豊葦原学園の定期試験で行われる筆記試験の大半は、一般科目だ。つまり、普通科高校のそれと基本的に変わらない。
違うのは、レベルだ。
原作で誠一が「中学レベルの問題」と言っていたが、健太の体感では「中学一年レベル」だと感じられた。
元々の健太は特別頭の良い人間ではない。自頭はせいぜい人並み。性格上、勉強は人並み以上にこなしていたので、実際の成績は上の下程度。
だから前世の高校時代は、一応進学校と呼べる程度の高校で中の中から中の上あたりをウロウロしていた。
そんな健太にとって豊葦原学園の一般科目筆記試験は「ケアレスミスさえしなければ満点がとれるもの」でしかない。これは、中学までの勉強を最低限こなしてきた者ならば全員同意する事実だろう。
だが、そんな試験でも悪戦苦闘してぐったりとしている者もいる。
「あー、やっと終わったー! もう漢字も数字もアルファベットも見たくない!」
自分の席に腰を下ろしたまま、麻衣はそう叫んで両拳を突きあげる。
「お前。馬鹿だとは思ってたけど、俺の想定を上回る馬鹿だったんだな」
呆れを通り越してどこか感心したような口調でそう言う彼氏――誠一の言葉に、麻衣は思い切り口をとがらせて反論する。
「あによ、そう言う誠一だって似たようなもんでしょ?」
完璧に決めつける彼女の言葉に誠一は心外そうに
「いや、確かに俺は勉強が好きじゃねえけど流石にこの程度の問題は全部埋めたぞ。ケアレスミスさえなきゃいけんじゃね?」
「え? それって満点取れそうってこと?」
本気で驚く麻衣に、誠一は自分の机に両肘をついたまま小さく肩をすくめる。
「んなびっくりすることか? 中坊レベルの問題ばっかだったろ」
「むう、誠一のくせにー」
麻衣は「裏切られた」ような顔をしているが、そもそも誠一を自分と同レベルだと思っていた麻衣の認識がおかしい。
誠一は、日本中の名門の家柄の子供が集まるこの学園の特級科の中でも、正嫡が生徒会長に選出されるレベルの超名門の家の妾腹の子だ。幼いころから、そんな名門の家で『手駒』になるよう育てられた。馬鹿で許されるはずがない。
そんな誠一の事情を麻衣は、全部ではないがおおよそ誠一から聞かされている。
それなのに、誠一を「自分の同類」と思っていた麻衣は、つまりそれだけお馬鹿ということなのだろう。
一応日頃の麻衣と誠一が、「そんな事実を忘れるくらいに息があったカップルとして過ごしていた証拠」という見方も出来るが、かなり苦しいフォローである。
恋人の誠一に裏切られた麻衣は、同類を求めて他の仲間に視線を向ける。しかし、
「む……その顔は叶馬くんも健くんもそっち側? うー、裏切り者ー」
「むう」
「いや、裏切り者と言われても」
麻衣の身勝手な文句に、叶馬と健太は顔を見合わせて困った様に肩をすくめる。
ちなみに叶馬の斜め後ろで苦笑を浮かべている静香も、明らかに試験に苦戦している様子はないのだが、麻衣の判定では静香は裏切り者ではないらしい。
静香の第一印象は、長い黒髪が印象的ないかにも物静かな雰囲気を漂わせる文学少女だ。確かに、第一印象からしていかにも勉強が出来そうな雰囲気を醸し出している。
その実態は、この学園基準でもトップクラスに壊れている(ついでに腐っている)女子なのだが、学業成績的に優等生なのは事実である。
ルームメイトとして、またお互いの痴態をすべてさらけ出すこの学園特有の交流を通して、静香について知っていた麻衣にとって、静香が優等生であることは既定路線だったのだろう。
それと比べると確かに、誠一は勉強などほっぽり出して遊び惚けてそうな見た目だし、叶馬は勉強の出来以前に人語を解することに驚きを覚えるほど、人外の雰囲気を漂わせている。
確かにどちらもこの学園ではそこまで珍しくない、麻衣と同レベルの馬鹿、すなわち義務教育初期脱落組だと見なされてもおかしくはない。
対して上位存在からチート能力を貰った以外は、能力、人格、外見全てにおいて普通の範囲に収まっている自分がそこに混ぜられていることに、健太としては異議を唱えたいところではある。
「もー、うちの男子は無駄にハイスペなんだから。ムカつくなーもー」
いや、今回の試験に関しては自分たちがハイスペックなのではなく、麻衣がロースペックなだけでは。そんな正論が脳裏に浮かんだ健太だが、口には出さない。その判断は正解だった。
「いや、俺らがハイスペなんじゃなくてお前がロースペなだけだろ、これ」
「むがああ!」
あっさり健太が思っていることを言ってのけた誠一に、麻衣は短いスカートを翻して椅子から立ち上がり、連続パンチを浴びせる。
誠一は座ったまま、右手一本で麻衣の連打を受け止めている。これは誠一だからできる対応だ。健太が同じ言葉を発していたら、こんな和気あいあいとしたじゃれ合いにはなっていない。
隷属している男女がここまで気安くじゃれ合っているというのは、極めて珍しい。見た目は『普通に仲の良いカップル』だ。誠一は、陰で他の女子とも軽い関係を作っていたりはしているが、それでも麻衣の置かれている立場は学園女子の大半が垂涎の眼差しを向けるものだろう。
「ぜいぜいぜい……」
気が済むまで麻衣の連打を受け止めてやった誠一は、欠伸をしながらダルそうに口を開く。
「そもそも、ここじゃ筆記試験の成績なんざ大して意味ねえんだよ。極論、名前だけ書いて白紙でも良いんだ」
誠一の言葉に健太も同意を示す。
「進級、卒業という意味では全く無関係だよね、一般科目。専門科目の個別試験の方が重要なくらい」
一般教養科目とは別に、この学園特有の科目――迷宮概論、迷宮地図学、モンスター分類学等――が存在する。各種武器の戦闘術やサバイバル術などと違い、それらの科目の多くは座学であり、科目によっては単位取得のための筆記試験を設けていたりする。
そうした試験で好成績を取っていると、ダンジョン勢のパーティーや倶楽部に売り込む時、ちょっとしたセールスポイントになる。特に『文官』の場合、単純にレベルが高い者よりも、その手の知識が豊富な方が役に立つことが多い。
『職人』がレベルよりも本人の技術や感性の方が重要であることと似ている。
「だな、一番ヤバいのはダンジョン実習だ。補習が絡むのはそっちだけど、俺たちは関係ねえ。明日から三日のテスト休みはそのままただの休みだ」
誠一の言葉通り、この学園ではダンジョン実習こそがキモ。ダンジョン実習の不合格者が劣等生なのである。
しかし、一年一学期中間試験のダンジョン実習課題は「第二階層への到達」。叶馬パーティーも健太もとっくに超えている階層だ(正確に言えば、叶馬達も健太もファーストダイブで第三階層から生還し、その後のダイブも第三階層から下に向って潜っているので、第二階層には一度も足を踏み入れたことがないのだが)。
だから、叶馬達には補習は関係のない話。三日のテスト休みは純粋にただの休み。そのはずだった。
「すみません、叶馬くん。健太くん。少しお話があるのですが」
一年丙組の担任である翠教師がやたら深刻な顔で、二人にそう言って来るまでは。
放課後の一年丙組の教室。教室に残っているのは叶馬、誠一、静香、麻衣のダブルカップルに健太を加えた五人だけだった。日頃であれば、しばらく教室に残って駄弁っているグループもあるのだが、叶馬がいる教室に残る者はいない。
「なにやってんだよ、お前ら。叶馬と健太がダンジョン実習不合格って、ありえねえだろ」
翠教師から用件を聞いた一同の心情を代表するように、誠一がそう言って天井を仰ぎ見る。
健太はとっくに予想していたことだが、翠教師の要件は「叶馬と健太のダンジョン実習不合格」の通知であった。
翠教師が持ってきたプリント――補習の通知とその簡単な内容が記されている――と真新しい電子学生手帳二冊が異様な存在感を持って机の上に鎮座している。
「ダンジョンダイブ回数、モンスター討伐数、獲得EXP、ぜーんぶゼロ。最高到達階層は『記録なし』。もうこれ、引き籠りの成績だよ? 叶馬くん、健くん、学校怖い? 毎朝迎えに行ってあげようか?」
つい先ほどまで筆記試験で一人落ちこぼれ状態を味わっていた麻衣は、ここぞとばかりにそう言ってケラケラと笑う。
「ダンジョン実習の成績は、全部この学生手帳で管理されてんだよ。どんだけ実績詰んでもその時手帳持ってなかったら、学園の評価はゼロだ。んなこと、入学初日にアホほど聞かされただろ」
一方、根が真面目で情に厚い誠一は、友人二人のアホっぷりをわらうことも出来ずに、ひたすら説教を続けている。
「電子機器とは相性が悪い」
「ちょっと好奇心から色々弄って駄目にして、そのまますっかり忘れてた」
叶馬と健太の能天気な言葉に、誠一はギロリと一睨みした後、あきらめたようにため息をつく。
「健太の嘘八百は置いておくとして、叶馬はそれなら静香に持たせとけば良いんだよ。ようはその手帳がダンジョンの階層を潜ることに意味があるんだから」
「おい」
嘘八百と決めつけられた(事実ではある)健太の非難の言葉は置いてけぼりに、叶馬はなるほどと頷き、次の瞬間には首を傾げる。
「それで良いのか? 随分とファジーというか、いい加減だな」
「そうだね。それなら、極端な話、ダンジョンいっぱい潜ってる寮の先輩とかに「お願いします」って手帳渡したら、一気に進んじゃわない?」
麻衣にしては賢い気づきを、誠一は何でもないことのように肯定する。
「ああ、実際やってる奴いるらしいぞ、それ。はっきり言って悪手も悪手なんだけどな」
叶馬と静香のような、実際に同じ階層を探索しながら手帳だけ一人が二冊持つのならば、実力と手帳の到達階層に差異は生まれない。だが、手帳だけを預けて潜ってもらうと、実際の実力と手帳の記載がとんでもなく乖離してしまう。一度それをやってしまうと、実力は足踏みをしたままだ。それなのに次の定期試験ではもう一階層深い実績を求められる。当然、自力でたどり着けるはずがない。また頼むしかない。その次もそのまた次も。
多くの場合、頼むのは女子で頼まれるのは男子になる。何をされても逆らえない、離れられない牝奴隷の誕生だ。
「いや、なんで俺は嘘八百って決めつけるんだ?」
納得がいかない健太の抗議に、誠一は半眼で答える。
「叶馬と健太はとんでもないことをやらかすって意味じゃそっくりなんだけどな。その質がちょい違うんだよ。叶馬のやらかしは純粋にトンチキだけど、お前のやらかしは胡散臭いんだ」
誠一の言葉は、健太にとって少々痛いところをついていた。
原作の流れを知っている健太は、これまで叶馬のトンチキをフォローするようにトンチキ行動を取っていた。必然的に健太のトンチキ行動は叶馬の天然トンチキとは違う、打算に裏付けられたトンチキだ。そこに気が付いた者には、誠一のいう「胡散臭さ」を嗅ぎ取ることが出来るのだろう。
心当たりが山ほどある健太としては、下手につつけない。
誠一からすると、「健太の言動は胡散臭いところが山ほどあるが、叶馬の不利益になることはしていない」という一貫性があるので、ある程度信頼しているのだが。
「……好奇心から色々弄って壊したのは嘘じゃない。話を聞いて気になったんだ。この手帳で到達階層だけじゃなくて、倒したモンスターの種類や数をカウントしてるんだろ? 他にも『倒した日時』なんかも記録してるのかなって」
「ああ、なるほどな」
健太の『言い分』に誠一は一定の理解を示した。
手帳にモンスターを倒した日時が記録されている可能性。その可能性は高くもなければ低くもない。単純に経験値計算のためだけなら不要なデータだが、容量に十分な余裕があるのならば、それくらい収集していてもおかしくはない。
そして、日時を記録されているとしたら、健太と叶馬に限ってそれは多少リスクの伴う話になる。
健太と叶馬は普通科であれば、死に戻りが当たり前のファーストダイブの日に、アホほどゴブリンを倒しているのだから。
だから、その説明で「健太が意図的に電子学生手帳を破壊した」理由は理解できた。だが、「今日まで電子学生手帳を新調せずいた」理由にはならない。現に誠一も、叶馬に学生手帳を破壊されているが、すぐに交換申請をして問題なく過ごしている。
「まあ、叶馬一人で放り込むよか、健太が付いてる方がまだ安心できる、か?」
まだ裏があることを察しながらもそれ以上追及はせず、見つからない良いとこ探しをする誠一に、麻衣が無情に告げる。
「絶対、二倍大変なことになるだけだと思う」
失礼な、と言いたい健太だったが、今反論しても形勢が不利であることは明白なため正面から反論するのではなく、話を逸らす方法を取る。
「どっちにせよ、今一番大変なことになってるのは、俺でも叶馬でもないと思う」
健太がそう言って、これまでずっと会話に加わっていなかったこの場のもう一人に視線を向ける。
「許さない、おかしい、こんなこと許されて良いわけがない。私と叶馬さんを引き離すなんて、何人にも許される行為じゃない。なぜ、私が同行しちゃダメなの? なぜ、なぜ、なぜ?」
先ほどからずっと、長い黒髪で顔を隠す様にうつ向いたまま、ブツブツ呪詛を吐き散らしている静香の迫力に、誠一と麻衣もこれまで触れることが出来ずにいた。
翠教師から「叶馬と健太が補習送りになる」「補習の内容はテスト休み三日間の泊まり込み合宿のダンジョン実習」「部外者の参加は不可」と聞かされた静香は、半狂乱になって反論した。
どうにかして叶馬の補習を取り下げようとし、それが無理なら自分も参加しようとし、最後には「実は私が健太で彼が静香です」と健太を指さして、とても無理のあることも言ってのけたが当然、翠教師はそのいずれもとりあってくれなかった。
そして、今に至るまでずっと、呪詛を吐き続けているのである。
「チルチル、静香、チル」
足を広げて椅子に座っている叶馬が自分の膝の上に静香を抱きあげ、静香の長い黒髪に覆われた頭を撫でる。この学園で男子が女子を膝の上に引き込むというのは、セックスへの流れなのだが、今の叶馬はそういう性的な触り方は一切せず、猛獣をなだめるように丁寧に静香を撫で続けている。
静香の叶馬への依存度を思えば、「たかが三日」とは言えないだろう。
「それだけ叶馬と上手くいっていたってことなんだろうけど、流石にちょっと心配だな。静香さん」
原作でこうなることを知っていた上であえてなにも手を打たなかった健太が、ついそんなことを言ってしまうくらいに今の静香の様子は鬼気迫るものがある。叶馬以外の人間が近づいたら、腐食腐敗してしまいそうなおどろおどろしさだ。
「健太は人の心配してる場合じゃねえだろ。お前もパートナーいるだろ、それも二年の。あの人たち大丈夫なのか?」
「蘭先輩達なら大丈夫だよ。念のため、一度第八階層に連れてったし、追加課題の提出物も俺が手伝って集めたから」
大丈夫、の意味を勘違いした健太が、正反対のことを言う。自分の学生手帳は壊して放置したままなのに、パートナーである二年女子の試験範囲を把握していて、補修に引っかからないように手伝ってやる。
もう「俺が補習を受けるのはワザとです」と白状しているようなものだが、今ツッコミを受けるのはそこですらない。
「いや、なんも大丈夫じゃねえだろ。つまり、お前のパートナーの先輩達は、お前が補習を受けるなんて夢にも思ってないんじゃないか?」
「それは、まあ、そうかも」
呆れるような誠一の言葉に、健太は少し考えて同意を示す。
それを聞いていた麻衣は、心底呆れたような声を上げる。
「ねえ、健くん。健くんってさー、毎週日曜に蘭先輩達とデートしてたよね、一対一で」
今でこそ麻鷺荘に移っている麻衣だが、入学当初は白鶴荘にいたのだ。当然、同寮の先輩として蘭とも最低限の交流はある。蘭が健太のパートナーなったことも、その健太が自分のパートナーをどのように扱っているかも、ある程度は把握している。
「え、あ、うん。まあ、ね」
指摘を受けた健太は、テレを隠せず視線を泳がせる。毎晩のようにパートナー四人とセックスに更けている事実を知られるのはさほどでもないのに、日曜日のデートを知られるのは照れ臭いのは、ある意味健太もこの学園の価値観に染まっているのかもしれない。
そんな健太に麻衣は容赦なく、現実を突きつける。
「てことは今頃蘭先輩達、ワックワクだと思うよ。明日からの三日間、健くんとどんな風に過ごすかちょー楽しみにしてるはず」
学力的には子猫と虎くらいの違いで健太が上だが、男女の機微に関してはピグミーマーモセットとキング〇ングくらいの差をつけて麻衣が上だ。
「…………あ」
その麻衣の指摘に、健太は完全に言葉を失った。