堕陽月参拾伍日目
堕陽月参拾禄日目
例の塔(仮)から戻ってきたはいいが、丸々一日分くらい経過していた。うーん、まるでそんな感じはしなかったぞ。両さんが8年間を体感一週間としてしまうのも無理はない。
扉から出てみると桜花の姿はそこには無く、代わりに鹿之助と災禍、名前も知らない里のモノノフが二人。
俺の姿を見るなり、「若様よくぞご無事でぇぇぇ!」と半泣きになりながら災禍が抱き着いてきた。たった一日程度だったが、随分と心配をかけてしまったようだ。
普段のクールビューティを放り投げて泣きじゃくる災禍を宥め、「心配かけさせんなよ、もー!」とこちらも目尻に涙を貯めている鹿之助に謝りながら、状況を確認する。
俺達が塔に駆け込み、程なくして…と言うよりそれを待っていたかのように、塔は姿を消した。残ったのは塔の痕跡と、土壁のみ。
桜花は暫く再出現を待ったものの、活動限界時間が迫った事により撤退。一部始終を大和のお頭に報告した。
大和のお頭は、その内容の俺に関する部分を滅鬼隊の皆に報告。…それはもう、阿鼻叫喚の有様だったらしい。
精神的に安定してきたと思っていたが、それは俺という支柱があってこそでしかなかったようだ。むぅ、自分の立場と精神的な問題を甘く見積もったか…。
幸いにして、時子が皆を纏め、落ち着かせてくれたものの、報告を聞いた当初は一触即発の状況だったらしい。
半ば八つ当たりと言うか言いがかりに近いが、ウタカタの巫女を目覚めさせる為の任務に向かい、その後に発見された謎の施設が危険だと言われていたのに、富獄の兄貴が突貫、それを追って俺と権佐も突入。
挙句に自分だけ帰ってくるとはどういう事だ、と。
…錯乱しそうだったのは分かるが、酷い言い分だなぁ。鬼との闘いなんて基本命懸けなんだし、無事帰って来た事を褒めはしても、誰かが死んだのは生き残った奴のせいだ、なんてお話にもなりやしない。
そもそも、俺に任務について来るよう要請したのは桜花で、先走った富獄の兄貴はウタカタのモノノフと、
まぁ、富獄の兄貴は大和のお頭から説教され、俺は自重しろ、そういう時は護衛だけ行かせるのが当然だろうが、とあっちこっちから叩かれまくったが。
桜花に対し、かなりの悪感情が向いてしまっていたようだ。彼女の対応に問題が無かったとは言えないが…。
簡潔に言えば、「お前らの頭領? そんな事より妹だ! 何故目覚めない!?」って感じっだったらしい。この頃の桜花は、橘花を何よりも優先するからなぁ。
協力体制にあるとはいえ、外様の頭領よりも橘花に目が行くのは無理もない。ついでに言えば、重要度で言えば順当なのも確かだ。橘花が目覚めて結界が張られれば、俺達を救助する為の戦力だって作りやすくなる。
…桜花に対する悪感情とかは、後々どうにかしていくとして……うん、目覚めてないんだよ、橘花。
実は百日夢じゃなかった? 或いは、倒したミズチメは全く関係なかった? と言う線も考えたのだが、変化は確かにあったようだ。
那木曰く、眠りは確実に浅くなっているし、いつ目覚めてもおかしくない。
樒さん曰く、橘花に絡みついていた呪いの力は確かに抜けている。
では、何故目覚めないのか。
里には不穏な空気が漂い始めている。顔には出そうとしていないが、結界の消失も、目覚めない巫女の事も、隠し通せるような話ではない。
どうにか目覚めさせる方法を探る者、自分にそういう事はできないと割り切って里の警護に集中する者。様々居るが、共通して不安を抱えている。
ああでもないこうでもないこれでも無理だったと、大和のお頭達は現状を打破する手を探っている。
そんな中、俺は橘花の様子を見に訪れた。橘花の隣には、目にクマを作った桜花が座っている。
無力感に打ちひしがれ、俺達が無事戻って来た事にも気付いてなかった桜花に、冷たい声がかけられる。
「夢から戻りたくない、夢に浸っていたい、と言う事でしょうね」
「秋水……どういう事だ」
桜花橘花の様子を見に来ていた俺に、秋水は軽く目礼して入って来た。
橘花の枕元に居る桜花に、秋水はドン、と何やら資料を差し出した。
これは?
「百日夢患者についての記録です。曰く、夢の中は心地よく、痛みも悩みも将来への不安も忘れ、過ぎ去った過去やもう会えなくなった知人と日々を楽しむ、桃源郷の如き日々を送るそうです。戻りたくないと思ったとしても、そう不思議はないのでは? …だからと言って、夢想の中で全てから目を逸らして死んでいくなど、僕としては反吐が出る思いですがね」
「…橘花………」
自分は力になれなかったのか、心の支えにさえなれていなかったのか。悔恨が滲む。
…で、秋水。お前がわざわざここに来たって事は、何か考えでもあるのか?
「ええ。結界の消失は、僕にとっても他人事ではありませんからね。橘花さんに潰れてもらっては困るのですよ」
その割には、妙な揺さぶりをかけようとしていたようだが。
「さて、何の話やら。一応言っておきますと、何にでも加減は必要です。極端から極端に走られても困るのですよ。…本題ですが、橘花さんは夢に自らの意思で浸っていると考えられます。過去を都合よく捻じ曲げて理想の人生を送っているのか、思い出をただ只管繰り返しているのか、それは分かりませんが…」
理想の人生ねぇ…。ちょっと前の橘花なら、桜花と入れ替わってモノノフとしての人生を歩む、みたいな事も考えてたかもしれんな。
…そもそも、橘花にそこまで大事な過去ってあるのかな。楽な人生を送ってるって意味じゃないぞ。
橘花は幼い頃から神垣の巫女としての修行ばかり、里に来てからも大事にされてはいるが、自由らしい自由は殆ど無いみたいだし。
「さて、そこは本人の感じ方次第ですから。余人にとってはどうでもいい事であっても、橘花さんにとっては後々何度も振り返るような出来事だった可能性もあります。ですが、人が本当に望んでいる事や願いなど、当人であっても中々理解できないもの。そこをうまく付けば、或いは…」
あー、大和のお頭とも似たような相談したな。蟠りを解きほぐしてやれば…って。そもそも声が聞こえてる事が前提だけど。
差し当って、蟠りになっていそうなのは…。
「やはり桜花さんとの確執でしょうね。…桜花さん、そのような事を囁いた事は?」
「…当然ある。それだけはない。謝罪、過去の思い出、未来の展望……色々な事を囁いた。頼むから目を覚ましてくれと懇願しても、一行に目を覚まさないんだ…」
「成程。反応すらしないと言う事は、橘花さんにとって、それは重要ではない事なのですね」
おい桜花待て落ち着け、桜花の事がどうでもいいって言ってるんじゃなくて、心のしこりになってる事は他にあるって事だ!
つまり仲違いしても、桜花の事が嫌いになったって訳じゃないんだから、首を吊ろうとするな。
しかし、桜花との仲違いを無かった事にしたい…という願望が一番ありそうだったんだがな。…考え方を変えれば、仲違い…激突衝突も思い出の一部と言える。自分が歩んできた道と、姉との絆を否定したくはなかったんだろう。…そう思っとけ。
「う、うむ…情けない姿を見せてすまない…。うぅ、あまり弱音を吐くものではないが、何か最近色々と空回りしたり、物事が悪い方向に噛み合っている気がしてな…」
まぁ…確かに最近の事を振り返ると、そんな感じがするね。若干、アンチと言うか運命に嫌われてるんじゃないかと思うような空回りっぷりだ。
…不運の呪いでもかけられてるんじゃないの?
「そんな呪いを使う鬼が居たら、最優先で討伐しなければなりませんね。さて、では橘花さんの昏睡について、心当たりは? 僕はここに来る前、色々な人に話を聞いてきましたが…どれも違うようです。殆どの人が、神垣の巫女の過酷さについてや、桜花さんとの確執が原因と考えているようです」
うーむ……そもそも声自体聞こえてるのかな。
「恐らく聞こえてはいる。最初の頃は、私の声に反応して寝言を返す事もあったんだ。…何か食べ物の夢を見ているようで、もっと欲しいとかそんな内容だったが…」
うーん…橘花の好物って何だっけ。何か食べ物に関する思い出とかあるか?
「思いつく限り試したが、どれも外れだ。最初は反応していたのが、徐々に声が返らなくなってきた」
「つまり、それだけ煩わしいと思った訳ですね。はい、自殺しないように抑えてください」
…こうなるのが予測できるんだったら、もう少し歯に衣着せてやれ。煩わしいと言うか、見ている夢と合わない内容だったんだろう。
いくら心優しい言葉や、痛快な物語であっても、さぁ昼寝しようって時に延々と耳元で話しかけられれば雑音にしかならない。
結局、橘花が見ている夢を予測して、それに沿った言葉で誘導してやらなきゃならんのだよな…。
そもそも、反応していた時はどんな言葉に反応してたんだ?
「色々だ。さっきも言ったが、過去の思い出から明日の天気まで、色々な事を語り掛けた。…ただ、話の途中に寝言を返す事が多かった気がする。覚えている限りだと…」
桜花の記憶を聞いてみるが、確かに脈絡が無い。
一体どんな夢を見ているのやら。
前ループの橘花なら、エロい事を囁いてやればちんぽ欲しさに飛び起きそうなものだが…流石に桜花が居る前でそれをやるのも危険だな。
そもそも、桜花の単騎特攻を戒める為の虚言だったとはいえ、本来は里の巫女に手を出す発言だけでも大問題になってもおかしくないのだ。
「ふむ…。確か、橘花さんはシノノメの里の神垣の巫女と文通を始めたと聞きました。シノノメの里の巫女は、歴代でも破格の力を持っているそうです」
あー、うん、色々あって後付けされた力だけども。
(あとその力を覗きに使ってるんだけど…と言うか、今この瞬間も俺達を見ているかもしれないんだよなぁ…)
「その巫女に遣いを出して、彼女の夢を覗き見てもらうのはどうでしょう。千里眼の術を応用すれば、夢の中に入り込む事もできるかもしれません」
「どうやって術を使ってもらう? 橘花をシノノメの里まで連れて行くのか」
いや、今のあいつは色々特別性になってるから、シノノメの里に居ながらウタカタの里に術をかける事も出来ると思う。
…ただ…俺が言うのもなんだけど、ちょっと教育に良くない子なんだよ…。あの子を精神世界に入り込ませると、それこそ汚染されたりしないかな…。
「…神垣の巫女に対してえらい言いようですね」
橘花にも素質は充分すぎる程あるし、橘花がああなるのは容易に予想できる。 ピクッ
「素質って何だ!? 橘花がどうなると言うんだ!? いや、どうなるにしろ、このまま目覚めないよりは…!」
いや…何と言うか…罵るつもりじゃないんだが、人の中には切っても切れない宿業と言うか、禁忌であるからこその欲望みたいなのがあってだね。
雪華…ああ、シノノメの里の巫女な…を橘花の中に入り込ませるのは、橘花を濁流の中に放り込むようなもので……濁流に無限に沸く毒の壺を埋め込むような…。 ピクピクッ
待て、橘花を汚濁扱いしてるんじゃない! ピクピクピク
むぅ、桜花の怒りも尤もだよな…橘花をそんな扱いにしていれば。
しかし実際、橘花の素質を考えるとなぁ…。それを説明する術はない。何せ別ループで開花させてきた、橘花の秘めた性癖なのだ。証拠なんかありゃしない。
うーん…どっちにしろ、どうにかして橘花を目覚めさせなければ、今後の見通しなんぞ立つ訳もないか。
わかった、雪華に連絡してやってもらうよう要請しよう。…と言っても、もう見てるかもしれないが…。
「本当にそんな事が出来るのですか? 遠距離からの夢渡りという難易度も問題ですが、巫女の力を使う事は、その里の安全性に直結します。あなたが要請して巫女がそれに応えたとして、里が許さないのでは?」
大丈夫だ。シノノメの里には世話にもなったが、その分貸しも多く作ってある。
巫女の力も、むしろ霊力が多すぎて持て余してるくらいだから、里を危険に晒す訳でもないよ。
さて、そうと決まれば一筆書かなきゃならんな…、
「おう、邪魔するぜ」
「…富獄さん? 何か御用で?」
「お前でも桜花でもない。…そう、てめぇだよ。お頭が、洞窟でみたものについて話があるってよ」
ああ、はいはい。
じゃあ、橘花の事は雪華に頼んでおくよ。…色々話はしたけど、結局全くと言っていい程進展がなかったな…。
大和のお頭に呼び出された先では既に人払いがされ、問題の施設を直接目にした権佐と、浅黄が待っていた。
何故か浅黄はどんよりとした雲を背負っている。
…おい、どうした?
「それがね、俺らがあの場所でみた連中の事を伝えたら、絶叫して崩れ落ちちまって」
…なんだそりゃ。そもそも大和のお頭、なんで浅黄を呼んでるんだ?
「何でも何も、隊の前指揮官だったんだろう。詳しいと思って呼んだ。この件をどうするべきか、彼女からの意見も聞きたいしな」
まー確かに。隊が活動していた頃の事を一番詳しく知ってるのはこいつだものな。
で? 浅黄、一体何を落ち込んでる。
「……いなかった…。今の今まで気づいてなかったけど、私が活動していたのと同じ時期に目覚めていた子達の殆どが……今いる子達の中に居なかったのよ…」
言われてみれば、9割以上が処…もとい、初めて目覚めた子ばかりだったな。
浅黄の話じゃ、最後は……なんだ、運営主達に騙されて、活動してる子達も揃って封印されたって話だったが。
……つまり?
「全然気づいてなかったけど、多分私達の一代前の滅鬼隊とか…。そうよ、確か以前に噂で聞いた話だと、私達を作り上げたから古い滅鬼隊は不要として封印されたって聞いたわ」
「…よく分からんが、胸糞悪い話たってのは分かった」
それくらいの認識でいいと思うよ、富獄の兄貴。
と言う事は、やっぱりあの子達も滅鬼隊で、今の子達と違って実戦経験を積んでいるって事か?
「そうよ。…そして何よりの違いは、余計な機能を付け足してないの」
「余計な機能…?」
「…起こした異性に好意を持つとか、変な性癖を植え付けられているとか、体がいやらしいとか、特定の相手に暫く会えないと精神的に不安定になるとか、そういう機能よ」
「何でそんな機能を付け足した………いや、そうか。以前にお前達を操っていた者達にとっては、縄で繋がれていない猛犬に見えたのか」
まー頭の出来を別にすれば、実力はある連中だからな。
つーか、安全弁を付けるにしても、精神的なものだけで充分だろう。何を考えて、調子に乗って国営オナホなんぞ作り始めたのやら。
なまじ強力な力を持つだけに、いつ反旗を翻されるか気が気じゃなかったのかもしれん。だったら最初から待遇改善しとけよって話だが。
で、戦闘力はどうだか知らんが、安全弁を付ける事に成功したお前らを増やすと同時に、何らかの方法であの子達を封じ込め、異界に沈めた…か。
「あの封じられてた場所、素材からして普通じゃなかったが…それに心当たりは?」
「………その場所を見てないから何とも言えないけど……前隊員の拠点となっていた重要な場所を、纏めて放棄したという話なら聞いた事があるわ。機密となっていたから、私も詳しい事は…」
どっちにしろ、もう一回あそこに行かなきゃならんのは変わりないんだ。その時に、浅黄と……そうだな、博士も連れて行くか。
「異界浄化に必要な、瘴気の元が見つかったのだったな。また中に入っている間に、塔とやら消える危険もあるが…」
浄化には大して時間はかからないから、出現直後に突入して、ささっとやっちまえば、長くても2日以内には戻ってこれるだろ。
事前に言っておけば、うちの子達も暴走は……しない…と思う…。
「明日奈さんや神夜さんの統率力に期待ね…。あの二人に逆らうと美味しいご飯が食べられなくなるから、そうそう酷い事にはならないと思うけど。……新しく発見した子達はどうするの?」
心苦しいが、暫くこのままだ。霊山で浅黄達を見つけた時もそうだったが、あの筒に入れられている間は、瘴気の中でも安全は保たれる。飯食う必要も無いようだしな。
今の俺達に、彼女達を受け入れるだけの度量は無い。
里の結界は消え、家も直りきってなくて、うちの子達の生活も落ち着いてない。この状況であれだけの人数を連れてきても、確実に面倒を見切れなくなっちまう。
「うむ…見捨てる訳ではないが、里の備蓄もそう余裕がある訳ではないからな。九葉からの支援を考慮に入れても、これ以上は飯が行きわたらなくなる危険がある」
「連れてくるにしても、一人一人…ですな。前に活動していたと言う事は、話に聞いていたろくでもない扱いを受けていたって事でしょう。モノノフや上司に対し、強い不信感を持っているとしても不思議はない。不和の種になるか、見極めなけりゃなりません」
ああ、それもあるか…。下手をすると、今いる子達と揉めそうだな。
「それ以上に、今度こそ私が責められそうよ…。お前のせいで封印されたって…」
今度の子達は記憶持ってる可能性が高いからなぁ…。
まぁ何にせよ、あの子達は受け入れの準備が整ってから、一人一人救助って事で。もしも俺達の保護を受けるのを嫌がり、独り立ちしたいと望むなら………当人の性格次第だが、支援してもいいと思ってる。それも嫌がると言うなら、それまでの話だが。
「その辺りの考えは後回しにしておけ。…まずは里の守りを固め、橘花を目覚めさせる事に集中するぞ」