノービスの分並んでいるのだとすれば、確かにこれはバグに見えてもおかしくはない。
だが、叶馬は珍しく少し躊躇った後、それでも素直に告げる。
「そこもそうだが、他も色々おかしい。称号もやたら並んでいる。ヘソスナッチ」
言われて健太も思い出した。以前『職業選択の自由』の転職先に『称号獲得者』という謎のGR職が候補に挙がっていたことを。その時、「自分は大量の称号を獲得しているのでは?」と推測していたのだが、どうやらその予想が当たっていたようだ。
「良かったら教えてくれないか。『岩石射出』」
「良いだろう、ヘソスナッチ。『英雄願望』『軌道修正者』『はぐれはじめ』『ひとりぼっち』『模倣犯』『ヘタレスケベ』『名誉鬼神族』『秘奥神秘接触者』『拗らせオタク』『白赤竜調伏者』『ガネーシ……」
「待て、ちょっと待て『岩石射出』。なんだその、心当たりがある不本意な称号と全く心当たりのない物騒な称号の数々は」
『戦士の不動心』がオンになっているはずの健太がちょっと早口に抗議の声を上げる。
「なんだと言われても分からん。ヘソスナッチ。俺はそのまま読み上げているだけだ」
「むう。『岩石射出』。まあ、叶馬に聞いても無駄か。そう言えば、叶馬。俺のスキルは見えているのか?」
「いや。見えているのはスケさんのところでもらった『脳外記憶領域』だけだ。さっきの話では他に三つ持っているらしいが、それは見えん」
「そうか」
羽虫のようにたかって来る『蛟竜』を、叶馬の雷撃と健太のスキル『岩投槍』でバタバタ落としながらそんな会話を交わしていると、やがて『蛟竜』も岩肌に隠れていた『狒々』も姿を見せなくなる。
どうやらこの岩山も一定以上の高度になると、そうした雑魚モンスターは生息していないらしい。
いかにもボスが待っているステージという雰囲気だ。
さらに上昇を続けることしばし。
どれほど上昇を続けても、岩山の頂上は見えてこない。まるでこの茜色の雲が天井となっているかようだ。上昇を続けているのに、上がっている気がしない。
「むう」
「これはおかしいな」
叶馬は感覚的に、健太は原作の知識から現状のおかしさを確信する。
これが、このレイド『轟天の石榴山』を攻略不能としていた最大の理由である。
核となるボスモンスターを倒さない限りクリアできない『王権』に分類されるレイドでありながら、そもそもそのボスモンスターの下までたどり着けた者が誰もいないのだ。
ボスが鵺(と百雷鳥)であることは知られているので、ボスが岩山頂上から降りて来ることはあるようだが、降りて来てくれない限りどうしようもない。
「健太」
「いや、俺もあまり有益なスキルはないぞ。一応試してはみるが。《見せろ》」
叶馬の期待に応えて、健太は一応『浄魔士』のスキル『浄視』で上方を睨む。
『浄視』は『浄魔士』の第一段階職『祓魔士』の『霊視』をそのまま強化したようなスキルだ。
通常の眼には映らない、霊的存在や超常現象を視認できるスキルだ。
「……駄目だな。なにかありそうなのは分かるが、それだけだ」
『浄視』でなんとなく空間の歪みを発見した健太であったが、それは極めてあいまいなものだ。
一応、「あの辺がおかしい」という漠然とした場所は分かるので、最悪あの辺りに無差別攻撃を降らせるという手はあるのだが、原作を知っている健太はそれより原作でこの問題を解決してくれた彼女の尽力に期待する。
その期待が裏切られることはなかった。
「雪ちゃん?」
突如、もやっと雲の上で結跏趺坐をしている叶馬のすぐ横の空間が切り開かれ、そこから真っ白な小さな手が二本、にょきりと出て来た。
出て来たのは両手だけ。その小さな両手が茜色の空に向けられ、何やら強く力を込められている。
次の瞬間。茜色の雲海が切り裂かれ、雲海の向こうに岩山の頂点が見える。
「おお」
「流石」
叶馬と健太が感心していると、『空間収納』から突き出ている小さな二本の手が小さな握りこぶしを作る。顔が見えなくとも、雪のドヤ顔が想像できるくらいに感情表現が豊かな両手である。
その後、もやっと雲とモモノスケがその雲切れ目を抜けると、程なくして山頂にたどり着いた。
岩山の山頂といっても、富士山のような頂点が一つ切りの山ではない。まるで不揃いな剣山のように雲海の上に高さの異なる山頂が、いくつも存在している。
まるで、雲海という海に浮かぶ小島の群れのようだ。
その山頂はいずれも真っ赤な石榴を実らせた木が生えており、視覚的には化け物の領域ではなく清玄たる隠れ里、中国に伝わる仙界のようなイメージだ。
しかし、肌に感じる空気は、そんな清涼な風景を裏切る粘りつくような邪気を感じさせるものだった。
何かがおかしい。
「《視覚強化》《時間感覚強化》《敏捷強化》《筋力強化》《耐性強化》」
用心のため健太が『増強術士』のスキルで可能な限りの自己強化を図っていると、ふと隣で叶馬が不思議そうな声を発する。
「雪ちゃん?」
突如、『空間収納』の中から出て来た雪色の和装少女は叶馬の膝の上に座ると、厳しい表情と周囲を睨みつける。
健太は一瞬また自分が睨まれているのかと思ったが、どうも違うようだ。雪は明確な敵意を持って周囲を睨んでいる。叶馬の膝の上に収まる小柄な体躯からは想像もつかない、強烈な殺気だ。
その殺気に応えるように、突如叶馬達に『黒い雷』が放たれた。
「ッ」「む?」「!!」
あまりに一瞬の攻撃で、健太も視覚と時間感覚を強化していなければ間違いなく反応できなかっただろう。
叶馬は全く反応できていない。
今の叶馬はボス戦を想定して『重圧の甲冑』を身に纏っているが、『重圧の鎧』の性能は物理防御に特化している分、魔法防御は低いらしい。
だから、今叶馬が無傷でいられるのは、装備とは無関係で純粋に叶馬の体質による。雷撃で『雷神』である叶馬にダメージを与えることは限りなく不可能に近い。
しっかり左腕の方形盾で防御してもなお、全身に軽い痺れを覚えている健太からすると羨ましい限りだ。
「市湖先輩に手伝ってもらった『耐雷』の梵字を二重にしてこれだけ来るか」
『応龍』モモノスケの背中でしっかりと防御態勢を取っていた健太はそう呟く。
原作で『ぃよう』こと鵺と相対する可能性を知っていた健太はその対策として、インドラジットの梵字を刻んだ護符を用意していた。
インドラジットはインド神話の鬼神で、あいにく仏教には対応する御仏がいないため、難しい長い梵字を掘る必要があるのだが、そうするだけの価値のある力を持っている。
インドラジットの元の名前はメーガナーダといい、インドラジットという名前はかの雷神インドラを倒した際に得た尊称だ。
インドラジット。その意味はズバリ「インドラに勝利した者」。
インド神話の中では最古に近い神格であるインドラは、強大な神の代名詞的なところがあり、その分他の神々の強さ、偉大さを表現するのに用いられることも多い。
曰く「インドラに匹敵する」。曰く「インドラと決着がつかなかった」。曰く「インドラを退けた」。
だが、そんな中でも名前がズバリ『インドラに勝利した者』となっているインドラジットはインドラに対抗する神格としては一番適当と言えるだろう。
そのインドラジットの梵字に、補助文字としてブラーフミーン文字で効力を限定、拡大し『雷撃全般に対する防御』として成立させたのだ。
そんなインドラジット梵字の護符は二つ完成しており通常の物をベルトのバックルに、効果範囲を狭めた分より耐雷性能を高めた物を方形盾の裏に仕込んでおいた。
その二重の『耐雷』装備のおかげで今の雷撃にも健太は多少痺れる程度のダメージですんだ。
逆を言えば、二重の『耐雷』護符があっても完全には防げなかったということだ。流石は極級レイドのボス、というべきか。
(いや、違うな。これは原作からのズレだ)
何となく不穏な雰囲気。禍々しさを感じさせる闇色の雷撃。そして健太に確信を抱かせたのは雪の表情だ。
球形のバリアでやすやすと雷撃を受けきった雪は、純度の高い殺意に表情を固めてある方向を睨んでいる。
その表情は、健太に向けた顔を中央に寄せるようなどこかコミカルな嫌悪の表情とは次元が違う。
雪は叶馬の膝の上でその小さな右手をブンと横薙ぎに振る。
すると遠方で、ドゴンという恐ろしく重い打撃音と「ギシャア!?」という耳障りな悲鳴が聞こえて来た。
「雪ちゃん、わんぱくマジカル幼女」
呑気なことを言う叶馬に雪は左手でぺちぺちと座っている叶馬の太腿を叩き、右手の人差し指で睨んでいた方向に指し示す。
あっちに行け、と言っているのだろう。
「健太」
「ああ、行くぞ」
もやっと雲に乗った叶馬と、モモノスケに乗った健太は雪の誘導に従い動き出した。
雪の指示通りに叶馬と健太が向かった先は、雲海に浮かぶ小島のような山頂の一つ。その中でも一番大きな島だった。
島というより島の周りの岩礁程度のものも多いが、そこは立派な島として一つの生活圏が成り立つくらいの広さがある。
具体的に言えば、全長三十メートルの四つ足の生き物がさほど不自由なく、普通に生存していられそうなくらいの広さだ。
「ギイイアア!」
陥没した岩山の岩肌の側に立つその巨大な生き物は敵意を隠さない唸り声を上げる(岩壁の陥没は大きな人の手形のような形をしている)。
大雑把に見ればその生き物のシルエットは虎に近い。
全体のしなやかそうな体つきはネコ科のそれだし、四本の太い脚は白黒の虎柄だ。
だが、細くて異様に長い尾は毛皮はなく鱗で覆われており、グネグネと動く様は尾自体が別な意思を持った蛇のようだ。
さらに顔は、明らかにただの虎ではない。体は白、四本脚は白黒の虎柄なのに対し、顔は白地に目に鮮やかな赤の模様が描かれている。
歌舞伎役者の舞台化粧を彷彿させるド派手な模様だ。
原作を知る健太はそれが、ここ『轟天の石榴山』の王権所有モンスター『鵺』であることを知っていた。
原作ではこの時点ですでに死んでいて、所有する能力の一つ『輪廻』で生まれ変わった子鵺を雪がしばき倒して仲間にするのである。断じて生まれ変わる前の大怪獣を相手にしたわけではない。
「このズレは、俺一人が加わった程度で修正できるのか?」
『戦士の不動心』がオンになっている健太は、モモノスケの背から岩山に降りて油断なく戦闘態勢を取りつつも、彼我戦力差を冷静に判断し、そんな疑問を抱く。
この時点の叶馬はまだGR系第二段階職『雷神』。敵が同じ雷属性であることは原作の子鵺の場合はプラスに働いたが、この大怪獣鵺の場合には間違いなくマイナスに働く。
お互い雷撃を無効化し合うのだから、戦闘は肉弾戦になる。この巨体の相手は、流石の叶馬でも手に余るだろう。
「……流石にこれは厳しいのではないだろうか。雪ちゃん」
愛用の六角六尺棒――『餓鬼王棍棒』を構えつつ、叶馬もそんな言葉を漏らす。
だが、あいにくと最後の一人、雪が非常にやる気だ。
その凍り付いた眼差しで巨大怪獣『鵺』を睨み上げる様子からは、不退転の決意が伺える。
ならば是非も無し。
勝ち目が薄い、勝ち目がないことで戦闘を忌避するほど軟弱な叶馬ではない。
だが、勝ち目が薄いままただやみくもに突っ込むのは戦闘という神聖な行為を冒涜しているに等しい。
僅かでも勝算を上げるべく、叶馬は先ほど改良してもらったばかりのスキル『情報閲覧』で巨大怪獣を視る。
「ふむ。
名称:『起屍鬼』
種族:鬼
属性:鬼
階位:100+※※※
能力:『屍憑依』『闇纏』『無断借用』【『雷公』】
猫っぽいのに鬼なのか?」
そこまで叶馬が読み上げたところで、健太はすぐに理解した。
「《浄視》」
健太が『浄魔士』のスキル『浄視』で大怪獣鵺を見る。
すると、巨大怪獣鵺の全身に絡みつく黒くおどろおどろしいヘドロのようなような物と、縦に断ち切る様に傷を負っている左目が深紅に染まっている様が視えた。
同時に健太は『起屍鬼』の情報を『脳外記憶領域』から引き出す。
『起屍鬼』
インド、中国を中心にアジアに伝承が伝わる鬼神。死体を操る力を持つ。
日本の妖怪『死人憑き』と同一説あり。
「そういうことか。それなら勝ち目は十分にある。叶馬。あれの正体は、死体に取り付く化け物だ。俺が引きはがす。それまでの時間稼ぎと、引きはがした後の止めをやれ」
「承知した」
健太の指示に短く答える叶馬の口元は、珍しく笑みの形に歪んでいた。