倶楽部対抗戦の最中でも午前は普通に授業がある。倶楽部対抗戦の予選は午後からだ。
これが何を意味するかというと、午前中同じ教室に倶楽部対抗戦の出場者が半強制的に集められているということになる。
午前最後の授業が終わった瞬間、一番身近にいるのは同じ教室の人間だ。一番対戦を申し込みやすい相手は同じ教室の他の倶楽部の人間、ということになる。
だが、同じ教室内で対戦が実現するケースは意外に少ない。
少し考えれば当然のことだ。基本的に年度が替わらない限りクラス替えはないのだ。バチバチにやり合って遺恨を残した状態で、今後半年以上顔を合わせ続けるリスクを考えれば、それを避けるのは当然の選択と言える。
それでも少数ながら、同じ教室の人間に対戦を吹っ掛ける者がいることも確かだ。
理由は大きく分けて三つある。
一つは、申し込む側が全く空気を呼んでいない場合。
さらにそこから空気を読む必要がない絶対強者の場合と、空気を読む能力が絶望的な絶対お馬鹿の場合に分かれるのだが、叶馬はその両方に当てはまるだろう。
誠一、静香、凜子といった倶楽部の仲間が全力で手綱を引いていなければ、どこかで暴走する危険を今も秘めている。
もう一つは、今更気にする必要がないくらいに因縁が出来てしまっている場合。
最初からこじれ切った人間関係ならば、今更因縁が一つ増えても気にすることもない。
沙姫に片腕を切り落とされた同じ一年寅組の男子がこれに相当するだろう。ただしこの場合、因縁は男子から沙姫への一方通行で、沙姫は男子を一個人と認識しているかすら危ういが。
そして最後の一つは、対戦を吹っ掛けられる側が決定的に舐められている場合だ。
教室内カーストにおける最底辺。「こいつになら確実に勝てる」「こいつは俺よりも下」「こいつに恨まれたからってなに?」と思われている存在。
倶楽部『安息所』の先鋒、来斗はまさにそれだった。
初日の月曜日ではなく、二日目の火曜日に来斗が対戦を吹っ掛けられたのは、別段彼らが用心深かったからではなく、来斗という「確実に取れるバッジ」を誰が取るかをめぐって駆け引きがあったからだ。
だから来斗が完全武装で屋上に姿を現したときも、対戦相手である男子生徒も結果が分かっている面白い見世物を見るつもりで集まっていた同じ教室の男子の大半も、緩んだ空気を纏い、嘲笑を顔に浮かべたままだった。
「うっわー、似合わねー」
と一人が呟いたことで嘲笑は爆笑に代わる。
実際、小太りでいかにも運動神経が死んでそうな来斗が全身鎧を着て、黒い革製の指なし手袋を装着した手で、両手持ちの金砕棒を持っている姿は、滑稽に映るだろう。
だとしても、その反応はあまりに見る目がなさすぎる。
来斗が纏っている全身鎧は堅牢犰狳という彼らがまだ誰も到達していない第五階層に生息するモンスターの革で出来ており、棘の生えた左肩の金属部分は独立した銘器マジックアイテムだ。
さらに、長いて太い両手持ちの金砕棒も無銘ながら強力なマジックアイテム。
そもそも、大部分が革製とはいえ全身鎧を纏って長大な金砕棒を持って普通に歩いている時点で、来斗の身体能力がノービスの領域にないことは一目瞭然だろうに、その事実に大半の男子が気づいていない。
それは来斗を最底辺としてどうしようもなく見下しているという点も大きいが、それ以上に大きいのはまだ学園外の常識を捨て去れ切れていないからだ。
彼らは知っている。四月の初期、自分達と一緒にダンジョンダイブした来斗が何の役にも立たず、泣き叫び、腰を抜かして動けなくなり、ぶ様に殺されるだけの足手まといであったことを。
それからその頃からまだ二カ月も立っていないのだ。
通常二カ月という月日は、たとえ心を入れ替えたとしても現実的な成果を期待するにはまだまだ短すぎる期間だ。
勉学でも、スポーツでも、なんならイラストや音楽のような趣味の世界でも、『才能のある初心者』ならばともかく最初は落ちこぼれていた者が心を入れ替えて取り組んだところで、下剋上を起こすにはせめて半年は欲しいところだ。
だが、ここ豊葦原学園では全く話が異なる。この学園にはレベルというゲームような要素が実在している。
心を入れ替えてダンジョンダイブに取り組めば、ましてパワーレベリングという救いの手を差し伸べてくれる援助者がいれば、昨日まで勝率ゼロパーセントだった対戦カードが、今日は勝率百パーセントになることすら起こりえる。
その事実がまだ実感として肌に浸透してないのだろう。
無論、全員ではない。一年辛組で現状カーストトップとされている体格の良い男子二人は、来斗が完全武装で屋上に姿を現した時点で顔色を変えている。
その二人はゴールデンウィーク前に転職しており、上級生が作った倶楽部に籍を置いているので今回の「来斗のバッジ」に最初から手を伸ばしていない。
屋上に複数ある簡易結界内で、来斗と対戦相手の一年辛組の男子が向かい合う。
「うわ、きったねえ顔。もう半ベソかいてるじゃねえか。鼻水も出てるぞ。それ俺にかけたらマジぶっ殺すからな」
緊張と恐怖でいつも通り目に涙、鼻に鼻水を滲ませている来斗を見て、対戦相手の男子は緊張感の欠片もなくそう吐き捨てる。
その男子の装備は長槍だ。初期装備ではないが、購買で販売している装備だ。
来斗の金砕棒と比べれば何段も格下の装備だが、リーチだけは明確に向こうが上だ。
『重殴士』である来斗にとってリーチに勝る敵というのは天敵となりうる。今は『馬蹄』の鉄靴があるので機動力という弱点も補われてはいるが、それでも同レベル帯の戦士と比べれば現状でも機動力は「負けない」といった程度なのだ。
機動力とリーチの両方で負けている場合、遠距離攻撃手段が「少ない」来斗は完封される恐れがある。
来斗の脳裏に「敗北の可能性」が強く意識される。
だから白い覆面を被った対抗戦実行委員が良く通る声で「始め!」と言ったとき、来斗は反射的に普段のダンジョンダイブで一番よく使う攻撃を繰り出した。
「《びええ!》ぎゃあ!」
すなわち開幕『殴衝波』から距離を詰めての金砕棒の全力振り下ろし。
『殴衝波』は『重殴士』の数少ない遠距離攻撃スキルだ。
固体、液体、気体、いずれかをぶん殴ることで衝撃を伝えて対象にダメージを通すそのスキルは、射程距離もあまり長くない上に威力も低いが、その代わりに無形の衝撃波という攻撃手段が非常に回避しづらく、食らうと僅かな時間だが対象を硬直状態に出来る。
その衝撃波で硬直している間に、どうにか距離を詰めて金砕棒の射程内に相手を捉えるというのが、来斗の一番使用頻度の高い連続攻撃なのだ。
しかし、『馬蹄』の鉄靴のおかげで以前とは比べ物にならない速度で距離を詰めた来斗の渾身の振り下ろしは、対象である男子生徒を捉えることはなかった。
「それまで」
来斗が全力で振り下ろす金砕棒は、一瞬にして間に割り込んだ対抗戦実行委員の左掌に受け止められたからだ。
「勝者、『安息所』の来斗」
「…………へ?」
勝利を告げられた来斗は、金砕棒を振り下ろす途中の体勢で固まったまま、間抜けな声を発する。
「君の勝ちだ。二撃目が入っていれば死んでいた可能性が高いので、割って入らせてもらった。殺意がなかったのは分かるが、この実力差ならば手加減を覚えた方が良い。予選ではこれくらいの実力差の対決は多々ある。手加減が難しいのならば頭に当たらない攻撃を選択したまえ。そうすれば最悪の事態は防げる」
審判の言葉にやっと戦闘状態を脱した来斗は、対戦相手である男子生徒が最初の『殴衝波』だけで半死半生に陥っているという事実に気づく。
両目、両耳、そして鼻と口。全ての穴から鮮血を流し、膝から崩れ落ちている男子生徒に審判を務めていた白覆面の実行委員が、手慣れた様子でポーションを振りかけている。
牽制と足止めのつもりの初撃でKOしてしまった。あまりの予想外の結末に、極度の緊張から解き放たれた来斗はつい、正直な感想を漏らす。
「弱っ」
と。
「だる、覚悟はしてたけどさあ」
大切なパートナーの圧勝を見ていた実咲は、ため息交じりにそう呟いた。
予想は出来ていたことだ。一年辛組の教室で漏れ聞こえてくる男子達の『武勇伝』を倍くらいに誇張しても、実咲が知る来斗のダンジョンダイブの足元にも及んでいないのだから。
ついにバレてしまった、来斗の本当の価値。
それに対する男子の反応は、突きつけられた現実を直視出来ていない声が大半だ。
「まぐれだろ」「あいつ雑魚すぎ」「いくら何でも来斗に負けるか?」「凄い。戦士系の攻撃スキルで衝撃波による遠距離攻撃は第二段階職以上にしか存在しなかったはずだ」「雑魚が雑魚に勝っただけだろ」
そんな男子の意見に比べると女子はずっと素直の目の前で起きた現実を受け入れて、素早く行動を起こしている。
「びっくりした。来斗強いんだ」「なんて俱楽部? うちのクラスの倶楽部じゃないよね?」「流石に詐欺でしょ、これは」
一部の例外を除き、この学園の女子は強い男子に阿る存在だ。そのため男子と違い変なプライドはない。
すでにこの学園で二か月という時を過ごし、最初の定期試験と最初の補習という一大イベントも済ませた女子の大多数は、常識も価値観も学園のそれにアップデートが完了している。
つまり、強さというこの学園で最重要なモテ要素を見せつけた来斗の評価は、この瞬間一変したと言える。
「凄いね、あんたの彼氏」
「……ありがとう、伊吹」
少し離れたところで見ていた実咲に、そう声をかけてきたのは一年辛組女子のリーダー格である伊吹だった。実咲にとって最初に組んでいたパーティーのリーダーであり、実咲が質の悪い上級生男子の新入生狩りに捕まった時切り捨てた本人でもある。
伊吹が切り捨てなければ当時のパーティーメンバー全員が共倒れだっただけで、実咲にそこから抜け出す目はなかったことは分かっているが、それでも実咲が伊吹を恨んでいないかと言えば、そこまで実咲は理性的ではない。
同時に実咲と来斗がFランクのエンジョイ倶楽部に囚われて玩具にされていると誤解されていたのに、教室内の立場が孤立ですんでいたのは伊吹がそれとなくフォローしてくれていたからということも、実咲は何となく察していた(来斗は全く気付いていない)。
学園という特殊空間において、女子の最重要は男子との関係性であることは事実だが、学園である以上女社会という部分も存在している。
「これからのことは考えてる? あの通り、クラスの女子が放っておかないと思うけど」
そう言う伊吹自身は一年辛組で一番有望な男子(来斗を除く)のパートナーに収まっているため、降ってわいた来斗フィーバーを比較的冷静に見ている。
「覚悟はしてたわよ」
実咲は来斗に視線を向けたままそう言う。
実咲は自分の顔やスタイルに一定の自信は持っているが、この学園では精々中の中、欲目で見て中の上程度という自覚がある。
つまり一年辛組女子の中にも、実咲より上玉の女子はいるということだ。
筆頭は間違いなく、今実咲の隣に立っている伊吹だろう。
すらりとしたスレンダーな体型は好みが分かれるところだが、首、手足が長い八頭身以上のスタイルを誇っているし、キリリとした顔立ちは問答無用で美人と言えるレベルだ。
中学時代陸上で結構なレベルまでいっていたとか、モデルのバイトをしていたという噂が流れているが、事実はどうあれそう言われて納得いくだけのスタイルをしている。身体能力も女子としてはハイレベルだ。
そんな伊吹ほどではなくとも、男子が下世話な人気投票をやれば間違いなく実咲より上に行くであろう女子も含めて、多くの女子が今来斗に熱視線を浴びせている。
感情のままに行動してい良いのなら、実咲は今すぐ来斗に抱き着いて女子達をけん制したい。
Fランクエンジョイ勢のオナホ女という地獄に首まで使っていたところを助けられたという実情と、その後のセックスでどっぷり隷属した肢体に引きずられ、実咲の来斗に向ける感情は自分でも引くくらいに重いものになっている。
しかし、この学園で隷属している女子が男子に対して独占欲を剥き出しにする危険性は、先輩達からよく言い聞かされている。
(『安息所』の残り六枠は健太さん以外の男子三人で二枠ずつ分けるんだよね。確かに私一人だと来斗の相手は厳しいか。いや、でも烏琉羽先輩もいるし)
この間、『文官』系第二段階職『書記』になったばかりの実咲と、『戦士』系レア第二段階職『重殴士』のカンスト見えてきている来斗では、かなりのレベル差がある。
セックスによる経験値の譲渡は男子から女子への一方通行だが、それを踏まえても戦闘で倒すモンスターの数、そもそものダンジョンダイブの頻度、そして『文官』特有の『モンスターカード』に経験値の半分が吸い取られる問題を加味すると、来斗と実咲のレベル差は今後より一層開いていくことがほぼ確定している。
「ひとまず相談してみるか」
相談。そう考えた時実咲の脳裏に浮かんだのは、『安息所』の先輩達より先に烏琉羽の顔であった。
倶楽部対抗戦予選二日目が終わった時点で、一つ判明したことがある。
正確に言えば予想されていたことが、まごうことなき事実であると判明した。
それは、倶楽部『安息所』の男子は四人が四人とも物凄く舐められる外見をしている、ということだ。
集まったバッジは健太が一つ。尚典が三つ。来斗が二つ。霊王が一つ。そして、竹海が五つ。
合わせて十二個。
予選二日目を終えた時点で『安息所』はすでに予選突破を確定していた。
予選突破が決まったことを知った健太は「ちょっと用がある」といって図書館に行ったのでこの場には不在だ。
そんな白鶴荘の食堂で、倶楽部『安息所』のメンバーたちは本日までの成果を持ちより、喜び一分、戸惑い九分の声を上げていた。
「そろっちゃった、ね」
「お、おめでとう?」
「うわっ、全員こっちから対戦を申し込んでないんすよね? 俺らってそんなに弱そうっすか?」
尚典、来斗、霊王の男子三人が半笑い、戸惑い、不本意といった声を上げているなか、唯一の女子レギュラーである竹海は嬉しそうにクツクツと笑う。
「そこは自覚したほうが良いね。まあ、これでCランクは決定したんだ。一年主力の倶楽部がCランクになれば今後は一目置かれるよ」
そう言って竹海はテーブルに頬杖をついた体勢でそう言う。
竹海の服装はいつも通り、ノースリーブシャツに太腿剥き出しのホットパンツ。この場にはパートナーである健太がいなく、健太以外の男子が三人もいるというのに全く気にするそぶりもない。
学園でもトップ層の深い乳房の谷間すら見える服装に、男子三人がアワアワと視線を泳がせる。
「あ、いや、でも僕たちはともかく、竹海先輩は本当に大丈夫なんですよね、それ?」
必死に視線を逸らしながら尚典が言うそれとは、最多である竹海の獲得バッジ五個のことだ。
竹海が獲得した五個のバッジ。そのバッジは五つ全てが同じ紋章――丸の部分が重なるように描かれている四つの♀と、その重なった丸を♂の矢印が貫いている――が描かれている。つまり、一つの倶楽部のレギュラー五人全員が竹海に負けということだ。
そして、負けた五人が全員この場にいる。
「問題ございません、尚典様。確かに私たちは最初から負けると分かった上で竹海に対戦を申し込みましたが、対戦そのものは本気でやりましたから」
そう言ったのは、倶楽部『O嬢極』の部長にして当然レギュラーの一人でもあった和花だ。
すでにシャワーを済ませているのか、柔らかそうな猫毛の茶髪がしっとりと濡れており、いかにも優し気な笑みを浮かべている。
「審判の実行委員には釘を刺されたけどね。「バッジは認めるが、シード条件には含めない」とね」
そう言って竹海はノースリーブから剥き出しになっている肩をすくめた。
倶楽部『O嬢極』は部長の和花、副部長の一人に芽衣という、健太が補習レイドで保護した三年女子二人が中心になって立ち上げた白鶴荘の女子によるFランク倶楽部だ。
当然全員が女子で、将来的には健太の『安息所』と同盟を結び、その庇護下に入る代わりに主に肢体で娯楽を提供する予定になっている。
こうした有力倶楽部の庇護下に入る前提で結成された女子だけの倶楽部というのはそれなりの数存在する。そうした倶楽部にとって倶楽部対抗戦のレギュラーというのは、罰ゲームに近い。
幸い予選のルールは降参が認められていることが多いのでそこまで大事には至らないのだが、それでも質の悪い倶楽部に目を付けられれば、トラウマになるくらいの大けがを負わされることも珍しくはない。
倶楽部の紋章バッジを失うと、代わりに×印のバッジを与えられる。この×印のバッジになっても「審判が同等」と認めた賭け品を用意すれば、バッジ持ちに勝負を申し込むことはできるのだが、逆に×印バッジになっている者に勝負を申し込むことはできない。
だから、今回の竹海のように「痛くないように倒してくれる」相手にバッジを売るような行為が成立するのである。
「ルールガバガバじゃないすか?」
呆れたような霊王の言葉に、和花は優し気な笑顔で答える。
「そうですね。この学園、いい加減なところは本当にいい加減ですから」
陸の孤島である豊葦原学園。学園に収監された時点で、普通科の生徒は戸籍すら失っている。
物理的にも法的にも逃げ場がないことが分かっている分、扱いはいい加減なものとなる。だからこそ敷かれる単純な力のルール。だからこそ弱者が望むのは少しでもマシな庇護者。
「というわけで、四葉寮長と交渉して我が倶楽部『O嬢極』の部員の部屋の扉には、倶楽部の紋章を下げる許可を頂きました。
『安息所』の殿方はいつでも、気が向いた時、気が向いた部屋に泊まっていってくださいませ。倶楽部『O嬢極』十三名全員、肌に磨きをかけてお待ちしております」
世間では非常識だが学園内ではそこまで珍しくもない和花の口上に、尚典、来斗、霊王の三人は身の置き場が無さそうに共同不審な動きをし始める。
その三人の初心な反応を、少し離れた席で見ていた上級生女子達――『O嬢極』の部員達は嬉しそうに笑って手招きをしている。
「尚典君はここにお部屋ないでしょ? 泊まるときは私の部屋にいらっしゃい」
「来斗君、うちは一人部屋だから彼女同伴でどうぞ」
「霊王君は早速今夜から私たちの部屋ね。珠貴さんの許可は貰ってるから」
「お嬢!?」
霊王がびっくりして隣に座るパートナー――珠貴を見ると珠貴は霊王の耳元に口で囁くように言う。
「無理強いは論外だけど、誘われたなら有難く頂くのが男の甲斐性ってもんだろ。うちらが護る縄張りなんだ。断る方が無粋だよ」
その生まれと就いている職『侠客』からも察せられるように、珠貴の価値観は少々古い極道社会のそれのようだ。
霊王には教えられない事実として「珠貴一人で霊王の相手を続けると、隷属しかねない」という問題もある。
珠貴も盗賊系第二段階職『侠客』となっているが、スキップ転職で『怪盗』になっている霊王の方が総合レベルでは上だ。戦闘力こそ職の違いと生来の戦闘センスの差で珠貴が勝っているが、セックスによる隷属現象にそこは大きくは影響しない。
そもそも隷属現象は男から女への一方通行。同格や、最悪男が格下であっても一対一の行為を重ね続ければ僅かながら隷属は進むのだ。
『侠客』のスキルで霊王を『舎弟』としているため、通常の男女と比べれば浸食はかなり抑えられているが、それでも今の調子で体を重ね続ければ隷属は時間の問題だと珠貴は感じていた。
「…………といった感じで想像通り、教室の女子達が来斗をロックオンした感じなんですよ。どうしましょう?」
今日一年辛組であった出来事について、実咲が相談している相手は『安息所』の上級生でも『O嬢極』の部員でもない。
白鶴荘『姉妹』治安部隊『色仕掛け』要員、烏琉羽である。
真っすぐな長い黒髪が目を引く烏琉羽は、くるぶしまで隠れるワンピース型の部屋着姿で楚々とした笑みを浮かべている。
「そうですね。結論から申し上げれば、クラスメイトに関しましてはそこまで警戒する必要はないと思いますよ。無論、慢心や増長は禁物ですが」
烏琉羽の言葉に、実咲は付けまつ毛とアイシャドウで大きく見せている両目を瞬かせた。
「え? でも、うちのクラスの連中それなりですよ? 流石に烏琉羽先輩クラスはいませんけど、私よか上は珍しくない感じで。言っちゃなんですけど来斗ってチョロいじゃないですか」
声を潜めて言う実咲の評価は間違っていない。それは押し切ってパートナーの地位に潜り込んだ実咲の実体験に基づく評価である。
だが、その言葉を否定はせずとも異論はあるとばかりに、烏琉羽は少し視線を天井に向けて考える。
「そうですね。なんとご説明すればよいのか。実咲さん。失礼ですけれど入学以前の男性経験は?」
「え? まあ、ぼちぼちですね」
烏琉羽の問いに実咲は特に気負わず素直に答える。
この学園の普通科は入学前に最低限どのようなところか説明を受けた上で本人の維持で入学を決めているため、女子の処女は少数派だ。男子の童貞は少数派ではないが。
実咲も一昔前のギャルなファッションから連想する通り、それなりの奔放な性生活を営んできた部類である。
「そのご経験の中に、来斗さんのようなタイプはいらっしゃいましたか?」
「来斗のようなタイプ?」
首を傾げて聞き返す実咲に烏琉羽は説明の言葉を重ねる。
「健太さん、来斗さん、尚典さんのようなタイプですね。霊王さんは少し外れますか」
そう言われると実咲も何となく、烏琉羽が言わんとしていることを察する。
「あー、それはない、です。こう言っちゃなんだけど、当時はその手の人種は視界に入ってなかったというか」
ばつが悪そうに視線を揺らす実咲の答えは、烏琉羽の予想通りのものだった。
「それでしたらちょっと想像できないかもしれないですね。来斗さんたちは、実咲さんがこれまでお付き合いしてきた殿方とは色々異なっています。
男女関係の経験が不足しているので一見するとすごく容易い相手に見えますしそれも事実なのですが、なんといいますかその……」
珍しく少し言葉に詰まった後、烏琉羽はより一層声を潜めて、
「女性に対して幻想を抱いておいでです」
と言い切った。
「…………ああ」
ちらりと向こうの席で話を続けている来斗達に視線を向けた実咲は、納得したように頷く。
隷属していても、知性や常識まで曇るわけではない。来斗の女性観がひどく抽象的で理想化の激しいものであることは実咲も感じていた。
「貴女という『理想の彼女』がいて、それでも足りない部分は私もいます。それなのに自分を見下していたクラスメートを今更受け入れることはまずないかと。来斗さんのようなタイプはその辺、とても頑なですから」
以前はじぶんを見下してた、馬鹿にしていた、歯牙にもかけていなかった女子が手のひらを反してすり寄って来る。
その状況にある程度女慣れしている学園男子ならば「まあ、女なんてそんなもん」といった感想を抱き、むしろ手のひらを返してきた女子を「自分が強くなった証」として重宝するかもしれない。
だが、来斗は(恐らく健太も)そんな達観には至っていない。
力を見せて手のひらを返すような女子もいれば、最初から優しく接してくれる女子もいる。来斗にとって実咲、健太にとって蘭がそうだ。
それなのになぜ、簡単に手のひらを返すような女子を受け入れてやらなければならないのか。今更すり寄ってきてももう遅い。というのが来斗の正直な心情だろう。
纏めれば、来斗は女子に幻想を抱いていて、実咲をその幻想から大きくはズレていない『理想の彼女』と認識しているということだ。
烏琉羽の言わんとしていることを理解した実咲は、思い切り顔を引きつらせる。
「プ、プレッシャー半端ねー。ぶっちゃけ私なんて教室の女子達となんも変わらないですよ。ていうか、顔や体はともかく中身なら下から数えた方が早いかも?」
学園女子基準でも擦れている側の自覚がある実咲はそう言う。
すべてはたまたまだ。
たまたま、当時エンジョイ勢に捕まっていた実咲が、来斗を生贄に選んでダンジョンダイブに誘った。
それと気づかず来斗はダンジョン内でエンジョイ勢を返り討ちにし、一度死んだ。
その結果、来斗の記憶上では実咲は「自分に積極的に声をかけてくれて、その後パートナーになってくれた女子」になっている。
しかも、記憶にないところで自分は実咲を捕えていた悪い奴らを撃退して助け出したらしい。その「助けてあげた」という事実が自尊心まで満たしてくれる。
「そこは頑張るしかないですね。蘭もそうやって頑張ってますよ」
烏琉羽はそう言って上品に右手で口元を隠し、クツクツと笑うのだった。