週が変われば倶楽部対抗戦『水無月杯』も予選から本戦へと移行する。
月曜日は本戦のトーナメント表が発表されるだけで、本当の意味での開始は火曜日だ。
本戦が始まっても予選の時同様、倶楽部対抗戦は午後からの開催であり、午前中は普通に授業がある。
そんな火曜日の朝早く。健太は白鶴荘の蘭と優梨愛の部屋で目覚めていた。
裸でベッドの中央に寝そべる健太は左側から優梨愛、右側から蘭に抱き着かれた状態だ。
もちろん三人とも全裸で、優梨愛も蘭も両腕で健太の首や体にガッチリと抱き着き、両足を健太の両足に絡ませている。
健太の両腕はそれぞれ蘭、優梨愛の肩に回されており、抱き寄せている状態だ。
蘭の爆乳、優梨愛の巨乳を始めとした柔らかく肌触りの良い女の肢体に健太の体はほとんど覆われてしまっている。
「…………ふう」
愛するパートナー達の感触をただひたすら堪能したいという欲求に、健太はどうにか打ち勝ってスキル『脳外記憶領域』を発動させた。
健太が眼を閉じて開くと、そこは白い殺風景な部屋だった。
身体はそのまま蘭と優梨愛を抱いて寝ているはずだ。
スキル『脳外記憶領域』。元々は健太が五感で収集した情報を完璧な形で保全し、整理、再生できるスキルだった。
それが『轟天の石榴山』の露店精霊に改良してもらった結果、情報のみで構成された異界へ意識だけを飛ばすことが出来るようになった。情報で構成された体と五感は完璧なので、健太にはまるきり現実としか思えないが。
ただし全裸で寝そべっていたはずの健太が、一瞬で学園の制服を着て直立しているのだから、ただの空間転移ではないことは理解できる。
その白い部屋の広さは八畳ほどで、床、壁、天上共に継ぎ目のない白いまっ平らな石材のようなもので出来てる。
そんな部屋の片隅にあるのが、ありふれたスチール製の机と椅子。そして机の上にはパソコン、ディスプレイ、キーボード、そしてマウスの一式が揃っている。
パソコン、ディスプレイ、キーボード、マウス、そのいずれもコードの類は一切存在しない。
その上でパソコンは健太が来ると常にスリープモード、キーボードかマウスを動かせばすぐに起動する状態になっている。
ここはレイド『轟天の石榴山』で出会った露店精霊にバ―ションアップをしてもらってから生まれた空間だ。
スチールデスクの上にあるパソコンがスキル『脳外記憶領域』にアクセスするためのインターフェースである。
この部屋自体も操作できるようなのだが、今の健太の知識と技量で下手に弄ると取り返しのつかないことになりそうなので、しばらくはこのままだ。最低でも、自力で一からこの部屋と室内装備一式を作成できるようになるまでは、ここを弄るつもりはない。
健太はパイプ椅子に座り、スチールデスク上のパソコンと相対する。このパソコンでは、健太が収集した画像情報と音声情報の全てを再生することが出来る。
元々パソコンのデスクトップにはアイコンが『ALL』と『Trash』の二つしか存在していなかったが、健太がコツコツアプリを自作したため、現状は十を超えるアイコンが並んでいる。
その中から健太は一つ、手帳を象ったそのアイコンは、健太の電子学生手帳に記載されている内容がそのままこのパソコン上で確認できるようになっている。
データの習得方法は健太が視認するしかないのがちょっと不便だが、インプット手段が健太の五感(+第六感)しかないというのは『脳外記憶領域』の基本的な使用だ。変えようがない。
健太が今確認しているのは、昨日の月曜日に発表された倶楽部対抗戦本戦のトーナメント表だ。
「尚典と竹海先輩が想像以上にバッジを取ってきちゃったから心配してたけど、この結果なら悪くはないな」
健太の倶楽部『安息所』は特別シードされることもなく、一般的な一年主体の現Fランク倶楽部に相応しい位置に名前がある。
簡単に言えば、Bランク倶楽部となるベスト64に入るには、三回勝たなければならない場所だ。
『安息所』を含むFランク倶楽部四つが小さなトーナメントを行い、その勝者がシードされている現Bランク倶楽部と戦い、勝利した方がベスト64入り、晴れてBランクとなる。
同じブロックにいる倶楽部の内二つは『安息所』と同じ一年が主力のFランク倶楽部。残り一つがFランク倶楽部ながら上級生が主体の倶楽部。それも部長である大将と二人の副部長である副将、中堅がそれぞれ『戦闘士』『無法者』『重装騎士』。
『戦闘士』と『重装騎士』は戦士系、『無法者』は盗賊系の第三段階職。普通はFランク倶楽部にいる人材ではない。
この詐欺Fランク倶楽部が健太達『安息所』の一回戦の相手だ。
「典型的なサブ倶楽部だな」
パソコンのディスプレイを見ていた健太はそう呟く。
サブ倶楽部というのは 一部の有力倶楽部が所有する予備人員を所属させておくための倶楽部である。
今年になってから新造した倶楽部ということで、ランクはFになっているのだが中身は通常のFランク倶楽部と一線を画する。
大将、副将の三年と中堅の二年は第三段階職。次鋒、先鋒の一年二人はどちらもただの『戦士』となっているが、恐らくこれは見どころのある一年を取り込んだ「育成枠」だろう。その証拠に補欠枠の二年生二人はどちらも第二段階職だ。
一、二回戦を勝ち抜いて現Bランク倶楽部とぶつかる三回戦では、先鋒、次鋒共に補欠と入れ替わる予定と思われる。
一、二回戦はたとえ先鋒、次鋒が負けたとしても中堅、副将、大将で取り返せるという算段だ。
パイプ椅子の背もたれに背中を預け、健太は呟く。
「先鋒の来斗、次鋒の竹海先輩はまず間違いなく勝てるな。中堅の霊王は悪いけど絶対無理。副将の尚典は……まあ流石に無理、か?」
尚典は現在『術士』系の第二段階職『陰陽師』をカンスト寸前まで上げている。
どうやら尚典は健太が思っていたよりも好戦的、もしくは真面目なようで強くなることに貪欲だ。今回の予選で倶楽部内最多バッジ獲得者となったのだが、その中には上級生も数人含まれていた。上級生とはいってもFランク倶楽部(サブ倶楽部ではなく正真正銘のFランク)のメンバーなので勝利できたことは別段驚くことではないが、そもそもそれだけ勝負を挑まれたことがちょっと不自然ではある。
実戦経験をつむためにあえて放課後の校内をうろついて『釣り』をしていた疑いがある。
とはいえそんな尚典であっても第三段階職相手では勝算がゼロではないといった程度。敗北の可能性が圧倒的に高い。
「そうなると、二勝二敗で大将戦までもつれ込む。まあ、俺は負けないだろうけど」
そんな健太の自己評価は自惚れではない。
すでに健太は『戦士』系第三段階職『重装騎士』をカンストして同じく第三段階職『堅牢盾士』も数レベルは上がっているはずだ。
そこに山ほど重ねた第一段階職と第二段階職による底上げを加えれば、ただの第三段階職に負ける可能性はないと言い切っても良い。
つまり、健太たちは二回戦に進出できる。
二回戦の相手は倶楽部『神匠騎士団』と一年オンリーの倶楽部の勝者。
考えるまでもないだろう。
二回戦の相手は『神匠騎士団』、叶馬達だ。
「避けられなかったか。まあ、二回戦で当たることが出来たのはどっちかというと幸いの部類か」
健太としてはもちろん、叶馬の相手などしたくない。
したくはないが、たまに相手をしてやらなければ暴走が怖い。かといって渋々でも対戦を受け入れたら、なし崩し的にしょっちゅう手合わせを挑まれる未来が目に見える。
だからこういう「避けようのない対決」でガス抜きが出来るならば、まあ最善とは言えなくとも悪くない結果と言えるだろう。
叶馬と一対一で対決。その時が迫っていると考えると、正直体の震えが止まらない健太である。
もちろん、武者震いなどではない。純粋にシンプルに恐怖からの震えだ。
恐怖を紛らわせる有効な手段の一つは恐怖の元に対する対策だ。その対策が実らないとしても、『対策を取っている』というだけで気休めにはなる。
健太はパソコン上の時計で、時間の余裕があることを確認する。
「……ちょっとやっていくか」
健太はそう言うとパイプ椅子から立ちあがった。真っすぐ向かったのはこの白い部屋に存在する一つだけの白い扉。色合いはほとんど壁と同化しているが、ドアノブが金属のような光沢のある銀色なので見落とすことはない。
健太がそのドアノブを右手で掴み開くと、その先には石造りの真っすぐな通路が続いていた。
ここから先は健太が自力で作成した空間である。
露店精霊にバージョンアップしてもらった今の『脳外記憶領域』では、健太が一定以上(おおよそ9割)理解している物をこの情報限定異界で再現できるようになっている。
見覚えのある通路は、羅城門ダンジョン地下第一階層から第九階層まで続く地下迷宮の通路の再現だ。
薄暗くはあるが戦闘に支障がない程度には明るいというダンジョンの特性がそのまま再現されるため、視界は最低限確保される。
その通路はどこまでも真っすぐ続き、通路の左右には等間隔で玄室が設けられている。
もちろん、全て健太が作成したものでそれぞれ別な役割を持たせた玄室である。
今健太が入ったそのうちの一つは、簡単に言えば『工作室』兼倉庫である。
学園の『工作室』を真似て作ったその部屋は、作業台、万力、金床、水槽など備え付けの道具以外にも学園の『工作室』ならば各自が持ち込むはずの彫刻刀、金槌、ヘラ、筆などの小道具も置いてある。
バージョンアップした『脳外記憶領域』で再現可能な物は九割以上健太が存在を理解しているものだ。
『九割以上の理解』はちょっと曖昧だが少なくとも健太が現実で作成可能なものはどうやら『九割以上の理解』をしている物に入るらしい。
そのため、この仮想『工作室』兼倉庫にあるものは原則健太が現実で作成できるものだ。
『職人』は基本的に作業用工具を自作できる。
無論、初期の工具は購買で販売しているし、『加工』『加熱』『適合』といった『職人』系のスキルを使えば工具なしでもある程度のことはできるが、やはり本格的にやろうと思えば設備、工具も必要だ。
そして、素材のレベルが高くなると購買で販売している工具では歯が立たなくなっていく。
だから高レベル倶楽部に籍を置く一部の『職人』は、ダンジョン素材を使って自分用の設備、工具をバージョンアップしていく必要があるのだ。結果として一定以上の『職人』は、自分が使う工具は自作できるようになっている。
旧「匠工房」の十二人は当然その一定以上の『職人』であり、そのうちの一人である市湖に弟子入りしている健太も最低限の工具は作成できるようになっている。
そのおかげでここ『脳外記憶領域』内でも最低限の工具は再現できる。
電動糸鋸、クリスタル動力炉、動力砥石、水温調節器など、無理なものも多いが。
そんな仮想『工作室』兼倉庫の壁の収納棚に健太が作成した武器、防具が並んでいる。
腕に装着するタイプの方形盾。小剣。そして大剣が特に多い。
それらは言うまでもなく、健太が現実のダンジョンダイブで愛用している装備――ゴブリンヒーローの方形盾、小剣『金狼木霊剣』、ゴブリンチャンピオンの大剣のレプリカである。
あいにくと強力なマジックアイテムであるそれらは『九割の理解』に及んでいないため、ここで再現は出来ない。
だから代用品として健太は、出来るだけの同じ大きさ、同じ重心になる装備を作成している。
素材はゴブリン装備の金属を『素材製造士』のスキルで生成した金属塊なので、重さはどうしても異なってしまうが方形盾と小剣に関しては、健太にはほとんど違和感がないくらいの出来栄えだ。
重さも長さも変化する大剣は流石に違いすぎるが。
健太は方形盾を左腕に装着し、小剣を剣帯で腰に下げると『工作室』兼倉庫を出て隣の玄室へと向かう。
「鎧はともかく、服は自作できるようになりたいな」
通路を歩く健太がそんな愚痴を漏らす。
そんな健太の言葉通り、ここでの健太の服装は露店精霊がサービスで用意してくれた初期装備――学園の制服と普段履きのランニングシューズだけだ。
『素材製造士』のスキルで糸や布は大量に作成することが出来るのだが、それを実用的な服にするスキルが健太には現状ない。糸や布は『九割以上の理解』に当てはまるが衣類は『九割以上の理解』に届いていないのだろう。
この空間で健太は衣類を生み出すことはできない。この仮想空間で布と糸を使って手縫いで服っぽいものを作っていけばいずれ出来るようになると思いたいが、残念ながら優先順位はあまり高くない。
技術習得、知識増加、自力上げ、身体づくり、人間関係の構築等々。今の健太にはやらなくてはならないことが山積みなのだ。
小剣と方形盾で武装した健太が向かったのは広い玄室だった。
縦、横、高さ共に百メートルの立方体の空間は、地下迷宮型の深い階層で界門守護者がいる玄室でよく見られた大部屋を参考にしている。
もちろん、界門は存在しない。必要がないし、そもそも理解が及んでいないので作ることも出来ない。
この広い玄室は、主に健太が戦闘訓練所として利用している。
一人で素振りをしたり、スキルの使い方を模索したりもするが多くは、「対戦相手」を召喚しての模擬戦である。
健太は玄室の出入り口近くに設置しておいたタッチパネルを操作して、「対戦相手」を召喚する。この辺りはすでに慣れたものだ。
健太が慣れた手つきでそのタブレットパソコンほどの大きさのタッチパネルを操作すると、広い玄室の中央にそれが姿を現す。
銀色の甲冑――ただし中世騎士の鎧ではなく、SFアニメや映画に出て来る『パワードスーツ』を彷彿させるようなシャープで未来的なデザインのそれを纏い、両手で武骨な鉄製の棍棒を持ったそれは間違いなく、叶馬そのものだった。
「キェエエエエエエエ!」
と猿叫を上げながらすさまじい勢いでこちらに突進してくる叶馬の迫力は、気の弱い者ならばそれだけで死に至りそうなほどだ。
だが、『戦士の不動心』がオンになっている健太は、表情を変えることなく所定の位置に移動し、足を止めて迎え撃つ。
「ジャッ!」
「ふっ!」
一片のためらいも振り下ろされる鉄の棍棒――『餓鬼王棍棒』を健太は左腕の方形盾で受け流しながら、左足を起点に右足を前に半歩踏み出す。それと同時に右手に持つ小剣で叶馬の剥き出しの顔を斜めに切り裂く。
頭部を左こめかみから鼻の下を通って右の奥歯に至る斬撃を受けた叶馬はその場で消え去った。
健太は特に何の感慨もなく、再びタッチパネルのある玄室出入り口まで戻ると次を呼び出す。
「むん!」
先ほど同様、銀色の甲冑――『重圧の甲冑』を纏った叶馬が今度は『鍵王棍棒』を持たずに、その場でドッシドッシと四股を踏み、大きく脚を広げてしゃがみ込んでいる。
そして、『重圧の甲冑』の中でも飛び切り頑丈な両手拳を地面に付けたかと思うと、
「せいっ!」
とてつもない勢いでこちらに向かってぶちかましを敢行する。
その間に所定の位置に戻っていた健太は、深く腰を落とした体勢で待ち構え、
「はっ!」
その甲冑は何のためにある?と聞きたくなる剥き出しの頭から突っ込んで来る叶馬のぶちかましを左腕の方形盾で斜め上から叩き下ろした。
頭部が石榴のようにはじけた叶馬は、足の裏以外が地面につく前に雲散霧消した。
その後も健太はタッチパネルと操作し、「もやっと雲に乗って上空から落雷を落す叶馬」「至近距離から起こりの見えない突きを放つ叶馬」「全身耐電加速状態で突っ込んで来る叶馬」などをいずれもいなし、一撃で仕留める。
その成果に健太は無表情のまま首を横に振る。
「駄目だな。全くトレーニングにならん」
その言葉は、残念ながら全面的に事実であった。
今健太が相対した叶馬は全てただの『過去の記憶の再現』に過ぎない。
健太が見て『脳外記憶領域』に落していたデータをただそのまま再現していたのだ。
健太が立つ『所定の位置』がそれぞれ叶馬が倒した敵のいたポイントであり、健太がそこに立っていなければ再現叶馬はただ何もない空間を攻撃しているだけだった。
繰り出す攻撃はどれだけ鋭くても攻撃するポイントもタイミングも毎回全く同じ。最初の一回目はともかく、くり返しやれば対処はあまりに簡単。もはや戦闘訓練ではなく、ただの作業である。
叶馬をこの空間に再現することはできない。まあ、出来なくて幸いだろう。再現できるということは叶馬を『九割以上理解』しているということになる。それは流石に嫌だ。『戦士の不動心』がオンになっている今の健太でも強くそう思う。
まあ、実際のところは叶馬に限らない。現実の生きている人間をここ『脳外記憶領域』で再現するのはほぼ不可能と思ってよいだろう。それどころか現実の生物全般が無理そうな感触だ。
死んでいれば肉でも炒った豆や穀物でも簡単に再現できるのだが。どうやら死んだ肉の塊と生きている生物の間には天と地以上の情報量格差があるようだ。
それに比べるとダンジョンに関するモノは比較にならないほど簡単に再現が可能だ。
現時点では第九階層までの地下迷宮型しか再現できていないが、自然領域もその階層で『周回レベル上げ』を繰り返して粘ればいずれ再現できそうな感触がある。
それはダンジョン『内部の存在』も同様だ。
次に健太がタッチパネルを操作して召喚したのは、板金鎧を纏い巨大な両手剣を持った豚面のモンスター――オークナイトだった。
こちらは叶馬のような「実態ある再現」ではない。完全に再現されたオークナイトそのものだ。
オークナイトとしての意識と本能がしっかりある。
「ブヒイイ!」
健太の存在に気づいたオークナイトは、真っすぐこちらに向かって来る。
オークは非戦闘職の女子でも体力が続く限りは捕まらないと言われるくらいに鈍足だが、移動速度に関してはオークナイトも大差ない。
それでも、二メートル二百キロの巨体が板金鎧を纏い、刃渡りだけで二メートルを超える大剣を担いで迫って来る様はかなりの迫力なのだが、言うまでもなくそんなもので今更健太がどうこうなるはずもない。
「ふっ、しっ」
頭上に振り下ろされる大剣を左腕の方形盾で受け流し、小剣でオークナイトの腹を薙ぐ。
「ブウ!?」
それだけで板金鎧ごとオークナイトで太い胴は半ばまで断ち切られ、その場で膝を折る。
「ふん」
膝を折ったことで低くなったオークナイトの首を、健太は二の太刀で斬り落とした。
「駄目か。スキルの練習にはなるんだがな」
基本的に健太がここ『脳外記憶領域』内の疑似ダンジョンに再現できるモンスターは、健太が一定以上倒したモンスターに限られる。
必然的に、再現できるモンスターは健太にとって強敵とはなりえない。
もちろん使い道はある。ダンジョン内では危険すぎて出来ない戦闘経験をここでなら、命の危険なく積むことが出来る。
例えば万を超える圧倒的多数との戦闘訓練。例えばダンジョン内では確実に天敵者が出没する長時間に及ぶ戦闘訓練。あえて武装やスキルを制限しての戦闘訓練等。
それらの経験を安全に積むことが出来るのは間違いなく有益なのだが、叶馬のようなシンプルな強い個体との戦闘訓練にはならない。
「やはり、こいつらに頼るしかないか」
健太は小剣を腰の鞘に戻すと、制服の胸ポケットから二枚の『モンスターカード』を取り出す。
「《来い》ジュゲム、ボンド」
『文官』の基礎スキル『具象化』。その効果は当たり前のように働いた。
「グウ」
「クン!」
健太にとってもっとも慣れ親しんだ配下モンスター。ゴブリン『槍獣騎士』のジュゲムと、コボルト『無法者』のボンドが健太の前に出現する。
どちらも本物だ。どうやら、一定以上使い込んだ『モンスターカード』はこの『脳外記憶領域』の仮想空間でも『具象化』が可能らしい。
しかも、ジュゲムは騎獣の『蜻蛉河馬』もちゃんと『具象化』している。
現時点で健太がここで『具象化』出来るのはこの二体だけだ。別枠として『強化外装骨格』のビッグジャイアントは召喚できるが、ビッグジャイアントは対戦相手には向かない。
『強化外装骨格』は操作方法に「乗り込み操縦」「外部操縦」「音声命令」の三つがあるのだが、自分に攻撃させようとしても模擬戦中に発する咄嗟の声を「音声命令」と認識して動きが止まることがあるのだ。
ちなみにもう一体の別枠である騎獣のシュナイダーはまだ召喚出来ない。
ともあれジュゲムは身長ならば健太とほぼ同じで槍の腕前は上位ランク倶楽部のレギュラーともいい勝負が出来るほど。ボンドは身長一メートル強と小柄だが、素早い動きと魔眼『未来視』による先読み、先回りがあるので敵に回すとかなり厄介だ。
あいにく攻撃力、防御力は健太と天と地ほど違うので本気でやり合うなら全く脅威ではないのだが、スキルを使わずに「攻撃の当て合い」という模擬戦ならばそれなりの練習相手となる。
「ジュゲム、ボンド。悪いがまた模擬戦の相手を頼む」
「オンオン!」
「ガッ」
健太の言葉に元気よく頷きながら、自分の犬頭を指さし何かを強請るボンドを、ジュゲムが短く諫める。
「はは、ブラッシングか。良いぞ、俺に攻撃を当てることが出来たらやってやる」
この世界のコボルトは直立する犬タイプのため毛が生えている。以前に健太が自作した金属製のブラシでブラッシングをしてやってことがあるのだが、どうやらそれをボンドはえらく気に入ったらしく、ことあるごとに強請る様になっていた。
「ジュゲムも希望があったら言ってくれ。出来るだけ考慮するぞ」
「ギッ」
健太の言葉にジュゲムは即座に首を横に振る。
仕える主にご褒美を強請るのはジュゲム的には「違う」らしい。
健太としても別段無理強いするつもりはない。
「そうか。それならいい。じゃあ、始めるぞ」
「ギッ!」
「ケン!」
次の瞬間、槍を持ったジュゲムが真っすぐ健太に付きを放ち、逆手に短剣を抜いたボンドの姿が虚空に消えたのだった。
時間ギリギリまで訓練を済ませた健太が『脳外記憶領域』の仮想空間から戻ってくると、健太にとっては少々予想外なことに蘭と優梨愛の二人は先に目を覚ましていた。
「おはよう健太君」
「おはよう、リーダー君」
ただし格好と体勢は仮想空間に入る前のまま。すなわち全裸で健太の左右から抱き着いて足を絡めているままである。
元々密着が大好きな蘭とキス魔の優梨愛なのだが対抗するようにお互いの性癖が感染し合ったのか、どちらも密着キス魔になっていた。
二人のパートナーである健太としてはとても幸せなことだが幸せ過ぎて二度寝の誘惑が強すぎるのが困りものだ。
「おはようございます。蘭先輩、優梨愛先輩」
健太は左右に侍る裸の美女二人――蘭、優梨愛と交互に口づけを交わした後、そう言って気力を振り絞ってゆっくり二人を引き剥がす。
そして、枕元の時計を見て、一瞬自分の目を疑った。
「へっ?」
現時刻は午前の八時半近く。すでに一時間目が始まっている時間だ。
「ごめんね、健太君。私達も起こそうとしたんだけど」
「全然目覚まさなかったのよね、リーダー君。大丈夫? 今日の午後から本戦だけど」
心配そうにそう言って来る二人に健太はどうにか、
「大丈夫です。体調は全く問題ありません。だから、逆になんで寝過ごしたのか分からなくて」
と言い訳をする。
この学園の普通科では優等生と言えばダンジョンダイブを順調にこなす者であり、むしろ優等生ほど午前の座学はさぼりがちだ。
しかし、健太は珍しい学園普通科の優等生でありながら、同時に一般的な高校生としても優等生な人間である。理由のない遅刻、早退、欠席は今日まで一度もやらかしていない。
健太は裸でベッドから起き上がりながら『脳外記憶領域』を意識の一部で立ち上げて『脳外記憶領域』内の時計を確認する。
そちらの時間ではまだ七時にもなっていない。『脳外記憶領域』内の時計は、『最源言語』を土台とする魔法プログラミングで作った時計だ。
これが狂うことは光格子時計が狂うよりもあり得ない。時計が狂っていないということは、狂っているのは二つの時空間そのものということになる。
(現実と『脳外記憶領域』の仮想空間で時間圧縮差が生じている? 『脳外記憶領域』も低レベルな異界だから? だとしてもおかしいぞ。初級の異界でも時空圧縮差は二倍。基本時空圧縮差は異界の方が長いんだ。それより低レベルだから圧縮差が一倍未満になったのか?)
ベッドから降りた健太はバタバタを服を着こみながら、想定外の事態について少しでも納得のいく理由を探して頭をフル回転させる。
「リーダー君、朝ご飯はどうするの? 寮の食堂はもう閉まってるけど」
「真っすぐ学食に向います。どのみち一時間目は間に合いませんし、今日は元々学食に用があったので」
ゆっくりと着替えながらそう尋ねる優梨愛に、健太は反射的に言葉を返す。
本日は倶楽部対抗戦本戦が始まる。健太は念のため学食のとある『裏メニュー』を購入しようとしていたのだがここしばらくは売り切れており、丁度本日入荷すると聞かされていたのだ。
本来の予定では午前の座学が終わった後、昼食をとるときついでに購入するつもりだったのだが、こうなった以上先に行っても良いだろう。
どのみち一時間目はどうやっても遅刻なのだし、『裏メニュー』は入荷数の少なさの割には一部で人気の商品だ。万が一の売り切れを考えれば早めに購入するに越したことはない。
「それなら学食までは私も一緒で良いかしら」
「そうね。私達も朝食は取りたいし」
蘭と優梨愛の提案に健太が否ということはない。
「分かりました。せめてもの罪滅ぼしに奢らせてください」
蘭と優梨愛も健太を見守ったせいで遅刻しているのだ。学園の常識からして遅刻も欠席もさほど気にすることではないのかもしれないが、健太としてはやはり罪悪感がある。
「ありがとう」
「そうね、御馳走になろうかしら」
健太の言葉に蘭と優梨愛は、「奢ってもらう」という行為そのものよりも「健太と過ごす時間が伸びる」という理由で口元をほころばせるのだった。