「マ゛ア゛ア゛ア゛…………」
巨人腐乱死体はついに動かなくなった。
華組の女子三人がかたずをのんで見守る中、巨大な腐乱死体は瘴気へと返っていき、後には結構な大きさのクリスタルと大きな汚れた骨だけが残される。
どうやらその骨がこのモンスターのドロップ品らしい。残念ながらモンスターカードのドロップはなかったようだ。
しっかりと『七歩蛇』の毒だけで倒したのだが、「モンスターカードのドロップ率が上がる」のであって確定ドロップではないのだから、ドロップしなくても不思議ではない。
そんな客観的なことを考えられるのは、当事者ではない『戦士の不動心』がオンになっている健太だけ。
「う……は………あああああああ!!」
「…………」
「…………」
死臭と腐臭が染みついた荒野に両ひざをついて泣き崩れる佳乃に、文香と桜子は沈痛な表情を浮かべるだけでかける言葉もないようだ。
詳しい事情を知らされていない健太だが佳乃がこのモンスターカードに最後の望みを託していたこと、その望みが今断たれたことは分かる。
『戦士の不動心』がオンになっている今は目の前の愁嘆場にも全く感情は揺さぶられないが、その冷静な視点から「これをただ見逃したら普段の自分は後で罪悪感に駆られるだろう」ということも確信できる。
「文香様、よろしければ事情をお聞かせ願えますか?」
だから、健太は静かな声で三人のリーダー格である文香にそう尋ねる。
「これは健太様、失礼しました。健太様はこちらの依頼を達成しておられます。これ以上お手数をおかけするわけにはまいりません」
そう言う文香の笑顔は凛としたどこまでも自然なものにしか健太には見えない。だがつい先ほどまでの文香の表情、そして未だ号泣を続ける佳乃、沈痛な表情のままの桜子を見れば、文香の笑顔が作り笑顔であることは容易に想像がつく。
「確かに書面上の依頼は完遂しておりますが、そちらのご様子から鑑みるに本当の目的は達成できていないと推測されます。幸い閉門までは時間もあることですし、私で力になることがあればアフターサービスとして対応させて頂きます」
「お気持ちは嬉しいのですが」
重ねる健太の言葉にも文香は首を横に振る。それはまだ健太を警戒しているというよりも、相談してもどうにもならないと考えているようだ。
まあ無理もないだろう。健太はどれほど強くても戦士系(騎士系)の戦闘職。常識的に考えれば、戦闘以外で「出来ること」などそうはない。
しかし、健太の破格の強さを目の当たりにしたことで何か思うところがあったのか、桜子が真剣な面持ちで聞いてくる。
「では、念のために確認させてもらう。健太、お前は高位のポーションに当てはあるか?」
高位のポーション。その言葉から思い出すのがこれまでに文香たちが発した言葉だ。
桜子の「佳乃の『期限』」という言葉。文香の「見た『記憶』があるのは貴女だけ」という言葉。
それらの言葉を総合すると、健太は大体自分が予想していたことと彼女たちの身に起きている事実がそうズレていないと確信を抱く。
「残念ですが私がご用意できるのは通常の外傷用のポーションくらいですね。失礼ですが『癒し手』のいる倶楽部に頼めなかったのですか?」
そう言いつつ、実は健太にはもう少し上等なポーションの当てがある。
健太が『起屍鬼』の死骸と交換にダンジョンショップで貰った『青鬼の瓶』を蜜柑達旧『匠工房』に預けてあるのだが、その『青鬼の瓶』から出る理水をベースに『調合士』の桃花がポーションを制作できるようになっている(凜子は理水を使ってしゅわしゅわ葡萄ジュースを作っている)。
とはいえ他人の能力をこのような場面で勝手に告げて良いはずもない。
健太の返答からおおよその事情を察せられていることを理解したのだろう。
桜子は艶やかな黒いポニーテールを揺らす様に大きなため息をつくと、
「すでに試した後だ。薫書記の伝手で『癒し手』にダンジョン内で『快癒』をかけてもらったが効果がなかった」
「なるほど」
そう答えながら健太は頭の中で情報を整理する。『快癒』は『癒し手』系第三段階職『司教』のスキルだ。
原作では海春が『癒し手』系第四段階職『枢機卿』になった時、叶馬の『情報閲覧』では『枢機卿』(2/6)と表記されていた。
これは『枢機卿』という職は六人までの定員制で、海春が二人目であることを意味する。つまり『枢機卿』がすでに一人いる可能性があるのだがその人物は日本にいないのか、いたとしても文香達には伝手がないかなのだろう。
健太の推測では恐らく佳乃は『まだ一度も死んでいない』。だが、放っておくと死ぬ何らかの状態異常を食らっている。
この手のダンジョンをログアウトしても継続する状態異常は珍しくはあるが知られているだけで結構な数存在している。
有名なのは『首無騎士』の『死の宣告』だろう。
『首無騎士』は元々第十六階層『妖精都市』に出没する邪悪な妖精だったのだが、近年はゲームその他の影響でここ第十四階層『死國』にも出没するようになった。
ただし『妖精都市』の『首無騎士』と『死國』の『首無騎士』は見た目が似ていて名前は同じなだけの別なモンスターだ。
『妖精都市』の『首無騎士』は女性型が多く戦車に乗っており、遭遇した相手に『死の宣告』のスキルをかける。
すると一定の期間後、『死の宣告』を受けた者がダンジョンにダイブすると『首無騎士』が現れ、対象を殺しに来る。
それは『妖精都市』に限らない。第一階層だろうが第二階層だろうが、全然関係ないレイドだろうが『首無騎士』は即座に出没する。それどころか、学園内でも瘴気濃度が十分な闘技場や工作室に対象が足を踏み入れれば出没するという。
対して『死國』の『首無騎士』は主に男性型で首無騎馬に騎乗し、相手に『死の宣告』というスキルをかけてくる。
こちらの『死の宣告』は放っておくと一定の期間が過ぎた後死ぬ。純粋な死の呪いだ。そのため『癒し手』系のスキルで呪いを除去出来れば助かる。ついでに言えば期間内別の死因でも一度死ねば解けるので、普通科ではあまり恐れられてない。
多くの場合はパーティーメンバーに殺しても貰って、死に戻りするのがマストになっている。
恐らくは今倒した巨人腐乱死体も、後者の『首無騎士』の『死の宣告』のようなスキルを有していたのだろうと健太は推測する。この手のスキルはスキルをかけた本人ならば後から解除出来ることが多い。あの巨人腐乱死体のモンスターカードを入手できれば、主として「自分にかけた状態異常を解除しろ」を命じることが出来る。
佳乃はそのスキルを食らった上で死なずにダンジョンからログアウトした。そう考えると、桜子が言った「佳乃の『期限』」という発言も納得できる。
問題は文香の「あれを見た『記憶』があるのは貴女だけ」という言葉だ。
その言葉を素直に取ると、あの巨人腐乱死体と遭遇して文香と桜子は死に戻り、佳乃だけが状態異常を受けた上で死なずにダンジョンから脱出したということになる。
前衛後衛という区分で言えば、三人とも後衛。当然、前衛を務める護衛はついていたはず。それなのに文香と桜子を死なせるという失態を犯した。唯一生き延びたのが佳乃というのも不可解だ。
四年の文香と桜子は第三段階職で、一年の佳乃は第一段階職。死にやすさで言えば当然ダントツで佳乃が死にやすい。
そして立場で言っても明らかに主人格は文香のはず。つまり、優先的に守らるべきはずの文香が死に、従者である佳乃が生き延びていることも不自然である。
とはいえ文香たちの様子を見るに彼女達三人の間に遺恨はないようだ。となれば、それより先はただ依頼を受けただけの自分が立ち入る話ではない、と『戦士の不動心』がオンになっている健太は割り切る。
「では、駄目元ですがこいつを一つ試してみましょうか」
そう言う健太が取り出したのは鼻が青い『赤鼻トナカイ』のモンスターカードだった。
「うわあああああ!」
佳乃がまた号泣している。
だが、状況は先ほどとは何もかも異なっている。
まず第一に場所が違う。時間をかけて巨人腐乱死体を倒したため、これ以上は『天敵者』の危険があるため、一度場所を移したのだ。
とはいえここも第十四階層の『既知外』領域には違いないため、深い霧が立ち込める荒涼とした大地という風景にほとんど違いはないのだが。
第二に泣いているのは佳乃だけではない。
佳乃が細い両腕で抱き着いている大型馬程もあるトナカイ――桜子の手によって『具象化』された鼻が青い『赤鼻トナカイ』ももらい泣きをしている(健太は内心で「そう言えば『泣き虫』なんてスキルもついてたか」と考えていた)。
そして第三に、泣いている理由が違う。
先ほどの号泣は絶望によるもの、今の号泣は歓喜によるものだ。
鼻が青い『赤鼻トナカイ』のスキル『医療』によって佳乃を蝕んでいた『死呪病』は除去されていた。
スキル『医療』はスキルを受ける対象が長い時間安静にしていなければならない、外傷の回復量は少ない、状態異常の回復確率もあまり高くない、と基本的には『癒し手』の回復スキルの下位互換なのだが勝っている点として「どれほど強力な状態異常でも回復確率がゼロになることはない」という点がある。
幸い佳乃を蝕んでいた『死呪病』はさほど強固な状態異常ではなかったのかはたまた単純に運が良かったのか、三回目の『医療』で無事解除となった。
(最悪を想定して持ってきておいたかいがあったか)
そう考える健太の最悪とは今回の護衛依頼で護衛対象である文香達を守り切れなかった場合だ。
健太は『司祭』のスキルも使えるが流石にそれを明かすことはできない。
それに健太が『予習』した『死國』では第二段階の『司祭』では手に負えないバッドステータスの使い手もチラホラ存在していた。
幸い、事前に桜子と佳乃が『文官』系であることは知らされていたため、まだ言い訳がきく「治癒能力のあるモンスターカード」を用意しておいたのだ。
「では、この度の依頼は完遂出来たという認識でよろしいでしょうか?」
健太の言葉に代表である文香は最初とは明らかに違う目つきで健太に微笑みながら首肯する。
「はい、健太様。貴方様の偉大なる御力によって佳乃の星命は繋がりました。深く御礼申し上げます」
そう言って文香は言葉通り、長い艶やかな黒髪が荒涼とした大地に着くまで頭を下げる。
自分の主が普通科の男子に頭を下げているのにそれをどうこう言うこともなく、桜子も健太に礼を言う。
「本当に助かった。礼を言う、健太。ありがとう」
そう言って桜子は『具象化』をやめたユニーク個体『赤鼻トナカイ』のモンスターカードを健太に返却する。
「あびばどうございばず、健太ざま゛」
一番恩恵を受けていた佳乃は涙で目と鼻を真っ赤にしたままそう非常に聞き取りずらい涙声で、健太に礼を言う。
「皆様のお力に慣れたのであれば、幸いです」
健太は意識的に顔に笑みを浮かべ、そう静かに言葉を返した。
無事ダンジョンダイブを終えた文香、桜子、佳乃の華組女子三名は特級棟校舎の生徒会用の一室で、薫書記と対面を果たしていた。
椅子も机も普通科で使われているような代物とは一味違う。通常の学校であれば校長室にしかないような重厚な天板の机と黒い革張りのソファーに腰を下ろした文香達は、対面に座る黒髪ストレートロングの女子――薫書記に依頼の結果を簡単に報告した。
「では、私が推薦した健太さんは十分な働きをした、ということでよろしいでしょうか?」
生真面目に確認してくる薫書記に文香は小さく笑みを浮かべたまま答える。
「はい。全ての面に置いて最上級の働きをしてくださいました」
「薫書記、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
文香の言葉に合わせて左右に座る桜子と佳乃もそう言って深々と頭を下げる。
言葉こそお礼の言葉になっているが、その頭の下げ方、声のトーン、そして表情は完全に謝罪のそれだ。
まあこれまでの経緯を考えれば当然と言える。
健太を紹介するとき薫は告げていた。「今、私が文香先輩に紹介できる最高の人材です」と。
その紹介でやってきたのが一年の男子が一人だけ。
薫の「紹介できる最高の人材」という言葉を「もうお前らに紹介できる人材はない」という最後通告と取った桜子と佳乃の理解力はまあ常識的というべきだろう。
薫も健太の実力はともかく(そもそも実力に関しては薫もまだ正確には把握していない)、普通科男子としての人格の特殊性は口で説明すればするだけ信ぴょう性が薄れるだけと思い、詳しい説明はしていなかった。
「そう言っていただけますと紹介した身として、面目が立ちます。佳乃さんは「ずっと体調が悪かった」ようですが、そちらも回復しましたか?」
「はい、おかげさまで」
佳乃はすっかり憑き物が落ちた晴れやかな笑顔でそう答える。
その様子を眼を細めて見ていた薫は小さく一つ頷くと、
「それは何よりです。私はこれで失礼しますが、この部屋は本日中借り切っておりますので、よろしければ皆さんはゆっくりしていってください」
そう言って席を立つ薫に、文香は素直に頭を下げる。
「ありがとうございます、薫書記。お言葉に甘えさせていただきます」
文香達は全員『玉兎荘』という特級科専門の女子寮に入っているのだが、間違ってもそこは住み心地の良い空間ではない。
建屋そのものは重厚な木造建築で人数の割にだだっ広く色々と恵まれているのだが、内部の人間関係が普通科の強さ一辺倒な動物的カースト制度が可愛く見えるくらいの魔窟なのだ。
個人の力、家の格式、そして所属している派閥の勢力と派閥内の立ち位置。それらが複雑に絡み合って気を抜けば誰でも地獄に堕ちて浮かび上がれなくなると言われている。
そんな魔窟でも死に戻りを経験している『死徒』の立場は最下層で固定される。
文香や桜子の場合、同じ特級科専門の男子寮である『金烏荘』に呼びだされても拒否する権利は存在しない。薫でも守ることは難しいだろう。
そんな文香たちにとって、こうして生徒会権限で「立ち入り禁止」になっている空間で寛ぐことが出来るというのは、非常にありがたい施しだった。
自分たちの手で常備してある紅茶を入れて、茶菓子と紅茶でひと息を突いたところで文香が優しい声で佳乃に告げる。
「佳乃、改めておめでとう」
「ありがとうございます、文香様。文香様と桜子先輩はこんなことになったのに、私だけ……申し訳ございません」
『死徒』となる運命を免れてしばらくはわが身が助かった喜びと安堵に支配されていた佳乃だが、それが少し落ち着いてくると湧き上がってくるのは「自分だけ助かった」という罪悪感だ。
主である文香はすでに自分は手遅れとなった身で、僅かな可能性が残っている佳乃の為に文字通り「体を張って」助けてくれた。
だが、文香はゆっくり首を横に振ると、
「謝ることではありませんよ。三人そろって駄目になるよりも一人だけでも助かる方が良いに決まっているのですから。それに佳乃、貴女には厳しいことをお願いしなければなりません。
私がこうなってしまった以上、少しでも可能性のあるあなたに『火雷天神』様との契約に挑んでもらうことになるのです」
そう文香は優し気な顔立ちに似合わない厳しい表情を浮かべる。
「は、はい。分かっております、文香様。『お勤め』に全力を尽くす所存です」
覚悟を決める佳乃に文香を挟んで逆隣に座っている桜子が発言する。
「こうなった以上、可能性が低くとも佳乃にも契約に挑戦させるのは理解できます。しかしあそこは魔境です。『火雷天神』様の下に生きてたどり着くには、十分な護衛が必須ですが」
そんな桜子の問いに対する文香の答えは、桜子が予想していた通りのものだった。
「何とかして今一度健太様のご助力をお願いするしかないと思います。…………用意できる対価が思いつきませんが」
「やはりですか。分かりました。対価に関してましては私の方でも考えておきます」
桜子の答えに文香は「お願いします」と返す。
今回の一件で文香はもちろんのこと、偏見(という名の普通科男子に向ける正当な評価)で見ていた桜子も佳乃も、健太に対する評価は一変している。
健太に頼めるのであれば、能力的にも人格的にも全く問題ない。
問題があるとすれば、今文香が言った通り文香側に対価が用意できないことと、健太がどこに所属しているのかが分からないことだ。
「いっそこの身が対価となれば良いのですが」
そう呟く文香だが、それは望み薄だと思っている。文香は『戦士の不動心』がオンになった健太しか直接は見ていない。正直、そのような色欲に囚われた申し出をすること自体躊躇われる。
「おやめください、文香様。お家から『文』の字を許されたお方が」
眉をしかめる桜子に、文香は自嘲的に笑う。
「死に戻った以上今更ですよ。今の私の価値など」
特級科で幅を利かせる名門の家柄の場合、一族の名づけに一定の意味を持たせることが多い。
文香の家柄では『文』の字がそれに当たる。その一族では『文』の字を持つ者は基本的に本家と認められた者だけだ。稀に分家の者でも幼いころから卓越した才能を示せば特別に『文』の字を貰うこともあるが滅多にあることではない。逆に本家の者でも「こいつは将来的には嫁、婿に出して本家には残さない」となれば『文』の字は使われない。
そうした本家の生まれでも外に出ることが決まっている者や一般的な分家の子の場合、『文』と同じ読みで似た意味を持つ別な字が宛がわれる。文香の実家の場合『書』『史』『典』などだ。
「文香様……」
痛ましいものを見る目で自分を見る桜子の視線を祓うように、文香は話を変える。
「ところで、健太様については何か心当たりはありませんか? 桜子?」
文香の言葉に桜子は生真面目に首を横に振る。
「分かりません。あの能力と人格で在野の『藤』ということはないと思いますが、少なくも当家に連なる者ではありません」
「そうですか」
きっぱりとした桜子の答えに、文香は少し残念そうに呟く。
この学園では苗字を呼ぶことはご法度になっているが、入学時の資料を調べれば苗字を探り当てることはそう難しくない。
学園は言霊の支配が強いため、正式な書類で偽名を使うことは難しい(不可能ではない)ので普通科に潜ませる密偵達も書類上は本名が記されているからだ。
しかし、それが分かったところで健太の場合ただ頭を抱えるだけだ。
健太のフルネームは「佐藤健太」。腐る程いる苗字である。かく言う桜子も苗字は佐藤だ。
特級科にも「藤の家」――佐藤、斎藤、加藤、伊藤、後藤等々――は腐る程存在している。
佐藤だけに限っても簡単には把握しきれないくらいだ。二条家に仕える佐藤、鷹司家に仕える佐藤、伊達家の家臣である佐藤、いずれも祖はともかく現状は全く別の佐藤家である。
そうした数多ある佐藤家から普通科に草が放たれる。それでもなお圧倒的に一番多いのは「在野の佐藤」、つまり何の裏もないただの苗字佐藤なだけの普通科生徒だ。
健太の佐藤という苗字もそこに埋もれてしまう。
「一年丙組には『小野寺』が二人と『堤』が一人いるのでしたね?」
確認を取る文香に桜子が首肯する。
「はい。確定した情報はあまり集まっていませんが、『小野寺』の男子と健太は比較的仲良くやっているとのことです。『堤』とは少なくとも表立った交流はない模様です」
『小野寺』は現生徒会長徹朗の実家である『綾小路』に仕える家柄だ。『堤』はそのまま徹朗の許嫁である薫書記の実家もしくはその分家である。
「『堤』の役目は明らかですし、あまり警戒することはないでしょう」
「でしょうね」
文香の言葉に桜子も同意する。文香と桜子の表情は揃って何か苦い物を含んだような厳しい表情だ。
学園サイドでも『逸脱規格』職――GR職に関する理解は全く足りていないが、それでも経験則でいくつか分かっていることはある。
中でも『勇者』に関してはどのような人間が『勇者』なりやすいか、ある程度把握できている。すなわち、「人を引き付ける魅力と高い能力を兼ね備え、そのことを自覚している自己愛と独善が強いタイプ」だ。
一年丙組にいる当代の勇者もその典型であり、その勇者の初期からの仲間に『堤』がいる。
そうなれば『堤』の役目は明らかだ。勇者が暴走した時に刺し違えてでも勇者を止める、安全弁役と考えてまず間違いあるまい。
対して『小野寺』はよくわからない。いつも一緒にいる男子はごく普通の『戦士』らしい。学園に推薦したのがこれまで一人も学園に人を送り込んでいなかった現役時代『狂乱鬼人』と言われていた学園の卒業生だったらしいが、それ以外には特におかしな目立つ点はない。
学園運営の誰もが「深く調べる必要性はない」と考え、その存在を意識することもない。
「『小野寺』の男子と健太様が繋がっているのではなく、どちらかがどちらかを監視しているという可能性はありませんか?」
そう口を挟んできたのはこれまでずっと二人のやり取りを聞いていた佳乃だ。
佳乃の言葉に桜子は一定の合理性を見出す。
「確かにそう考えれば納得もいくか。『小野寺』の女子は白鶴荘に留まったままだ。校内やダンジョンでは『小野寺』の男子が、寮内では『小野寺』の女子が健太を見張っている。そう考えれば」
「辻褄は合いますね」
桜子の推測に文香も同意を示す。
そんな会話から分かる通り、文香たちは健太に付いて簡単に調べれば分かる「表向きの情報」はしっかり把握していた。
すなわち、一年最初の定期試験で補習レイド送りになった。女子寮に入り浸っている。公式パートナーが八人いる。部長を務める倶楽部は男子四人、女子十人という比率。戦闘力のないものが大半の女子オンリーの倶楽部を傘下に収めている。といった情報だ。
それらの情報から想像した人物像ならば、当初桜子と佳乃が警戒したのも当然だったのかもしれない。
桜子にいたっては「この健太という男子は薫書記の『駒』であり、自分たちは宛がわれた『ご褒美』なのではないか」、という疑惑すら持っていたほどだ。
「そういえば文香様。健太様の星はいかがだったのですか?」
佳乃の問いは桜子も気になるところだったのだろう、二人は固唾をのんで主の言葉を待つ。
だが、文香は硬い表情で首を横に振る。
「それが……見えなかったのです」
その返答は半ば桜子たちも予想していた。
『星読み』に限らず対象の情報を見抜くタイプのスキルは術者より高位の相手には効かないことが多い。
なにがどうなって今の段階の一年がああなっているのか分からないが、第三段階職に過ぎない文香より健太の方が高位であることは桜子たちにも容易に察せられる。
だが、納得の表情を浮かべる桜子との佳乃に文香はさらに首を横に振る。
「違うのです。確かに星が見えない方はいらっしゃいます。ですがそうした場合は通常「見えないことが見える」のです。例えば礼治副会長であれば星が眩しすぎて見えない。耕司副会長でしたら星が大きすぎて見えない。それ以外にも遠すぎて、暗すぎて、隠されてなど、「この人の星は見えない」と見える。
ですが健太様の星はただ見えないのです。まるで宿星などないかように」
文香ほどではないが『天文道』について最低限の知識はある桜子と佳乃も顔色を変える。
「…………」
「…………ありえるのですか? 星を持たない人間というのは?」
震える声で問う桜子に文香はきっぱりと言い切る。
「ありえません。人間であれば、いえ人間に限らず、生命に限らずこの世に存在するモノならば塵芥であっても宿星はあるはずです」
ただし、微生物だのそこら辺の石だのの宿星は小さすぎてどれほど優れた星読みでも読み取ることはできないのだという。それでも目を凝らせば「ある」ことだけは分かる。健太の場合はそれがない。
「そして、星が見えないのに近くにいる人間の星には極めて強い干渉を与えるようです。佳乃の星がこのわずかな間に驚くほど良い方向に変化しました。桜子の星も佳乃と比べると微々たるものですが好転しています。恐らくは私の星も同様でしょう」
最後の文香自身について断言できないのは、星読みでは自分の星は見ることが出来ないからだ。ただし、自分の周囲にいる人間の星を見ることで疑似的に予測することは可能だ。
「何者なのでしょうか? 健太様は」
「分かりません。ですが、悪い存在ではないと思います」
佳乃の問いに健太の人格に触れ、かかわった人間の星が好転している事実を目の当たりにした文香は静かに、だが確信を持ってそう言うのだった。