この『羅城門』ダンジョンは、基本的に地下九階までは、通路と玄室で造られた文字通りの地下迷宮の形を取っている。
最初、転移した通路に三匹のゴブリンがいたが、実はあれは結構珍しいパターンだったらしい。
その後、健太は慎重に通路を歩み進んだが、モンスターの影を見つけることは叶わなかった。
代わりに玄室の中からは、ほぼ例外なく「ギャアギャア」と騒ぐ、耳障りな鳴き声が聞こえてきた。
どうやら、このダンジョンでは、モンスターの大半は玄室にいるらしい。ならば、通路をゆっくりと移動し続ければ、時間切れまで生き延びられるのではないか? 一瞬そんな考えが頭をよぎったが、すぐにそれは甘い考えだと否定する。
数は少ないが、最初のゴブリンのように通路にいるゴブリンもいるし、玄室と通路を区切る扉があるわけでもない。扉のない玄室の近くに行けば、音や気配を察知したゴブリン達が通路に出てくることもあるだろう。
『天敵者』を避けるため、動き続けなければならない以上、一度もゴブリンに見つからずにひたすら逃げ回るというのは、かなり非現実的だ。
やはり、戦わなければ、生き延びることは出来ない。
「……よし、行くか」
覚悟を決めた健太は、比較的聞こえてくるゴブリンの声が少ないと判断した玄室へと飛び込んでいった。
「……ふう」
数分後。無事、玄室の中にいた四匹のゴブリンの殲滅に成功した健太は、大きく息を吐いた。
最初は三匹。今回は四匹。数は今回のほうが多かったのに、最初の戦闘と違って、今はほとんど息が上がっていない。
レベルアップによる、身体能力の向上は、心肺機能やスタミナにも及ぶらしい。
ともあれ、これで倒したゴブリンは合計七匹。レベル20ゴブリンが七匹。1レベルゴブリンに換算すれば、百四十匹分の経験値を稼いだ計算になる。正確な計算は分からないが、健太のレベルがノービス10を超えたのは確実だ。
なぜなら、健太の脳裏に転職可能な職業一覧が浮かび上がっているのだから。
「『戦士』、『盗賊』、『術士』、『職人』、『文官』、『遊び人』に転職可能、か。転職可能になったということは、ノービス10を超えたことは間違いないな」
これが、健太の貰った二つ目のチート能力『職業選択の自由』である。
その効果は、「自力で自由に転職が可能」、というもの。もし、飛ばされる世界に職業やレベルという概念がなければ、元となったとあるゲームの転職システムがそのまま採用されるが、そうでなければ世界に元々あったシステムと融合する形になる、と説明を受けていた。
だから、現状健太は『職業選択の自由』の出来ることを大枠でしか把握していない。
「叶馬の『情報閲覧』の下位互換だな。この世界では物凄く助かる能力なのは確かだけど。この世界のシステムで転職するのは危険すぎる」
健太の言う通り、この世界にも職業と転職というシステムは存在している。だがそれは非常に不安定で、危険の伴う代物であり、正直お世話になりたいものではない。
転職可能なレベルに達したものが、聖堂と呼ばれる学園内の施設に行けば、転職が可能なのだが、その際自分で職業を選べないのだ。
一応、転職で下がったレベルをもう一度転職可能なレベルまで上げれば、再挑戦は可能なのだが、再挑戦したところで九割以上は一度ついてしまった職業が選ばれるだけらしい。
しかも、再挑戦する場合は、それまで上げた職業のレベルは完全にロストするので、ものすごく効率が悪い。
これがどんな職業でも、それなりの強さを発揮するゲームようなバランスがとれていればまだ救いがあるのだが、この世界には、性行為特化のSSR職というとんでもない職業も存在する。肉便姫だの性隷姫だの絶倫王だの、字面を見るだけでろくでもない職であることは感じ取れるだろう。
しかもそれらのSSR職は、レベルアップの必要経験値が莫大らしく、もう一度転職することも不可能に近いらしい。つまり、SSR職になってしまった時点で終わりだ。
SSRという看板は伊達ではなく、実際それらのSSR職になることは極めてまれらしいのだが、もちろんゼロではない。豊葦原学園内には、それなりの数のSSR職ホルダーが存在している。具体例でいえば、学園で働いている一般教科担当の女教師達。彼女たちの大半はSSR職だ。もちろん、壱年丙組の担任教師である翠も。
そういう危険を避けて、いつでもどこでも好きな職業に転職できるというだけで、非常に大きなメリットなのは間違いない。
「それにしても、見事に基本第一段階の六職だけか」
今更ながら、自分の平凡さに、健太はいっそ感心してしまう。
原作では、才能のある者ならば、この時点で第一段階を飛ばしていきなり第二段階を得られる者もいるように描かれていた。そこまでいかずとも、基本のノーマル職だけなく、『剣士』、『海賊』、『火術士』などのレア第一段階が一つぐらいは混ざっていてもおかしくはないだろうに、ものの見事に基本職のみである。
「逆に、原作主人公たちは、基本六職全てに転職可能な者はいなかったから、平均的な才能があるとも言える、のか?」
言いながら、流石に苦しいと思った健太は、語尾が弱くなる。
主人公である叶馬は、原作では『情報閲覧』という超ド級の便利スキルを手に入れる。これはアカシックレコードに接続し、あらゆるモノの情報を読み取ることができるという能力だ。さらに、情報に指で触れて干渉することも可能であるため、叶馬も転職を自分で行えるのだ。
あらゆる情報が見える上で、転職も可能なのだから、先ほど健太が言った通り、ほとんど健太の『職業選択の自由』の上位互換と言えるだろう。実際には一部、『職業選択の自由』の方が、勝っている点もあるのだが、総合で見れば優越は明らかだ。
作中で、叶馬は自分や自分の仲間達のステータスを見ていたが、健太の記憶が正しければ、叶馬は基本第一段階のうち、職人と文官は、転職可能一覧に表示されていなかった。
誠一も、静香も、麻衣も、基本第一段階すべては、表示されていなかった気がする。
代わりに誠一は盗賊系第二段階の『忍者』、静香は術士系第二段階の『巫女』、麻衣は術士系第二段階である『魔術師』を、第一段階をすっ飛ばして獲得していた。
彼らと比べれば、間違っても健太は「才能がある」とは言えないだろう。チート能力を貰ったところで、土台は凡人でしかない。
それはさておき、今重要なのは、健太の転職先である。
当初、健太は事が最善に働いた場合、最初に転職するのは『盗賊』のつもりだった。
『盗賊』は基本六職の中で、『戦士』に次ぐ戦闘力を誇る上に、『俊足』や『空歩』といった移動系のスキルや、足音を消すスキル、身を隠すスキルに恵まれているからだ。攻撃力は『初心者救済装置』で補えるのだから、それがこの場での最善だと思った。その考えは今でも間違っていないと思っている。問題は、事が最善に進んだとは言えなかったことだ。
「せめて、包帯ぐらいあればまだどうにかなったんだけどな」
健太は、まだジワリと血を滲ませる脇腹を左手で抑えながら、顔をしかめる。
その傷は、二度目の戦闘でゴブリンの振り回す槍が掠った跡だった。
今のところ、動きに支障はないが、どの程度の負傷なのか、判断できる知識と経験が、健太にはない。
痛みは『戦士の不動心』の効果で悪影響とならずに済むが、滲む程度とはいえ出血が止まらないのが気になる。しばらくすれば止まるのか、適切な処置を施さない限りこのままなのか。後者だとすれば、少々不味い。健太に、応急処置の知識や技術はない。
「仕方がないか。これが一番の安全策だ」
健太が選んだ最初の転職先は、『遊び人』だった。
数分後。傷を完治させた健太は、再びダンジョンの通路を新調に歩み進んでいた。
『遊び人』のスキル『自慰』の効果だ。『自慰』は自分専用だが、怪我を回復させられるスキルだ。即座に回復するのではなく、じわじわ回復していく時間のかかる回復スキルだが、第一段階の基本六職の中で唯一の回復スキルである。
『遊び人』は、その名称から受ける印象の悪さほど、使えない職業ではない。
自分限定で傷を癒すことのできる『自慰』。自分限定でダンジョンから脱出できる『脱出』。自分の存在感を消すことができる『蜻蛉』など。使い勝手の良いスキルが豊富なのだ。
能力値の伸びも平均的で、そこまで悪くない。問題は、聖堂システムで『遊び人』になるような人間は、元々勤勉さに欠けるか、ダンジョンダイブに馴染めないかのどちらかのため、高レベルまで成長する『遊び人』が極めてまれだということだ。そのせいで結局『遊び人』は使えない、と思われている。
健太の場合は本質が『遊び人』というわけではないので、大丈夫だろう。
『遊び人』の職業を得た健太のダンジョン探索は、劇的に向上した。
『蜻蛉』で存在感を消すだけで、ゴブリンの知覚程度ならばかなりの確率で誤魔化すことができる。
「…………はっ」
最初の奇襲が上手く決まれば『初心者救済装置』を嵌めている健太の一撃は、ゴブリンを絶命させるに十分だ。
「ギィッ?」
「《固まれ》」
突然仲間が撲殺されれば、残っているゴブリン達はギョッと恐怖や驚きに捕らわれる。その瞬間、『逃避』を仕掛ける。『逃避』は、対象の精神状態を一時的に固定するスキルだ。驚愕状態で『逃避』を受けたゴブリンは、効果が切れるまで驚愕状態が続く。だから、そのゴブリンは一時的に無視して、残り三匹のゴブリンを先に片づける。
「せいっ」
「フギ!」
「はっ」
「グゲッ!」
「しっ」
「ゲコッ!」
見事に一振りにつき、一匹ずつゴブリンを潰していく。
第一段階になったとはいえ、『遊び人』になったばかりの健太と、三匹のゴブリンならば、健太が絶対優位というわけではない。
だが、目の前で仲間が一撃で撲殺された時点で、ゴブリン達は最初から逃げ腰になっていた。弱いものには強いが、強いものには弱い。ゴブリンの種族特性が悪い方に働いている。
最初の奇襲と合わせ、四匹のゴブリンをあっという間に撲殺した健太は、未だ『逃避』の影響下にあるゴブリン近づき、その頭部に警棒を下ろす。
「ふっ」
「ジャッ!」
これで五匹。玄室の外から、音を聞きつけたゴブリンが追加でやってくる気配もない。警戒を少し下げた健太は、改めて現状を確認するために、玄室を見渡した。玄室には、五つの透明な石――クリスタルと、一つの槍が落ちている。
「武器がドロップしたか。間合いが広い分、警棒よりは使いやすそうだけど……」
ダンジョンのモンスターは倒すと確定でクリスタルを落とし、低い確率でそれ以外の何かも落とす。
多くは今のように、そのモンスターが使用していた武器だが、牙や骨、もっとグロテスクな内臓などを落とすこともある。
クリスタルやそれ以外のドロップ品は、学園の購買に持ち込めば学園の通貨である『銭』に変えてくれる。豊葦原学園生にとって、正攻法とも言うべき『銭』の稼ぎ方だ。
それを知っていながら、健太はこれまでクリスタルを一切拾っていなかった。なぜならば、死に戻りをしたときには、それまでダンジョンで獲得した拾得物もすべて失うのだ。無事、生きて戻った時、クリスタルを持っていることがバレたら大変なことになる。今日初めてダンジョンに入り、死に戻ったはずの一年がなぜ、クリスタルを持っているのか? 疑問を持たれた時点で、アウトだろう。
ゴブリンのクリスタルはビー玉ほどしかないので、制服のポケットに隠せそうだが、取引価格は数百から千銭程度のはず。正直、危険を冒す価値はない。
それと比べると、今回ドロップしたゴブリンの槍は、悩むくらいには魅力的だ。もちろん、持ち帰ったらアウトという意味では、クリスタルの比ではない。隠して持ち帰ることは不可能だろう。だが、タイムアップまで使用して、タイムアップの時に廃棄すればよい。『初心者救済装置』がある以上、武器の威力には意味がないが、槍の間合いの広さは魅力だ。問題は、人間よりはるかに小柄なゴブリン用の槍のため、握りが細くて若干使いづらいことか。
「ひとまず一度試してみるか」
健太は、警棒を腰のベルトに差し込み、右手にゴブリンの槍、左手に特殊プラスチックの盾に装備を変え、無人の玄室から通路へと歩みを進めた。