食堂で、自称『温厚な人間』である
沙姫は、
余人には見えず、触ることも出来ず、だが向こうは一方的に干渉することは出来るという、極めて厄介な妖怪だ。沙姫は学園にきてからずっと、この妖怪に取りつかれ、犯され、嬲られ、操られていた。すでに絶望から心が死に、あと一歩で陰摩羅鬼に体を完全に明け渡してしまう寸前、陰摩羅鬼を叩きのめして、(結果として)救ってくれたのが叶馬なのである。
叶馬としては、常人には見えないのを良いことに、皆の食べ物を汚して遊んでいた陰摩羅鬼に怒りを爆発させただけに過ぎないのだが、結果として沙姫の救世主となった事実は変わらない。
ちなみには、『
現状、学食の一角はちょっとしたパニックになっていた。豊葦原学園の学食は馬鹿げて広いので、流石に食堂全体が叶馬達の騒動に注目しているわけではない。全体の比率で言えば、我関せずで食事を続けている人間の方が多いだろう。
暴力的にも性的にも、非常にフリーダムな豊葦原学園だが、表向きの学校生活は意外とそこまでではない。気に入らない奴をしめるのは学校の裏、気に入った奴を犯すのは、便所や中庭の木陰等の青姦スポット。目立つところでやらかすのは、分を弁えない馬鹿か、分を弁える必要のない学園の頂点捕食者ぐらいのものだ。
そういう意味では、叶馬が起こした騒動は、それなりに目だってはいた。ただし、ぶん殴ったのはモノであり、器物破損はしても食堂で喧嘩をしたわけではないので、上級生たちも「おー、元気の良い一年がいるな」ぐらいの感覚で、あえて干渉はしてこないようだ。
そんな中、不本意ながら手早く昼食を済ませた
健太の記憶が正しければ、陰摩羅鬼を倒してもらった沙姫は、その場で叶馬に土下座し、「私を仲間にしてください。何卒お助けください」と頼み込むはずだ。
しかし、健太が騒動の起こった場所までやって来ると、そこにはすでに叶馬達の姿はなかった。
ぶち壊されたテーブルの残骸が三か所に転がっているのだから、ここが騒動の中心地であることは間違いない。
あたりを見渡した健太は、適当な一年の男子に声をかけて聞いてみる(これも、『
「なあ、ここで何があったんだ?」
「なんか、女をめぐって喧嘩になりかけてたみたいだ。それで、バケモンみたいなやつがテーブルをぶち壊して、女に土下座させてた」
女はその後、バケモンの後ろについて行ってたから、多分「そういう形で決着がついたんだろうな」と、健太が声をかけた一年男子は羨ましそうに付け加えた。
健太が間に合わなかっただけで、起きた出来事自体はどうやら原作の通りだったようだ。
健太は、答えてくれた一年男子に「ありがとう」と礼を言い、考える。
原作通りだとすれば、実際には沙姫は叶馬の庇護を求めて「仲間にしてください」と土下座をして、その効果なく叶馬達は帰ってしまっただけだ。それでも沙姫は諦めきれず、叶馬達を追いかける。
そして、
「ということは、今回俺は何もしなくて良いのか?」
何もしなくても原作通りの展開になるなら、そういうことになる。全く意識していなかったのに、沙姫登場の場面にほど近いところにいたのだから、てっきり巻き込まれる運命なのかと邪推したのだが、これは本当にただの偶然だったのかもしれない。
広い学園、広い食堂、多い人間。だが、所詮は同じ学園で過ごす同じ学年の生徒同士。偶然遭遇することもあり得るだろう。
そんな楽観論が健太の脳裏をかすめたのは、瞳の端にキラリと光る何かが映るまでだった。健太は光る場所――叶馬がぶち壊したテーブルの残骸に近づくと、しゃがみ込み『それ』を拾う。
健太は『それ』を制服のポケットにしまうと、いつも通りの足取りで食堂を後にする。
「なるほど、こうズレたのか」
制服のポケットにしまった『それ』――沙姫の『
原作では、沙姫に取りついた陰摩羅鬼は、沙姫を操り、沙姫のクラスの男子生徒を誑かせ、一緒にダンジョンに行っている。そこで陰摩羅鬼に操られる沙姫は、ダンジョンに行った男子全員に輪姦される。そして、輪姦に夢中になっている間に、ダンジョン内のモンスターに襲われ、全滅。そんな愚行を何度も繰り返しているのだ。
誑かされた男子はそのままそこで『魂魄結晶』をダンジョンに落とし普通に死に戻るが、沙姫だけは最初に落とした『魂魄結晶』を陰摩羅鬼が回収し、保管していていた。だから、沙姫は何度も何度も繰り返し、ダンジョン内でクラスの男子に輪姦された挙句、モンスターに殺された記憶をすべて覚えている。
その代わりと言ってはなんだが、叶馬に手によって陰摩羅鬼が退治された時、陰摩羅鬼が体内に保管していた沙姫の『魂魄結晶』がそのままドロップしたのである。原作ではそれに気づいた叶馬が回収していったのだが、ここではどうやら気が付かなかったようだ。
あれはあくまで女子寮に静香と麻衣という公式パートナーがいるから、不文律として黙認されているにすぎない。たとえその女子寮にパートナーがいたとしても、それ以外の寮生に無体な真似が過ぎたら、寮生による治安維持部隊に排除される。もちろん、『
学園の治安部隊の中身は、最低第四段階に達した元Sランク倶楽部所属者、現Sランク倶楽部所属者だ。彼らは、学園の運営サイドに取り込まれており、点数稼ぎのため、高い士気をもって要請にこたえる。
もっともエントリー寮で生活している女子というのは、ダンジョン的にもセックスパートナー的にも低レベルな者が大半のため、それほどの強者がわざわざ襲撃に来ること自体、滅多にあることではないのだが(そんな強者が襲撃に来たら、学園に訴えるより尻を振る女の方が多いのが、この学園だ)。
健太のような、その女子寮に縁もゆかりもない男が女子寮に足を踏み入れれば、当然寮の治安維持部隊に咎められる。
だから、白鶴荘の敷地近くまでやってきた健太は敷地には入らず、その手前で伝言を頼める誰かが来るのを待っていた。
幸い今は、昼食から少し過ぎた時間帯。明日は休日である日曜ということもあり、真っすぐ寮に戻って来る者も多い。
健太は、さほど待つこともなく、良さげな人を見つけることができた。
二年生の学年章をつけた女子が一人、こちらに向かって歩いてくる。この先には、白鶴荘しかない。白鶴荘に帰ってきた寮生か、白鶴荘に住む友人を訪れる女子生徒か、いずれにせよ白鶴荘に入ることは間違いないだろう。
本当を言えば、一人ではなく複数の方が相手の警戒が下がるのでよりよかったのだが、そこまで望むのは贅沢というものだ。
健太は、近づきすぎないように気を付けて、少し離れたところから声をかける。
「すみません。俺、一年丙組の健太っていいます。先輩は白鶴荘の方ですか?」
『
「……そうだけど」
案の定というべきか、一年とはいえ見ず知らずの男子に突然声を掛けられたその二年生女子は、警戒心バリバリだ。『
「白鶴荘に俺と同じクラスの静香と麻衣がいると思うんですけれど、彼女たちに伝言を伝えていただけますか?」
スマホを始めとした、あらゆる無線が使用不可能な豊葦原学園では、こういう時、とにかく不便だ。
健太の言葉に、その二年生女子は固い表情のまま問い返す。
「キミは彼女たちの何? どっちかのパートナー?」
二年生女子の問いに、健太は偽りなく答える。
「違います。二人のパートナーは別にいます。そのパートナーの二人――叶馬と誠一ももしかしたら今、白鶴荘にいるかもしれません。もしいたら、そいつらでも良いです」
入寮してから数日もたたないうちから、白鶴荘でイチャイチャし続けている静香、麻衣、叶馬、誠一の四人は、白鶴荘では結構な有名人だ。
当然、この二年生女子も知っている。健太が嘘をつかなかったことで、少しだけ警戒を緩めた二年生女子は、答える。
「分かったわ。なんて伝えれば良いの?」
「清算の済んでいないドロップアイテムがある。至急会って話し合いたい。で、お願いします」
健太の『伝言』の内容に、その二年生女子は納得の色を強める。ドロップアイテムの清算ということは、彼はあの四人と最近一緒にダンジョンに行ったのだろう。一緒にダンジョンダイブをする仲なら、女子寮まで訪れてくるのもそこまでおかしくはない。一年なら、まだダンジョンセックスまではしていないかもしれないが。
今日のわけはないから、そのドロップアイテムをゲットしたのは一番近くても昨日。丸一日近く地上にあって揮発、消滅していないとすれば、武具か、ひょっとすれば『モンスターカード』か。
この時期の一年が潜ることができるのは、『
わざわざ女子寮まで押しかけてくるくらいだ。『モンスターカード』の可能性も意外とありそうだ。
(万が一本当にモンスターカードだったら、私が買い取ることは出来ないかしら。相場通りの『銭』は用意できないけれど、あの四人と一緒のパーティーということは、この子あぶれてるのよね? 私自身でなんとか手を打ってもらえたら)
二年生女子はそんな都合の良いことを考えながら、笑顔を浮かべる。
「分かったわ、そこで待っていて」
「はい、お願いします」
ちなみに彼女がつい都合の良いことを考えてしまったのは、全く根拠がないわけではない。
「ところで、キミ。健太クンだっけ? 女子の胸を見る時は、もう少しさりげなく見るか、この学園ならいっそ、もっとしっかりハッキリ見た方が良いわよ」
悪戯っぽい笑顔でそう健太に忠告してくれる彼女の胸は、静香に勝るとも劣らない豊かさを誇っていた。
さほど待たされることもなく、健太は白鶴荘に足を踏み入れることを許された。
三階にある静香と麻衣の二人部屋まで案内してくれたのは、あの胸の大きな二年生である。
あんな指摘を受けた相手が側にいるのは、正直勘弁してほしい健太だったが、彼女はなぜかとてもフレンドリーだった。
「静香と麻衣の部屋はここよ」
「ありがとうございます。ええと……先輩」
「そういえば名乗ってなかったわね。二年未組の
これはもう頬にキスの一つくらいサービスしてくれるのではないか、というバグった距離感でそう言って笑った二年生女子――蘭に見送られ、健太は静香と麻衣の部屋のドアをノックした。
中に通された健太の前に広がる光景は、健太が原作で読んだ記憶と一致するものだった。
二人部屋らしく二つあるベッドの間の狭い床の上で、長身スレンダーな少女が綺麗な土下座を披露している。
彼女が
二つのベッドにはそれぞれ、叶馬と静香、誠一と麻衣が腰を下ろし、土下座状態の沙姫を見下ろしている。
叶馬達の表情から読み取れる感情は、戸惑いと持て余し。必死に仲間入りを懇願する沙姫に好意的な感情を持っている者はいなさそうだ。
危ないところだった。と、内心胸胸をなでおろす健太に、誠一が声をかける。
「よう、健太。未精算のドロップアイテムがあるんだって? お前が女子寮まで押しかけてくるとは、よっぽど貴重なモノなんだろうな?」
前回のダンジョンダイブで、未精算のドロップアイテムなどない。それを確信している誠一は、健太が何というか、健太が何を企んでここにやって来たのか、面白がるようにそう問いかける。
一方、健太の伝言を素直にそのまま受け取った叶馬は、首を傾げながら言う。
「しかし、ドロップアイテムの清算ならば、ここで話すのは少し相応しくないのではないか? 部外者には一旦席を外してもらうべきでは?」
叶馬の口から発せられた部外者という言葉に、土下座実行中の沙姫は、ビクリと体を震わせる。ここで追い出されれば、仲間にしてもらえる可能性はゼロに等しくなる。それを感覚的に掴んでいるのだろう。
だが、沙姫が何かを言うより早く、『
「構わない。部外者どころか、彼女は当事者の一人だ」
健太の言葉に、叶馬のみならず、その場にいる全員が首を傾げる。その隙に、健太は制服のポケットから『それ』を取り出して見せた。
丸いモンスターのクリスタルとは明らかに異なる、多面結晶体のクリスタル。それは人間の『
想像だにしていなかったドロップアイテムの登場に、それの正体を知っている者は全員息を吞む。一人、当事者である沙姫だけが、訳が分からずキョトンとしている。
「健太、それは誰のだ?」
厳しい表情で問いかけながら、誠一は答えをほぼ確信していた。
沙姫を「部外者ではなく当事者」と言っていたのだから、それが誰の『
だが、健太の答えは、誠一の予想を半分外れていた。
「そこの彼女の、もしくは叶馬の、だな」
「俺の?」
無表情で首を傾げる叶馬に、健太は淡々と説明する。
「本を正せば、そこの彼女のものだ。だが、これは先ほど叶馬が食堂でぶちのめしたモンスターからドロップしたものだ。だから、学園の慣例に乗っ取れば、所有権としては叶馬、お前のものだ」
内心無理がある論法だと思いつつも、健太はあえてそう断言した。