倶楽部対抗戦の予選ルールはバッジの奪い合いだ。
バッジを奪われた者は倶楽部紋章バッジの代わりに×バッジを付ける。
×バッジになってしまった者に勝負を持ちかけることは出来ないが、×バッジの者がバッジを持っている者に勝負を挑むことはできる。ただし、その場合×バッジの者はバッジに代わる対価を用意してそれを賭ける必要がある。
その賭け品が紋章バッジと釣り合っていると対抗戦委員会が判断すれば、×バッジになった後でも予選に参加することは可能。
そして、その×バッジの持ち主が自分と同格か格下であった場合、挑まれた側に拒否権はない。
拒否権はないのである。
「それまで。勝者、『安息所』の健太。勝者の権利として、健太は『O嬢極』の芽衣を大会予選開催中も自由にできる。これは芽衣の予選参加権に優先する」
「よしっ」
開始直後、手に持つ短杖を振るう間もなく一瞬で健太に背後を取られ、その細い首に腕を回されて降参した艶なし黒髪ミディアムショートの三年女子――芽衣は健太の腕の中でグッと小さくガッツポーズを作る。
「いや、よしじゃないです」
立ったまま後ろから柔道で言う裸締めの体勢で芽衣の首を決めていた健太は、そうツッコミを入れながら拘束を外す。
それなのに両者の距離が全く広がらないのは、芽衣が健太の胸に背中を預けるようにベッタリとすり寄っているからだ。短いスカートをはいた小さな尻を健太の股間に擦り付けるようにすらしている。
「芽衣、離れてくださいな。後がつかえているのですから」
芽衣にそんな柔らかな声をかけてくるのは、猫毛茶髪ミディアムロングのいかにも優し気な風貌をした三年女子、和花である。
「……ん」
倶楽部『O嬢極』の部長でもある友人の言葉に芽衣は不満げな表情を浮かべつつも、健太から離れる。
後がつかえているという言葉は、大げさではない。
和花だけでなく『O嬢極』のレギュラー残り三人もここ屋上の決闘施設の周辺に腰を下ろし、ニコニコこちらを見ている。
今回の予選のルールでは、一度でも負けてしまったものはバッジを失うことになっている。それなのに同じ相手への対戦を順番待ちしている。つまり、芽衣を始めとしたこの五人は「負けに来ている」のである。賭け品として自分の肢体をベットして。
ちなみに「予選開催中も自由にできる。この権利は○○の予選参加権に優先する」などという面倒な条件が付いているのは芽衣だけで、和花たち四人はシンプルに「負けたらセックス」だ。
なにせ、芽衣は健太の公式パートナーなので単純に「肢体を自由にできる」だけでは賭け品にならない。その権利はすでに健太にあるのだから。
「審判、これ良いのですか?」
「……ルール上問題はない」
健太の問いに審判も白い覆面の下でちょっと沈黙があったのは、これが一種のルールの穴あることは分かっているからだろう。そして、ルールに穴が開いている以上その穴をつく行為を咎めることはルールを守らせる側として出来ないことも。
そうしているうちに二人目の和花が配置につき、本日第二戦の準備が整う。
『文官』系である和花の武器は『モンスターカード』だ。
開始前のスキルを使って準備を整えておくことは認められない関係上、開始の合図を受けてからモンスターカードを『具象化』しなければならない『文官系』はこの手の一対一では大きく不利を受ける。
実際健太ならば、和花が『具象化』するより先に仕留めることも容易だろう。
しかし、健太としては八百長を疑われるのが怖いので、和花がモンスターカードを『具象化』するのを待つ。
「始め!」
「《おいで》和太」
和花の言葉を受けて剣牙虎が具象化した次の瞬間、健太は先ほどの芽衣戦同様、一瞬で和花の後ろに回り込み和花の首に腕をかける。
「あ……旦那様……」
「はあ……そこまで! 続きは後にしなさい!」
健太に裸締めを食らって目をトロンとさせて脱力する和花の態度に、審判は白いマスク越しでも分かる呆れた口調で、健太の勝利を宣言するのだった。
――穿界迷宮『YGGDRASILL』、接続枝界『黄泉比良坂』――
――第『拾壱』階層、『既知外』領域――
芽衣たちの目論見通り、『O嬢極』レギュラー五人の『押し売り』を受けた健太だったが、幸いその支払いは双方の同意があれば夜の白鶴荘でも問題なかったため、健太は残りの時間でダンジョンダイブを敢行していた。
華組で生徒会書記でもある薫の依頼で、第十四階層『死國』での『護衛』クエストをやることになったのだ。現状健太の最高到達階層は第十一階層。
『護衛』クエストを受ける前に、最低でも数回は第十四階層を予習しておきたい。
そんな考えからダンジョンダイブを行った健太は、まっすぐ下の階層に繋がる界門を目指していた。
界門にたどり着いた健太を待っていたのは、当然ながらそこを守る界門守護者だった。
「クェッツ! クェッツ!《ファ》」
「ふっ!《せいっ》」
界門守護者が放つ炎塊を高速移動で回避した健太が、槍のように伸ばした大剣を振るう。
「《ド》」
だが、その『豪撃』を乗せた剣戟は、突如大地からせりあがってきた岩の壁に阻まれる。無論、一枚の岩壁で健太の『豪撃』が防げるはずはなく、横薙ぎの一撃は一瞬速度が鈍っただけですぐさま岩壁を打ち砕く。
だが、その一瞬の速度低下があれば十分だった。
「《シ》」
自ら興した暴風に乗り、界門守護者は一瞬で健太の斬撃より身をかわした。
「《縮め》……炎、土、風か。見た目通り、水も使えると思った方が良さそうだな」
大剣の柄の長さを戻した健太は、慣れたところに四つ足で立つ界門守護者を見据えてそう呟く。
ここ第十一階層『砂漠草原』の界門守護者を一言で言えば、『大きくてカラフルなシマウマ』である。
通常のシマウマは体高百五十センチ前後、体重二百キロ前後なのだが、この界門守護者は余裕で体高二メートル、体重一トンを超えているだろう。
だが一番の違いはやはりその体色だ。
本来白と黒の二色からなるはずの縞模様が、この界門守護者は赤、青、黄、緑の四色からなっている。
どうやら地水火風の四元素の魔法と操る魔法タイプのモンスターのようだ。それでいて、シマウマ型ということで俊敏性も非常に高い。中々の強敵と言えよう。
「出来れば欲しいが、今は時間が惜しいか」
制限は多々あるが、今の健太には意図的にモンスターをカード化出来る手段がある。しかし、このレベルの敵が相手では確実ではないし、確率を上げようと思えば、生かさず殺さずの手加減戦闘をする必要がある。当然、普通の撃破よりもはるかに時間がかかる。
最悪のケースとして、時間だけ費やしてカード化に失敗する可能性もゼロではない。
今の主目的は、一刻も早く第十四階層まで到達することだ。ならば素直に撃破する方が良い。
「《来い》シュナイダー」
「ブヒイイーン!」
「《武装》《騎獣強化》」
主の召喚に応じて現れた白い『粘土馬』シュナイダーに健太は騎乗すると、『騎獣武装』と『騎獣強化』のスキルでシュナイダーを強化する。
シュナイダーは一瞬で健太と同じ白黒虎革製の鎧を纏い、全身に力をみなぎらせた。
『騎獣強化』は騎士系の第三段階職では複数の職に存在するスキルである。
その効果は名前の通り騎獣の強化。しかし、なにがどう強化されるかは職ごとに大きく異なる。
『獣騎士』ならば攻撃力と敏捷性、『聖騎士』ならば直線速度と防御力、そして『重装騎士』の場合は防御力と力だ。
この場合の力は積載量と言い換えても良い。
このスキルを使わなければ、騎乗状態で健太の大剣の力を十全に発揮するのは難しい。
元々『粘土馬』であるシュナイダーは力とタフさに優れている。だが、最大で八トンまで重量が増す大剣を持った健太を乗せて走ることは流石に厳しいようだ。
それを可能にするのが『騎獣強化』というスキルだ。
「行け、シュナイダー」
健太の意図を察したシュナイダーは四色シマウマに劣らぬ足を見せる。
「《ミ》」
「《防御強化》《抵抗強化》突っ込め」
「ブルル!」
距離を取りたい四色シマウマがこちらの進路に分厚い水の壁を出現させるが『増強術士』のスキル『装甲増強』と『抵抗増強』を受けたシュナイダーは健太を乗せたまま、むしろ速度を上げて水の壁に突っ込んでいく。
「《萎えろ》」
激突する直前、健太は呪詛師のスキル『呪詛』で水の壁を弱体化させた。
『呪詛』は『呪詛師』の基礎となるスキルだ。その名の通り対象を呪うことで、弱体化することが出来る。
効果時間は極めて短く、弱体化自体もさほど期待できない。一方、長所としてかける対象を選ばないという点と、抵抗がほぼ不可能という点がある。
四色シマウマが築いた水の壁は、健太とシュナイダーに「一瞬の滝行」程度の衝撃しか与えられず突破されてしまう。
正面から突破されるのは四色シマウマにとっても想定外だったのだろう。明らかに意表を突かれた四色シマウマが次の行動に出る前に、健太は次のアクションを起こす。
『《突撃》」
「メルー!」
『重装騎士』を代表する攻撃スキルである『重装突撃』。
騎士の攻撃スキル『突撃』の正当上位互換というべき『重装突撃』はシンプルに攻撃力が桁違いに上がっている。
「レソッ……!」
健太とシュナイダーの『重装突撃』を正面から食らってもなお、死滅していない四色シマウマは、流石は自然領域の界門守護者と言うべきなのだろう。だが、生まれたての小鹿のように四つ足をプルプル震わせている様子からして、すでに大勢は決している。
事実、『戦士の不動心』がオンになっている健太は、それから何のハプニングも起こさず、四色シマウマを撃破するのだった。
四色シマウマが大きなクリスタルとカラフルな毛皮を残して消滅した後。
健太は、第十二階層へとつながる界門の前で用意を整えていた。
取り出した『白いしめ縄』を左手首に巻いた健太は、パンと一つ柏手を打つ。
次の瞬間、健太の眼前で空間が開いた。
猫の瞳孔のように空間が縦に裂ける。こちらから中は見えない。真っ暗闇だ。その真っ暗闇には健太は四色シマウマの毛皮を持った右手を差し込む。
雪からもらった『白いしめ縄』。その効果は叶馬のチートスキル『空間収納』の限定的使用だ。
容量に限界はあるが、おかげでソロダイブ時にはドロップアイテムを一切諦めなくてよくなったのがありがたい。明らかにおかしい量のドロップアイテムを換金できるわけではないのでかなりの部分は死蔵になりそうだが、それでも持ち帰れないよりはよい。
続いて健太は、限定空間収納から三組の装備を引っ張り出す。
この界門を潜れば次は第十二階層、通称『永久氷河』だ。ここから先は出没するモンスターとの戦闘以前に、環境そのものが牙をむく。事前の環境対策を怠れば、戦闘以前にその空間にいるだけで死に戻り確実な空間だ。
第十四階層『永久氷河』。気温は常に氷点下。見渡す限り続く雪と氷の世界。
必要なものは当然防寒具である。
健太は念のため、三種類の防寒具を用意してきていた。
一つは、学園の購買で販売しているごく一般的な防寒具。いかにもそれらしい分厚い毛皮で出来た上下、靴、帽子、手袋。上着は柔らかな毛の襟が高く、帽子は鼻を覆うようにして止める形状なので素肌を覗かせるのは目とその周りだけになる。
防寒という目的は果たせるが、武器戦闘にはある程度支障が生じる。防具としての性能もある程度は考慮しているらしいが、当然健太が今身に着けている白黒虎革製の胸部鎧には及ぶまい。
二つ目は、旧『匠工房』の面々が作成した防寒具プロトタイプだ。
こちらは全身がすっぽり入るフード付きマントで、マントの中が一定の温度に保たれるようになっているらしい。
戦闘時には前を開いて普通に戦うことが出来る。後ろにたなびくマントが邪魔なのは確かだが、着ぶくれするよりはましだろう。
メイン製作者である『裁縫士』の杏が言うには、「一応前を開いてもしばらくは保温が効いているはずよ。でも一分も持たないからこまめに閉じないと永久氷河じゃ指が落ちちゃうかも」とのことだ。
プロトタイプなのだから当然だが、まだまだ要改善ということなのだろう。
最後の三つ目は、健太が自作した梵字を刻んだアクセサリー型の防寒具だ。
烏枢沙摩明王の梵字『ウーン』を中心に、その周囲にブラフマー文字で効能を特定するように刻んである。
烏枢沙摩明王はインド神話における火神アグニに相当するため火、熱を操るのはお手の物だし、烏枢沙摩明王には不浄を焼き尽くす力があるとされている。
人の身命を脅かす寒さを不浄と見なし、その熱を持って退けるという形にしてあるのだが、果たしてどの程度の効果が見込めるかはまだ分からない。
極寒の地用のアクセサリーに金属性はちょっと不安があったので、梵字を刻んだのは第十階層『密林竜園』で拾ってきた石だ。
本来、ダンジョンにある物はモンスターが落とすクリスタルとドロップアイテム以外はダンジョン外に持ち帰ることが出来ないのだが、叶馬の『空間収納』に入れた物は普通に持ち帰ることが出来る。
原作では、健太がこれから向かおうとしている第十二階層『永久氷河』で氷塊を切り出してきて、夏の冷房に使っていた。
持ち出したダンジョンの氷は強い冷気を発し続けるのに、自然には溶けないという珍妙な性質を持っているので、ある意味エアコン以上に優秀な冷房となる。
「ひとまず全部試してみるか」
健太はそう呟くと、言葉通り三種類の防寒具を身に着けていく。幸い三種類の防寒具は形状が異なっているので同時装着が難しくない。
今身に着けている胸部鎧を外して限定空間収納に放り込んだ健太は、梵字を刻んだ石を編紐で結んだアクセアリーを首、両手首、腰、両足首の五か所に縛り付ける。
その上から学園購買で購入した毛皮の防寒具を着込み、最後に杏が作ってくれたフード付きマントを羽織る。
「よし、行くか」
準備を整えた健太は、気負いのないいつも通りの足取りで第十二階層に繋がる界門をくぐっていった。
「防寒は問題なし。問題なのはこっちか」
無事第十二階層『永久氷河』にやってきた健太は、真っ白な大地の感触を確かめるように雪原を踵で削りながらそう呟いた。
そこは見渡す限り、白と灰色の世界だった。
大地は降り積もり固まった雪の白。空は低い雲に覆われた灰色。周囲には今もちらほらと雪が舞っている。
第十階層から第二十二階層の自然領域には空がある。そのためある程度天候の揺れという要素が加わるのだが、『永久氷河』の天候は曇りはラッキー、雪は普通、豪雪も珍しくない、晴れはあるらしいけど遭遇したことはない、くらいらしい。
つまり、チラチラと雪が舞っている現状の天候はかなり恵まれている部類に入る。
それでも健太が中々歩き出さないのは、雪原という足場に不安を感じているからだ。
もちろん足場対策として滑り止めのついた靴を履いているのだが、歩きなれない氷雪の上だ。ただ歩き進むだけならばともかく、ここで戦闘の運足には問題がありそうだ。
「使えるモンスターが限られているのも問題だな。ジュゲム、ボンド辺りは杏先輩に頼んで防寒具を作ってもらえば行けそうだが」
特殊な環境下では、モンスターにも大きく向き不向きがある。
健太が名前を付けて日頃使用しているモンスターカードは六枚。
ゴブリン『槍獣騎士』のジュゲム。
コボルド『無法者』のボンド。
赤梟頭熊のエロール。
徹甲虫多弾倉のトレミー。
応龍のモモノスケ。
そして、轟雷竜のオンブの六枚だ。
そのうち、ここ永久氷河で問題なく稼働するのは赤梟頭熊のエロールと応龍のモモノスケだけ。
ゴブリン『槍獣騎士』のジュゲムとコボルド『無法者』のボンドは本人たちのやる気は十分なのだが、人型近い分弱点も人に近いらしく、明らかに動きがおかしかった。ただし、こちらは耐寒装備さえあればどうにかなりそうである。
逆に、徹甲虫多弾倉のトレミーと轟雷竜のオンブは難しそうだ。
徹甲虫はテントウムシ、轟雷竜は恐竜をモデルとするモンスターだ。どちらも低温に弱いのは元の種族から納得の行く話である。
どちらも『具象化』してもほとんど身動きできなかった。簡単な対策では解決しないだろう。梵字で対応しようにもトレミーは小さすぎてオンブは大きすぎる。ジュゲム、ボンドと違い健太用の梵字をそのまま流用とはいかない。
「後はこいつか。《来い》シュナイダー」
「ヒヒーン!」
召喚に応じた白い『粘土馬』シュナイダーが嘶く。
馬は元々暑さより寒さに強い生き物だ。その上シュナイダーは『粘土馬』。馬であると同時に粘土製ゴーレムの性質も併せ持つため悪環境には強い。
「《武装》」
さらに健太が騎獣武装のスキルを使う。『騎獣武装』は騎乗者の武装に準じた装備を騎獣に施すスキルだ。
今の健太の武装に合わせてシュナイダーもモコモコの毛皮を纏い、四つ足に滑り止めのついた長靴を履いた状態になる。
「問題ないか、シュナイダー?」
「ブルン」
健太の言葉にシュナイダーはご機嫌な鳴き声で答える。どうやら、問題は無さそうだ。
「よし、行くぞ。《来い》エロール。《来い》モモノスケ。エロールはシュナイダーの後ろ、モモノスケはシュナイダーの上に付け」
「ホホウ!」「クルル」
健太の指示に『赤梟頭熊』のエロールと『応龍』のモモノスケが了承の鳴き声を上げる。特に、最近出番が少なかったエロールは分かりやすく張り切っている。
「早めのクリアを目指すのならば、モモノスケに乗って空を移動するのが最速なのだろうが、流石にそれはリスクが高いからな」
健太は自分に言い聞かせるようにそう呟く。
初めて足を踏み入れた階層であり、環境そのものが牙をむく自然領域だ。しかも、日頃は『文官』の索敵スキルと『盗賊』の気配察知能力を併せ持つ健太より先に異変を伝えてくれることもある『未来視』持ちのボンドと、長射程の威力偵察役を担ってくれるトレミーが使えない状態なのだ。
モモノスケに乗って空を行くのはリスクが高すぎる。
第十二階層『永久氷河』は出没するモンスターが大型で群れを成していることが多いが、分布はまばらで遭遇率は低いという事前情報はどうやらここ『既知外』領域にも当てはまるらしく。
シュナイダーに騎乗する健太が特に身を隠すでもなく、真っすぐ進んでもかなりの間モンスターの襲撃を受けることはなかった。
だが、ついに最初のモンスターがその姿を現す。上空に立ち込める灰色の雪雲を白く覆い隠す形で。
「『白雷鳥』か。用心して空を行かなく良かったと思うべきか」
上空を見上げた健太はそう呟く。
『白雷鳥』。補習レイド『轟天の石榴山』のボス格モンスターだった『百雷鳥』と漢字表記はやたらと似ているが、実態はそこまで似ていない。
雷属性の鳥という意味では同じだが『百雷鳥』が翼開長三十メートルを超える化け物サイズなのに対し、『白雷鳥』はその三分の一程度だ。
大雑把に見ればシルエットは似通っているが、『百雷鳥』が長い尾は極彩色、大きな鶏冠は常に黄色く耐電しているの対し、『白雷鳥』はくちばしの先から長い尾の先まで白一色、鶏冠に帯電している雷も白色という地味さだ。
とはいえ、そんな小柄な『白雷鳥』でも百羽を超える数が上空を飛来すれば、灰色の空を白で覆い隠すことになるのだが。
「モモノスケ、エロール《戻れ》」
張り切っているエロールには悪いが、主な攻撃手段が上空からの落雷である『白雷鳥』の大群では、近接攻撃しかできない『赤梟頭熊』はあまりに相性が悪い。モモノスケは格からして大丈夫そうだが、念のためだ。
さらに健太は素早く柏手を鳴らして限定空間収納を開くと、収納していたインドラジットの梵字で作った『耐雷』の護符を素早くベルトと小型方形盾の裏に装着する。
耐寒の梵字護符はまだ試作品のため、他の梵字護符と同時使用すると一気に効果が低下するのだが、今は仕方がない。これまで進んできた感触では、購買で購入した防寒具と杏製のマントだけでも、そこまで大きな問題は無さそうだ。
健太がそうした準備を整えてすぐ、百数十の『白雷鳥』は同時に白い雷を打ちおろした。
「《――》《――》《――》《――》」
百を超える白雷が氷原を打つ轟音は健太自身の声が健太の耳に届かないほどだった。
雪原でホワイトアウトというと普通暴風雪によるものだが、百の白雷は間違いなくホワイトアウトと呼ぶべき現象を巻き起こした。そして百を超える落雷を受けた雪原は当然のように雪が蒸発した蒸気と巻き上がった氷雪でもう一度ホワイトアウトを起こす。
上空から見下ろす『白雷鳥』達はこの時点で、ターゲットの撃破を確信していただろう。それが、野生の本能が鈍った油断、というのは少々酷かもしれない。
実際そのまま直撃していれば、健太と言えどそれなりのダメージは受けていただろう。
だが、現実として二重の『耐雷』装備が間に合った健太と、『騎獣武装』の効果でその健太と同等の耐雷性能を獲得しているシュナイダーにとって百の落雷も「眩しい」以上の実害はない。
雷撃で溶けて沸騰する雪にそのまま立っていれば、多少は足元にダメージを受けたかもしれないが落雷の轟音の中、健太はシュナイダーに『敏捷増強』『跳躍増強』をかけていた。
「ヒヒーン!」
白く立ち込める雪煙と水蒸気の中から、白い『粘土馬』に騎乗した健太が飛び出し、上空を埋め尽くす真っ白な鳥の群れに突っ込む。
「はっ」
思い切り引き延ばした大剣を健太が雑に振りまわすと、数羽の『白雷鳥』がまとめて落ちる。
落ちた『白雷鳥』すべてが死んでいるわけではないだろうが、一度落ちた鳥など後でどうとでも料理できる。
今はそれよりも上空を飛んでいる、まだ百羽以上残っている無傷の『白雷鳥』だ。
「シュナイダー、《今だ》」
「ヒン!」
健太の声に合わせ、健太が空中に築いた見えない足場を蹴って、シュナイダーはもう一段高く跳び上がる。『白雷鳥』の群れをさらに上から見下ろす高度だ。
空中を蹴って足場とする。それは『盗賊』系の基本スキル『空歩』だ。
騎獣に『盗賊』系のスキルである『空歩』を踏ませるというのは、健太のオリジナルではない。
教えてくれたのは、健太が(籍の上ではまだ)所属している男子寮碧鷺荘の波留寮長である。
波留寮長は『盗賊』系第三段階職『馬賊包頭』だ。
『盗賊』系第二段階職『馬賊』及びその上級職はとても珍しい『騎士』系以外で『騎獣』を持てる職である。
『空歩』を使って騎獣ごと空中機動を行うというのは、本来そんな一部のスーパーレアな『盗賊』職だけの特権なのだが、複数の職を重ねられる健太は使いこなす。
上空から見下ろす健太の視界には、全ての『白雷鳥』の姿が収まっている。
シュナイダーに『敏捷増強』『跳躍増強』をかけたタイミングで、健太は自分に『視力増強』と『情報処理増強』をかけている。
そのため、健太の眼にははるか下にいる百羽以上の『白雷鳥』の動きが鮮明なスローモーションのように見える。
健太はゆっくりと動いている百を超えるターゲットを同時に見据え、
「《ロックレイン》」
『土精霊使い』のスキル『岩投槍』を纏めて打ち放った。
『岩投槍』はその名の通り、本来は石製の槍を一本高速で打ち出すスキルだ。だが、基本的にスキルは使用者の工夫である程度変化させることが出来る。
注ぎ込むSPを増やせば、本来一本の槍を複数本にすることも不可能ではない。
今の健太の馬鹿げたSP量ならば、百倍以上も難しくはない。難しいのは複数本を同時に射出するというセンスの問題だがそこは、『周回レベル上げ』を用いての反復練習の暴力でクリアした。
ターゲットは百強。放たれる弾はそれ以上。
飛行型モンスターの例にもれず、『白雷鳥』もレベルの割には撃たれ弱い。
『岩投槍』を食らった『白雷鳥』は、一羽の例外もなく全て雪原に墜落していった。
とはいえ、流石はモンスターの生命力か。雪原に墜落した『白雷鳥』すべてがそれだけで息絶えたわけではない。
念のため、空中で『二歩』を踏みながらシュナイダーを雪原に下ろした健太は、『白雷鳥』のクリスタルとドロップアイテムを拾い集めつつ、まだ死んでいない『白雷鳥』にとどめを刺して回る。
その中でも特にダメージが激しい、「良くまだ生きているな」と感心するほど瀕死の状態の『白雷鳥』を見つけて健太はふと、思いつく。
「そろそろ、一度試してみるか」
健太は念のため、『地図帳』のスキルと盗賊の感覚で周囲に人影がないことを確認した後、死にかけの『白雷鳥』に右手のひらを添えて、初めて使用するスキルを発動させる。
「《下れ》」
次の瞬間、死にかけの『白雷鳥』は消え去り、代わりそこには一枚の『モンスターカード』が現れた。
『文官』系のスキル『抽象化』。
それは学園が存在を知っていながら、秘匿しているスキルである。効果はシンプルにモンスターのカード化。ただし、スキル使用者が使用対象より圧倒的にレベルが上である必要がある上に、使用対象の意識や存在が不安定でなければならない。瀕死というのは分かりやすく、不安定な状態と言える。
『抽象化』はハイレベルの『文官』ならばどの職でも獲得する可能性があるらしいが、健太が持つ職『創札士』は特に『抽象化』の専門家とも言える。
今の健太ならば、既知領域の低層をうろついているモンスターならば、無傷のままでも『抽象化』を成功させられるかもしれない。
ただし、『抽象化』の存在は学園運営サイドが「知った上で秘匿している」技術のため、見つからないように用心を重ねる必要がある。
健太はその後も、数匹の『白雷鳥』に『抽象化』を試みて半分を超える成功を収める。
ためしに健太は抵抗されてしまった『白雷鳥』に二度目、三度目の『抽象化』も失敗に終わった。
「ふむ。さらに弱らせてからやれば結果が変わるか?」
と抵抗した『白雷鳥』を軽く蹴飛ばしてから再度『抽象化』をかけても見たがこれも失敗。ひょっとすると、一度抵抗した対象には同じ術者がくり返し『抽象化』をかけても無理なのかもしれない。
仕方がないので、カード化に失敗した『白雷鳥』は普通に絞めてクリスタルとドロップアイテムにするか、と考えた健太はふと、自分の左手首に巻いている『白いしめ縄』が目に入る。
「そうか。今なら俺も出来るか?」
健太はそう呟くと『白雷鳥』の長い首をひねって止めを刺して、すぐに両手をパンと打ち鳴らす。
そうして開いた限定空間収納にまだ瘴気に返っていない『白雷鳥』の死体を放り込む。
「……成功したか?」
叶馬はこうやって、本来ドロップアイテムという形でしか入手できないモンスターの素材を、死骸丸ごとゲットしているのである。
成否はダンジョンをログアウトしてから確認するしかない。
「一羽だけなら、雪に徴収されてしまうかもしれん。念のため、もう何羽か絞めておくか」
そう呟いた健太は、まだ息がある『白雷鳥』の首に手を伸ばすのだった。