翌朝。
武道館に比べれば小さい、ショボいと言われる豊葦原学園の体育館だが、それでも入学式の日には新入生全員(おおよそ千人)が参列可能なくらいの広さはある。
補習受講者は全学年合わせて三百人程度。それくらいならば、余裕で体育館に収納可能だ。たとえその三百人全員が大荷物を背負っていたとしても。
余裕を持って朝目を覚ました
いつもと違うのは、小剣だけを下げている剣帯に短刀らしきものが複数ズラズラと下げられていることだ。外から見るとそれは購買で販売されている一山いくらの短刀に見える。
その状態で、背中に巨大なバックパックを背負い、腰に小さなウェストポーチを下げているのだ。かなりの重装備なのだが、この場では特に目立つことはない。むしろ、完全武装プラス大きなバックパックは、
やはり、ダンジョン実習で落ちこぼれるのは女子が多いということなのだろう。さらによく見れば、男子は一部の一年をのぞいて皆、そこまで悲壮感を漂わせていない。
多くは舌打ちをしたりして苛立ちを見せているか、面倒くさそうにため息をついたり欠伸をしたりしている。中には全く緊張感もなく、ヘラヘラと笑っている者をもいるくらいだ。
対して女子は一目でわかるくらいに全員負の感情を滲ませている。ガタガタ震えていたり、目に涙を浮かべているのは一年女子で、上級生女子は震えたり泣いたりする者は皆無だ。その代わり大多数の上級生女子は目が死んでおり、これから自分の身に起こる悲惨な未来を擦り切れた感情と体で受け入れる、諦観の境地に達している。
(
向こうもこちらに気づいたらしく、
ちなみに
原作通りだとすれば、
そういう意味では今この時点で
可能であれば、万が一のことが無いように最初から
白鶴荘の寮生全体に、「
寮長の
ともあれ昨晩のうちに、
現在、
右腕に一人。左腕に一人。前から二人。
「…………ええと、どちら様でしょう?」
いつの間にか四人に抱き着かれていることに気が付いた
制服の襟章からすると二年生のようだ。
抱き着くことで押し付けられている胸元は、かなり豊かだ。
「私も白鶴荘の寮生よ。わけあって、ここ最近はずっと白鶴荘に戻ってなかったけど」
他の白鶴荘の寮生達も頷いているので、嘘ではなさそうだ。確かに女子寮には、席だけはあるが実体は別な場所で寝泊まりしているという人間が一定数存在する。
名前を聞きたいところだが、この体育館に足を踏み入れた時点で事実上補習は始まっている。補習中はお互い名乗らない、知っていても名前を呼ばないが不文律となっている。
これは、補習での人間関係を原則日常に持ち出さないためのルールだ。補習送りになる女子でも、誰かのパートナーとなっている者は少なくない。公式パートナー登録されている女子に、パートナー男子の許可なく性行為を強要するのは明確な校則違反だ。
もっとも男子が補習レイドで捕まえた女子が気に入った場合、きっちり隷属させて補習後に正式なパートナーにすることもあるし、逆に女子が比較的マシな男子と関係を持った場合、出来るだけ愛想を振りまいて、補習後も関係が続くよう努力することもあるので、そこまで絶対的な決まりではないのだが。
それでも、全補習受講者が体育館に集合しているこの場で、名乗る、名前を聞くという行為を控えるのは当然だろう。
「分かりました。よろしくお願いします」
「うん」
そうしているうちに、壇上に教師らしき者が上がり、説明を始める。見ると、教師や事務員などが体育館の出入り口に立ち、まるで生徒を逃がさないようにしているかのようだ。
その中には、一年
この学園の女教師は、ほぼ全員が在学中にセックス特化のSSR職になってしまった女子なので、揃いも揃ってセックスアピール全開の美女、(見た目は)美少女ばかりなのだが、
そんな
集まった補習受講者からは、悲鳴、泣き声、ため息などが混ざったざわめきが上がっていたが、
今回の補習の内容は、レイドクエストへの参加。参加すれば補習は合格。レイド内ではどのように過ごそうと自由。
レイドクエストは三つ。
『
『
だが、安堵しているのは
やがて、壇上の教師の合図で補習受講者一同は、体育館から『
「ね、ねえ私たちも急いだほうが」
女子が焦るのは当然である。補習に使われるレイドクエストは超級以上となっている。つまり、超級もあればその上の極級もある。
クリアできないという意味では同じだとしても、難度が高ければ高いほどレイドの『時空圧差』が高くなる。
今回のレイドクエストで言えば、『餓者髑髏城』が七倍、『テュイルリー荒廃園』が八倍、『轟天の石榴山』が九倍となっている。
つまり、同じ三日間のレイドクエストでも、中にいる者の体感時間は、二十一日、二十四日、二十七日と結構な差が生じるのだ。補習レイドという地獄に問われれる時間を一分一秒でも短くしたい女子からすれば、可能な限り『時空圧差』の低いレイドに入りたいのだろう。
だが、
「俺は『轟天の石榴山』に入るんで、急ぐ必要はないです。先輩たちが他のレイドに入りたいのでしたら入るのには協力しますが、その場合はそこでさよならですね」
と、『
「はう」
日頃の
その後、
どうやら、原作通り遅れてやってきてそのまま体育館に入れず、外で話を聞いていたらしい。口に、自販機で販売しているアイスクリームの棒(プラスチック製)を咥えているところを見ると、それも真面目に聞いていないで買い食いしながら適当に聞き流していたようだ。
しかもいつも通りの制服姿で、武器は何も持っていない。背中に背負っているバックパックも登山用どころか、通学用だとしても「お前教科書大半机に置きっぱなしだろ」と確信できるほど小ぶりなもの。
ほどなくして
『
ファーストダイブでのみ使用される第一門『始界門』。
常日頃のダンジョンダイブで使用されてている、第二、第三、第四門『恒常門』。
そして、レイドクエスト用の第五門『極界門』。
当然ながら、今使われるのは第五門『極界門』だ。開かれた『極界門』は中で空間が渦を巻いている。その渦の中に、フル装備の補習受講者達が次々と飛び込んでいく。
一定の人数が入り終わったところで、屈強な用務員たちが立ちふさがり、それ以上の入門を拒む。それから何やら操作をして、すぐにまた門に入れ始める。
送り込むレイドが三つなので、その度に座標を変更しているのだろう。
最初が『餓者髑髏城』、次が『テュイルリー荒廃園』、最後が『轟天の石榴山』の順だ。
そのため、二度目の入門を自分の前で打ち切られた女子生徒は、絶望のあまり滂沱の涙を流していた。
最後方に近い
しかし、それでも最悪中の最悪の地獄に自らの脚で突き進むのには、足が鈍るのが必然というものだ。
これまでとは打って変わって、門に進む補習受講者達の足取りが極端に遅くなる。後ろで待っている
だから、そんな重苦しい雰囲気とは全くそぐわない、大きな
振り向くと、いつの間にか最後尾に控えていた
恐らくは、「このペースならばまだ余裕がある」と考えて、近くの自販機にジュースかアイスを買いに行こうとしているのだろう。
「
――穿界迷宮『YGGDRASILL』、特異分界『
――様式『
――※Option Intercept『
――※Model『
――※Confine『72時間/720時間』――
『極界門』を潜った
今が夕暮れ時ということではない。レイド領域では季節、天候、昼夜の変化が起こる方が珍しい。
その領域を象徴するような季節、気候、時間に固定された世界であることが一般的だ。それこそ「餓者髑髏城」のような領域では領域全体が一つの建築物で完結しており、空も天気も確認不能というケースも珍しくはないくらいだ。
ここ『轟天の石榴山』も多分に漏れず、すべてが固定された世界だ。
季節は秋、天候は晴れ、そして時刻は夕暮れ。
そこは暑くもなく寒くもない。領域名通り石榴を始めとした食用可能な植生が豊富で、赤い日差しは多少違和感があるが、周囲が見渡せないというほどではない。
レイド領域の環境としては、かなり優しい部類に入るだろう。環境そのものは人を殺しにきていない。
無事レイド領域に到着したことを確認した
レイド領域へのダイブはログインポイントがランダムにずれる。だが、通常のダンジョンダイブ同様、ダイブ時に体を接触させておけば、同じポイントにダイブが可能だ。
そのかいあって、
「全員揃ってますね。そちらの方から順番に自分の荷物を調べて、異常がないか報告してください。バックパックの中まで調べなくていいですから、外から見て紛失している物、破損している物がないかだけ確認をお願いします」
『
上級生女子としても、戦力的に頼りになる男子が率先して音頭を取ってくれるのならば、拒絶する理由はない。この学園では先輩後輩など人間関係の上下にほとんど関係しない。少なくとも補習を受ける様な上級生女子ならば当たり前にその事実を受け入れている。
「はい、異常ありません」
少し猫毛ぎみの柔らかそうな茶色の髪をミディアムロングまで伸ばしているその女子は、事前の自己申告によれば『
「私も異常なしだよ、け……ええと、リーダー」
続いて左から二番目の二年生女子がそう答える。彼女はこの中で唯一、
白鶴荘で
「異常ないわ、リーダー」
そうしている間に左から三番目――右から二番目の二年生女子が、あまり抑揚の感じられない口調でそう言った。
直前の二年生女子が、
これは、訂正しなければ、このレイドクエスト中、ずっと彼女たちから「リーダー」と呼ばれることになりそうだ。
そう予感した
「そう言えば、貴女だけ聞いていませんでした。よろしければ、
体育館で会うまで一面識もなかったその二年女子については、
だからそう尋ねる
「『
と端的に答える。
『
補習送りになっているということは、彼女を『保護』している有力男子はいない可能性が高い。相性が悪くない様ならば、倶楽部に勧誘しても良いかもしれない。幸い、レイドクエストは本来二十七日、原作通り
それにしても、ナチュラルよりではなく、はっきりくっきりメイクで、セミロングの黒髪も丁寧に手入れがされているオシャレな彼女が、『
『
「異常なし」
最後に右端に立つ、三年女子が抑揚のない声でそう告げた。
あまり艶のない黒髪をギリギリ後ろで纏められるくらいの短さに切りそろえている彼女は、自己申告によれば『
顔の表情、声の表情が今一乏しい上に、自主的な行動はあまり取らない。
三年女子二人は、明らかに自我が薄まってきている。
『
辛うじて戦闘力があると言えるのは、『
それも第一段階職の『
もとより、同行者を守って単身戦うつもりでいた
「全員、問題ないようですね。それでは出発しましょう。《周囲を確認》しつつ、ついてきてください」
そう言うと
レイド領域内の広域且つ詳細な地図が
赤いピンは敵、青いピンは味方。黄色のピンはどちらでもなく、中央に一つだけある白いピンが自分自身だ。
今回の場合、赤はモンスター、青は
地図が広すぎるため、意識して注目してみないと分からないが、大部分のピンはそれぞれ意思を持って動いていることも確認できる。
問題は、ずっと離れたところに位置する「十二本の青いピン」である。
(別々にログインしても、
この足場の悪い密林の中、普通に歩いたのでは今日中には合流できないだろう。それくらい離れた位置に
もちろん、
見ると、十二本の青いピンの側に中立を意味する黄色のピンが刺さっている。
現状、その流れに狂いはないように見える。
(それなら、もう少し様子を見るか)
だから、二者択一ならば答えは出ているのだが、この場にいる女子達も見捨てたいわけではない。どちらも守れるのならば、それに越したことはない。
「ね、ねえリーダー君。そんなにしたらモンスター寄って来るんじゃない?」
遠慮なく下草や木の枝を大剣で切り開きながら先頭を進む
「問題ないですよ、これくらいなら」
意識をこちらに戻した
ならば、こうして少しでも歩きやすいようにしてやる方が有益だ。
断言する
木陰からぬっと姿を現したのは、牛の頭部を持つ巨大な蜘蛛だった。
「ヒッ!?」
女子四人が揃って悲鳴にすらならない呼吸音を漏らす。
胴体部分だけでトラックほどもあるそのモンスターは、まだ百メートル以上離れているのに、「もう逃げられない」と本能が悟ってしまうほどの存在力を放っている。
こちらの方向に赤いピンがあることは理解していた
「はっ」
その一撃で、牛頭の蜘蛛――『牛鬼』は左右二つに切り裂かれ、絶命した。
突如現れた絶望的な状況が、雑に切り抜けられてしまったことに、女子四人は理解が及ばずパニックを起こしかけている。
そんな守るべき女子四人に
「このとおり、このレイドに出没する程度のモンスターなら、何匹来ても問題ありません。先輩達の安全は保障します」
そう、抑揚のない声で事務的に告げながら、頭の中では「そう言えば、『牛鬼』は体は牛肉、脚は蟹の味がすると原作で書かれていたな」と考えていた。