吊るす糸が見える星型の星と不気味な笑顔を浮かべた三日月が夜空を彩る夜の時間。
健太と尚典が潮吹き亭の一つのベッドで眠る頃、残されたメンバーは灯台跡に築いた拠点にした。
「どうぞ、鬼灯先輩からの差し入れっす」
灯台の外で見張りについていた香瑠に、湯気の立つ金属製のカップを二つ持ってきた誠一はそう言って、左手に持っているカップを香瑠に差し出す。
「あら、ありがとう。いただくわ」
梅香が造ってくれた木製の椅子に座って見張りを続けていた香瑠は、受け取ったカップから立ち上るハーブティの匂いに表情を緩めながら、それを口にする。
長身長髪の整った顔立ちのため、そうした仕草一つ一つが非常に絵になる香瑠である。
「見張りは俺が引き継ぐんで、先輩は中で休んでいてください」
誠一の言葉に香瑠は少し遠慮するように答える。
「そこまで信用してもらえるのは嬉しいのだけれど、本当に良いの? 今、中には女の子しかないのでしょう?」
香瑠の言う通り、元々ここ灯台跡拠点には男子が健太、誠一、尚典、そして(体だけならば)香瑠の四人しかいなかった。
その中から健太と尚典が二人で偵察に向い、誠一が夜の見張りを交代するとなれば、中にいる男は香瑠だけになる。
だが、そんな香瑠の言葉に誠一は一瞬虚を突かれた顔をすると、ポリポリと人差し指で頬を掻く。
「ああ、正直先輩に関してはそちらの心配は全くしてなかったっす。
先輩、多分俺の『お仲間』ですよね? 叶馬と彩日羅先輩が『お仲間』なのと同じ感じで」
あえて香瑠の方を視ず、夜の海に視線を向けたままそう漏らす誠一の言葉に、香瑠は一瞬その均整の取れた体を震わせたが、それ以上の反応は見せなかった。
「っ……そう、叶馬君もあれだけの子だものね。誰かがついているのは必然か」
特級科に子息を通わせるような名門の家は、普通科にも自分たちの息のかかった人材――草を忍ばせている。
それらの草の役割の一つとして、暴走しやすく暴走した時に学園が無視できないような被害をおこしうる人間――すなわち一部のGR職の見張りと、いざという時殺してでも止める役目を仰せつかっている者がいる。
危険視されているGR職が叶馬と彩日羅、その傍に忍ばされている草が誠一と香瑠である。
もっとも誠一は内心ではとっくに実家ではなく叶馬を選ぶことを決めているし、香瑠もかなり彩日羅にほだされているのだが。そう言う意味でも誠一と香瑠は「お仲間」と言えるのかもしれない。
「そうなると、健太くんも「お仲間」なのかしら?」
香瑠の問いに誠一は返答を詰まらせる。
「あー、あいつは正味な話マジで全く正体不明っす。こっちの「お仲間」な感じもするしあっちの「お仲間」だと言われても納得いくっつうか」
誠一のいうこっちのお仲間というのは名門の家が放った草、あっちの「お仲間」というのは野生のGR職のことを刺す。
誠一から見る健太は今なお「どこまでも謎の存在」だ。
その言動は明らかに、一般的な普通科生徒のそれではない。
普通科生徒ならば知らないはずのことを知りすぎているし、それ以外の行動に関しても「普通は知られていないはずの情報をもとに下した判断」が明らかに見受けられる。
だがそれだけでどこぞの草と見なすには迂闊な言動も多い。いくら探っても背後が見えない。なにより、やることなすこと全てが「叶馬のため」であることが見え透いている。
ならば叶馬に目をつけている名門の家があるのかと調べれば、こちらも背後はゼロ。
さらに追加でこのレイドにダイブする直前、華組の女子が公衆の面前で健太に滅茶苦茶丁寧な対応をしていてた。
だから逆に草とは思えない。
誠一も未だ異母兄である徹朗会長には定期的に連絡を入れさせられているが、その動きは絶対に他者にばれないように注意している。
一方健太は午前の授業中の時間帯とはいえ、羅城門前の普通科生の耳目が複数ある中で、華組の一年女子と堂々と会話を交わしていた。
しかも、あの華組一年女子の態度は明らかに普通科男子に対する態度ではなかった。同格の特級科の男子か、下手をすると自分よりも目上の男子を敬う時のような口調と態度だった。
誠一からすると健太は、何もかもが謎の存在である。直接相対すると決して分かりづらい人間性でもないし、腹芸が上手い質にも思えないのに、能力の出所もバックもなんだったら目的もいくら調べてもなにも判明しない。
今回の華組の一年女子との関係からひょっとすると健太のバックが判明するかもしれない、と多少期待してしまった誠一だ。
もっとも誠一は特級科に関してはあまり探ることが出来ない。
特級科で一番権力があるのは異母兄である徹朗会長だ。内心で徹朗会長及び実家と縁を切り、面従腹背を決めている誠一が特級科周辺で下手な動きは出来ない。
誠一は綾小路家が学園に忍ばせている草を自分以外に知らないが、綾小路家が放っている誠一以外の草が全員誠一の素性を知らされていないと考えるのは楽観が過ぎるというものだ。
そんな誠一が徹朗会長の命令でもないのに、むやみに特級科生徒の周囲を探っていて万が一にもそうした実家の草に見咎められれば、相当厄介なことになる。
それを理解している誠一は、特級科周辺の情報収集は基本やっていなかった。
「そう。彩日羅ちゃんは叶馬くんは「お仲間」、健太くんは「お仲間じゃない」と言っていたわね」
香瑠は思い出しながらそう言う。
それは彩日羅が叶馬、健太に会ったときの第一印象であり、倶楽部対抗戦で叶馬と健太の直接対決を見た時にもその意見は変わらなかった。
それなのに健太が叶馬と正面から殴り合っていたことには流石に首をかしげていたが。
「結局健太は、誰から見ても謎のままか」
誠一はため息をつく。叶馬は「訳が分からない」と最初から匙を投げるしかないが、健太はなまじ「こいつなにかある」と思わせる言動ばかり取るので裏を探りたくなる。一件本人もそこまで底が深い人間にも見えないから猶更だ。だが、いくら調べても見つからない。
隠されているのか、本当にないのかすら分からない。
「彼の存在はあなたにとってマイナスになっている?」
唐突にも思える香瑠のその言葉に誠一は少し時間をかけて思い返した後、首を横に振る。
「いえ、それはないっすね」
どれだけ思い返しても健太の言動が誠一の、正確には叶馬パーティーの不利益となったことはない。トータルで大きくプラスという意味ではない。健太が叶馬達に対してとった一つ一つの言動を個別に上げてもマイナスになったことは思いつかないのだ。
まあ、ハゲヅラバディの活躍とか胡散臭い補習レイド行とか、瞬間的なメンタルダメージを寄越すことはまれにあるが。
誠一の回答に香瑠は綺麗な笑みを浮かべる。
「それなら気にしないことね。この学園で生活していると訳が分からないことが起こるのが日常よ。自分の不利益になる、放っておくと破滅に繋がる謎や理不尽に対処するだけでも大変なのだから、プラスに働く謎まで気にしてたら心があふれちゃうわ」
「っす、御忠告ありがとうございます」
先輩の重みのある言葉に誠一は姿勢を出して一礼する。
その時だった。
吊るす糸が見える星空に大きな暗幕が一瞬にして張られ、また次の瞬間にはその暗幕が開く。
すると、辺りは一瞬で昼間になった。
「先輩、これは?」
とっさに腰から短剣を抜いて構える誠一に、香瑠は椅子に座ったまま落ち着いた声で答える。
「ただ昼になっただけじゃない。多分だけど、『シナリオが進んだ』のだと思われるわ。健太くんと尚典くんがうまくやっているのね」
明らかにただ昼と夜が入れ替わっただけではない。暗幕の開閉という見た目だけでなく、なんとなく体感でも世界が進んだという実感がある。
だから、素直に香瑠の言葉を信じた誠一は短剣を腰の鞘に戻しながら、香瑠に尋ねる。
「あいつらが進んで俺たちは大丈夫なんすかね。健太の残した覚書だとこの後『白鯨』の主人公は別な町に移動するらしいけど」
健太と尚典という原作最有力候補『白鯨』の既読者二人がそろって偵察に出る関係上、健太は『白鯨』のあらすじを簡潔に記して、ここ灯台跡拠点に残してきている。
健太と尚典が港町で情報収集を終えた後、可能であれば一度こちらに戻って情報の共有をする手はずになっているが、ここはレイド内だ。何らかの都合で合流できない可能性も十分あると考え、健太は小説『白鯨』のあらすじの紙に書いて残してきたのだ。
『脳外記憶領域』に原文を落している健太は、その気になれば丸ごと全て書き記すことも出来たのだが、それは流石に時間がかかるし(『書記』の職を取っていれば話は別だったのだが)、読んで理解する方も大変だ。
それならば、重要なポイントだけを抽出したあらすじを残した方がよい。細かな情報が抜けるのはこの場合仕方がない。
原作で静香が言っていた通り、『白鯨』は本の厚さの割に物語部分は非常に短いのだ。多くは、捕鯨に関する蘊蓄と当時の価値観に基づく作者メルヴィルの思想、主張である。
「今の体感からすると大丈夫よ。私達も一緒に進んでいる。そもそもイレギュラーで最初から他のシーンに飛ばされるのならともかく、こうして正当に最初のステージに入った者はトリガーを踏んだ本人じゃなくても次のステージに以降出来るケースが多いわ」
「なるほど。まあ、そうじゃないと蜜柑ちゃん先輩達の苦労が水の泡っすからね」
そう言う誠一の視線は自然と海岸に上陸している木造帆船に向かう。
それは、それは昨日までは岸壁近くで座礁していた船だ。
蜜柑達はその廃船を引き上げて修理、改造、増強、進化させる予定を立てている。
その座礁船はちょうど健太が乗船予約を取ったモス号と同じ、スクーナーと呼ばれる小型の帆船だ。
もちろん、小型の帆船とはいっても浅瀬で座礁しているそれを陸まで引き上げるのは本来容易いことではない。
だが、蜜柑達旧『匠工房』の『職人』が十二体の『強化外装骨格』を使えばそこまで難しい話ではない。
座礁船を陸に引き上げるのにコロとして使った均一な丸太のような物やそのコロの下と上に乗せる真っすぐで頑丈な板、そして座礁船と『強化外装骨格』を繋ぐ太くて頑丈なロープなどは出立前に健太が『素材製造士』のスキルで用意した。
原材料は砂浜の砂やそこらへんに生えている雑草である。
流石に香瑠の見ていないところでやったのだが、それ以外の視線には全く気を配っていたなかったので誠一もその現場を目の当たりにしている。
普通に『強化外装骨格』のビッグジャイアントも召喚してバリバリ蜜柑達と一緒に物作りに励んでいた健太を見て、誠一は顎が外れそうなくらいに驚いていた。
そんな誠一を見て健太は「まだ誰も知らせていなかったのか」とちょっと驚いた。
他にも健太は流れ着いている流木やそこら辺の木などから船を修復するための木材、砂から窓ガラス用の珪砂や動力炉用の鉄のインゴット、雑草や木材チップから作成した紙なども蜜柑達に渡してある。
原作ではこの座礁船は『機関士』の柿音と『錬金士』の智絵理が主導し、主動力『クリスタルスチームエンジン』の全長十メートルほどの外輪船、その名も『ネオピークォド号』となる。
しかし、この世界では健太という大量の素材を素早く提供できる『素材製造士』がいること、そして健太、尚典、竹海、空亜と原作よりも人数が増えていることが合わさって、設計の段階から一回り大きくより高性能、多機能な船となることが定められていた。
最大の違いは質の良い鉄(鉄インゴットを用途に応じた最適な鋼とすることは『鍛冶士』の蜜柑ならばお手の物)が大量にあることと、瘴気さえあれば無限に水を用意できる水天の梵字『バ』を刻んだ金属片の提供によりクリスタルスチームエンジン』が最初から予定したよりずっと大出力と安定性が保障されたことだろう。
設計柿音、製造健太の金剛石半導体を用いたクリスタルニューロコンピュータの試作機を搭載する予定となっている。
コンピュータ言語にも極めて精通している柿音の助けを借りて健太が『文字魔術士』の力で作成したハベッジ式機械語を読み込ませることで、各種必殺技も発動可能になる予定だ。
原作で後に柿音と智絵理が作成する蜘蛛型人造モンスターのことを考えれば健太としても「やりすぎかも」と思わないでもなかったが、レイドのラスボスが『白鯨』(階位217、存在強度☆☆☆)から『白鯨』(階位317、存在強度☆☆★)に変更されているのだ。
味方の強化はどれだけやってもやりすぎとということはない、と健太は判断した。
「ほんとビックリね。失礼だけど『職人』がレイドだとこんなに頼もしいだなんて思ってもみなかった。私もまだまだね」
灯台跡拠点から早速元気に飛び出してくる蜜柑達を見る、香瑠の眼は優しく細められていた。
潮吹き亭の一つのベッドで目を覚ました健太と尚典は、すぐに起き上がると気まずさを振り払うように半笑いを浮かべながら離れる。
元々一人用のベッドだ。狭いことは間違いないのだが、それでも節度を持った距離で寝たはずなのに目を覚ますと、お互いの腕を枕にして、毛布の下で足と足が絡み合っていた。
その寝姿は原作『白鯨』のメルヴィルとクイークェグの描写そのままなのがわが身に降りかかると意外と笑えない、もしくは笑うしかない距離感である。
しかし、レイドクエスト中にそんな些事にいつまでもかまけていることも出来ない。
素早く着替えを済ませた健太と尚典は、潮吹き亭の食堂で昼食を取り、早速レイド攻略に動き出した。
「昨日のうちに『捕鯨者教会』の場所は確認してある。小説通りだとすれば、今日まず最初に訪れるのはそこだな」
昼食を済ませて部屋に戻った健太は、同じベッドの隣に座る尚典にそう話し始める。
「そうだね。ニューベッドフォードでの大きな出来事は『捕鯨者教会』で説教を聞くくらいだと思う。その後はモス号に乗ってナンタケット島行きかな」
「モス号も見つけてあるぞ。話も通っている。俺は荷持つの上げ下ろしの臨時雇いを乗船許可プラス2ドルで受けた。お客様扱いなら2ドル、荷物扱いなら1ドルで乗せてもらえる」
健太の返答に尚典はその可愛らしい顔がさらに魅力的に見える笑顔を浮かべ、
「流石、健太。うん、それなら僕はお客様で良いかな。ほら、見て」
そう言うと制服のポケットから大きな革製の財布のような物を取り出した。
それは煙草入れだった。中には刻んだ煙草の葉が入っているため、蓋を開いた瞬間部屋の中に煙草の臭いが広がる。
その煙草の葉を尚典が細い指で避けると煙草の入れの底から銀貨が姿を現す。
一ドル銀貨だ。その数はおおよそ三十枚。つまり三十ドル。
物の価値があまりに違うので単純換算は出来ないが、現代日本ではおおよそ二十万円弱くらいだろうか。
「あー、そう言えばクイークェグが煙草入れから一ドル銀貨をジャラジャラ取り出すシーンがあったな。俺は自分の持ち物だけで『イシュメールの装備』は何もなかったけど、そっちは『クイークェグの装備』が追加されてたのか」
「イシュメールの健太は最初から動けたけど、クイークェグの僕は夜の潮吹き亭からの登場だからね。その分の埋め合わせなのかな?」
健太の言葉にそんな推測を述べながら、尚典は三十枚の銀貨で二つの銀貨タワーを築き、キッチリ二等分した片方を健太に押し付ける。
「はい、これ」
「ああ、そうだったな。一応ここはなぞっておいた方が良いか」
健太もそう言って素直に十五枚の一ドル銀貨を受け取る。
原作『白鯨』でもイシュメールと友好を結んだクイークェグはこうして自分の持っている金の半分を会ったばかりの友人に分け与えているのだ。
クイークェグという未開民族の酋長家出身者のどこか超越した価値観と高潔さを表す描写の一つにすぎず、尚典がこの行為を行わなかったからレイド攻略が滞るとも思えない。
それでもわざわざやるのは、ひょっとすると尚典は健太と自分が「イシュメールとクイークェグ」を演じることを楽しんでいるのかもしれない。
健太は十五枚の銀貨を数えながら、昨日稼いだ五十シリング銀貨他小銭を入れている革袋に一枚ずつ仕舞っていく。
銀貨とはいっても、普段使いの通貨として使用されている銀貨はあまり銀色をしていない。多くはくすんだ灰色と黒の中間ぐらいの色をしている。
だがそんな黒ずんだ銀貨の中、一枚だけピカピカに輝く正真正銘銀色の銀貨がある。
まるでたった今造幣局で打ち出されたばかりのような輝きだ。
その輝きに何となく、鷲掴みにする気になれなかった健太は人差し指と親指でそっとピカピカの銀貨の縁を掴む。
「どうしたの、健太? わあ、凄い綺麗だね」
健太の手元を見た尚典もその元から大きな瞳をより一層大きく丸く見開いて、驚きを露わにする。その驚き方から察するにどうやら尚典は『クイークェグの煙草入れ』にこのひと際輝く銀貨が入っていることを今まで知らなかったようだ。
「《凝視》」
健太はこっそり『浄魔士』のスキル『浄視』を発動させてその銀貨を見る。
すると、その銀貨の周囲に銀貨本来の輝きがかすんで見えるほどの白色光が見える。
なにかある。健太はそう確信した。
ただの銀貨ではない。『浄視』で美しく見えるということは悪いものではない。詳しいことは不明が、それは確かだ。
「健太?」
「これはお前が持ってろ、尚典」
漠然とだが何かを感じた健太は、その1804と刻印されたピカピカの1ドル銀貨を尚典に返した。