僕は今、困惑している。
周囲もザワザワと混迷している。
僕は今、とある家の庭で青空の下でぼけーっと突っ立っている。
周囲のエイリアン達が、そんな僕を遠巻きにうろたえている。
この混沌とした状況は、僕の目の前にいる悪魔将校が原因だ。
彼が話しかけているのが、先日の変態狐女。鏡の向こうでエルフ娘が辱められているのを見て、興奮していた女だ。
そして彼女の後ろには、いつぞやの失禁狐っ子もいる。
どうやらこの家は狐っ子の自宅のようだ。とても大きくて立派な屋敷だ。そして僕の身柄は、今から悪魔将校の手によって彼女達に引き渡されようとしていた。
脳裏に指令が流れ込んでくる。
――この二人を護衛しろ。
正気か、悪魔将校?
どんな事情を抱えているか知らないけど、そのボディガードが一番危険なんだぞ?
前にも似たようなことがあった。それは別のエイリアンの街へと向かう要人を、護衛兵達と一緒に守るという指令だった。
あのミッションには、僕の他にも専用のラッシャーと呼ばれるブッチャー使役兵がいて、さらには他にもエイリアンの兵士がたくさんいた。
今日はそうじゃない。この家の周囲にも護衛が散っているようだけど、とてもブッチャーが暴走した時に抑えられるような戦力には見えない。
しかも本気で護衛させるつもりらしく、僕はフル武装だ。裸の上にブッチャーエプロンをつけ、ブッチャーバッグを被り、ブッチャーナイフも持っている。
もう、見るからに変質者。
お日様の下で客観的に自分の姿を
悪魔将校と変態狐女が談笑を終えると、彼女の後ろに控えていた、同じような狐耳の男が制御装置を受け取っていた。服装が執事っぽい。
この家、狐一族が住まう屋敷なのかも。
悪魔将校は最後に僕の肩をポンポンと叩いてから、笑いながら屋敷を去って行った。がんばれよ、みたいな?
ぜんっっぜん、意味が分からない。なにこれ?
――家に入れ。
はぁ……。
僕は胸中で嘆息をついて、彼女達に続いて屋敷の中へと入っていった。
その間、狐っ子が心の底から恐ろしそうに僕をチラチラ盗み見ていた。
そうそう。この反応が正しい。
実際、遠巻きに見ていた悪魔将校の護衛達も、大丈夫かよ……みたいな顔になっていたし。この家の狐耳執事も、周囲に配置された護衛も、みんな不安そうだ。
実は僕も不安だ。
どう見てもこの変態狐女、身分が上。下手な
そんな中、変態狐女だけが僕をジロジロと至近距離で眺めたり、ペチペチ肩を叩いたりしている――あ、お尻はやめて。白昼堂々と触られたり見られたりすると、さすがに恥ずかしい。
この変態狐女も相当な実力者なんだ、きっと。ブッチャーが怖くないくらい。僕を前にして悠然とした態度だ。
でもたぶんそれ、過信だよ。ブッチャーって君が考えてるほど甘くない怪物だ。
この街には、あとどれくらいこういった実力者がいるんだろう。いずれこの街のエイリアンは全員殺すけど、その前に障害は全部把握しておきたい。
変態狐女に連れられて家の中を案内される僕。
玄関、ホール、リビング、キッチン、トイレ。ブッチャーにそんな難しいこと説明しても意味ないのに。自発的に護衛させる気なのかな。
……これはひょっとして、試されているのか?
悪魔将校と変態狐女が、僕をテストしているのか?
確かにあの二人には、たまたま、僕がちょっと賢いところを見せている。
悪魔将校の前ではアースピントの変装を見抜いて暴くという
あれで僕は使えるブッチャー判定を受けつつあるのか?
であれば、凄くやる気が出る。
僕の精神はまだ正常な人間のままだから、幼稚な承認要求が心の隅に残っている。これで彼らの期待を上回る活躍を見せれば、待遇が改善されるかも? 毎日お肉を食べられるかも? 自由に散歩させてもらえるかも? ミノタウロス店長からバイト料もらえるかも? プライバシーのある部屋に住まわせてもらえるかも⁇ 夢が広がりまくり‼
まぁ、無理だろうけど。
ブッチャーは生物兵器だ。そもそも仲間と見なされていない。仲間を、あんな扱いにするわけがない。
僕は家畜以上、奴隷未満の
ふと、お気に入り嬢のことが頭に浮かんだ。彼女も僕と同じような境遇なんだろうか。あの子、いったい何者なんだろう?
やばい、嬢のことを考えると興奮してしまう。こんなたくさん人がいる所でブッチャーエプロンにテントが張ったら恥ずかしすぎる。
そんな妄想に耽っていると、僕はいつの間にか三階の部屋に連れ込まれていた。お邪魔します。
ビクゥッと、中にいた狐っ子が驚いて肩を跳ねさせたのはその直後だった。手に持っていた本がバサリと落ち、尻尾が一瞬で膨らんだ。
変態狐女は狐っ子と少し話をしてから、僕をおいて一人でツカツカと部屋の外に出て行ってしまった。
部屋に取り残されたのは僕と、狐っ子。
えっ……? えええぇ……⁉
あの女、狐っ子がどうなっても良いの……? 豪胆過ぎない?
普通、自分の親類とブッチャーを二人っきりにするか? それとも狐っ子は親類じゃないの? 実は狐っ子は僕の
ほら見てよ。あの狐っ子の様子。
可哀想に……今にも泣き出しそう。部屋の隅でウサギみたいに丸くなってぷるぷる震えて。凄く
はっ!
指令は二人を護衛しろ、だった。彼女は護衛対象だ。ここでうっかり襲ってしまうと任務失敗だ。
別にそれでもいいかな、って思えるくらい目の前の餌は美味しそうだ。でもこの任務を達成した後に、僕の扱いがどう変化するのかも純粋に興味がある。
これは試練だ。こんな簡単な試練を突破できずに復讐なんてできないぞ。我慢しろ。プロだろう、僕。
気を紛らわせるために窓に歩み寄り、外を見た。
ここは三階で、他の建物よりも頭一つ高い分、街がよく見渡せた。
硬固な壁に覆われた街。
その街並みは僕が知っているフォート88とは違っていて、もっとオリエンタルな感じに変わっていた。エイリアン達は、ここフォート89の元の造りを流用しつつ、故郷に似せて改造して使っているんだ。
僕の牢獄がある施設も見える。結構大きな建物だ。
空に鳥が飛んでいた。何だろう……
空は青く、高く、白い雲がもこもこと浮いていて、鳥が舞っていた。空は僕が知っているままだった。
空だけ見ていれば、人間もエイリアンも関係なく、ここは青い地球だった。
僕も翼があればなぁ……何もかも放り出して遠くに飛んでいきたい。
外の景色に僕の毒気が抜かれていく中、ふと、視界の端に映った人影。
たまたま屋敷の近くを通りがかった一般エイリアン風だけど、動きというか、雰囲気というか、
この屋敷が狙われているっていう話自体は、本当なんだ。
しかも、狙っているのは人間か。
そうか……あの悪魔将校。先日僕が人間の変装を見抜いたから、この護衛任務に
正解さ。
僕は人間だった頃、フォックスチームというフォートの斥候部隊に所属していて、長年最前線に
だから動きを見ればすぐに分かった。さっきのあれ、人間の兵士の動きだ。しかも暗殺系の。〈タンゴチーム〉かな? まさか、古巣のフォックスの連中じゃないだろうな。
フォートの軍には幾つもの専門チームが組織されていて、フォックスチームは前線の奥に食い込む偵察、斥候、狙撃を主な任務とするチームだ。タンゴは少数部隊で特定ターゲットを抹殺するチーム。
他にも、フォートには主要防衛を担う〈アルファチーム〉、周辺防御の〈ベータチーム〉。重砲、火砲を扱う〈チャーリーチーム〉があって、さらにそこにカウンターでエイリアンに打撃を与える〈デルタチーム〉、工兵部隊の〈エコーチーム〉、横断的に支援火力を提供する〈ノーベンバーチーム〉などが並ぶ。
基本的に専門性で区別されて活動しているんだ。教育なんて悠長なことをしている余裕がないから、OJT(実地訓練)で新兵を専門的なプロフェッショナルに鍛え上げるためだった。
でもそれだと運用に支障が出ることも、もちろんある。だから時に、混合編成で大規模な
ひょっとして、先日の大規模な人間の侵攻って、タンゴの潜入を助けるための目くらましだったとか?
だとすると納得する。僕が外回りした日の人間側の戦闘って、もの凄く無駄が多かった。目的が見えないというか。
肉屋の裏で殺したアースピントも、その作戦の一環で活動していたのかも?
なるほどなるほど? ということはこの狐一族、相当な地位にあるぞ。そこまで犠牲を払ってでも殺せれば、戦局をひっくり返せるほどの戦略的な価値があるってことだ。
どうして人間側はエイリアンの内情を知っているんだろう?
……アビゲイルかな。
彼女は先行潜入組で、ずっとこの街で諜報活動をしていたのかも知れない。
ならば彼女。アビゲイル。エイリアンの文字か言葉を知っているのかも。そうじゃないとエイリアンの内情なんて分からないはずだ。
アビゲイルって、ひょっとして、通訳できたりする?
今日の僕は冴えてる。実現には課題が山積みだけど、彼女を介せばエイリアンとも会話ができるかも。
次に会ったらその辺りを
……段々、思考回路がスケベおやじっぽくなってきた。やだなぁ……。
だって仕方ないよ。朝から晩までそんなことばっかり、やらされているんだもの。僕は悪くない。境遇が悪い。社会が悪い。仕事なんだ……あ、職業病だこれ。労災を要求する。
窓から空を眺めながら、久しぶりにそんなくだらないことを考えていると、部屋の中でコトリと音がした。