オバロ世界に行っただけです。
2138年、世界は破壊し尽くされていた。
空、海、大地は壊滅状態であり、大気は酷く汚染されていた。到底人が住める環境ではない。
しかし、そんな世界でも豊かに生きる者は存在している。
「では今日の業務は以上となります。お疲れ様でした、会長」
「ええ、あなたもご苦労様です」
選ばれた富裕層しか住むことのできない
それは国家をも支配する巨大複合企業の会長の別荘。
その別荘の一室で業務をこなしていた男。
歳は30代半ば程、まだまだ若さと情熱を保つ。見るものを惹きつける優れた容貌から溢れる自信が女性を魅了して止まない。
この男こそが別荘の保有者であり、この歳にして自身が立ち上げた企業を世界を牛耳る巨大複合企業にまで育て上げた男だった。
「それで、その……会長。本日の業務は早めに終えたことですし、もしもご予定がよろしければ、ディナーに海辺のレストランへと足を伸ばしてみませんか?」
「ああ、ごめんなさい。今日は用事がありまして。明日の夜にしましょう。予定を空けておきなさい、いいですね?」
「はい! 明日の夜ということで。では今日のところはこれで失礼致します」
若い女秘書が部屋を出た。そして男は一つため息を吐いた。
(やれやれ、切り上げるのが少し遅かったな。ユグドラシルのサービス終了までに間に合うか?)
そう、今日はかつて一世を風靡した体感型ゲーム『ユグドラシル』はサービス終了日だった。
ユグドラシルは男が今よりもまだ若く、成功を収めて豊かではなかった頃にのめり込んでいた思い出のゲームである。
現実での仕事が忙しくなるにつれてログインしなくなっていったが、ついこの間偶然にもとうとうサービスを終了すると耳にした。なので今日は仕事を早めに終わらせて時間を取った。
しかし、あまりにも遅すぎた。もはやサービス終了までの時間は20分も残っていなかった。
「このゲームの最後くらいは看取ってあげようと思っていたんだが……」
20分ではまともにプレイはできないだろうが、男は今更ユグドラシルがしたいわけではない。今からでも遅くはない。
そう考えて男はベッドに横たわり、ニューロン・ナノ・インターフェースと専用コンソールをリンクさせる。
そしてユグドラシルを起動した。
「最低でもログインしているギルドメンバーたちに会って連絡先だけでも渡せればいい。尤も、みんなとっくに引退しているだろう。俺のような『出戻り組』がもし仮にいればの話、だが…………うん?」
呟いていた独り言が止んだ。男はニューロン・ナノ・インターフェースが脳内に映し出した文字列をただ茫然と眺める。
「ソフトウェアアップデート?」
急いで時間を確認する。サービス終了まで残り17分。
「連絡先を渡すこともできないかもしれないか……」
またため息を吐いて虚空を見つめる。アップデートはバックグラウンドで進めさせるものの、脳内に映し出される映像は消した。
「これは運命というやつかもしれない。今になって何年も前の友人と、どのような顔をして再会し、何を話すというのか……」
男は失意と疲れからゆっくりと瞼を閉じた。
そして次に瞼を開けた時、そこには満天の夜空が広がっていた。
──────―
「……ここは?」
男には見覚えのない光景だったが、ユグドラシルを最後にプレイしたのは遥か昔のこと。様変わりもするかと納得をする
(ユグドラシルには入れたか。どうやら間に合ったようだが、ここはどこだ? 見覚えがない場所だが、アップデートで追加されたエリアか?)
と、考えてそこで気がついた。コンソールが出せない。
そしてさらに気がついた。横たわっている草原の匂いが分かる。触覚が現実世界と完全に同程度に機能する。ユグドラシルではどちらもありえない。
「何だ? 一体、何が起きている?」
多少混乱しているが、それでも男は一つ一つ現状を確認する。
装備はユグドラシルを最後にログアウトした時のもの。記憶が曖昧だが、おそらくそうだ。
自身はユグドラシルのアバターそのもの。魔法もスキルも使えるようだと何となく理解した。
どういう理屈かは分からないが、虚空からアイテムが取り出せる。アイテムボックスは利用できるらしい。
(ここは何処だ? ユグドラシルではなさそうだ。ユグドラシル2とも思えない。色々と不可解な点が……)
そのように現状把握を続けていた。が、そこで男はある身体の異変に気がついた。
「…………喉が渇いた」
喉が急速に潤いを求め始めていた。この時点でユグドラシル2の可能性も消えた。仮想世界で空腹や渇きを感じることはない。男は頭の片隅でそう思ったが、それが独り言になることはなかった。
何故ならそんなことを気にする余裕はなかったからだ。男にはある猛烈な欲求が体を駆け上り始めていた。男の目に僅かに紅が混じり始める。先程まで理路整然と保たれていた思考回路が急速に崩壊していく。
「…………血が飲みたい」
男は知りえないことだが、この欲求は男の種族であるヴァンパイアの最上位種、
ユグドラシルでは意味のあるスキルではなく、ユグドラシルの世界を色付ける飾り付けでしかなかった。
しかし今、その
「…………血だ。処女の血が飲みたい……」
そのテキストは以下の通り。
『血脈からの渇望:始まりの吸血鬼は、自らの始まりの血脈を繋ぐため、夜が明ける前に人間から血を啜る必要がある。特に純潔の乙女の血を好む」
「早く、血を飲まないと……処女はどこだ……」
月夜に浮かぶ一人の男のシルエット。
宙に浮かび上がった男はその身体を無数の小さな蝙蝠に変幻させて夜空を舞い、飛び去った。自らの種族の本能の指し示すままに。
蝙蝠達が飛んでいく先。そこは日が落ちたにも関わらず、今もなお明かりを保つ巨大な都市だった。
その名は王都リ・エスティーゼ。
煌びやかな黄金と欲望渦巻く闇が同居する王都に、始まりにして最強の