それは客観的に見ればただの偶然なのだろうが、客観を超えたさらに高い視野から見れば一つの必然だったのかもしれない。
珍しく寝坊をした健太が目を覚ますまで側にいてくれた二人のパートナー、蘭と優梨愛に両腕を取られたまま、学校表玄関に繋がる道を進む。
すでに一時間目が始まっているのに、外を出歩いている人影がまばらに見つかる。
それはこの学園が五年制で四年五年になると座学の必修科目はなくなるので空き時間が生じること。そして三年以下でも普通科にとって一般教養の座学の成績は進級にも学園からの評価にもほぼ無関係と知り、平気でサボる者が多発するからだ。
そんな少ない人影が不自然に離れていく。その理由は、健太とは逆に表玄関からこちらに向かって歩いてくる二人組のせいだ。
一人は長身の男子。くせ毛の長髪に掘りの深い端正な顔立ち。首と手足が長い恵まれた骨格に良く鍛えられた筋肉を纏っている。だが、その姿勢と歩き方は不思議と中性的。
もう一人は小柄な女子。可愛らしくデフォルメされた犬の着ぐるみを着て無邪気な顔でトコトコ歩いている。
外見だけで言えば恐れられるよりもむしろファンが付いていそうな男女だが、彼女たちを見た学園生の全員が血相を変えて距離を取っている。
それは健太のパートナー二人も同じだった。
「ご、ご主人様…‥」
「あ、あ……」
「大丈夫、《落ち着いて》」
恐怖に体を震わせる二人のパートナーに、健太はこっそり『増強術士』のスキル『精神増強』を施すと同時に自分は『戦士の不動心』をオンにする。
健太はその場で足を止め、道の向こうから近づいてくる二人組を待つ。
『精神増強』を受けもなお恐怖が拭いきれない蘭と優梨愛は両脇から健太の両腕に抱き着いてすがる。
健太に守ってもらいたいのであれば健太の両腕を拘束するのは致命的なのだが、そんな冷静な判断も下せないのだろう。
本当に危険であれば健太もすぐさまその手を振り払うのだが、今前から近づいてくる存在は本能的な恐怖を克己させるモノではあるが、現状は敵対しなければ実害がない。
それを知っている健太は、こちらを見つけて少し足を速めるその二人に、こちらから挨拶する。
「お久しぶりです、彩日羅先輩。香瑠先輩」
彩日羅と香瑠。現Aランク倶楽部『黒蜜』の部長と幹部。そして彩日羅は悪名高い『七つの大罪』の一つ『暴食』のクラスホルダーでもある。
彩日羅はしっかり爪と肉球もついた着ぐるみの右手を上げて、にこやかに言う。
「おー、お前かー。元気だったかー?」
「はい、おかげさまで」
無邪気にフレンドリーに声をかけて来る彩日羅に、健太は落ち着いた様子で対応する。
「あら、健太君だったかしら? 一年生がこんな時間にいて大丈夫なのかしら?」
問いかける香瑠の声は明らかに男性、対して口調は女性的で丁寧なものだが不思議と違和感がない。ブレない確固たる個性として今の自分を確立しているのだろう。
香瑠の問いかけに『戦士の不動心』がオンになっている健太は意図的に苦笑を作ると、
「お恥ずかしいことに寝坊で遅刻です。説得力がないとは思いますが、こんなことは初めてなのですが」
そう弁明する。
「あらあら、それにしてはゆっくりと歩いていたわね」
「どうあがいても一時間目には間に合いませんから。寮の朝食も間に合わなかったので、いっそ学食で遅めの朝食を取って二時間目から教室に向かうつもりです」
健太の答えに大きく反応したは、彩日羅だ。
「ん? お前もこれからご飯なのかー? それなら一緒に食べるのだ」
「彩日羅先輩もこれから食事に?」
健太の問いに香瑠は小さく頷き返す。
「ええ。これから学生街のレストランに行くつもりだったのだけれど」
「それでしたら残念ながらご一緒できませんね。今から学生街まで食べに行くと、二時間目に間に合いませんから」
と健太は特に気負うことなく『暴食』の誘いを断る。
学食ならば遅めの朝食を終えて教室に向えば二時間目に間に合うが、学生街まで足を延ばしてしまうとそれも無理になる。
寝坊でどうやっても間に合わなくなった一時間目はともかく、二時間目まで意図的にサボるつもりはない健太である。
健太が断ってくれたことで左右のパートナー、蘭と優梨愛は九死に一生を得たような顔をしたが、その希望は空気を読まない『暴食』がその希望をいともたやすく断ち切る。
「んー、それなら私も学食にするのだ。一緒に食べるのだー」
「分かりました。それでしたらご一緒させて頂きます」
希望の後の絶望にふらつく左右のパートナーを両腕でしっかり支えながら健太はそう言葉を返すのだった。
「お前、朝食バイキング初めてなのかー。だったら私が美味しいメニューを教えてやるぞー。私は詳しいからなー」
「それは是非お願いします」
彩日羅と健太がそんな言葉を交わしながら学食に入ってくると、分かりやすく学食内の空気は凍り付いた。
それでも、比較的すぐに何でもないようにポツポツと雑談を再開する者が出たのは、学食に『暴食』が出没することは珍しくないからだろう。
特に今は授業中だ。この時間帯に学食で駄弁っている者は、上級生で授業に出席しなくてもよい者――ダンジョンダイブの優等生が多い。そうした者達は『七つの大罪』との「距離の取り方」についても理解している。
気の毒なのは同席することになる蘭と優梨愛だ。
道中健太がそれとなく「二人は朝食を抜いて真っすぐ教室に行きますか?」と水を向けたのだが、どちらも固い表情のまま首を横に振った。
「彩日羅ちゃん、あっちが空いてるわ」
気遣いが出来る香瑠はさりげなく彩日羅を出来るだけ皆の邪魔にならない様、端の席へと誘導する。
「分かったのだ―。私はいっぱい取ってくるのだー。お前もついてこい」
「はい」
香瑠が取っておいてくれた席は、テーブルが広くてその分対面の距離があるタイプの席だった。
その片方に香瑠と彩日羅が座り、対面に健太と蘭、優梨愛が座る。
多少は距離があること、『精神増強』が効いていること、そして何より頼りになるご主人様が矢面に立ってくれていることで、蘭と優梨愛も辛うじて同席して食事をとることが出来ている。
固形物は喉を通らないのか、食事はコンソメスープだけだが。
朝はパン派の健太は、バターロール三個を主食にコーンポタージュ、サーモンのムニエル、グリーンサラダ、そしてフルーツパンチのヨーグルトかけだ。
男子の朝食としては平均より小食かもしれない。
少なくとも対面に座る『暴食』の手作りジャンボパフェ(大きめの金魚鉢のようなガラス製の器に、コーンフレークを敷き詰めて上からソフトクリームを山盛りになるまで詰め込み、その上からメロン、パパイア、オレンジなどのカットフルーツを乗せ、最後にチョコフォンデュのチョコをかけている)と比べれば、総カロリー量は二十分の一にも満たない。
天下の『暴食』と比べれば、誰でも少食になる。と言いたいところだが、それに堂々と「否」を突きつける人物がこちらを見つけて近づいてきていた。
その者が右手に持つ大きなトレイには、バケットが三本乗っている。さらに磯辺焼き(焼餅の海苔巻き)が十個以上乗った皿。うな丼の大盛。和風キノコスパゲティの盛られた大皿。
主食はどれだ? とツッコミを入れたくなる状態だ。
さらに左手に持つトレイには、ローストビーフの大皿がドンと乗っている。取り皿に取ったのではない。「ご自由にお取りください」という状態の大皿を皿ごと持ってきているのである。
あんな取り方をして残したりすれば、流石にしばらくは食堂を出禁にされそうだが、まあこの人物の場合そんな心配はいらないだろう。
「健太、こんな時間にどうした? 今は授業中なのだが」
「寝坊だ。そう言う叶馬は?」
「……寝坊だ」
その人物――叶馬はそう答えると礼儀ただしく「隣、失礼します」と断って『暴食』の隣に腰を下ろした。
食事中の『暴食』の隣に躊躇なく座ることが出来る叶馬は、それだけで普通ではないことが分かる。
そもそも、今の叶馬は朝食を抜いてきた空腹と、今日やっとヤりあえる健太と遭遇した幸運に高ぶりに高ぶり、『暴食』の彩日羅すら陰に隠れるほどの化け物オーラを放っている。
「朝、教室にいなかったから心配したぞ。お前に限って逃げることはないと確信しているが、不測の事態でもあったのかと」
「誰が逃げるか」
健太は本心からそう吐き捨てる。
叶馬を相手に「逃げる」を選択するほど健太は馬鹿ではない。どうせ「しかし、回り込まれてしまった」とでるのがオチだし、万が一本当に逃げることが出来た場合、後で「やっぱり逃げなきゃよかった」と後悔する羽目になる、と健太は確信している。
「うむ、流石は健太だ」
そう言って飢えた笑みを浮かべる叶馬の迫力に、両隣のパートナーが気を失いそうになる。
胃袋的な意味での飢えと戦闘狂的な意味での飢えが極限に達し、その上で「もうすぐ極上の餌にありつける」と確信したことで色々タガが外れそうになっているのだ。
『戦士の不動心』がオンになっている健太でも体感で「これはヤバイ」と分かるくらいなのだから相当だろう。
健太はおもむろに叶馬のトレイに乗っているバケットの端を掴むと、逆の端を笑みの形に開いていた叶馬の口に突っ込む。
「良いからまず食べろ。お前がそれ以上腹ペコ状態の気配を漂わせられたら周りが迷惑だ」
「ムッ……ガッガッガッガ」
口にバケットを突っ込まれた叶馬は、そのまままるで電動鉛筆削りに鉛筆を強く押し込んだように見る見る間にそのバケットを飲み込んでいくのだった。
叶馬といえでも一度食物を口にすれば、今は食事が最優先になる。
幸い、叶馬は『暴食』と違って破格の食事量を誇るとはいえ、必要量を食べれば飢えが満たされる。
食べると飲むの中間ぐらいの早さで、バケット三本、磯辺焼き十個、うな丼大盛、大皿の和風キノコスパゲティをやっつけ、グラスに注いだグレープルーツジュースを飲んだ頃には、叶馬の気配も通常に戻っていた。
それは『飢えて荒ぶる祟り神』が『普通の祟り神』になった程度だが、これ以上を望むのは贅沢というものだろう。
空腹が落ち着いた叶馬は、メインディッシュとして取って来ていたローストビーフの大皿に取り掛かる。
一見中は生にも見えるくらい赤い牛肉の薄切りに濃厚なソースのかかったそれは、厚さこそ薄くても大きさはちょっとしたステーキぐらいある。
そのローストビーフを叶馬は一口で一枚ずつ飲むように食べていく。これでも叶馬的にはゆっくり味わって食べている部類だ。
事実、見慣れている健太が見れば叶馬のキツイ目元が若干緩んでいるのが見て取れる。
そのおいしそうな雰囲気に釣られたのか。叶馬の隣で二杯目の手作りジャンボパフェを食べていた彩日羅が手と口を止めて、叶馬の手元を凝視している。
その視線に気づいた叶馬も、ローストビーフを掴んだ状態で箸を止める。
「む?」
彩日羅の視線が自分のローストビーフに注がれていることを知った叶馬は、そのローストビーフを摘まんだ箸を自分の口ではなく、彩日羅の口へと運んでいやる。
「ん!?」
くれるとは思っていなかったのか、一瞬驚いた顔をする彩日羅だったがすぐに満面の笑みに変わり、大口を開けてぱくりとそのローストビーフを口にする。
もぐもぐとローストビーフを咀嚼する彩日羅の顔は、幸せいっぱいだ。
健太からすると、パフェを食べながら途中でローストビーフを食べるのは味が混ざってあまりいただけないと思うのだが、その味の変化がアクセントとなって良いという意見も普通にあるだろう。
現に今度は彩日羅が長い銀のスプーンでパフェのアイスクリームをちょっとだけ掬って差し出すと、叶馬がそれを素直に食べる。
「ふむ」
その後はお互い自分のメニュー――叶馬はローストビーフ、彩日羅は手作りパフェに没頭する。
その二人を、彩日羅の隣(叶馬の逆隣)に座っていた美形トランスジェンダー――香瑠は心底驚き、目を丸くする。
「お……驚いた。彩日羅ちゃんの口元に手を伸ばせてるなんて。それに彩日羅ちゃんが自分の食べ物を初対面の人に分けてあげるなんて」
『暴食』がどのような存在であるか、身近で見て来た香瑠からすれば驚天動地の出来事だろう。
「そう言えば、貴方たち知り合い同士だったのね」
どうやら原作の『闘技場』見学イベントはそのまま起こっていたらしく、叶馬のことも知っていた香瑠は叶馬と健太を等分に見ながらそう言う。
「はい。叶馬とは同じ教室ですから。
一年丙組、倶楽部『安息所』部長の健太です」
そう言えば、以前学生街のレストランで自己紹介した時は倶楽部結成前だったことを思い出した健太は、改めてそう自己紹介する。
それにつられたのか。叶馬もローストビーフを飲む手と口をいったん止めると、
「同じく一年丙組、倶楽部『神匠騎士団』部長、叶馬です」
と名乗った。
二人の名乗りに彩日羅も香瑠も軽い驚きを見せる。
「あら、二人とも部長さんなのね? 凄く仲良さそうなのに、別の倶楽部なのね?」
「まあ、事情がありまして」
「健太は、親友と書いてライバルと読む存在です。俺は今日という日を楽しみにしてきました」
そう言ってまた好戦的な笑みを浮かべる叶馬だが、流石はAランク倶楽部の部長と幹部は全く動じる様子もない(健太の左右の蘭と優梨愛はビクビクと小動物のように震えている)。
「楽しみ? なにかあるのかー?」
と犬の着ぐるみが良く似合う可愛らしい首を傾げる彩日羅に叶馬は低い声で、だが心底嬉しそうに答える。
「本日の午後、倶楽部対抗戦でぶつかり合うことが決まっています」
「へー」
「あら、凄い。一年生が部長の倶楽部が予選を勝ち抜くのは結構な快挙よ。でも、おかしいわね。普通の同じ教室の倶楽部同士はあまり早い段階でぶつからないように配慮されるのだけれど」
首を傾げる香瑠に健太が説明する。
「恐らく配慮しきれなかったのでしょう。うちの教室で部長をやっている倶楽部が四つありますが、四つ全て予選を突破していますから。
それに、俺と叶馬の倶楽部がぶつかるのも二回戦の話です。最低限の配慮はされているかと」
健太の『安息所』。叶馬の『神匠騎士団』。『勇者』和人の『勇者団』。そして、自称凡人のモブ集団『無貌』の四つだ。
健太の説明に香瑠はさらに驚きを強める。
「それは、本当に凄いわね」
香瑠が驚くのも当然だが、一年丙組の場合これでもまだ可愛い部類になる。
この時点ではまだ、岳彦を部長とする倶楽部『仮面道化師』は台頭していないし、後に倶楽部『愚賢人』を結成する栄治、白夜、翔の三人はまだ上級生が作ったBランク倶楽部『百花繚乱』に所属したままだ。
将来的には一年のうちに自分たちが主力を務めるCランク倶楽部が六つ。教室の男子全員が第二段階職以上、各倶楽部の主力は第三段階という意味不明な教室となる予定だ。
これも叶馬という特殊存在に全体が引き上げられた(もしくは追い立てられた)結果なのだろう。
「でも二回戦でぶつかるのに、ぶつかることが決まってるのだ?」
彩日羅が口の周りについたチョコフォンデュを舐めながら(途中から香瑠が紙ナプキンで拭いてあげた)そう疑問を呈する。
「俺と健太がやり合うのはすでに決定した運命だ」
大げさな言い方をする叶馬に同意するのは非常に不本意だが、健太としても首を縦に振るしかない。
「まあ、一回戦の相手は俺も叶馬も負ける様な相手じゃないことは確かです」
「そうなのかー」
そんな話をしていると一時間目終了を告げるチャイムが聞こえてくる。
一時間目と二時間目の間の小休止は短い。教室と食堂の距離を考えれば、もう席を立つべきだろう。
「それでは、俺が二時間目から出席するのでこれで失礼します」
そう言って健太は空になった食器を乗せたトレイを持って席を立つ。
左右に座る蘭と優梨愛も「やっと地獄が終わった」と言いたげな安堵の表情で腰を浮かせる。
「すみません、蘭先輩、優梨愛先輩。この埋め合わせは後日必ず」
健太は蘭と優梨愛だけに聞こえるよう、小声でそう囁く。
この場に蘭と優梨愛が居合わせてしまったのは全面的に健太が悪いわけではないが、二人に多大な心痛をしいたことは確かだ。
「む、もうそんな時間か」
ある意味で健太以上に真面目な叶馬もそう言うと、二時間目に間に合わせるように席を立った。
健太達が去った後、彩日羅が三杯目の手作りパフェを堪能している横で、香瑠はポチポチで電子生徒手帳で検索をしている。
「面白い子達だったわね。健太君は以前違うって言ってたけど、叶馬君の方はどうかしら?」
「あれはこっち側に決まってるのだ」
香瑠の問いに彩日羅ははっきりとそう答える。
こっち側。この場合のこっち側とは、『七つの大罪』と『七つの救済』(+勇者)のことを指す。
学園で確認されている超越クラスの代表ともいうべき職ホルダーたち。
確かに叶馬は『情報閲覧』のスキルで転職先に『餓鬼喰い』があったのでそちらの素養があることは間違いない。
さらに、『餓鬼王棍棒』という『強欲』の名を持つ固有武装に選ばれてその手に取っているのだから、今代の『強欲』という考え方も出来る。
現実には叶馬の職は『雷神』なのだが彩日羅からすると叶馬は「お仲間」に感じられるのだろう。
「あらやだ。あの子、さっきのあれ本気なのかしら?」
やがて、電子学生手帳で目的のものを見つけた香瑠はそんな驚きの声を上げる。
「んー、どうしたのだー香瑠ちゃん?」
「いえ。さっきの子達、一回戦は「負ける様な相手じゃない」って言ってたでしょ。でも、見て彩日羅ちゃん、これ」
そう言って差し出す香瑠の電子生徒手帳に表示されているのは本日行われる倶楽部対抗戦のトーナメント表だ。
彩日羅と香瑠が所属する『黒蜜』は現Aランクのため、シードされており木曜日まで出番がない。
香瑠が表示しているのは叶馬の『神匠騎士団』と健太の『安息所』のトーナメント表だ。
『神匠騎士団』の一回戦の相手は確かに全員が一年の新設倶楽部なので「負けるような相手じゃない」というのも分からないではない。
だが、『安息所』は違う。
『安息所』の一回戦の対戦相手は倶楽部『天下地上』。
「んー? 確かここってどっかのサブ倶楽部じゃなかったっけ?」
「ええ。『天上天下』のサブ倶楽部よ。先鋒、次鋒は育成枠の一年だけど、中堅、副将、大将は上級生。三人とも第三段階職に達してるわ」
『天上天下』は現Aランク倶楽部。もっともSに近いAランク倶楽部と言われるくらいの実力派倶楽部だ。
彩日羅たち『黒蜜』と比較しても互角以上だ。彩日羅たちに負けるつもりはないが、学園の「有識者」に意見を募れば「『天上天下』優勢」という意見の方が残念ながら多いだろう。
そのサブ倶楽部となれば、下手なBランク倶楽部よりも強力だ。
「ふーん、ちょっと興味出てきたのだ」
クリームベッタリ汚れた唇を小さな舌で拭った彩日羅は、そう呟くのだった。
なんだかんだで午前が終わり、午後になるとついに倶楽部対抗戦本戦が始まる。
予選までは校舎の屋上やグランドに設けられた簡易結界が舞台だったが、本戦からは施設『タルタロスの闘技場』を使用する。
かつて学園の襲った『侵略』レイドの傷跡。それが『タルタロスの闘技場』だ。
地上まで臨界を許してしまい、その後辛うじて撃退に成功したため、地上に存在し続けるレイドの遺産。
その空間ではクリスタルをくべることで『魂魄結晶』を失っている普通科生徒でもスキルが使用可能なだけの瘴気濃度を保つことが可能で、羅城門とは別系統の不死化も働いている。
とはいっても本日行われるのはFランク倶楽部同士の一回戦。
特別ルールとして本戦でありながら三分間という時間制限が存在し、時間切れ判定もある。というか、一学期の一年同士の勝負など半分以上は判定までもつれ込む。モンスターを殺せるようになったとしても、同じ人間の急所を最初から躊躇なく切り裂くことが出来るのは一部の異常者だけである。
また、この時点まで勝ち上がっている倶楽部だけでも二百を超えているという数の問題もあり、闘技場内を区切って四つの小さな闘技場を作り、四つの試合が同時進行される。
そんな四面の闘技場の一つに健太達倶楽部『安息所』の姿があった。
レギュラーの健太、尚典、霊王、竹海、来斗。そして補欠の風音と珠貴の七人は闘技場の上にいるが、それ以外のメンバーは観客席からの応援だ。
健太のパートナーである蘭、幸子、優梨愛、詩織、藤子。尚典のパートナーである空亜。そして来斗のパートナーである実咲。
闘技場に七人。観客席に七人。合わせて十四人。これが今の倶楽部『安息所』の全員だ。
観客席には和花たち倶楽部『O嬢極』を中心とした白鶴荘の女子達の姿も見える。
本日の対戦は大半が一年同士のショボい特別ルール戦ということで観客席はガラガラのため、簡単に見つかる。
対戦フィールドの向こう側にいるのが本日の対戦相手、倶楽部『天下地上』の面々である。
先鋒、次鋒の一年コンビは流石に緊張しているが、中堅、副将、大将の三人は緊張感の欠片もない。彼らにとってここの勝敗は「決まり切ったこと」なのだろう。
実際こうして相対していても、その自信が普通は過信ではないくらいの実力を感じさせる。
装備している武器、防具は全て一級品のマジックアイテムだし、立ち方、歩き方にも十分な修練を感じさせる。
一方『安息所』のレギュラーたちは流石に緊張を隠せていない。
全く緊張していないのは『戦士の不動心』をオンにしている健太と竹海くらいで、残りの三人は大なり小なり緊張を隠せていない。
特にひどいのはこの後すぐ出番を控えている先鋒の来斗だ。
「あわわわ……」
『堅牢犰狳』の革製の全身鎧でその小太りな体を包み、愛用の両手持ち金砕棒を持つ来斗は、緊張と恐怖でまともにしゃべることも出来ない。
だが、『戦士の不動心』がオンになっている健太は特にそれがまずいとは考えない。
戦闘前、もしくは戦闘中の来斗が恐怖や緊張でテンパるのはダンジョンダイブでも毎度のことだ。
どれだけ戦闘経験を重ねても恐怖と緊張を忘れない来斗は、恐怖と緊張を抱えたまま的確に戦うことが出来るようになっている。
どうせ、言っても緊張がほぐれることはないと思うが、それでも部長の責務として健太は一応来斗に声をかける。
「大丈夫だ、来斗。普通にやれば負けることはない」
「ででででも、直孝くんだよ! つ、強いんだよ!」
来斗の対戦相手は、くしくも来斗と同じ一年辛組の男子だった。一年辛組で最強と目されていた男子で、実際こうして『天上天下』のサブ倶楽部である『天下地上』の育成枠となっているのだから、学園の上澄みであることは間違いないだろう。
身長は優に百八十を超えており、体つきもなかなかの筋肉質。顔立ちは美形とは言えないが強面と言われるほどでもない。いかにも運動部で自分に自信を持っているタイプの男子だ。
装備も先輩の御下がりで充実しているし、レベルも十分なくらいに上がっている。第一段階職としては。
もちろん、どう頑張っても第二段階職のカンストが見えてきている来斗の相手にはならない。
だから、健太は来斗へのアドバイスとして次の言葉を送る。
「それなら、出来るだけ『横振り』を心掛けろ。振り下ろしは力は込めやすいが空振りしやすいし、フィールドに武器をぶつけて動きが止まる恐れがある」
「そ、そうか。そうだね、うん。横降り、横降り、横降り……」
来斗が呪文のように「横降り」を連発しているのを聞いて、健太は万に一つの敗北の可能性を消し去ることが出来たと確信する。
「では、先鋒以外リングの外に降りてください」
白い覆面を被った審判の言葉を受けて、健太たちはリングを降りる。
「来斗、頑張ってー!」
「来斗くん、ファイト!」
「来斗さん、リラックスです!」
リングの下と観客席から来斗に倶楽部仲間から声援が送られる。
倶楽部対抗戦は職ごとに得意な距離が違うため、中央のラインより自陣側にいればどこから始めても良いことになっている。
『重殴士』である来斗は開始線から二メートル弱ほど下がったところに位置を取る。
相手の先鋒も同じくらいの位置に立つ。
相手も『戦士』で装備は片手剣と中型の盾というスタンダードな装備のため、戦闘スタイルはかみ合うはずだ。
両者の距離は三メール強。来斗の長い金砕棒はもちろん、相手の片手剣も一歩踏み込めば間合いに入る至近距離。
「始め!」
という審判の声を受けて、先に動いたのは来斗だった。
「よごなぐりいい!」
それまでずっと口の中で呟いていた言葉をそのまま鬨の声にして、『馬蹄』のスキルを付与した鉄靴で闘技場の石畳を蹴り、一歩で相手を金砕棒の射程に収めると、宣言通り思い切り金砕棒を地面と水平にフルスイングする。
盾を持つ相手の左側からの横殴り。
「ふっ!」
その一撃を教科書通りの体捌きで腰を落とし、盾だけでなく体全体で受け止めようとした対戦相手は間違いなく褒められるべき反応だったと言えるだろう。
だが、第一段階職と第二段階職。レベルにして二十以上の差、しかもレベルが上の方が『重殴士』という攻撃力特化の職であるという事実は、そんな頑張りをいとも簡単に吹き飛ばす。
「がっ!?」
一瞬こらえた直後、その一年の『戦士』は交通事故にあった様に十メートル以上吹き飛び、二回バウンドした。盾は完全に粉砕され左腕は曲がってはいけない二の腕の真ん中から曲がっている。
強烈な吹き飛ばしに首を固定できず、空中ですでに失神していたのは彼にとってはむしろ幸運だったと言えるだろう。
「勝負あり! 先鋒戦、勝者『安息所』」
会場に白い覆面を被った審判の勝利宣告が高らかに響いた。