ゴールデンウィークによって狂っていた日常感覚が戻ってきた五月半ば過ぎになると、気にせずにはいられないのが定期試験だ。
豊葦原学園は三学期制を敷いており、その全ての学期に置いて中間試験と期末試験が存在する。
五月後半に行われるのは、一学期の中間試験だ。これは言うまでもなく、一年生にとってはこの学園で受ける最初に定期試験になる。
豊葦原学園の試験は大きく分けて二つに分類される。
一つは座学による筆記試験。もう一つはダンジョン実習による成果試験。
前者は選択科目に個性があるだけで一般的な試験だ。ただし、赤点が存在しないというのは少々普通の高校、高等専門学校とは異なる。極端な話、五年間全ての筆記試験で名前だけ書いた白紙を提出しても、この学園では進級、卒業には何の影響もない。
ただし、卒業後、講師等になって学園に残るにはそうして座学の成績も大きく影響するので、ある程度先が見えている(その余裕のある)者はそこまで露骨に手は抜かないが。
一方、絶大な影響があるのがダンジョン実習試験である。
豊葦原学園の在校生には、ダンジョンダイブの義務がある。定期試験ではその深度を計られる。定期試験ごとに一階ずつ、到達深度が進んでいく。
つまり今回の一学期中間試験では、一年生は第二階層に到達出来ればよい。
以後はプラスアルファのオプションとして「○○のドロップ品を△△個提出」「試験用特別クエストの達成」「戦闘実技試験」などが追加されるが、最初の関門である一年一学期の中間試験はそうしたオプションは存在しない。ただ、第二階層以降に到達したという実績が存在すればよい。
それでも、初めてのダンジョン、初めての殺し合いに適応できず、「補習レイド」行になる新入生も多数出るが。幸い、健太の倶楽部『安息所』の一年部員で、ここをクリアできていない者はいない。
問題は、二年生の部員達だ。三学期に二回ずつ定期試験があるのだから、一年間で到達深度は七階層分進む。つまり、二年はこの一学期中間試験で第八階層に到達していなければならない。
健太のパートナーは全員二年生だ。蘭、竹海、幸子は元Bランク倶楽部所属。風音は元Cランク倶楽部だが、曲がりなりにもダンジョン勢の倶楽部だった。
実際、本人たちの自己申告では全員問題ないとのことだったが、万が一ということがある。特に幸子辺りは変に遠慮して本当のことを言い出せずにいる可能性もゼロとは言い切れない。
そうした懸念を払しょくするため、健太はパートナー達を連れてダンジョンダイブを敢行していた。
――穿界迷宮『YGGDRASILL』、接続枝界『黄泉比良坂』――
――第『捌』階層、『既知外』領域――
「ブヒイイ!」
完全武装のオークナイト数十匹の前に、長身の女子が立ちはだかる。学園の普通科女子の制服姿で、両手に一本ずつ長い洋刀を構えた彼女――竹海は百七十の半ばを超える長身グラマラス美女だ。それでも身長二メートル、体重二百キロ越えが当たり前なオークナイトの群れと相対すると、小柄で華奢にしか見えない。
だが、竹海はひるむことなく、口元に好戦的な笑みを浮かべたまま、左手に持つ白銀色の洋刀に力を籠める。
「《吠えろ》」
竹海が『覚醒』させた白銀の洋刀を斜めに振り抜くと、強烈な吹雪がオークナイトの集団を襲う。
「ヒギッ!?」「ピイ!」「サミィッ!」「ブヒッ!?」
生命力が高いオークがそれだけで死んだりはしないが、無視できるダメージではない。さらに、氷雪で表面を白く覆われたオークナイトたちの動きは目に見えて鈍る。
そこに二刀を構えた竹海が血気盛んに襲い掛かる。
「はあ! せい!」
攻撃用のスキルが存在しない『良い踊り子』な竹海だが、(推定)レベルが20を超えている現状、身体能力はバランスよく上がっている。戦闘訓練も熱心にこなしている竹海の斬撃は、動きの鈍ったオークナイトにとどめを刺すには十分な威力だった。
「ピ……」「ギッ……!」
特に右手に持つ黒い洋刀、『炭鉱者の栄光』は威力が高い。少々扱いづらいが、しっかり刃を立てて振るえば、オークナイトの分厚い体も容易く切り裂く。
先頭の二匹を竹海が仕留めても、オークナイトはまだまだ残っている。極上のメスを前にオークたちがこの程度で戦意(もしくは性欲)を衰えさせるはずもない。
「っ、《ほ、炎よ》!《幻炎》」
後方に控える幸子が、たどたどしくそう言って頭頂部に南瓜頭が飾られた杖を振ると、オークナイトの群れは丸ごと炎に包まれた。
「ギャア”?「アチィ!」「ピギャア!」
幸子が発動させたスキルは二つ。『火炎』と『幻影』だ。『火炎』は『術士』の、『幻炎』は『幻想使い』のスキルだ。
『幻想使い』は『術士』系の第二段階職だ。『魔術士』が昨今のゲーム的魔法使いだとすれば、『幻想使い』は古い御伽噺や絵本の魔法使いに近い。
「『幻想使い』は【映像、知覚、現象、実体、世界】の五つを取り扱う」と学園では教えているが、第二段階職に過ぎない『幻想使い』では前三つがせいぜいで、後ろの二つはほぼ、使えない。後ろ二つを取り扱うには、第三段階職、第四段階職になる必要がある。
『幻想使い』は純粋な火力はあまり高い方ではない。
今、幸子が使った『幻炎』も言ってしまえば、ただの幻だ。ただし、それを幻と見破れなかった者の体には、本物の炎と変わらないダメージを残す。ゲーム的に言えば「抵抗に失敗すれば大ダメージ、成功すればノーダメージの魔法」と言えるかもしれない。
だから、学園では今幸子がやったように、集団を相手に実際の炎である『火炎』のスキルと混ぜて使うことを推奨されている。先に本物の炎に巻かれている仲間を目の当たりにしていれば、自分に襲い掛かる炎は幻を見破るのは難しくなる。
種を知っている人間ならばともかく、中途半端に知能が高いモンスターの場合、高確率で騙されてくれるらしい。
事実、オークナイトの群れはかなりの数が幻の炎に焼かれ、転がりまわっていた。
それでもなお生き残ったオークナイトが衰えない闘志と性欲に任せて突っ込んで来る。
その前に立ちはだかるのは、一頭のオオトカゲだった。
「お願い!」
主である蘭の言葉を受け、いかにも俊敏そうな細身のシルエットをしたオオトカゲ――『昇格竜』は、オークナイトの群れにブレスを吐きかける。
「カー!」
大きさは重種馬の最大サイズ程度だが、『昇格竜』はれっきとした竜である。その吐息はドラゴンブレス。通常のモンスターのブレス攻撃とは一線を画する。
極太のレーザー砲のようなドラゴンブレスを口から放ちながら、『昇格竜』は細かく首を動かし、複数のオークナイトを攻撃する。
健太が倒したときは、火炎球型のブレスだったのだが、どうやらこの『昇格竜』は器用なようだ。
『昇格竜』は的確なブレスで十匹程度のオークナイトの頭部を炭化させることで仕留め、同じくらいのオークナイトは下半身にブレスを吐きつけて動きを奪い、一匹のオークナイトだけを後ろに通し、残りのオークナイトは長い尾で叩き、前に押し戻した。
一匹だけ通されたオークナイトは幸子を守る様に立っていた風音に襲い掛かる。
「よーし、来い。《うりゃっ》」
女子としても小柄な風音が二メートル二百キロを優に超えるオークナイトの振り下ろす大剣を、左手で持つ大きな丸盾で受け止める。次の瞬間、風音が右手に持つ片手槍が目にもとまらぬ勢いで飛び出し、遥か頭上のオークナイトの顔面をぶち抜いた。
「ピッ!?」
アッパーカットのように下から突き上げる刺突はオークナイトの脳まで達したのだろう。オークナイトはそのまま真下に崩れ落ちた。
一連の戦闘を後ろで見守っていた健太の出番は、最後に残った群れのボスであるオークロードの討伐だけだった。
板金鎧をその身に纏い、長大な槍斧を持つオークロードを、健太は鎧ごと大剣で四肢を斬り落とし、とどめは竹海に任せる。
経験値の分配で言えば、ボスの経験値を竹海が総どりは少々不均等になるのだが、現状健太以外でこのオークロードにまともにダメージを与えられそうなのは、竹海の『炭鉱者の栄光』くらいだ。
幸い、ボス以外のオークナイトの経験値はきちんと均等になる様に倒しているので、そこまで大きな問題はないだろう。
「では、ありがたく頂戴するよ。せいっ!」
「グバッ!?」
竹海の振るう黒い洋刀で、首を深々と切り裂かれたオークロードは鮮血の混ざった断末魔の声を上げ、絶命した。
無事、竹海がオークロードにとどめを刺し終えたところで、一同に安堵の空気が流れる。
『戦士の不動心』がオンになっている健太は油断しないよう皆に注意するべきかと考えるが、蘭の召喚モンスターである『昇格竜』が自主的に玄室の入り口で警戒をしてくれているのが見えた。これならば、気にすることもなさそうだ。
クリスタルやドロップアイテムを拾い集める蘭たちを見守りながら、健太は全員に確認を取る。
「みんな、新しい装備はどうだった? 違和感や使いづらさはなかったか?」
健太の言葉に、ドロップ品の収集をほぼ終えていた四人のパートナーは揃って笑顔を見せる。
「素晴らしいね」
「もう最っ高!」
「大丈夫です。私なんかにありがとうございます、御主人様」
「私も問題ありません」
四人の言葉からは、いずれもおためごかしではない新装備に対する賞賛が感じられた。
今回のダンジョンダイブの主目的は、念のため二年生の一学期中間試験で求められる到達階層をクリアすることだが、新装備の慣らしも目的の一つであった。
竹海が左手で握る白銀の洋刀。風音が利き手に持つ片手槍。幸子が片手で持つ頭頂部に小さな南瓜頭が飾られた杖。
いずれも『匠工房』(正確には現『神匠騎士団』所属の元『匠工房』の面々)の手によって造られた装備である。製造に必要な素材は、骨格となる武器からスキル付与のための『モンスターカード』まで全て叶馬達が提供している。
静香と誠一が言うところの「せめてもの埋め合わせ」ということらしい。
市湖を賭けた『学生決闘』を手伝ったこと。叶馬に預けてあった長剣――『聖雄長剣』に叶馬の不注意で不具合を起こしてしまったことが、静香や誠一の考える「主だった借り」だ。
他にも、何度もダンジョンダイブに付き合ってもらって、自分達だけ一戦闘事にセックスをして、その間健太は一人見張りに立つというのも、学園の基準では結構な不義理に相当する。
しかし、健太からしてみれば、叶馬や誠一のパートナーに手を出すなど考えたこともないし、そもそも今のように自分の愛するパートナーと一緒でもダンジョンセックスはしない。
市湖の『学生決闘』を手伝った件は市湖への弟子入りの約束で十分だし、『聖雄長剣』には特に重きを置いていなかった。むしろ、『職業選択の自由』で『伝承の英雄』に横線が引かれていた理由が分かり、すっきりしたくらいだ。
だから、「別にいいよ。気にしなくて」と本心から言ったのだが、素直に「そうか、分かった」と答えたのは叶馬だけだった(静香は片手で顔を覆ってため息をつき、誠一は叶馬の後頭部に殴り、逆に自分の拳にダメージを受けていた)。
健太は一人ずつ、大切なパートナー達に労いと賞賛の言葉をかけていく。
「竹海は良い感じになっているな。左の武器を変えたことでバランスも良くなっている。以前ほど『炭鉱者の栄光』に振り回されていない」
「ああ、手に馴染むということだけなら、こいつは右手の『炭鉱者の栄光』以上だ。切れ味も問題ないし、『覚醒』の吹雪攻撃も使いやすい」
ドロップアイテムの改修を終えた竹海は今一度右腰から白銀の洋刀を抜き、その刀身にうっとりとした視線を向けながらそう呟いた。
竹海の白銀の洋刀――『雪吐洋刀』は、オークナイトの剣を潰した金属を土台に雪狼の爪、牙を合わせて作り上げた『銘器』である。
白銀色の刀身には常に薄い冷気を纏っており、『覚醒』させれば雪狼の吹雪の吐息と同等の攻撃を放つことができる。
天才『鍛冶師』の蜜柑が主導して作っただけあり、その刃は鋭い。素材の基準でいえば破格の切れ味と言っても差し支えない。
現在『遊び人』系第二段階職『良い踊り子』である竹海には無論のこと、『戦士』系の第二段階職の者でも、問題なく主武器となりうるだけの逸品だ。
「風音もその槍は相性が良いようだ。見ていて安心できる戦いぶりだった」
「ありがとー健くん。いやーこの槍はほんっと助かるわー。何より、私だと自分で攻撃しなくていいのが最高。守りに専念できるから戦闘のストレスがすんごい減る」
テンション高くそう言う風音が右手一本で持つ槍――『徹甲管槍』は、一見すると非常に奇妙な槍に見える。
管槍というのは、槍の一部に管、ようは筒のようなものがついた槍のことだ。この筒の部分を左手で持ち、その後ろの部分を右手で持って構える。
筒を持った左手を固定して、右手だけを前後にピストンさせることで、常よりも素早い突きが、連続で繰り出せる工夫なのだ。
つまり管槍とは、本来両手槍でなければ利点を全く生かせない仕組みなのである。
だが、『盾槍闘士』である風音の装備は右手に槍、左手に盾を持つことで十全の能力を発揮する。その事実を物語る様に『徹甲管槍』は細身で長さも小柄な竹海の身長よりまだ短い程度。両手槍のサイズではないし、実際風音は『徹甲管槍』を右手一本で持っている。
では片手で管槍の利点をどう生かすのかというと、それはこの槍には『徹甲虫』のモンスターカードが『合成』されており、『噴射』の能力が備わっているのである。
『噴射』のスキルで『徹甲虫』は弾丸よりも速く飛ぶ。同じスキルを持たせたこの『徹甲管槍』も手を離せば、それに準じる速度で結構な距離を飛んでいく。しかし、ダンジョン内で人の手を離れた武器は攻撃力を失う。ただ、飛ばせても意味はない。
そこを補うための管槍だ。
管槍の筒の部分を掴んだまま、『覚醒』させて『噴射』のスキルを使えば、槍は勝手に超高速で突きを繰り出す。
しかも風音は『盾槍闘士』だ。『盾槍闘士』には、『防御反撃』というスキルがある。これは「発動中、敵の攻撃を防ぐと自動で反撃する」というものだ。
通常は盾で敵の攻撃を受け止めると、反対の槍を持っている手が自動で動いて攻撃する。それが持っている槍がこの『徹甲管槍』の場合、槍を突き出す必要もなく、ただ筒の部分を掴んでいれば槍が勝手に飛び出して攻撃してくれる。槍を手で突き出す自動攻撃より威力も高ければ攻撃の隙も少ない。
問題は、この戦闘スタイルでは戦闘経験がろくに詰めず、技量が上がりづらいということ。そして、どれほど速くても突き一辺倒の自動攻撃では、ある程度技量のある敵には通用しづらいことが上げられるが、風音にとっては大した問題ではない。
風音はたまたま『戦士』系に転職出来ただけで、自分が強くなりたいという意志はあまりない。
「幸子もよくやった。『幻想使い』のスキルも使えるようなったな」
「御主人様が下さったこの杖のおかげです」
健太の誉め言葉に、幸子は頭を撫でられた犬のように目を細めて、頭頂部に小さな南瓜頭の飾りが付いた杖――『南瓜灯杖』を胸に抱く。
『南瓜灯杖』は『擬態木』のユニーク個体からドロップした『千年西洋櫟』と、『南瓜頭』のドロップ品である南瓜の元に造られた杖だ。
その効果は、「『術士』系スキル全般の強化」と、「火炎系と浮遊系スキルのアシスト」だ。
おかげで、幸子もどうにか実戦で戦力となるくらいに、『幻想使い』のスキルを使用できるようになっている。
『幻想使い』は『術士』系の中でも特に出来ることの幅の広い職だ。発想と改良次第で「本当に同じスキルか?」と言いたくなるくらいの使い方が出来るらしい。
しかし、『幻想使い』の大半は、学園が教える「有効なスキルの有効な使い方」に固定して覚える。幅を広げても、戦闘中とっさに最善の選択を取るのが難しすぎるからだ。
それが可能なのは、一部の天才だけ(『幻想使い』ではなく『魔術士』だが麻衣はそちら側だろう)。幸子は明らかにそちら側ではない。
しばらくは火炎系の映像と知覚だけに絞ってスキルを磨いた方が良いだろう。
「蘭も安定して制御できているようで一安心だ。今後の主戦力はそっちになるか」
「はい、ご主人様。流石に、この子とコボルト『遊撃手』のあの子では地力が違い過ぎますから。あの子にも役割は有るので、今後も育ててはいくつもりですけど」
そう言って蘭は、玄室の入り口で警戒を続けている『昇格竜』を見た。
蘭に贈った『昇格竜』のモンスターカードだけは、旧『匠工房』製ではない。純粋に健太がソロダイブでゲットしたモンスターカードだ。
そもそもの発端がこの『昇格竜』と『黒瑪瑙犬』のモンスターカードを、健太が蘭にプレゼントしようとしたことだった。
図々しくなって健太に嫌われることを恐れている蘭は、元々「ただで融通するのは、一緒にダイブした時のドロップ品だけ」「健太が一人でダイブした時の戦利品は、倶楽部内価格で公平に取引」という提案をしている。
その時は蘭の提案を承知した健太だったが、一緒にダンジョンダイブを続けるにあたってそれでは少し困る事態になって来ていた。
蘭が最初に取引したコボルトを使い続けてコボルト『遊撃手』まで育てたのは立派だが、単純な戦力としてみればやはりコボルト系は弱い。『周回レベル上げ』の恩恵にあずかっている健太は今一実感できていないが、『モンスターカード』を育てるというのは容易ではない。
なにせ、経験値が『文官』と『モンスターカード』で等分になってしまうのだ。簡単な話、同じだけの経験値を得た戦闘職と『文官』では、たとえモンスターカード一枚だけを集中して育てていたとしても、得られる経験値は半分になる。
だから、同レベル帯で人間と同程度の強さのモンスターでは、『文官』のモンスターカードは強さという点では大きく後れを取ることになるのだ。
もちろん『文官』の主だった役割は戦闘ではないので、『モンスターカード』を最低限の自衛と割り切っても良い。しかし、『文官』が戦闘職に負けない強さを求めるのなら、初期レベルから強力なモンスターカードに乗り換えることも必要となって来る。
『昇格竜』はまさにその条件を満たしていた。
問題は『昇格竜』の適正価格だ。どう控え目に見ても、蘭が買い取れる価格ではない。たとえ倶楽部員価格として大幅に割り引いたとしてもだ。
参考までに、と健太が過去の学園オークションでの取引結果を見ても、参考になるようなモンスターカードは、過去一枚も出品されていなかった。
『昇格竜』レベルのモンスターカードの場合、大半は自分か仲間内で使うし、売るとしても正式なオークションにはかけず、個人的な取引でやり取りしているのだろう、と健太は推測する。
そこに今回の「叶馬達からの埋め合わせ」は渡りに船だった。「埋め合わせ」として健太の倶楽部『安息所』のメンバーの装備を要求し、そこに『昇格竜』のモンスターカードも混ぜ込む。
こうすれば、「倶楽部全体の戦力アップの一環」という名目が立つ。
明らかに、蘭の『昇格竜』が頭一つ抜けたアイテムになるが、それくらいはまあ、許容範囲だと健太は目を瞑る。
ちなみに健太自身の装備は変わっていない。これまでに「黄金の鎧片」「象頭熊の牙」「鎌翼鉄鳥の尾」「青雷墨雨竜の瞳」「ハーラーハラの毒腺」「白竜の爪」「赤竜の牙」「水奪蛇の皮」といった貴重そうなドロップ品を蜜柑達に渡しているのだが、残念ながら今の彼女達ではそれらの加工は難しいようだ。
一番どうにかなりそうなのが「鎌翼鉄鳥の尾」らしいのだが、それもかなり無理をさせることになるのは明白なので、健太の方からストップをかけている。
叶馬達が蜜柑達をパワーレベリングして、蜜柑達が麻鷺荘を(違法)改造して設備を整えているところだから、これからに期待だ。
「最初は少し戸惑いましたけど、だんだん分かってきました。この子にはあまり細かな命令をしない方がいいみたいです」
自分の言っていることの意味を理解している蘭は、自嘲的な苦笑を浮かべる。
「そうだな」
『戦士の不動心』がオンになっている健太は、ここは下手な慰めの為に偽りを口にする場面ではないと判断し、素直に肯定する。
『昇格竜』の知能と戦闘センス、視野の広さは蘭どころか『戦士の不動心』がオンになっている健太よりも上だ。
先ほどのオークナイトの群れとの戦闘でも、全体のバランスを取っていたのは蘭の「お願い」を受けた『昇格竜』だった。
蘭、竹海、風音、幸子の四人に均等に経験値が渡る様に戦場を操作し、竹海には実戦経験がつめるように無傷のオークナイトを、風音には容易く倒せるよう手傷を負わせたオークナイトを、そして後方で魔法を飛ばす幸子が委縮しないように、後方に戦意や殺意を向けようとするオークナイトは素早く無力化していた。
蘭が細かく「攻撃して」「守って」と命令していたら、これほどスムーズにはいかなかっただろう。普通に戦わせてしまえば、このオークナイトの群れなど、ボスのオークロードも込みで『昇格竜』だけで容易く全滅させうる。竹海たちの出番がない。
今も『昇格竜』は、玄室の入り口で見張りに立っているが、それも本人の自主的な行動だ。蘭の「お願い」の範囲内なのだろう。
「皆、新装備は問題ないようだな。流石は蜜柑先輩達だ。後日、倶楽部全体でのダイブで、残りの皆の装備も確認するが、この調子なら期待しても良いだろう」
健太はそう言って一つ頷く。新装備になったのはこの場にいる四人だけではない。
尚典の槍、来斗の鎧、霊王の短剣、実咲の剣、(最近『侠客』に転職した)珠貴の長脇差、空亜の寝袋。それらの装備も部長としてある程度把握しておきたいと健太は考えている。
特に、倶楽部対抗戦のレギュラーである尚典、来斗、霊王の装備は大事だ。
そうしている間に、結構な時間がたった。まだ『天敵者』の出現には余裕があるが、余裕がある間に移動するべきだ。
「問題が無いようなら移動しよう。皆、大丈夫か?」
「はい」「問題なし」「オッケーだよ」「は、はい、御主人様」
パートナー達の返事を受けて健太は玄室の出入り口に近づく。すると、玄室の入り口で見張り役をかって出ていた『昇格竜』が主である蘭に歩み寄り、その長い首を伸ばして鼻先で蘭の豊かな胸元をツンツンとつつく。
「え? どうしたの?」
『昇格竜』の意図を察せられない蘭が戸惑いの声を上げる横で、意図を理解した健太が教えてやる。
「そいつは自分をカードに戻せ、と言っている。その代わりにコボルト『遊撃手』を出せと言ってるのだろう。確かに警戒しながら通路を移動するのなら、偵察が得意なコボルト『遊撃手』の方が良いだろうな」
健太の言葉に、蘭も納得したように頷く。現在の蘭では、『昇格竜』とコボルト『遊撃手』を同時に『具象化』させられない。正確に言えばやって出来なくはないが、その場合どちらも支配から外れてしまう。
「そうですね。ありがとう、戻って」
蘭は『昇格竜』の鼻面を撫でると、『昇格竜』の『具象化』を解いた。