豊葦原学園の中でも特に充実した設備を誇る武道館。
その武道館の数ある道場の一室で、一組の男女が完全武装で向かい合っていた。
男は、白黒虎革の胸部鎧を纏い、左腕には小型方形盾、右手には小剣。
対する女は、白黒虎革の指貫籠手を纏い、抜き放った日本刀を両手で構えている。
その道場は実践性を重視した土間になっているため、両者とも足元はダンジョンダイブに使用する靴――運動靴を履いている。
男は西洋風というよりファンタジーゲーム風の装備であり、女は和風の装備だ。
だが、それであってもなお、二人の身に纏っている防具は一見して「お揃い」と分かるくらいに共通項がある。
それも当然だろう。なにせ、その二つの鎧は同じモンスター――剣牙王虎の毛皮を同じ職人集団――『匠工房』が手掛けて作りだした品なのだから。
ただし、なめしただけで柔軟性を残したままの指貫籠手は『裁縫士』の杏が、特殊な薬剤で煮込み硬化させた胸部鎧は『錬金士』の智絵理が、中心となったという違いがあるが。
互いに武装して向かい合っているが、その男女――健太と沙姫は別段憎しみあっているわけでも、致命的な利害の不一致があるわけでもない。むしろ、二人の仲は良い部類に入る。肉体関係のない男女としては、この学園では『例外的』と言えるほどに仲が良いと言っても過言ではないだろう。
だからこれは、殺し合いでも、果し合いでもない。ただの手合わせに過ぎない。ゆえに、沙姫の双眸には愉悦の色はあっても殺意の色はなく、沙姫の醸し出す雰囲気に闘志は漲っていても、殺意は毛ほど混ざらない。
それなのに、清々しいほど迷いなく沙姫の刀が健太の首を刈りに伸びてきたのは、ある意味沙姫の健太に対する『信頼の証』と呼べるのかもしれなかった。
「《はっ》!」
瞬間移動にも似た運足から放たれる銀閃にしか見えない斬撃。その容赦なく首を狙う沙姫の斬撃を、健太は左腕の方形盾で丁寧に受け流した。受け流す方向は健太から見て右上方。女子としては長身の沙姫だが、それでも健太の方が多少は背が高い。だから、攻撃を上に流されれば体勢が崩れて隙が生じる、というのは一般論だ。往々にして天才には一般論が当てはまらない。
「《しっ》!」
方形盾で上に受け流したはずの沙姫の太刀が、まるでそれ自体が意志を持つ生き物のように空中で素早く、だがそれ以上に柔らかく方向転換して健太の頭部を襲う。
一般的に、日本刀で頭への攻撃――剣道で言うところの面は難しいとされている。頭蓋骨という代物はそれくらいに硬く、また丸みを帯びた形状は、並みの腕では刃先を滑らせて皮をはぐだけの落ちになってしまうのだ。
もちろん、それは並みの剣士の話であり、沙姫という天才には全く関係がない。
まともに貰えば、頭部を斜めに切り裂かれること間違いなしの斬撃を、健太は先ほど同様左腕の方形盾で受け流した。
あまりの速さの攻防に、道場の隅(こちらは板の間)で見ている叶馬達にもほとんど見えていないだろうが、見えていれば今の健太の防御はそれなりに驚愕されたに違いない。
今、斬撃の途中まで沙姫の太刀は、一時的に健太の左腕より健太の頭部に近い位置にあった。
そこから健太の左腕は「沙姫の太刀を後ろから追い抜いて」、太刀の前へと回り込んだのだ。
単純な技量では、生来の天才が幼少の頃から実家の道場で剣術を叩き込まれてきた沙姫にまだ遠く及ばない健太だが、職を何重にも重ねることで強大化した身体能力は、その技量の不足分を補って余りある。
『《せい》!」
だから、続いて放たれた真っすぐ喉笛を狙う突きも、問題なく左腕の方形盾で受け流せる。
突きから次の攻撃には繋げられないのか、沙姫は受け流された勢いに逆らわず、むしろその流れに乗って距離を取る。
一時的に攻撃が止まったところで健太は、念のため沙姫に尋ねる。
「ねえ、沙姫さん。この手合わせのルール覚えてる?」
右手の小剣と左腕の方形盾で戦闘態勢をとったままそう尋ねる健太の言葉に、沙姫も両手で持つ日本刀を下段に構えたままキョトンとした顔で答える。
「はい。使用する武器、防具は最初に見せたものだけ。隠し武器は無し。スキルも使用禁止、ですよね?」
「うん、そうか。分かってるなら良いんだ」
今の三連撃全てに『剣士』のスキルである『斬撃』を使用していたくせに、全く悪びれない沙姫の答えに、健太は嫌な予想が当たっていたことを理解した。
(やっぱりか。沙姫さんは『剣士』の初期スキルをスキルと認識してない。実家の流派の剣技だと思ってる)
原作でそのような描写があったのだ。事実上のダンジョン初戦で、『既知外』領域のレベル20ゴブリンを初期装備のショートソードで叩き切り、喜んでいるシーンが。
沙姫は原作初登場時点で、『剣士』レベル1だった。叶馬達に拾われるまで、ダンジョンダイブは全て死に戻っていた(『魂魄結晶』は陰摩羅鬼に奪われていて無事)のに『剣士』レベル1ということは学園入学前の時点で『剣士』レベル1だったと推測できる。
つまり、学園の存在を知る前から、沙姫は『剣士』レベル1で使えるスキルは使えていた可能性が高い。だから、入学前から使えていた『剣士』の初期スキルは、沙姫はスキルと認識していないのだ。
(こっちの倶楽部員の見学は禁止しておいて正解だったな)
健太は、道場の端の板の間で足を崩して座る叶馬、誠一、静香、麻衣、海春、夏海、そして蜜柑を始めとした『匠工房』の面々に一瞬だけ意識を向ける。
現時点で通常空間でスキルが使えるのは、叶馬、誠一、静香、麻衣、沙姫の五人だけだが、破天荒にアバウトな叶馬は、その辺りの事情をパーティーメンバーに隠していない。現時点で、双子や『匠工房』の面々が知っているかは不明だが、どのみちいずれ知ることなのでここで知られても大勢に影響はない。
対して健太の倶楽部予定者たちは全員『魂魄結晶』を喪失している。さらに言えば、「『魂魄結晶』を有する者は通常空間でもスキルが使える」という事実すら知らない。
普通科の生徒がスキルを使えず、特級科――華組の生徒はスキルが使えるという事実は知れ渡っているが、一般的にはそれは「血筋」の問題だと思われている。
だから、健太は蘭たちをこの場に連れてこなかった。自分はともかく、沙姫がスキルを使わないと信用できなかったから。結果は案の定である。
「《しぃっ》!」
沙姫の超高速の踏み込みから放たれる足切りを、健太は素早く左腕の方形盾を下げることで受け流した。
「うっひゃー、流石健くん。姫ちんでも相手になんないんだ」
制服のスカートで板の間にべったりと尻を下ろし、両足を開いてまっすぐ前に投げ出す行儀の悪い体勢で、健太と沙姫の手合わせを見ていた麻衣は、目を丸くしてそんな感想を漏らす。
麻衣の漠然としたイメージでは、沙姫は「ちょー強い剣士」。健太は叶馬と同じ「理不尽怪獣枠」だ。だから、健太が沙姫より強いのは想定通りだ。
だが、ここまで一方的だとは思わなかった。
隣で胡坐をかいている誠一もそれに同意する。
「ああ、すげえな。姫ちんの攻撃は全く見えねえのに、全部防がれて、逆に健太の攻撃はもろ見えだ。あれ滅茶苦茶手加減してるぞ、健太の奴」
盾を装着した左腕は沙姫の剣戟より速く動かせるのに、小剣を持った右手の斬撃は遅いのだ。それだけ、攻撃は手を抜いているという誠一の考えは、あながち間違ってはいない。
さらに言えば、沙姫はほぼすべての攻撃にスキルを使いまくっているのに、健太は一切のスキルを使わずにその斬撃を全て問題なく裁いている。
手合わせというより、稽古をつけているようにすら見える。
「沙姫ちゃん、嬉しそうです」
「イキイキしてます」
海春と夏海の双子が言う通り、足が止まる時にたまに見える沙姫の表情は心底嬉しそうな笑顔だ。
沙姫の目に健太は、「どれだけ乱暴に扱っても絶対壊れないオモチャ」ぐらいに映っているのかもしれない。
「そんなに実力が離れているのですか? 沙姫さんが攻撃している方がずっと多いですし、たまに健太さんが攻撃しても沙姫さんは全部回避しているようですが」
叶馬パーティーで一番運動神経が鈍く、一番近接戦闘を見る目がない静香は横座りの体勢で、首を傾げてそう自分が見たままの感想を漏らす。
静香の言葉を受けて、隣に立っていた叶馬が重々しく口を開く。
「うむ。一見すればその感想で間違っていない。だが、実態は違う。誠一が言う通り、健太は攻撃を手加減している。だから、沙姫は避けられているにすぎん。対して沙姫の攻撃は、全力全速だ。それが全て防がれている」
叶馬の言葉に、静香は「なるほど」と納得する。同時に静香は隣に立つ最愛の男の格好にツッコミを入れる。
「ところで叶馬さんはなぜそのような格好を?」
他の皆が制服姿で床に腰を下ろしているのに対し、叶馬は一人『重圧の甲冑』を纏い、右手の持つ『餓鬼王金棒』をブンブン振りまわしている。
いつの間にか完全武装状態になっている叶馬はいつも通りの無表情だが、『魂魄結晶』で繋がっている静香には、今の叶馬がヤバいくらいに高揚しているのが伝わってくる。
「健太が相手となると、俺も万全を期する必要がある。鎧の重さ、武器の感触に体を慣らしている」
「あの、健太さんは叶馬さんとの手合わせは「絶対やらない」と言っていますが」
言っても無駄だと確信しつつ、静香は一応叶馬にそう告げる。静香の言っていることは事実だ。
今日この場を設けたさい、当然のように叶馬は「ならば俺も」と言ってきた。さらに「出来れば俺も」と誠一も言ってきたのは、ちょっと意外だがよく考えるそこまで不思議は話でもない。倶楽部対抗戦対策に対人戦の必要性を感じているのは、真面目で心配性な誠一がある意味一番だろう。
だが、そんな男子二人の申し出に健太はきっぱりと「嫌だ。絶対やらない」と答えていた。
実際のところ、健太としては誠一ならば手合わせも悪くないと思っているのだが、沙姫とやって、誠一とやって、叶馬にだけ「お前は駄目」と言って抑えられる自信がなかった。
事実、誠一もまとめてきっぱり断った現状でも、叶馬は御覧の有様だ。
「健太は遠慮深いからな。しかし、沙姫では健太の全力を引き出せない。これでは手合わせというより、沙姫の稽古だ。ならば、稽古をつけてもらった礼をすべきだ」
「健太さんにはお世話になっているので、あまりご迷惑をおかけしたくないのですが」
途方もなく自分に都合の良いことを抜かす叶馬に、静香は片手で額を抑えながらため息をついた。
外野が騒がしくしている間も、健太と沙姫の手合わせは続く。状況は全く変わっていない。目にもとまらぬ運足から目にも映らぬ斬撃を繰り返す沙姫に対し、ベッタリを足を止めたままそれらの斬撃を全て左腕の方形盾で受け流し、沙姫の攻撃が途切れた時、足が止まった時に右手の小剣で攻撃を加える。
その小剣の攻撃を、沙姫は運足と体さばきで回避する。
その連続。違いは、だんだんと沙姫の頬が紅潮し、口角が上がり続けていることくらいか。
(凄い、凄い、凄い! 何をやっても全く通じない!)
外野同様、沙姫もこの手合わせは「健太の手加減」で成り立っていると理解している。そして、沙姫の攻撃は全て完璧の防御するくせに、ショボい攻撃しかしてこない健太の対応を「自分のポテンシャルを引き出すため」なのだと、思い始めていた。
現時点において健太の実力が沙姫よりはるか上であること。健太が今、手加減をしていること。この二点は事実だ。しかし、実態として健太は今非常に困っていた。
(まずい。攻撃が全く当てられん。どうすれば、終わるんだ、この手合わせ?)
健太は手加減をしている。それは事実だが、同時に攻撃は本気で沙姫に当てようとしていた。その攻撃がことごとく、すかされているのである。
理由は至極簡単で健太の経験不足、手加減が下手くそすぎるからであった。
チート能力『周回レベル上げ』のおかげで対モンスターの実戦経験はアホほどつんでいる健太だが、対人間の手合わせの経験はゼロに近い。そのため、「相手を殺さずに、攻撃する」技術がまったく身についていないのである。『学生決闘』空間のように、「致命傷になる攻撃は精神ダメージに変換される」ようなセーフティーはここにはないのだ。
手加減というのは、れっきとした技術である。その技術がない者が、相手を殺さないように加減をしようとすると、剣戟の速度そのものが落ちてしまう。今の健太のように。
結果、沙姫にはかすりもしないという体たらくである。
はっきり言えば、今の健太に「殺さないように手加減をした攻撃を先に当てる技術」はないのだ。
もちろん、死んでも良いつもりで本気で振れば、攻撃は当てられる。だが、そんなことができるはずもない。
『戦士の不動心』がオンになっている健太は、冷静に現状を打破する道を模索する。
(俺の下手くそな手加減攻撃じゃ、無限に続けても沙姫さんには当たらない。かといってガチの攻撃を当てたら死んでしまう。となると、打開策は……一応あるか)
一つ、終わらせる方法を思いついた健太だが、それを実行に移すには多少ためらいがある。少々沙姫に被害が生じる方法だからだ。なんとか、こうしているうちに沙姫が諦めて、向こうから手合わせの終了を言い出してくれないだろうか。
そうして、健太が現状維持に努めていたのだが、残念ながら戦意が高揚し過ぎた沙姫は、健太が思っているのは全く逆の方向にこの手合わせを終わらせに来る。
「はっ! すううう……」
一度健太から大きく距離を取った沙姫は、それまでの読ませないように細く短く取っていた呼吸を一変させて、離れていても聞こえるくらいに大きく深く息を吸う。
(まさか!?)
その行動に見覚えのある健太は、最大限に警戒を上げる。
「《きぇ》!」
高速を超えた光速に迫る突進から放たれる三連の斬撃は、もはや銀閃すら目に映らない。そして、そのまま高速離脱。
はたから見ている者には、健太の前方にいた沙姫が突然健太の後方に瞬間移動したようにしか見えないだろう。
それは『剣豪』のスキル『閃撃』による攻撃だった。『閃撃』は「呼吸停止中、超加速状態になる」スキルだ。
『剣士』のスキルではない。第二段階職『剣豪』のスキルで、「意識して使わなけば、絶対に発動しない」タイプのスキルである。
明確にルール違反をしたことで、健太は実行を躊躇っていた「手合わせを終わらせる方法」を実行に移す決意を固める。ルール違反のペナルティは受けるべきだ。
明確にルールを破ってきた沙姫の三連撃を方形盾と小剣で全て受け流した健太は、『閃撃』の技後硬直状態で動きが止まってしまった沙姫に距離を詰めると、今日初めて本気で小剣を振るう。
「はっ!」
健太の小剣を振り下ろす先は、沙姫が持つ日本刀。ギンという鋭く耳障りな音を立てて、沙姫の日本刀は剣先三分の一くらいが斬り落とされる。
武器破壊。健太が、本気で攻撃しても沙姫を殺さずに済む攻撃である。
「はい、終了」
「え? あ? ああ! 旦那様とお姉さまに初めて買ってもらった刀が!」
切り落とされた日本刀の惨状を理解した沙姫は、悲痛な悲鳴を上げた。
武器が壊れては手合わせは続けれらない。これにて本日の手合わせは終了となった。
「あうう……」
土間にぺたりと座り込んで、斬り落とされた日本刀の切っ先部分を拾う沙姫の嘆き様に、『戦士の不動心』がオンになっていなければ、罪悪感を覚えただろうなと、考えながら健太は釘を刺す。
「沙姫さん、ルール違反だよ」
健太の指摘に、沙姫は土間に座り込んだまま、ばつが悪そうに視線を泳がせる。
「す、すみません。でも、わざとじゃないんです。いや、もちろんやる気でやったんですけど、あの時はもうそんな事考えてなかったというか……」
つたない説明だが、沙姫の言いたいことは分かる。
常時使っていた『斬撃』は、沙姫の中ではスキルに入っていない。そして、最後に使った『閃撃』は、沙姫としては「使おうとして使ったことは間違いないが、あの瞬間はスキルの使用禁止であることを忘れていた」と言うことなのだろう。
ルールを破った意識はあるが、ルールを破る意思はなかった。
ボクシングルールで戦っているキックボクサーが追いつめられた結果、とっさにキックを出してしまうようなイメージと言えば近いだろうか。
とはいえ、ルール違反はルール違反である。罰則はあってしかるべきだ。
「まあ、悪意があったわけじゃないことは分かるよ。でも、ルール違反はルール違反だから。罰として、今後の手合わせは無しね」
「え、えええ!?そんなあ……」
沙姫は心底悲しそうな悲鳴を上げる。それだけ、今の手合わせは充実した時間だったのだろう。
「あうう……」
それでも自分が悪いことが分かっている沙姫は反論はせずに、悲しそうに未練がましく斬られた日本刀を手に持っている。
そんな沙姫の下へ近寄ってきたのは『匠工房』部長、蜜柑だった。
板の間から土間に降りるときにつっかけたサンダルをパタパタ鳴らしながら近寄ってきた蜜柑は、
「沙姫ちゃん。それ見せてもらっても良いかな?」
と沙姫が持っている日本刀を指し示す。
「は、はい。お願いします、蜜柑先輩! 直りますか?」
沙姫にとって蜜柑は現愛刀『水虎王刀』を打ってくれた信頼のおける『鍛冶士』である。
蜜柑は、斬り落とされた日本刀を丁寧に調べると、
「うーん。流石にくっつけて元通りは無理だね。でも、切り口がすごく綺麗で、刀身には割れもヒビも入っていないから、このまま研ぎ直して脇差になら出来るよ。斬り落とされた側も懐剣になら出来ると思う」
折れた剣を短い剣としてよみがえらせるというのは、さほど珍しいことではない。優れた『鍛冶士』である蜜柑ならば問題なく仕上げるだろう。
「お願いしますっ」
沙姫は大きく頭を下げて、そうお願いした。
沙姫と蜜柑が斬れた日本刀を、脇差と懐剣として打ち直す話し合いをしている間に、健太は一足先に土間の道場から板の間に上がろうとして、その前を阻まれた。
健太の前を塞ぐのは予想通り、SFチックな板金鎧をその身に纏い、右手に武骨な六角六尺棒を右手の持つ男、叶馬である。
「なんだ?」
返答は分かり切っているのだが、一応健太はそう尋ねる。
「次は俺だ」
「それはすでに断った話だ」
きっぱりと言い切る健太に、叶馬は無表情のまま不満げな雰囲気を漂わせる。
「なぜだ? 沙姫がよくてなぜ俺は駄目なんだ?」
「一歩間違えれば俺が死ぬからだよ。それに、一歩間違えなくても道場が滅茶苦茶になって修理費がかさむ」
きっぱりと言い切る健太に、叶馬はむうと唸り声を上げる。
健太が死ぬというのはあり得ないと(根拠なく)確信している叶馬だが、修理費がかさむというのは否定が難しい。自分と健太が本気で戦えば、周囲に被害が及ぶことは容易に想像がつく。そして『銭』は叶馬の最大弱点でもある。
学園内で定期的に器物破損を繰り返している叶馬は、自分の稼ぎはほぼ全てそれらの修理費に費やされ、それでも足りない分をパートナーの女子に借金している状態だ。
その借金を一本化して管理してくれているパートナー筆頭に叶馬は、一縷の望みを託す。
「静香」
「駄目です」
縋るような債務者の視線に、債権者は微笑みを崩さずにきっぱりと首を横に振った。
どうにか無事に約束の「手合わせ」を終えた健太は身支度を済ませた後、健太は学食へとやってきていた。
時間的に昼食ということもあるのだが、メインの目的はそれではない。健太の倶楽部メンバー全員に最後の意思確認を取り、正式に倶楽部を設立する予定なのだ。
事前に通達しておいたため、学食にはほとんどのメンバーが集まっていた。
一年男子は四人。健太、尚典、来斗、霊王。
一年女子は二人。実咲、珠貴。
二年女子は四人。蘭、竹海、幸子、空亜。
合わせて十人。倶楽部設立にはギリギリ足りているが、予定メンバーには一人足りない。
それが、「ちょっと遅れている」とかの問題のない理由ではないことは、蘭たちの表情から明らかだ。
何か問題が生じたことを理解した健太は、『戦士の不動心』をオンにして問いかける。
「風音先輩は?」
蘭と竹海のクラスメイトで、友人で、健太のパートナー兼倶楽部員となってくれる予定の女子の名前を健太は上げる。
健太の問いに、少しこわばった表情の蘭が口を開く。
「風音が倶楽部『着実進行』の男子のパートナーにされたの」
『着実進行』は風音が籍を置いているCランクの倶楽部である。
風音は「倶楽部とは話が付いた。ゴールデンウィーク中に健太君の倶楽部に移籍します」と報告していたのだが、どうやらトラブルが生じたらしい。
『着実進行』は(あくまで学園基準で)女子の扱いも悪くなく、風音もそれなりに上手くやっていると言っていたのだが、まあ所詮は学園基準の悪くない、だったのかもしれない。
「念のため確認しますが、風音先輩の意思である可能性は?」
一応建前上、パートナー契約は男女双方の同意が必要だとされている。だが実際には捺印するまで監禁したり、セックス漬けにして強制したり、寝ている間に拇印を押させて署名は本人以外が代筆していていても、大体は受理される。
だから本当に念のための確認だったが、やはりその可能性はなかったようだ。
健太の問いに、竹海はきっぱりと首を横に振る。
「ないね。『着実進行』の男子からご主人様に伝言があるよ。「うちの女子部員をパートナーにしてけりゃ俺たちに『学生決闘』を申し込め」、だそうだよ」
「ふむ?」
その『伝言』に健太は少し違和感を覚える。
女子のパートナー権を賭けて『学生決闘』というのは特に珍しくない。健太もそれで幸子をゲットした経験がある。『学生決闘』を吹っ掛けようとしているのに、自分たちから申し込まずにこちらに「申し込め」というのは、『学生決闘』では挑まれた側、申し込まれた側にルール設定の権利があるからだろう。
『学生決闘』は原則、戦う前から勝敗が決まっているルールは禁止となっている(一対五の点取り方式等)。そのルールの範囲内でCランク倶楽部相手ならば、どのようなルールだろうとまず勝利できる、と『戦士の不動心』がオンになっている健太は冷静に自分を評価する。
だが、わざわざ『学生決闘』になる様に仕掛けているのだのだから、向こうには何らかの勝算があると考えた方が自然だ。
問題は、向こうがこちらの実力をどの程度だと踏んでいるか、だ。普通の一年だと思っているのなら、勝てて当然。しかし、向こうには風音がいる。風音は『着実進行』に「別な倶楽部に入りたいから、この倶楽部をやめたい」と話して、一度は了承を貰っているはず。ならば、風音の口からある程度こちらの実力が知られている可能性も十分にある。その上で、勝算があると考えているのならば、油断は禁物だ。
風音は蘭の友人だし、健太自身も魅力的な女性だと思っている。出来れば自分のパートナー兼倶楽部員となって欲しいとは思っているが、そのためにどこまでもリスクを負えるかと聞かれると、否と答えるしかない。
「分かりました。とりあえず『着実進行』の先輩たちと一度、会って話してみます」
「無理はしないでね、健太君。風音、というか私達はこういうの慣れてるからあまり気にし過ぎないで」
「『学生決闘』には呼んでくれよ、ご主人様。ご主人様の格好いいところを見るチャンスは逃したくない」
その言葉同様、蘭は心配そうな表情で、竹海は健太の勝利を毛の先ほども疑っていない楽しげな表情で、その場を去る健太を見送るのだった。