ゴールデンウィークも終盤に差し掛かったその日。
健太は、学食の一角で顔合わせの場を設けていた。朝食は過ぎたが昼食にはまだまだという時間帯もあり、学食の人影はまばらだ。
元々数千人の学生に対応するために造られた豊葦原学園の学食は馬鹿げて広い。
だから、健太たちが陣取っている一角には、普通の声で話をしても発言内容を他人に聞かれる恐れはない。
健太は、席に着いたまま、集まっているメンバーを見渡す。
男子が三人に、女子が五人。このくらいの年代の男女混交のグループが座る場合、男子と女子に分かれることが多いのだが、この学園では勝手が違う。
男子がそれぞれ「自分のお気に入り」の女子を側に侍らせて座るため、席順だけを見ると男女が混ざり合った形が一般的となる。
健太たちにも、それに近い形になっていた。
健太の左右に蘭と幸子、蘭の隣に竹海。その対面に来斗と実咲のカップルがベッタリとくっつくようにして座っている。そしてその隣、健太から見ると斜め前に尚典と見覚えのない女子生徒が一人。
彼女の名前は、空亜。二年生で、つい先ほど正式に尚典のパートナーとなったばかりである。
空亜は、蘭が元所属していたBランク倶楽部の一員で、蘭と同じタイミングで首になった人間だ。当然、蘭とは知り合いだが、あくまで付き合いは「同じ倶楽部の女子部員」としてに限定されていたらしく、竹海ともこれが初めての顔合わせだという。
幸子と実咲もこの場が初対面のはずだし、他にもまだうろ覚えの間柄の者も多いだろう。そう考えた健太は、この場でまず全員が簡単な自己紹介をすることを提案する。
その提案は、誰からも異論なく受け入れられた。蘭以外は全員、最低一人は見知らぬ人間がいるのだ。自己紹介は必須だろう。
提案が受け入れられたことで、健太はまず部長(予定)の責務を果たすべく、率先して立ち上がる。
「あー、俺は一年丙組、健太です。ダンジョンでは主にタンク役になるけど、一応ダメージもそれなりに出せるつもりです。新設する倶楽部では俺が部長になります。この場にいる八人以外にもう一人、内定している人がいるので設立人数まであと一人ですので、心当たりのある人は教えてください」
健太にとって自己紹介すべき初対面の相手は、二年女子の空亜のため、言葉遣いは敬語になっている。
「二年未組、蘭よ。健太君のパートナーでもあるわ。『文官』だから戦闘はあまり得意ではないけれど、最低限のことは出来るつもり。よろしくね」
健太の自己紹介を受けて、次に立ち上がった蘭はちゃんと外面を取り繕い、健太のことを「健太君」と呼ぶ。一年にして(表向き)『戦士』系第二段階職である『騎士』である健太は無論のこと、ダンジョンガチ勢の中では引っ張りだこな『案内人』である蘭もはっきりと職を言わない。
声が聞こえる範囲には誰もいないはずだが、念のためだ。正確な職を教える自己紹介は、ダンジョンダイブ中でも良いだろう。
健太と蘭がそのように名乗ったことで、それはその後のフォーマットになる。
「次は私だね。二年未組、竹海だ。私も健太君のパートナーだよ。職は『遊び人』系だけど、ガンガン前に出て戦う。もちろん、ご主人様の許可は貰っているよ。そういうわけなんで、よろしく」
「あ、あの、二年坤組の幸子です。御主人さまのパートナーにしていただきました。職はニ……『術士』系です。よろしくお願いします」
竹海、幸子が続いてそう自己紹介をする。
まず男子が名乗って、そのパートナーの女子が名乗る。その流れに従い、小柄で華奢な少年――尚典が立ち上がる。
「一年申組、尚典です。職は『術士』系で、火力よりもバフ、デバフの方が得意です。ノービスの頃から槍を使っているので、一応最低限武器戦闘でも出来るけど、ほんと最低限です。よろしくお願いします」
そう言ってペコリと頭を下げると尚典のサラサラの髪が揺れた。
ちなみに、現状『術士』系第二段階職である『陰陽師』のレベル20を超えている尚典は、槍だけに限ってもゴブリンやブラックドック数匹程度ならば問題なく倒せるくらいに力を上げている。無論、『既知外』領域のゴブリンやブラックドックだ。
しかし、教室の仲間とは縁が切れて、ダンジョンダイブと言えば健太や来斗とのダイブしかしなくなっている尚典の立場では「最低限」という自己評価も間違いではない。
尚典の槍など鎧犀やオークの群れ相手では、短時間身を守るのがやっとなのだから。
尚典が着席したところで、ある意味本日の主役とも言うべき人物が手を上げる。席から立ち上がらずに。
「あー、ナオきゅんのパートナーになった空亜です。よろ」
それだけ言うと、隣に座る尚典に体を預けて目を閉じた。
自己紹介にもなっていない短い説明だが、空亜と付き合いのある蘭がため息をつきながら補足する。
「空亜は二年申組で、職は『引き籠り』よ。もう、見たまんまのめんどくさがりの出不精だから、あんまり期待しない方が良いわ」
前の倶楽部でも空亜は、「部屋に行けばいつでもヤれる女」という扱いだったらしい。誰が相手でも拒まないが、誰にも執着しない。やる気なしの面倒くさがり。
それでも、空亜がつい最近までBランク倶楽部で飼われていたのは、一重のその見た目ゆえだ。
小さく薄く、形の良い唇。一切の歪みなく通った鼻筋。青みがかった灰色の双眼は、お手本のような美人の象徴。眠たげな半眼になっていてもその美貌はいささかも損なわれない。
明るい茶色の髪は地毛で、セミロングの長さに切りそろえているのは「洗髪の面倒とヘアセットの面倒を総合して一番マシ長さ」という理由でやっているだけなのだが、空亜がやっているとちゃんとオシャレに見えてしまう。
さらに肢体も、負けていない。身長は蘭と同じくらい――百六十の半ばくらいだろうか。
形よく長い首と手足。綺麗にくびれた腰。小柄で上を向いている尻。胸は大中小で分けるなら一応大に入るくらいにはある。日頃から「めんどい」「苦しい」「どうせすぐ脱がされる」とろくすっぽブラジャーを付けていないのに、全く型崩れする気配もない綺麗なおわん型を保っている。
プロのモデルをやるには背が足りないが、それでもここまで抜きんでた美貌とスタイルならば、トップモデルまで上り詰められるのではないか、と思えるほどの天稟だ。
「私の仕事は、頑張るナオきゅんを体で慰撫することだから。まあ、それ以外の男子もやりたいなら好きにしてくれて良いけど、ナオきゅん優先だかんね」
そう言って空亜はまるで野生動物の「臭い付け」のように、隣に座る尚典にその肢体を擦り付ける。
「あ、あの空亜先輩。ここ、学食ですから」
女慣れしてないことに関しては健太以上な尚典は顔を赤くするが、空亜が自分のパートナーであるという意識があるせいで、拒絶も出来ない。そもそも、尚典自身も喜んでパートナーにするくらい、空亜に心を寄せてしまっている。まあ、これほどの美女に心から気に入られた上で、一晩濃厚に体を重ねたのだ。童貞に毛が生えた程度の経験しかなかった尚典が、絆されないはずがない。
尚典が嫌がっていないことを理解した健太は、特に空亜を注意せず、空亜の言ったことに答える。
「以前から何度も言っていますけど、俺の作る倶楽部は原則男女の関係は、学園のパートナー制度をそのまま取り入れます。
つまり、男子が拒絶する限り、パートナーとなった女子に他の男子が手を出すことは厳禁です。その上で宣言しておきますが、俺は自分のパートナーを誰だろうと他の男子に手出しはさせません」
きっぱりとした健太の宣言に、蘭はうっとりと目を細め、竹海はニヤリと笑う。そして、幸子は信じ切れずに歓喜と恐怖に同時に襲われている。
原則『隷属』状態の女子は、これくらいにチョロい。自分に執着されるだけで喜び、独占欲を示されれば歓喜を隠せないほどに。
「僕もそのつもりだよ」
「お、俺もです!」
だから、尚典と来斗が揃って同意を示すと、来斗のパートナーである実咲も感極まったように来斗の太い体に抱き着いた。
一方、尚典のパートナーである空亜は、パチクリとそれまで半眼になっていた目を見開いただけで、そこまで強い衝撃は受けていない。尚典も空亜も同じ第二段階職。セックスをするようになってまだ何日もたっていない現状、空亜は隷属するには至っていない。
だから、今空亜が尚典に上から覆いかぶさるようにして抱き着き、耳たぶを甘噛みしているのも隷属現象とは関係ない。単純に空亜がそれだけ尚典を気に入っているだけである。
顔を真っ赤にした尚典が、「空亜先輩、駄目です、まずいです」と言いつつも空亜を振りほどけないでいる中、来斗が立ち上がる。
「お、俺は一年辛組の来斗です。職は『戦士』系でアタッカーです。よろしくお願いします」
最低限の自己紹介を済ませて、すぐさま座る来斗の心境を同じ陰キャオタクとして理解できる健太は、特に何も言わない。不特定多数の前での自己紹介を得意としている陰キャは少数派だ。
最後に、この場にいる唯一の一年女子である実咲が立ち上がる。
「一年辛組、実咲です。来斗さ……来斗のパートナーになります。私だけまだノービスです。すみません。出来ることならな何でもやりますから、よろしくお願いします」
そう言って実咲はペコリと頭を下げて、着席した。大きく動くたびに、その銀褐色のポニーテールが揺れる。
この学園の実態を体で思い知らされている実咲は、真面目に、真剣に、切実にそう言った。
この学園では一部の例外を除き、女子は男子に阿る存在だ。そして、同じ女子でもより「使える」女子の立場が強い。さらに、この学園では先輩後輩という力学は存在していないのだが、現時点の一年はまだその世間の常識にとらわれている。
そのため、唯一の一年女子で唯一のノービスである実咲は、この集団における自分の立ち位置が最底辺であると理解していた。だが、だからと言ってこの集団――健太の倶楽部から出ていこうなどとは微塵も思わない。
学園女子にとって、この倶楽部の最底辺とは、最高クラスに恵まれた立場であることもまた、理解している。
まるで命綱に縋る海上遭難者のように、実咲は無意識のうちに隣に座る来斗に手を伸ばす。
そんなギャル女子の悲壮な決意がある程度読み取れたのだろう。
「レベルは気にすることないよ。今日のダンジョンダイブは、実咲さんの転職を優先するから」
と健太は努めて軽い口調で言う。
休日の『羅城門』は、午前九時に開門、正午に閉門。午後一時に開門、午後五時に閉門と二度、ダンジョンダイブの機会がある。
今は午前の十時近くだが、ダンジョンへのログインは開門中ならいつでもできる。ノービスをレベル10上げる程度ならば、一時間もダイブすれば十分だ。
というか、開門と同時にログインして閉門までログアウトせずに連戦を続けている者など、この学園でも叶馬達と健太ぐらいしかいない。
「健太さんの言うことは本当だ。俺も第一段階職になったのは、すぐだったから」
「うん、ありがとう来斗」
来斗の言葉に、実咲ははにかんだように笑い、隣に座る来斗にすり寄る。隷属の効果は強烈だ。特に実咲の場合は、来斗が初めての隷属相手で、隷属してからも何度も来斗と体を重ねている。
隷属状態にも時間が立てば慣れて表面上は取り繕うことも出来るようになるのだが、今の実咲には無理難題だろう。
だから二年女子達は微笑ましいものを見るような視線を向けるだけで、すり寄る一年女子とだらしなく表情筋を緩ませる一年男子を見守っている。
「まあ、ご主人様に手伝ってもらえば、今日中に第一段階職をゲットできるのはまず間違いないよ。実咲は、何か希望はあるかい? 基本六職については流石にもう授業で習っているだろう?」
竹海はそう言って、意味深に笑う。
その問いに、健太は無反応を装いながらも、内心で耳をそばだてていた。『職業選択の自由』で候補の中から好きな職を選んでやることができる健太だが、本人の希望を知らなければ叶えてやることは出来ない。
どうやって自然な形で聞き出そうか、気をもんでいたところに竹海のその問いは、渡りに船とも言うべき幸運だ。
「え、確か転職って自動なんでしょ? あ、いや、自動なんですよね?」
慌てて敬語らしき言葉に言い直す実咲に、竹海は笑みを崩さずに、言葉を続ける。
「それは確かにその通りだけどね。本人の希望を口に出しておくというのも意外と馬鹿にならないのだよ。結構希望している通りの職に就けるものなのさ」
竹海の言葉は嘘ではないのだが、実情と照らし合わせれば詐欺に近い物言いだ。
あらかじめ「俺やっぱ『術士』になりたい」とか「俺は無難に『戦士』かな」などと言っていた者が、言った通りの職になることがよくあるのは事実なのだが、別段願望を口に出すことが転職に影響しているわけではない。
『聖堂』での転職は、原則その人間の資質と経験に基づいて割り振られる確率が高まる。無意識のうちに自分の資質を理解している者は漠然と向いている職を希望のクラスとして口にしていることが多いから、結果として「なりたいと言っていた職になるケースが多い」だけだ。
まあ、どちらにせよこれはただの世間話だ。実咲も特にこだわりもなく口を開く。
「そうなんだ。私としては、やっぱ直接戦うのは怖いから、『術士』か『文官』だと嬉しいかなあ?」
実咲の素直な思いに、二年女子は苦笑する。蘭に至っては一瞬ピクリとこめかみをひきつらせた後、笑顔を取り戻したくらいだ。
「確かに、今の実咲さんが『文官』になれば、比較的少ない負担でダンジョンダイブが可能ね。学園生活のことも考えるなら、『戦士』や『盗賊』という選択肢もあるのだけれど」
そうもやもやを表に出さずに、アドバイスを送ることができる蘭は、学園女子としては人間が出来ている部類ではあるだろう。その根底にあるのが「隣で聞いてるご主人様に嫌われたくない」という理由だったとしても。
ダンジョンダイブを怖がる女子が、『術士』や『モンスターカード』を所有する『文官』を羨むというのは、良くある話だ。
今の豊葦原学園では、ダンジョン内戦闘で有効な遠距離武器は存在していない。銃だろうが弓矢だろうが投げナイフだろうが、モンスターには一切ダメージを与えられないのだ。
原作では、アメリカのスタンダードな職が『銃士』という『術士』系の亜種だったり、ダンジョン内で出没する敵に弓矢を使う者がいたりするので、遠距離武器を扱う職は昔は日本にもあった可能性もあるが。
ともあれ現状、モンスターから距離を取って戦うことが出来るのは、『術士』と『文官』だけだ。
さらに言えば、距離を取るとはいっても術を放つはあくまで自分な『術士』より、『モンスターカード』を『具象化』して「戦え」と命じれば、最低限戦闘が出来る『文官』の戦闘スタイルが一番安全で怖くないことは間違いない。
『モンスターカード』さえあれば。
だが、普通科の女子の『文官』が『モンスターカード』を入手できる可能性は絶望的に低い。
すでにデッキを複数組めそうな数の『モンスターカード』をゲットしている叶馬や健太を見ていると感覚がマヒするが、通常『モンスターカード』という代物は、『文官』の女子が自力でゲットできる代物ではないのだ。
『モンスターカード』が手に入る前提で「『文官』になりたい」などと言えるのは、容易く『モンスターカード』を入手できてその『モンスターカード』を融通してくれる、強くて優しいパートナーがいる場合に限られる。
つまり、今の実咲のことである。
一年間、「普通の女子『文官』」としてこの学園で生きてきた蘭が我が身と比べて、実咲の発言に思うところがあるのもまあ当然と言えた。
ノービスの実咲を第一段階職に転職可能にするには、健太たちのサポートがあれば一時間もあればお釣りがくる。
だから、この後午前中にダンジョンダイブをする予定であっても、健太たちはまだまだ食堂でのんびりとした時間を過ごしていた。せっかく、現倶楽部予定者の大半が一堂に会しているのだ。
互いの理解と交友を深めるために、ただダラダラと駄弁るのも悪くない選択だ。
問題は、健太、尚典、来斗の男子三人は全員がトーク力に難がある陰キャであること。
女子は全員誰かのパートナーであり、またこの学園の常識に反して「パートナーの貸し借り」はやらない健太たちの方針から、女子が自分のパートナー以外の男子に気安く声をかけるのも躊躇われること。
結果、主に男子は男子同士、女子は女子同士で会話をするようになっていた。さながら、早々に失敗したのに未練がましく解散できずにいる合コン会場のようなありさまだが、これはこれで意外と楽しんでいたりする。
「次はやっぱり俺がヘイト管理と防御に専念して、三人での戦闘も増やすべきだと思う」
「それは将来的には必要だけど、現時点だとどうかな? 健太に合わせた敵だと、万が一の時僕たちは即死だし、僕たちに合わせた敵だと絶対こっちに攻撃が来ないから緊張感が無さ過ぎると思うんだけど」
「いや、俺は健太さんに賛成だな。緊張感がないのは一理あるけど、むしろ最初はその方が良いよ。後衛の尚典はともかく、前衛同士の俺と健太さんだと慣れるまで二人で戦う方が弱くなるくらいだと思うんだ。ゲームと違ってフレンドリーファイヤーをオフに出来るわけじゃないんだから」
男子三人はそのようなダンジョンダイブをゲーム感覚で捉えた、いかにもな話題を熱心に話し合い、
「たとえ職を得てもしばらくはダンジョンダイブは、来斗くんと一緒じゃなければやらない方が良いわよ。どっちの意味でもダンジョン内が一番危ないから」
「だね。ご希望通りに『術士』や『文官』になれちゃった場合は、学園生活も出来るだけ来斗君の側にいることをお勧めするね。そろそろ教室の男子も、職につき始めているだろうからね。ダンジョン外では『術士』や『文官』の女子なんて、『戦士』や『盗賊』の男子にかかったら、簡単に拉致れるからね」
「あ、あと、教室の女子にも気を付けた方が良い、です。有望な男子に近づくためには手段を択ばない女子は絶対いますから」
「うわっ、最悪。って、事前に知って対策できる私はちょー恵まれてるんですよね。ありがとうございます、先輩方」
女子は主に、唯一の一年である実咲に、二年女子達が色々アドバイスをしている形だ。
一人、尚典のパートナーである空亜だけは、隣に座る尚典の肩を枕にして気持ちよさそうに寝息を立てているが。
そうして、それなりに場の空気が温まってきたときだった。
広い食堂の中、遠くからこちらに近づいてくる三人の人影が健太の目に映る。三人とも制服姿だ。先頭を歩くのが二年生女子。その後ろに従うのは一年生の男子と女子であることが学年章から分かる。
一年の男女には見覚えがないが、前を歩く二年生女子は良く見知った顔のため、健太はさほど警戒せず、三人が近づいてくるのを待つ。
それでも念のため『戦士の不動心』をオンにする。健太が会話をやめてそちらに視線を固定したことで、他の者達も接近する三人に気づく。
「お話し中失礼します、健太さん。ご紹介したい人がいるのですが、今よろしいでしょうか?」
先頭の二年生女子――烏琉羽は健太の前までくると足を止めて、そう告げた。
この流れから当然と言えば当然だが、烏琉羽が紹介したい人とは、後ろに付き従っていた一年生男女であった。
先に一歩前に出て名乗ったのは女子のほうだ。
「一年辰組、珠貴です。この度は烏琉羽姐さんから健太さんの倶楽部の話をお聴きして、紹介していただくことになりました」
珠貴と名乗った一年女子は、そう言って小さく頭を下げた。その態度も言葉遣いも十分に丁寧なものだが、吊り目の三白眼が強く正面を睨みつけているような印象を持たせる。だが、それを加味しても美人と言えるくらいに容姿は整っている。この学園では危険な魅力だ。こういった少女を「屈服させたい」と考える男子は掃いて捨てるほどいる。
続いて、隣に立っている男子生徒が名乗る。
「同じく一年辰組、霊王っす。健太さんの倶楽部ならお嬢を守れるって、聞きました。どうか、お願いします! お嬢を守ってくれるなら、この霊王、身を粉にして働くっす!」
名付け親はイタいオタクかヤンキーのどちらかだと確信できる名前を名乗った一年男子はそう言うと、中腰になって両手を膝の上に載せ、深々と頭を下げた。
一年男子――霊王は身長は健太とほぼ同じか少し小さいくらいだが、驚くほどに細い。首も腕も足も棒のようで、見ていて不安になるくらいだ。体重はまず間違いなく五十キロ台、最悪五十キロを切っている可能性すらありそうだ。
短い髪を金髪にして逆立てているファッションはヤンキー、チンピラっぽいのだが、元々の髪質が細く猫ッ毛のため印象は「ヒヨコ」の一言だ。
本来この手のファッションをしているヤンキー系は、健太達陰キャオタクの天敵なのだが、『戦士の不動心』をオンにしている健太はもちろん、尚典と来斗も特に怖さも苦手意識もわかないくらいに、霊王には迫力というモノがなかった。
「姐さん? お嬢?」
珠貴は烏琉羽を敬意の籠った口調で「姐さん」と呼び、霊王は珠貴のことを「お嬢」と呼んでいる。ただの一年生カップルに、烏琉羽が目を付けて連れてきた、という関係性ではなさそうだ。
健太の問いに烏琉羽は困ったように苦笑すると、
「一応学園ではご法度なので、ここだけの話にさせてください。珠貴さんと霊王くんも今後は注意してくださいね。
私は、このお二人と「入学前」の知り合いなのです。彼女たちが入学していることはつい最近まで知りませんでしたが」
そう言って烏琉羽は目を細めて笑いながら、珠貴と霊王を睨んだ。
ここ豊葦原学園の普通科では、入学した時点でそれまでの戸籍は失われる。どうにか五年間生き延びて卒業できた場合、全く別な戸籍を貰う形になるのだ。だから、入学前の過去について語り合うのは原則御法度とされている。その記憶にある過去は、戸籍上は「別人の人生」になるのだから。
だが、それはそこまで厳しい決まりではない。
「入学前のことは語らない」というのはどちらかと言うと、「入学前のことは語りたくない」生徒が大半だからなのかもしれない。
豊葦原学園は沙姫のような強制組を除いて、原則ここがどのようなところかある程度知らされた上で、希望者だけが入学している。つまり、入学前までの人生は、この学園での生活以下だった者も多いのだ。
烏琉羽の睨みに珠貴は申し訳なさそうに首をすめると、
「あい、すみません、烏琉羽……先輩。お嬢ってのはこいつが勝手に言ってるだけで私は、そんな御大層な御身分じゃありませんよ。ただの普通科の女子ですから」
そう言って珠貴は小さく首を横に振る。
だが、霊王は強く否定する。
「お嬢はお嬢っす。大恩ある組長のお孫さんっす」
「なるほど、そう言う関係か。とりあえず、話は聞くから座ってくれないか」
霊王の言葉に、少なくとも珠貴と霊王の関係は理解できた健太はそう言って、ひとまず烏琉羽を含めた三人に座るよう促す。
言われて見れば、どちらの「いかにも」な雰囲気を漂わせている。珠貴の物言いは少々古臭い任侠女じみているし、霊王の言動はまさにチンピラヤクザそのものだ。
「すみません、失礼します。霊王、お前は飲み物を買ってきてくれ」
「はい、分かりました!」
自分は席に座りながら、珠貴はそう言って霊王をパシらせる。びっくりするくらいにパシリが似合う男子、霊王は喜び勇んで駆けだす。
霊王が離れたところで、珠貴はため息を漏らすと、申し訳なさそうに小声で言う。
「すみません、あいつは元々うちの爺様の組に潰された半グレグループの下っ端として随分な扱いを受けてたみたいで。そこから結果として助けられたせいで、爺様の組を「正義のヤクザ」と本気で思い込んでます。組が影も形もなくなった今、せめてその幻影くらい綺麗なままで保ってやりたいので、あいつの言う組の話は、あまり否定しないで聞き流してやっていただけませんか」
この通りです、と珠貴は頭を下げた。
そんな珠貴をフォローするように、烏琉羽がいつも通りの穏やかさを保ったまま口を開く。
「あら? 実際貴女のおじい様の組は、善良な部類でしたよ。縄張りの治安も良かったですし、守料も良心的でしたし、紹介してくださるお客様は、まあ色々ハードなご注文も多かったですが、金払いだけは良かったですしね」
「姐さんの『商売』を取り仕切ってる時点で、正義も善良もありゃしませんよ」
頭痛をこらえるような珠貴の言葉に、烏琉羽はコロコロと笑う。
どうやら烏琉羽は『娼婦』に転職する前のノービスだった頃から娼婦ではあったらしい。
大人びた美貌を誇る烏琉羽だが、年齢は特に誤魔化していない。そんな烏琉羽が入学前の年齢の頃に『商売』を斡旋して、あがりをかすめていたのだから確かに、珠貴の祖父の組というのも、まあ普通のヤクザだったのだろう。霊王が一方的に美化しているだけで。
その辺りの話から、健太は自分が少し勘違いしているかもしれないと気づき、確認する。
「さっき霊王は「お嬢を守ってくれ」と言っていたが、ひょっとして学園内に特別もめている相手がいるわけではない?」
健太の言葉に、珠貴は少し虚を突かれたような表情を浮かべた後、首肯する。
「ええ。まあ教室で私は女子から、あいつは男子から孤立してほぼ二人だけで行動していますから、上手くいっているとは到底言えませんが、現状まだ噂に聞いているようなヤバい奴らに目は付けられてはいません」
珠貴の答えに、健太は自分の懸念がただの勘違いだったことを理解した。
霊王が必死の形相で「お嬢を守ってくれ」と言うので、てっきりすでにヤバい倶楽部にロックオンされているかと思ったが、ただ単に霊王がお嬢に対して非常に過保護であるだけのようだ。
考えてみれば当たり前である。この二人は、烏琉羽が「健太の倶楽部に」と紹介しているのだ。そのような厄ネタ付きの女子を紹介するほど、烏琉羽はろくでなしではない。
となると経歴は多少変わっていても、ようはただの孤立気味の一年生カップルと言うことだ。
「お嬢、買ってきたっす!」
「ああ、ありがとう」
ヒヨコのような髪をなびかせ、犬のような忠実さで戻ってきた霊王をお嬢――珠貴は慣れた口調で労う。
「ひとまず、話を聞こうか」
この時点で健太は、この二人の入部に前向きになっていた。