遠征中に部隊が壊滅する事態は、実はさほど珍しくない。人間側だってやられてばかりじゃないんだ。きちんと陣立てした人間戦力に正面からぶつかった場合の勝率は、六割くらいだと思う。
そんな悲劇が起こるたびに、僕は一人巧みに生き延びて、こうしていっときの自由を得る。これも遠征の醍醐味だった。
でもそのまま、ばっくれたりはできない。一定期間内にエイリアンの街に帰投しないと脳味噌バーンの処置がある。しかもひっきりなしに僕の頭に帰ってこい的な指令が飛んでくるから、うるさくて仕方がない。イライラ。
今回は馬車移動で片道五日かかった道のりだった。たぶん二十日くらいかけて帰っても大丈夫だと思われる。アビゲイルの首輪にも似たようなタイムリミットが設定されているはずだ。
でも僕なら普通のブッチャーよりも、もっと早く帰れる。この辺りの大雑把な地理は把握してるし、地形や天気の読み方も熟知している。これでも元斥候兵だ。
その
その秘密の場所は、僕が所属していたフォート88と、現エイリアンの街となっている元フォート89の中間付近にある。
つまり
ここは山間部にある森の奥。
入り口は、なんてことのない小さな岩の裂け目。
その入り口に被せてあったカモフラージュを解き、木の板を取り外す。
内部に入ると奥は大きな空洞となっていて、天井の割れ目から光が落ちてくる。そんな
排水性、通気性共に良好。内部は洞窟とは思えないほど乾燥していて、外には小さな広場や水場もあり、近くには野生動物も豊富。潜伏場所としては申し分ない。
「すごい……」
アビゲイルは、その地下空間に整理されて置かれていた僕のコレクションを前に、唖然となった。
そんな中には工兵の持ち物もある。確か工具キットなどがあったはずだ。
――ロク、ニチ、ココ、イレル――
ここまで四日かかった。急いでここからエイリアン達の街に向かっても、余裕を見て十日は欲しい。頑張っても余暇は六日だ。それ以上は無理。
「――分かった。やるわ」
彼女の頼もしい宣言に、僕はひとつ頷いてから外に向かった。
「ジェヴォーダン? どうしたの?」
君のご飯を探しに行くんだよ。っていうひと言を伝えるだけの手間が
そしてスロー。とにかくモールス信号はスロー。今はアビゲイルが口で話せているのが救いだった。
「――うん……分かった。まずは、ここにある物質を調べることから始めるわね」
また頷いて外に出た。
彼女が奇跡的に、先に自分のチョーカーだけ外して逃げてしまうという可能性も脳裏をよぎったけど、それはもうそれで仕方がない。彼女が一枚
さて、僕は生食派だから適当に野生動物を食べればいいけど、アビゲイルはそうもいかない。
少し離れた森の中、
僕は図体がでかいから、こっそり近づいて仕留めるとかは難しい。
実は拠点に狙撃銃もあるんだけど、銃声を響かせて余計な注意を引きたくない。だから、こんな風に――。
投石で鹿の頭を砕いた。よっ、さすがは元狙撃兵。えっへん。
爪をナイフ替わりにして、鹿の首を切り落とし、川の流れに浸して血抜きと冷却をする。このあたりも、元斥候の経験が生きている。
風が吹いた。カサカサと落ち葉が走る音が寂しく耳に残った。
この拠点に来ると、時々思う。
アビゲイルの言う通り。僕はこうして自然と一緒になって、どこかで独り、穏やかに生きていればいいのではないのかと。
ここならノー・ストレスだし、一日中空を眺めていればそれで暇をしない。
春夏はいろんな生物や植物が出てくるし、それを観察するのも実は好きなんだ。
秋は冬に向けて保存食なんかの準備を整えて、万全の態勢で冬を迎える。雪が降ったら完成度の高い冬支度の中で火を焚いてゆっくり。時々雪原を散歩がてら狩りをしたり、氷の下の魚を捕まえたり。帰ったらかじかんだ手を火にかざして春の訪れに想いを馳せる。
そんなことをしていれば、そのうち嫌なことは全部忘れるだろう。ブッチャーって馬鹿だから。そんな一生。
女は、申し訳ないけど時々どこかから
でも、この拠点だとさほど性欲に苦しんだことがないから、もしかすると僕は、女が目につかなければ落ち着いて生きられるのかも知れない。やってみないと分からないけど。
しばらく
鹿の皮を剥ぎ、内臓も処理してしまう。なんて手際が良い。さすがは
六日もあるし、
鹿肉を担いで拠点に戻った僕を見て目を丸くするアビゲイル。
「――それ、ジェヴォーダンが獲ってきたの?」
頷く。
「すごい……血抜きも、内臓処理まで綺麗に……」
――オニクヤサン、ダカラ――
アビゲイルの肩をトントン。
彼女はきょとんしてから、手を口に当てて吹き出した。
「ぷっ――あっはは! そうだったわね!」
――フク、ニアッテル――
アビゲイルは服を着替えていた。エイリアンから奪った荷物の中にあったものだという。
男物だけど、男装の
「――うん。ありがとっ!」
アビゲイルは、はすっぱに微笑んでクルリと身体を回し、嬉しそうに言った。
彼女は早速仕事に取り掛かっていたらしく、小手調べにメダルを調べていた。
「これは、たぶん分かるのよ。このメダルの模様と同じか、あるいはこの模様に
そういう仕組みなんだ。素直に感心した。
「ジェヴォーダン。帰ったら施設中の鍵の模様を覚えておいて。この模様に含まれる形なら開くわ。私の部屋のドアも……たぶん、この鍵で開きそう。はっきりとは覚えていないけど、確かこんな形だった。あなたの牢もこのメダルで開いたなら、この鍵は、ひょっとすると、あの施設のほとんどの鍵に適合するのかも」
まじで? それすごくない?
エルフ娘の権力かな。確かに彼女、権力者の娘って感じがした。
アビゲイルがメダルをつまんで頭上に掲げ、光に照らす。
「これ、凄いわ……彼女には感謝しないと……」
そうだね。ソバージュの子がずっと隠しておいてくれたんだ。
僕がこくりと頷いたのを見て、アビゲイルがおずおずと尋ねてくる。
「――ねぇ、ジェヴォーダン。字を書ける? 人間の文字」
字か……考えたことなかったな。
「書いてみて」
アビゲイルが僕に棒を持たせて、下を指差す。
むむむ……。
カリカリ。
『こ、ん、に、ち、は』
「あはっ」
すごく……すごく脳がむずかゆい……。
脳の錆び付いていた部分が動き出した感じ。ギリギリいってる。でも、こっちの方が遙かに早いな。いいかも。
アビゲイルが表情を
「こんにちはっ! 私はアビゲイル。元アースピントの
『僕は』
危ない危ない。うっかり元フォックスで、フォート88所属の兵士。今はただのブッチャーとか書きそうになった。
自己紹介にかこつけて僕の情報を引き出そうとするとは、なんて油断できない女なんだ……。
『――ジェヴォーダン。他はよく覚えてない』
自分の名前が思い出せないのは、確かなんだけどね。
「あ……ごめんなさい」
アビゲイルはしゅんとしてから、すぐに僕の指を掴んできた。
「ねぇ、ジェヴォーダンの事……もっと聞かせて?」
また、お話ですかぁ……?
僕、君に話してもいい内容と、いけない内容をふるいにかけながら話すから、すごく脳味噌が疲れるんだよね……。
『食事にしよう』
「え? うーん、そうね……」
よし。食欲で
「――じゃあ、お食事しながらお話しましょ」
逃げられない……っ!