「説明していただけますか、駄犬先輩」
「だーかーらー、これはエーテル海。第十七階層と同じやつー。あそこと違ってお魚いなくて寂しいけど」
「ふむ?」
レイド開始地点にいなかった叶馬、静香、彩日羅の三名は原作を知る健太の予想通り、レイドボスである白い鯨の背中の上にいた。
他にはなにもない。見渡す限り青く透明ななにかに満たされている。
それは空気ではない。空気よりは僅かながら抵抗が強く、若干の浮力も存在する。
だが水ではない。普通に呼吸が可能で人間が生存可能なのだから普通の水中とは言い難い。
まあ雷神、暴食、魔王の三人の生存が確認されたことイコール「人類が生存可能な領域」と位置付けることには若干の異論は出そうではあるが。
彩日羅が言うにそれは「エーテル海」と呼ばれる存在らしい。
幸いなことにこの空間でも重力はちゃんと下に働いていることだ。
そのおかげでこうして白い鯨の背中の上に立ったり座ったり出来ている。逆を言えば、背中から転がり落ちれば底が見えないエーテル海の底まで落ちていきそうな怖さがある。
まあ、白い鯨の背中は縦に百五十メートル以上、横幅二十メートルは有にあるので足を滑らせた程度では落ちることもないのだが。
馬鹿っぽく見えても彩日羅は三年生でAランク倶楽部の部長である。当然、レイドを含めたダンジョンダイブの経験は叶馬や静香とは比較にならないほど豊富だ。
そんな彩日羅の言うに「ここはレイドボスの上。なぜかスタート地点ではなくて最終戦のステージに最初から紛れ込んでしまった」とのこと。
その説明を聞いた叶馬が「ならばこれを倒せばレイドクリアなのでは?」と短絡的に考えて『空間収納』から六尺棍棒『餓鬼王棍棒』を取り出し、思い切り足元の白い鯨を痛打する。
もし、それで本当に白い鯨を倒せてしまったら足場はどうなる?とか、攻撃されたと判断された白い鯨が暴れたら上に載っている自分たちは危険なのでは?と言った常識的な心配は叶馬の脳裏には浮かばなかったようだ。
そして、その結果は叶馬もってしても困惑させる珍妙なものだった。
大概のものを一撃で粉砕する叶馬の本気の一撃は白い鯨にダメージを与えるどころか、『餓鬼王棍棒』を持つ叶馬の手に何の感触すら返さなかった。
微動だにしない固いものを殴れば、普通はその分の衝撃が手に跳ね返る。それすらない反応に叶馬を持ってしても打つ手が思いつかない。
「むう……物理法則はダンジョン内でももう少し勤勉であるべきではないか」
「むーりー、攻撃力と防御力とか相性属性の問題じゃなくてレイドのルールの問題だからむーりー。ルール違反はどんな攻撃も無効なんだよ。あー、これ絶対『伝承』だ。めんどくさー」
無表情のまま困惑する叶馬の横で、彩日羅はペッタリ白い鯨の背中の上に座ったまま伸ばした両足をバタバタさせている。
「確か健太さんの事前情報では『『根源』か『王権』。低確率で『伝承』。強い水アクアの力を持ったモンスターの存在を察知』とのことでしたので、一応事前情報通りではありますね」
静香はピッタリと叶馬に寄り添ったままそう言う。
転送された当初は彩日羅を魔王のような形相で睨んでいた静香だが、今は落ち着いている。
もう少しで叶馬と離れ離れになるところだったという恐怖が怒りとして発現したのだが、はぐれずに済んだという現実が激情を長続きさせず、理性が働けば彩日羅に喧嘩を売ることのまずさは理解できる静香である。
「ところで、叶馬さん。先ほどこのようなものを落しましたが」
そう言って静香が叶馬に差し出したのは三つ折りにされた一枚の手紙だった。
「む?」
落とした記憶がない叶馬は首を傾げつつも、受け取ったそれを広げる。
その手紙は和紙だった。書かれている文字は毛筆だ。かなりの達筆で叶馬には何となくそれが雪ちゃんのものであることが分かる。
先ほど叶馬が『空間収納』から『餓鬼王棍棒』を取り出したときに一緒に出てきたのだろう。もちろん、自然と零れ落ちるはずもないので中で『空間収納』を管理している雪の仕業と思われる。
だが、書かれている署名は健太となっていた。その隣に『代筆雪』と書かれている。
本文の内容は「自分たちは、無事レイドにダイブできたこと。叶馬、静香を除く二十二人全員が無事にそろっていること。『黒蜜』の香瑠も一緒であること。ひとまず、近くにあったうち捨てられた灯台を拠点に改造しながら、レイドの調査に向うこと。近くに見える港町を探索する予定」などが簡潔に書かれていた。
わざわざ雪が代筆したのは、健太が『限定空間収納』を使えば物を出し入れできるが、今健太が『限定空間収納』に入れた物は、叶馬が『空間収納』を使っても取り出せないらしい。
逆も同じで、叶馬が今『空間収納』に収納した物は健太が『限定空間収納』で取り出すことが出来ない。
ようは叶馬達が今いるレイド最終ステージと、健太たちがいるレイドスタート地点とで人や物の行き来は出来ない、ということだ。
だから、『空間収納』内部にいる雪が代筆をしてくれているらしい。
「ふむ」
「叶馬さん? これは」
叶馬に渡された手紙に目を通した静香は状況を把握する。
「なるほど。あちらは全員揃っているのですね。安全な拠点も確保してあるとなれば、心配はいらないでしょう。健太さんもいらっしゃることですし」
「うむ」
「あ、かおちゃんもいるのだー」
キョンと飛びつくようにして近づき、手紙を横からのぞき込む彩日羅を避けるように少し後ずさりながら静香は次の言葉を紡ぐ。
「推定レイドボスがこの白い鯨で、スタート地点が港町近く。さらに港に停泊しているのが帆船ばかりの『伝承』レイド。高確率でコアとなる物語は『白鯨』だと思われますが……」
手紙に書かれていた情報と今自分たちが立っているレイドボスの存在からそう結論を導き出した静香だったが断言しきれなかったのは、余計なものが見えたからだ。
「『白鯨』。アメリカの小説だったか?」
こう見えて意外と常識や教養は人並みにある叶馬は、その小説の題名くらいは知っていた。
「はい、世界十大小説の一つですし、日本語翻訳版も複数出版されています。映画化もされています。あちらのメンバーにも読んだことがある人が一人くらいはいると思うのですが、最悪の場合は私があらすじを書いて送ります」
そう言う静香の表情は冷静ではあるが少しばかり固い。
それは手紙という形でも『空間収納』内の雪と交流を持たなければならないことが理由である。
静香と雪は控えめに言っても良い関係を築けているとは言い難い。それでも二人には「叶馬が最優先」という認識だけは共通してるため、冷戦以上のものはならないのだが。
静香は読んでいる。知っている。原作キャラでは唯一白鯨の内容を詳しく理解している。だから、少し困惑している。
対して叶馬は『白鯨』という存在を題名と「たしか捕鯨の話だったはず」の知識しかない。少ない知識からいつも通りの常人には理解不能なトンチキ推測を進める。
「ひょっとして白鯨そのものではなく、白鯨が出演している『日本のソシャゲ』なのではあるまいか。日本お得意の萌え萌え変態擬人化された『海洋これくしょん』とかそんなゲームの世界なのでは?」
そう言う叶馬の無表情は分かる人には分かるちょっと得意そうな自信ありげなものであった。
己の魂魄結晶が叶馬の右手に融合している静香は、叶馬の視界を共有している。
だから、叶馬のそのトンチキ推測が『情報閲覧』のもたらす情報をものにしていることが静香にはわかる。
名称、『白鯨』
種族、獣神
属性、水
階位、317
能力、『淵王』『嫉妬』『■神』
存在強度、☆☆★
「叶馬さん。レヴィアタンです。レヴィアたんではありません」
静香は叶馬の勘違いを正しながら、内心で「これは単なる『白鯨』ではないな」と確信する。
油断はならない。だが、同時に静香は状況をある程度楽観視していた。性根もこれまでの人生経験からも悲観的な静香には珍しいことである。
手ごわいレイドであることは間違いない。厄介なレイドであることは『伝承』なのだから当然だ。
最強の鬼札である叶馬が隔離されているのは間違いなく痛い。
しかし、幸いなことに万能の切り札である健太がフリーハンドでレイドを攻略できる立場にいる。
それならば、しばらくはここから様子見をしているくらいの贅沢は許されるはずだ。
「叶馬さん」
日頃は十八人のパートナーの一人でしかない静香は、降ってわいた叶馬を独り占めできる時間を堪能すると決める。
「ところで、ワンコさん。このクエストは俺達『神匠騎士団』と健太の『安息所』の合同によるレイドチャレンジです。
ワンコさんは横入りしたイレギュラーです」
「うん、ゴメン、ゴメンなさいなのだ」
「発起人は健太ですが、人数の関係からレイドリーダーは俺となっています。イレギュラーな形とはいえこのレイドパーティーに参加するのであれば、ワンコさんはあくまで一パーティーメンバー、リーダーは俺です」
「え? 参加して良いの?」
「あくまで俺がリーダー。一メンバーとしての参加でよろしければ」
「う、うん! もちろんなのだ!」
静香が叶馬の背中に抱き着き、うっとりと目を閉じている間に叶馬は彩日羅を何やら丸め込み、『情報閲覧』のスキルで、彩日羅の情報を修正していた。
彩日羅
『戦士』『拳士R』『盗賊』
『闘士』『格闘士』
『襲闘士』『剛拳士』
『暴食の使徒GRⅡ』
に転職可能。
【彩日羅は『暴食の使徒』に転職しようとしています。よろしいですか?
はい
いいえ】
同じ頃、打ち捨てられた灯台内部の一室で木製のベッドの縁に腰を掛けて休んでいた健太の脳裏にそんな文字列が表示されていた。
健太は脳内で「はい」をクリックする。
彩日羅の転職が無事行われたということは、叶馬側の流れが原作通り順調にいっているということだろう。
そう理解した健太は、白い細いしめ縄を左手首に巻いたまま、その場で一つ柏手を打つ。
すると、健太の予想尾通り開いた『限定空間収納』の向こうから、三つ折りになった和紙の手紙が一枚排出された。
叶馬の『空間収納』からはかなり自由に出入りをしている雪だが、今のところ健太の『限定空間収納』が内側から勝手に開いたということはない。
和紙に毛筆で書かれた手紙。代筆は雪で元文を書いたのは静香らしい。叶馬ではなくて静香だったことに健太としては一安心である。
手紙には「叶馬、静香、彩日羅の三人は一緒にいること。そこは大きな白い鯨の背の上であること。恐らくはレイドの最終ステージ、もしくはレイドボスの待機空間であると予想されること。よってレイド最終戦まで自分たちは合流できない可能性が濃厚であること。
ここが『伝承』レイドでコアとなる物語は『白鯨』が濃厚と予想されること。
しかし、叶馬の『情報閲覧』で確認したところ、レイドボスと思しきその大きな鯨の名前は『白鯨』となっていたこと」などが記されていた。
「レヴィアタン……聖書に出て来る海の魔物か。確かに白鯨は至る所で聖書をインスパイアした部分があるらしいが」
『戦士の不動心』がオンになっている健太は、冷静に『脳外記憶領域』に落としてある情報と照らし合わせてそう呟く。
レヴィアタン。日本ではリヴァイアサンという名前の方が通りが良いかもしれない。神話や伝説の常で、レヴィアタンも地方や時代ごとに様々な名前、様々な外見、様々な役どころを与えられている。
聖書では元々神に従属する海の獣であり、神命を受けてその暴虐なる力を振るう神の暴力装置として描かれている。
だが、その恐ろしい外見と絶望的な暴力性からいつしかレヴィアタンは悪魔の一柱と数えられるようにもなった。
「悪魔レヴィアタンは七つの大罪の一つ『嫉妬』を司る、か。なるほどな」
健太が思い出すのは原作の『白鯨』に刺さっていた複数の鯨銛だ。正確には覚えていないが、少なくとも十本以上あったはず。その全てが強力な水属性の帯びた強力なマジックアイテムでその中でも図抜けて強い力を持つ一本が存在する。
その銘は『海淵より這いずる鯨銛』。
その銘の通り、『七つの大罪』の一つ『嫉妬』を司る『固有武装』である。
その事実を考えれば、確かに白鯨レイドにおける『白鯨』も悪魔レヴィアタンの一側面と捉えることも出来そうだ。
健太がそんなことを考えていると、コンコンと部屋のドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼するよ、ご主人様」
健太の許可を得て入ってきたのは長身で肉感的な黒髪ショートヘアの女子――竹海だった。
古ぼけた石造りの壁に木製のドアだけが真新しく浮いて見えるのは、元々腐食して使い物にならなくなっていたドアを取り外して、梅香が作成したドアを取り付けたからだ。
この小部屋は、健太と竹海の部屋ということになっている。
このうち捨てられた灯台は、思っていたよりも多くの部屋、広い居住空間が取れたのだが、流石に一人一部屋などという贅沢は許されない。
部屋割りは、健太と竹海が一部屋、尚典と空亜が一部屋。誠一と麻衣が一部屋、沙姫と海春と夏海が一部屋。そして旧『匠工房』の十二人にプラス乙葉の十三人が大部屋で一部屋。
唯一、香瑠だけが一人部屋という割り当てになっている。
「招かれざる客である自分だけが個室を貰うわけにいかない」としきりに恐縮していた香瑠だが、現実問題として香瑠を誰かと同部屋にするのは難しい。
原作を読んでいる健太は香瑠が学園の強者では数少ない人格者であることを知っているが、その体は立派な男子のそれだ。流石に初対面の状態で女子部屋に入れるわけにはいかないし、かといって長期戦が予想されるレイドでカップル部屋に加えるのも問題がある。
せっかく梅香達が突貫工事で部屋を区切って複数のカップル部屋を作ってくれたのだ。
まして香瑠本人が言う「私は外で見張りと護衛をしているわ」という言葉をそのまま実行させるのも後味が悪すぎる。
「竹海先輩、どうかしましたか?」
健太の問いに竹海は木製のベッドに座る健太をベッドに押し倒す勢いで健太に抱き着くと、
「沙姫ちゃんがちょっとヤバい。香瑠さんが平身低頭の姿勢を崩していないから一触即発とかにはなってないけど」
そう健太の耳元で囁く。
それは健太も予想できたことだった。日頃、叶馬や健太達と相対している沙姫を見ていると忘れがちだが、沙姫は他人には冷酷で苛烈な対応を取る人間だ。
沙姫にとって叶馬は大切な御屋形様で、静香は無防備に甘えることが出来る最愛のお姉さま。
その二人を訳の分からない言動で危険な状態に陥れた彩日羅には現状明確な殺意を抱いているだろし、その彩日羅の仲間である香瑠にも殺意は向いてしまう。たとえ直前まで香瑠が彩日羅を止めようとしていたことを知っていても。
「分かりました。すぐ行きます」
元々叶馬と静香がいないという状況に動揺する者達に健太が「ひょっとすると連絡を取れるかもしれない」と言ってこの部屋に一人で籠ったのだ。
健太が雪から貰った白いしめ縄。その能力である『限定空間収納』は周知してよい代物ではない。正直、健太としてはこのレイドに参加しているメンバーならば知られても問題ないと思っているのだが、わざわざ人前で使って見せることもない。隠せる間は隠す。それが健太の基本方針だ。
竹海に呼びされた健太が向かったのは、蜜柑達が過ごす大部屋だった。
元は床の石材にヒビや欠けも目立っていた床は綺麗に塗り直されて、その上から生成りだがとても肌触りの良い敷物が敷かれている。
その敷物の上に、皆思い思いに立ったり座ったりしている。
健太と竹海が部屋に入ると、そこにはすでに健太と竹海以外の全員が集っていた。
「あ、健太」
「ああ」
敷物の上に座ったまま笑顔で声をかけて来る尚典(隣で空亜が尚典の肩を枕にして寝ている)に健太は小さく返事を返すと、すぐに視線を奥にいるポニーテールの少女――沙姫へと向ける。
まるで親の仇を見るような目で香瑠を睨んでいた沙姫は、健太を見ると一瞬表情から険が抜ける。
その瞬間を見計らうようにして、健太は告げる。
「叶馬達と連絡が取れた。叶馬、静香さん、彩日羅先輩、全員無事だ。同じところにいる」
健太はそう言って和紙の手紙を取り出して見せる。
誰に渡すか一瞬考えた健太は、蜜柑に渡す。
一応蜜柑が肩書上『神匠騎士団』の副部長だからという理由も多少はあるが、多くは人間性への信頼からだ。
「え、私? うん、わかった」
和紙の手紙を受け取った蜜柑は皆が見えるように、床の上に広げた。
内容は間違いなく静香が書いたものだが、その和紙に毛筆で書かれた文字は静香ではなく雪のため、手紙の信ぴょう性を納得させるのに多少の時間を必要とした。
それでもどうにかそれが正しく叶馬達から届いた情報であることを周知できた健太は、見違えるほどに表情を穏やかにした沙姫を見て、ひとまず最悪の状況は抜けたと確信する。
「ええと、健太。その叶馬とこの手紙をやり取りした手段についてはやっぱ秘密か?」
聞きづらそうにそう言ったのは、床の上で胡坐をかいている誠一である。
健太は首を横に振ると、意識的に視線を海春と夏海の双子に向けて、
「どちらかというと叶馬の秘密に近い。叶馬は誠一に知らせても気にしないだろうが俺が独断で教えるのは筋が違う。叶馬と合流した時に本人から聞くか、どうしても気になるのなら海春さんと夏海さんに聞いてくれ」
そうわざと白い細いしめ縄を巻いた左手首を掲げる。
海春と夏海は事実上の『雪の巫女』のような立場にある。雪に招かれてしょっちゅう叶馬の『空間収納』に出入りしている。
当然『限定空間収納』という出入り口が一つ増えたことは把握しているはず。
そんな健太の予想は当たっていた。
「はい、童神様のご助力によるものです」
「根底にあるのは吾主様の御力です」
「ああ、そういうことか。分かった」
叶馬の理不尽スキルの一つ『空間収納』についてはある程度知っている誠一は、双子の言葉から大筋を理解して納得の表情を浮かべる。
「ん? どゆこと?」
「あとで説明してやる」
胡坐をかく誠一の膝の上に上体を乗せて寝そべっていた麻衣の全く理解できていない表情に、誠一はため息をつきながらそう言う。
そんな学園では稀有な仲睦まじいカップルの様子に目を細めていた香瑠は、その表情と同じくらいに穏やかな口調で告げる。
「よかったわ。彩日羅ちゃんもそちらの部長さんと副部長さんも無事なのね。でも、レイドボスが不干渉状態で待機しているということはここは『伝承』レイドなのは間違いないわね。ちょっと厄介ね」
「『伝承』は力づくじゃクリアできないんですよね」
行儀よく膝を揃えて座っている尚典の言葉に、香瑠は小さく頷く。
「ええ。低レベルなら空間の遮断も弱かったり、ストーリー自体が単純でほとんどレイドボスを倒すだけでよかったりするのだけれど、このレイドは間違いなく力技は通用しないわ」
きっぱりと言い切る香瑠に健太は内心「原作の静香さんのやり方はある意味『力技』だったよなあ」と若干ズレたことを考える。
「幸い、静香ちゃんからの情報でコアとなる物語は判明したっぽいけど、誰か『白鯨』の内容知ってる人いる?」
話を進める様にそう問いかける凛子の言葉に手を挙げたのは、健太一人ではなかった。
「あ、一応中学のころ一回読んでます」
尚典もそう言って挙手する。
「俺も内容は把握している」
健太自身も手を上げながら、内心でこれが良いことなのか悪いことなのか考える。
(自分以外にも『伝承』レイドのコアについて知っている人間がいることは本来良いことだ。だが、そうなると俺が全部主導して原作通りの強引な解決は難しくなる)
原作では唯一『白鯨』の知識があった静香は最速、最短クリアを目指して『白鯨』のストーリーに必要な人物をぶん殴って袋詰めにして強制的に次の場面に連れていくことで、ストーリーを進めていったのだ。
その静香の代わりを自分が勤めるのが丸いと思っていた健太だったが、手紙に書かれていた内容を思い返して、その方針も危ういことに気づく。
『白鯨』の名前が『モビィ・ディック』ではなく『レヴィアタン・メルヴィ』という時点で普通の『白鯨』ではない。
下手に最速クリアを目指すより、情報収集にしっかり時間と手間をかけた方が危険が無さそうだ。
「ただ、静香さんからの情報が正しければ純粋な白鯨じゃなさそうだ。色々ズレているか、混ざっているか」
「うん、白鯨のラスボスがレヴィアタンってそんなわけないよね。でも姿は大きな白い鯨なんでしょ?」
健太以外で唯一『白鯨』の知識がある尚典がそう同意する。
「レヴィアたん?」
なんとなく叶馬が同意しそうなイントネーションでそう言った麻衣に、健太は説明する。
「レヴィアタン、別名リヴァイアサン。聖書関係に出て来る海の怪物だな。その姿は巨大なウミヘビ、海竜、魚、ワニもしくは鯨といった描写がされている」
同じ存在のはずなのに名前や姿が複数存在するのは、長く広く伝わった神話や伝承ではあるあるだ。
「それなら『白鯨』じゃなくて『聖書』関係のレイドなんじゃないの?」
そんな乙葉の指摘に健太は首を横に振る。
「その可能性は低い。この灯台にしても外から見える港町やそこに停泊している船にしても、文明が近代に寄りすぎだ。『聖書』関係のレイドだとすれば紀元前になるはずだ。むろん、断言はできないが」
たとえ『伝承』レイドであっても物語の全てが正しく再現されるとは限らない。なぜか近代の港街を舞台にした聖書の一節、というレイドの可能性もゼロとは言い切れない。
「…………そうなると、まずは偵察か」
誠一の言葉に健太も同意する。
「そうだな。ひとまず今日のところはここで拠点構築を終わらせて、明日にはあの港町に偵察に行きたい。あの町の名前がニューベッドフォードであれば、このレイドのベースが『白鯨』だと考えていいだろう」
健太のその言葉を持って、ひとまず今日と明日の方針は決定した。