一年の教室棟の屋上に設けられた『決闘場』。
ゴールデンウィーク明け初日のまだ一時限目の時間帯だというのに、そこには多くの生徒が集っていた。
具体的に言えば、一年申組の男子二十人に女子二十人。合わせて四十人全員がその場にいた。
本来ならば座学の時間だったのが、ホームルームのクラス会議で一人の男子が出した教室の全員を巻き込む提案が、熱烈な賛成と強固な反対で割れて、ならば『学生決闘』で決着、という話になったのだ。
その提案とは、「クラスの女子全員を男子全員で共有する性奴隷とすること」。
かくして「女子全員の性奴隷化」の成否は、『学生決闘』に委ねられた。
元々、この学園では通常の授業は恐ろしく軽視されている。丁度一時限目の授業が担任教師の受け持ち科目だったこともあり、『学生決闘』が優先される運びとなったのである。
一年申組の命運がかかった『学生決闘』。それも最後の一戦を残すのみとなっていた。
武装して『決闘場』の中で向き合っているのは、どちらも男子だ。
一人は、長身でスタイルの良い男子。男子選抜チームの大将で「クラスの女子全員を男子全員の共有性奴隷とする」提案をした張本人でもある。
防具は普通科の制服の上にボディアーマーを纏っているだけだが、その手に持つ長剣は一目でわかるマジックアイテムだ。この時期の一年がマジックアイテムの武器を入手しているというのは、学年全体で見ても上澄みの部類に入るだろう。
普段は、いかにも自信ありげに笑みを浮かべているその表情が今は焦りで歪んでいる。「こんなはずでは」という心の声が聞こえてきそうだ。
対するもう一人は小柄で華奢な体つきの男子。童顔で目が大きくまつ毛が長い、可愛らしい容姿をしている。肌は白くて大概の女子よりきめが細かく、これまでの連戦で軽く汗をかいた顔に、細くて柔らかな髪が張り付いている。
防具は制服だけで、両手で槍を持っているが、本当の主武器は左中指に嵌められている白金金剛石指輪だ。その指輪型のマジックアイテムは、「『術士』系スキルの発動を助ける」という、地味だがどのような状況でも無駄にならない効果を持つ。
白い布製の覆面を被った決闘委員が「始め!」と発した次の瞬間、動きだしたのは長剣を持つ長身の男子だった。
「《せいっ!》」
気合の声に載せて『戦士』のスキル『強打』を放つのは右手に持つ長剣、ではなくコンクリート製の床を踏みつける左足。
ノーマル職である『戦士』のスキルに武器の制限は一切ない。それは武器を持たない拳や蹴りであっても例外ではない。踏み込む足で地面に対し『強打』を発動させ、その勢いで移動する。
『盗賊』のスキルである『俊足』を疑似的に再現するそれは、『戦士』系のダンジョン勢では比較的よく知られた応用技だ。それを、この時期の一年がやってのけるというのは、間違いなく学年の上澄みと言えるセンスだろう。
しかし、今相対している者とでは、多少のセンスややる気では埋めようがないレベルの差が存在していた。
「ふっ!」
と短高く澄んだ気合の声を上げた小柄な少年は、バックステップを踏む。真っすぐ突っ込んでくる『戦士』に『術士』が真っすぐ後ろに下がるというのは、本来正しい判断ではない。
しかし、結果として両者の距離は開始時点よりも離れていた。それは、長身男子の『強打』を応用した前進より、小柄な男子のただの後退の方が速かったという身もふたもない現実による。
『戦士』と『術士』。前進と後退。どちらの条件も圧倒的に前者が有利なはずなのに、実際には後者が勝利した。それはとりもなおさず、絶望的に両者のレベルが離れていることを意味する。
だが、距離を取られた長身男子の顔が絶望一色に染まったのは、そんな事実を理解したからではなく、もっと単純に『戦士』が『術士』に距離を取られたからである。
まだ第一段階職の段階では、距離を取られた『戦士』に攻撃手段はない。
「《はっ!》《やっ!》《ふん!》《えい!》《えい!》《やー!》」
小柄な男子が指輪から放つ『魔弾』のつるべ打ちを食らった長身男子は、糸を切られた操り人形のように垂直に崩れ落ちるのだった。
「それまで! 勝者、壱年申組尚典! この結果を持って、本件は尚典の勝利となる。勝利条件として、尚典は「壱年申組三十九名からの『学生決闘』を、無条件で拒否できる」権利を得た。この権利は本日より九十日間継続する」
決闘委員の宣言を受け、屋上にいた一年申組の一同から大きな声が上がる。
十八人の男子から発せられるのは、苛立ちと不満を乗せたブーイングと溜め息。二十人の女子から上がるのは、歓喜の声と緊張が切れたことで止まらなくなった泣き声だ。
それも当然の反応だ。これで、男子の下心丸出しの野望は挫かれ、女子の奴隷化はひとまず防がれたのだから。
「ばっか、何やってんだよ」
「最初から妥協して尚典抜きでやればよかったのに」
「まあ、いいじゃん。この感じなら個別に当たれば、落せるっしょ。男女の力の差は示せたんだし」
原作ではゴールデンウィークよりずっと前の段階で起きていた、一年申組の男子全員と女子全員が対決する『学生決闘』。
それが、この世界ではゴールデンウィーク明けまでずれ込んだ上、単純な男子と女子の対立にならなかったのはやはり、尚典の存在、さらに因果をたどればその尚典に多大な影響を与えた健太の存在が原因なのだろう。
女子の性奴隷化と一言で言っているが、今回男子が提案した決まりは大きく三つに分けられる。
1・一年申組の女子は、一年申組の男子の共有物とする。
2・一年申組の女子と一年申組の男子は隣同士で座る組み合わせで一日限定パートナー契約を結ぶ。なお、女子の席は毎日一つずつずれていく。
3・それ以外の特定パートナー契約を結ぶことは、男女共に禁ずる。
当然ながら、女子は反発した。特に女子のトップパーティーのリーダー、一年申組の男女対立を主導している女子のトップはその潔癖さから苛烈な反応を見せ、最終的に男子、女子それぞれ代表五人からなる団体戦『学生決闘』となったのである。
以前、健太と叶馬が『匠工房』副部長凛子のパートナー権を賭けた、『餓狼戦団』との『学生決闘』をやった時のことでも分かる通り、原則『学生決闘』は双方の賭けるものが釣り合っていなければ成立しない。
男子が勝てば女子は性奴隷化。女子が勝てば、性奴隷化を阻止。では、流石に釣り合わない。
特に今回は男子が仕掛けた側だ。受ける女子は、決闘委員が「釣り合う」と認める範囲で、好きな要求が出来た。
この学園に入学する女子としては、例外的と言えるほどに男女関係に潔癖症を患っていた女子リーダーの出した条件は「パートナー契約は男女共に全面禁止」というもの。
この条件に慌てたのが、最終勝者となった小柄な男子――尚典である。尚典はすでにクラスメイトとは距離をとっていた。健太の作った倶楽部『安息所』の一員となり、教室外に空亜というパートナーも作っている。
放っておけば、『学生決闘』の結果がどちらに転んでも尚典には不都合が生じる。最低でも、空亜とのパートナー契約は破棄しなければならない。
レベルが上がっても尚典の陰キャで引っ込み思案な性格は変わらない。だが、ここで流されるわけにいかない、と尚典は一生懸命クラス会議で主張した。
「自分はすでに、教室外にパートナーがいる。その『学生決闘』に自分を含めないで欲しい」
そんな尚典のたどたどしい主張は、当然全く受け入れられなかった。
男子リーダーからすると、これは教室全体が巻き込まれるから意味があるのだ。全員同じという状況が最初から崩れていたら、同調圧力が激減し、早晩上手くいかなくなる。
女子リーダーにとっては、論外だ。男子リーダーから「お前ら全員性奴隷な」と言われたタイミングで尚典は「僕、すでにパートナーいるから遠慮します」と言ったのだ。彼女の耳には「僕、すでに性奴隷います」としか聞こえない(実際、学園の常識で判断すれば、パートナー≒性奴隷というのは間違っていない)。
当たり前のように、「尚典は例外、蚊帳の外」とは認めれらなかった。
しかし、「決闘に関する権利は在学生全員が等しく有している」と校則に明文化されている。尚典にも当然、決闘権はある。現時点の一年は原則皆ノービス1で統一されているため、決闘そのものを拒否する事は出来ない(決闘拒否権は挑まれる側が格下の場合のみ発生する)のだが、決闘の形に口を出す権利はある。
結果、男子十九人VS女子二十人VS尚典一人、という三つ巴の変則『学生決闘』となった。
まず、男子の代表五人と女子の代表五人が、点取り式の団体戦をやる。
その後、勝利した側の勝者全員と、尚典が勝ち抜き戦方式で戦い、最終的な勝者を決めるという形となった。
点取り式の団体戦は三勝した時点で勝利が確定するので、通常はどちらかが三連勝した場合、そこで終了となるのだが、今回は必ず五試合やる。
その結果、三勝二敗なら勝者の三人が、五勝ゼロ敗なら勝者の五人全員が、尚典の勝ち抜き戦の相手となるからだ。
これは尚典が勝利した場合の条件が「壱年申組三十九名からの『学生決闘』を、無条件で拒否できる(九十日間限定)」という、男子にとっても女子にとっても大きなプラスもマイナスもない条件であることに由来する。
男子が勝利した場合の条件は「女子全員が男子全員の性奴隷になる」。
女子が勝利した場合の条件は「パートナー契約は男女共に全面禁止」。
女子からしてみれば、男子が勝利するくらいなら尚典が勝利する方がはるかにマシであることは言うまでもない。また、男子にとっても女子が勝利するよりは尚典勝利の方が良いことはまた間違いない。
だから、たとえ最初の三人で敗北が決まっても副将、大将が勝利すれば、その後の尚典が勝ち抜かなければならない相手が五人から三人に減るので、援護射撃になる。
そんな、変則三つ巴『学生決闘』は、男子の五勝ゼロ敗。その後の尚典対男子の勝ち抜き戦は、尚典の五人抜きで、最終的な勝者は尚典となったのである。
「はあ。どうにか収まった……」
やっと肩の力を抜くことが出来た尚典は、制服のポケットからハンカチを取り出すと、額に滲む汗をぬぐう。
自分のクラスに、自分以外にスキップ転職している者はいないと知っていたため、五対一でも勝てる自信はあったので挑んだのだが、それでも初めての『学生決闘』が五連戦だったというのは、かなり緊張を強いられた。
「なんか、僕も健太のこと言えないかな」
思わず尚典は、苦笑を漏らす。曲がりなりにも叶馬という仲間がいた健太と違い、尚典の場合は本来一番仲間となりえるはずのクラスメイト全員を敵に回しての、ソロ敵対である。
見ようによっては、尚典の方がロックという意見にある程度の説得力はあるだろう。
とはいえ、いくら二人だったとはいえ、一年二人で戦闘系第三段階職を含む上級生のBランク倶楽部をブチのめした健太とは、流石に同類とは言えない。
ともあれ、男子にも女子に反発する形で勝利した尚典は、『学生決闘』が終わっても遠巻きにされるだけで、誰も近づいてこない。
女子はともかく、男子には四月中は一緒にダンジョンダイブをやったり、一緒に昼食を取ったりした、それなりに仲良くなった者もいたはずなのだが、どうやら薄い友情らしき糸はひとまず千切れてしまったようだ。
尚典以外の者達はどうしているかというと、つい先ほどまで「性奴隷になれ」「嫌だ」と対立してたばかりのため、当然ながら男子と女子の間にくっきりと聞見えない壁がある様に、分断される空気が漂っている。
だが、その空気を破る様に、一人の女子が両手でパチンと自分の両頬を叩くと、大股で男子の方へと歩み寄る。
「ねえ、猿浄」
「あ、なんだよ、百合子?」
声をかけられた大型な男子―猿浄は返事を返しながらも、その間違っても美形とは言えない厳つい顔に戸惑いの表情を浮かべる。どこか、精神的に身構えているのが分かる。
まあ、無理もあるまい。声をかけてきたスレンダーな女子――百合子は顔立ちも実際の性格もきつめだ。
しかも猿浄も百合子もそれぞれ男子、女子の代表だったのだ。つい先ほど、『学生決闘』で戦ったばかりである。女子の代表に選ばれるだけあり、百合子も決して弱くはなかったが、結果は猿浄の勝利。恐らく、時間を戻してやり直しても百合子の勝利は百回に一回あるかないか、くらいに力は離れていた。
正当な『学生決闘』の場とはいえ、思い切り叩きのめしたのだ。文句か、最悪一発ひっぱたかれるのか。
大きな体を固めて身構える猿浄の耳に届いた次の言葉は、全く予想だにしていないものだった。
「私をあんたのパートナーにして」
「……へ?」
あまり頭の良くない部類の猿浄は、百合子の言っている言葉の意味を理解するのに、しばし時間を必要とする。
「ちょっと、百合子! あんた、何考えてるのよ!?」
一方、そんな百合子に食って掛かるのは、小柄で気の強そうな容姿の女子、女子のリーダーだ。
「…………」
「な、なによ? なんか、言いなさいよ!」
特徴的なツインテールを揺らして、女子リーダーは大声を上げる。
百合子にとっては、昨日まで組んでいたパーティーのリーダーでもあるその女子に、一度視線を向けた後、百合子は何も言わずに猿浄の方へ向き直る。
「意味わからなかった? 私をパートナーにしてって言ったんだけど」
あからさまな無視。それは、百合子から女子リーダーに対する明確な決別宣言だ。
教室では女子最強であり、仕切り屋気質で、悪い意味で責任感が強い女子リーダーである彼女は、昨日までならば、百合子のそんな態度を許さなかった。だが、今は自分のせいで、女子全員が男子全員の性奴隷になる寸前だったことを自覚しているため、強く出られない。
そうしている間に、やっと状況を理解した猿浄が戸惑いながら答える。
「いや、パートナーって百合子、お前意味わかってる言ってるか? それってあのパートナーだよな?」
「分かってるわ。学園の公認パートナー制度のパートナーよ。『学生決闘』はあんな形で終わったけど、普通のパートナー契約を結ぶ分には問題ないでしょ。ですよね、先生?」
百合子の言葉を受けて、『学生決闘』中もずっと黙って状況を見ていた、一年申組の担任教師が口を開く。
「はい。問題ありません。今回の『学生決闘』で決定したのは、尚典君に対する以後九十日の『学生決闘』禁止のみです。通常の手続き通り、男女双方の合意の下のパートナー契約を結ぶ権利は全員にあります」
「だ、そうよ」
そう言って、百合子は圧をかけるように一歩距離を詰める。
距離を詰めて下から見上げて来る百合子を見下ろし、猿浄はゴクリと生唾を飲み込む。
その場にいる一年申組の全員が、百合子と猿浄のやり取りを見守っている。そんな周囲の視線に気づけないくらいに頭の湯だった猿浄は、かすれる声を発する。
「い、良いのか?」
「もちろん」
煮え切らない猿浄に業を煮やしたのか、百合子はさらに距離を詰めると、猿浄の大きな背中に両腕を回して抱き着く。密かにコンプレックスな小さな胸を男子の厚い胸板に押し付けて。
一見すると大胆かつ堂々とした百合子の行動だが、百合子も内心必至だ。
(ヤバかった。やっぱり、寮の先輩たちが言う通りだ。ここでは男子を拒絶して生きていける空間じゃない。少しでもまともな男子を見つけて、積極的に媚びを売ってかないと、詰む)
女子リーダーのような潔癖症は、この学園に入学する女子では少数派だ。一応、この学園で女子がどのような目にあうのか、どのような役割を求められているのか、説明を受けた上で自らの意思で入学しているのが、この学園の女子の大多数である。
男子に体と媚びを売って生きる覚悟は、入学前に済ませている。
一年申組女子も、馬鹿ばかりではない。自分が籍を置く女子寮の先輩からの忠告や、担任教師から受ける説明などから、自分たちが今危うい状況であることを漠然と理解している者は少なくなかった。
それでも、女子リーダーの言う通り、教室の男女分断に異を唱えなかったのは、女子リーダーがそれなりに強かったこと、女子リーダーの潔癖症が頑なであったこと、そして「もしかすると、上手くいくかも?」という一縷の望みを捨てられなかったから、ここまで来てしまったのだ。
実際、倶楽部『黒蜜』のように、大半が女子なのにAランクまで上り詰めている倶楽部も存在はしている。Aランクは流石に『黒蜜』だけだが、BランクとCランクにもいくつか女子が主力の倶楽部は存在するという(そういう倶楽部では、男子SSR職の『絶倫王』や『遊び人』系の『男娼』など、隷属させる力が弱い男子部員を飼っているらしい)。
また、『天上天下』の花梨のように、男子主力の倶楽部でもその中でレギュラーを獲得しているような女子も存在する。
だが、そんな女子は全体で見れば極めて少数派だ。女子全体の一割にも満たないだろう。
女子リーダーのせいで変に夢を見ていた女子達も、今回の5-0のストレート負けという事実に、目が覚めた。
「分かった。じゃあ、百合子は今日から俺のパートナーだ」
猿浄の答えに、百合子はひとまず自分は賭けに勝ったことを悟る。
元々、普段の視線や言葉遣いから、猿浄が自分に気があることは察していた百合子である。幸いにして、猿浄は容姿こそ下から数えた方が早い部類だが、人間性は悪くない。男子の代表だったことから分かる通り、実力も現時点ではクラスの上位陣だ。
現状、選べる範囲では一番良い選択肢だろう。
「よろしくね、猿浄」
抱き着いたままの百合子はそのまま背伸びをして、猿浄の頬に口づけをする。それは一種のマーキング。見ているほかの女子に対するけん制だ。
それを見ていた他の女子達も動き出す。
「ね、ねえ。あんたパートナー欲しくない。私、どう?」
「強いんだね。今度、ダンジョン連れてってくれない?」
「ね、ねえ。男子はパートナー一人じゃなくても良いんだよね? 同じ教室にパートナーがいた方が便利だよ」
主に男子選抜メンバーをターゲットに女子が群がる様にモーションを起こす。中には、尚典に声をかけるチャレンジャーもいる。
「あ……」
一人残された女子リーダーはぺたりと床に座り込む。
男子からしてみれば、女子全員を男子全員で性奴隷にするという当初の目的は敗れたが、これはこれで悪くない流れだ。
風が吹いて桶屋が儲かるがごとく。尚典にアドバイスをし、尚典を自分の倶楽部に引き込んだ健太の存在が、原作を大きくずらしていた。