馬車に揺られて三日。
厳重な砦を通過すると、やがて僕らの前に
空間に大きな三角形の絵がぽっかりと浮いている。そういう風に見えるあれが異界門らしい。あの三角形の向こう側が、もう異世界なのだという。
枠もついていない。あまりにも唐突な異界門。
僕は見るのが始めてだ。アビゲイルも好奇心を抑えきれないといった感じで周囲をキョロキョロ。もっと
『――あ、見て見て。蝶々! 綺麗だよ、ジボダン!』
フェリスが指差すと、先導する馬車の角に一匹の蝶が止まったのが見えた。
とても大きい、銀色に輝く羽を持つ蝶だ。
馬車がゲートをくぐった。
拍子抜けするほど呆気なく、僕らは異世界ミフォーシスに入った。
蝶はパタパタと異世界の空に飛び立っていった。
僕がそれを指差してアビゲイルに視線を送ると、彼女は僕に向かってしっかりと頷いて見せた。
緩やかな
緑色のさざ波が幾重にも横切り、青草の匂いが風に乗ってやって来る。とても穏やかな大地。
空は青く、遠くの地平線は雪を被った山脈で隠されている。空気は暖かい。陽光を受けた葉の緑が生き生きと色鮮やかに映えていた。魔王とやらが支配する世界とは思えない。
ここは地球よりもずっと綺麗な星だと、僕は感じた。
馬車は止まらずに走り続ける。
これから向かう先は、フェリスが定期的に
今回の遠征は、フェリスの護衛が主任務。
アビゲイルは僕の慰みものとして付き添う。今回はそれほど長期の遠征ではないから、ついてきたのはアビゲイルだけだ。リディアは友達枠で同行。
僕の付き添い女は、いつもランダムなんだけど、今回はリディアがコネを使って強引にアビゲイルを指名したらしい。リディアもお嬢様だ。権力を使うことに抵抗がない。
普段はフェリスの姉であるフェニキアが護衛と付き添いで来るらしいけど、今回は僕とリディアに任せてついてこなかったようだ。ここまで従順っぷりをアピールし続けた甲斐があった。テレパス遣いのリディアがいれば僕を完全に使いこなせると見なされたみたい。
まぁ、他にも相当数の護衛がついている。馬車も数台がかりだ。
フェリス一人のために。
君はいったい、何者なんだい?
『いっつもお姉ちゃんがガミガミ言うから、今回は気が楽なんだ~♪』
とはフェリス。そう言って馬車の上で背伸びをした彼女に、リディアが『いただきまーす!』と言って飛び掛かった。黄色い悲鳴を残してポスンと倒れ込む二人。
僕とアビゲイルは、ふわふわの馬車の中でじゃれつく彼女達の目を盗んで、時々モールスで会話を続けていた。
ちなみに、今日のアビゲイルはスカートルックでおめかしをしている。パレオスカートでリゾート風のやつで、深いスリットが絶品。
施設から連れ出されてきた時の彼女は例の質素な貫頭衣だったわけだけど、それを見たリディアが『せっかくの旅行でそれは、見ているこっちの気が滅入る』と言って、準備したものだ。
なんだかんだ言って、喧嘩相手の服まで準備するリディアはやっぱり良い子だ。
『――でね、最近、私がそのジェヴォーダンの彼女との通訳をしているってわけ。ね、ジェヴォーダン?』
リディアが僕にタッチして、急にそんなことを言ってきた。フェリスにタイターニアの話をしていたようだ。
『そう。僕は嬢の事が好き』
『ジボダンの好きな
フェリスがズムムム……という重苦しい空気をまとい始めた。
『――どんな人なの、その嬢って』
アビゲイルが聞いた。
わざとらしいけど、彼女はまだタイターニアのことを知らない設定になっている。
今、僕は馬車の床のど真ん中に胡座をかいて座り、リディアがそんな僕の膝の上に寝そべっている。さらに彼女の手がフェリスに触っていて、足がアビゲイルを触っている。凄く器用な姿勢で四人の会話が成立していた。
僕の
『――嬢は目が紫で、巻き角。長い銀髪で、立ち姿が花みたいに綺麗。あと、おっぱいが大きい。アビゲイルのおっぱいよりも大きい』
不意打ちを食らい、「んなっ……」と漏らして絶句したアビゲイル。プププッと噴き出したリディアと、俯いて自分の胸を見るフェリス。
一応フェリスの護衛として付き添っているので、旅の間はアビゲイルには手を出していない。
というか危なくて、そんなことしている暇が無い。
異界門に近付くにつれて魔獣の出現頻度が高まっていき、門をくぐってからは朝晩関係なく頻繁に襲われているからだ。
この辺はさすが異世界といったところか。僕も異世界の魔獣と真面目に対峙するのは初めて、ということで少し警戒したけど、いざブッチャーナイフを振るってみれば簡単に真っ二つにしてしまえる程度の相手ばかりではあった。
でもフェリスやアビゲイルにとって脅威は脅威だ。
僕はプロとして真面目に護衛を務め上げた。
意外だったのはリディアだ。彼女は戦闘になると、どこからともなく長弓――すごく格好いい、アーチェリータイプの、ピカピカ光る弓――を持ち出してきて僕の援護をしてくれた。
リディアの手から放たれる眉間への一射。魔獣の足を射貫く
『見事な弓の腕だね、リディア』
『あー、分かっちゃう~~? ふっふーん♪』
『うん。あの距離で、風も吹いているのに、動いているターゲットの足を撃ち抜くのは凄い技術だ。しかも弓矢で。ねぇねぇ、その弓見せてよ』
『いいよー。はい』
そうして弓を差し出してきたリディア。その弓を手に取る。でも彼女は手を離してくれない。がーん。ちょっとショック。
『ちゃんと返すよ』
『あ、ううん。ちがくて。この弓ね、私が手を離すと消えちゃうんだ』
『消えちゃう?』
『そそ』
パッとリディアが手を離すと、僕の手の中にあった弓が光の粒子を残して消えた。
『どゆこと?』
コトリと僕の首が倒れた。
『これはね、〈グラドネガ〉っていう弓なんだけど』
『なんて禍々しい名前』
『私の生まれつきの〈スキル〉として生み出しているからなんだ。ほら、矢も生み出せるんだよ』
そう言うと、リディアの手にシュンと音を立てて
『スキルって?』
『私達人間が魔力を使って行使する力のことだよ。ジェヴォーダンが前に話してくれた〈
僕らが魔法って呼んでいる力かな。エイリアンはスキルって表現するのか。そういえば前にもリディアの口からスキルという言葉を聞いた気がする。
感心しつつも、今の僕の興味はグラドネガ。
近くで見ると、ものすごく立派な作り。
凝縮された密度感。
『すごく格好いい弓だね。僕も引いてみたかったけど、残念』
『わっ! 口説かれちゃった!』
ビックリ顔で口元を押さえてから、けたけたと笑ったリディア。
『口説いた?』
口説いたつもりはないんだけど……口説きたいのは間違いないんだけど……君の弓を引きたいって言ったら、告白したことになる文化が、エイリアンにはあるの? 意味は分かんないけど、どことなくお洒落。月が綺麗ですね。
『――ふふふ。冗談冗談。実はね、こういう生まれつきのスキルは〈エリートスキル〉っていって、婚姻の
『へぇー。じゃあ、僕はリディアと結婚すれば、そのグラドネガを使えるようになるの?』
『ぴんぽーん』
『結婚しよう。子供は百人でいいかな?』
『きゃー! 犯されるー!』
「あっははははっ――」
そんなことを話していると、リディアの笑い声に誘われて、フェリスが馬車の中から出てきた。
『なになに? 何を話してたの、二人とも?』
『リディアに結婚を申し込んでた』
「はっ?」
『なんで⁉』
眉をひそめて、ドスの利いた声を上げたフェリス。
『結婚したら僕でもグラドネガが使えるようになるっていうから』
「リディア‼」
『じょーだんっ! じょーだんだって!』
リディアがフェリスから逃げ回り始めたわけだけど、すぐに捕まっていた。フェリスの方が足が速いみたい。そりゃそうだ。彼女、僕と追いかけっこしても逃げ切れる俊足の持ち主。走るとピューッて効果音が尾を引く。
……そういえば、僕のベロを掴んだときの握力も結構あったな。まさかフェリスって、実は肉弾派だったり?
すると彼女は、何かをはっと思いついた様子でリディアを引っ張ってきて、
『――あーっ、ジボダン怪我してるよ! 私が治してあげるね!』
と、回復魔法をかけてくれた。
相変わらず高性能な回復魔法だ。いや、回復スキルって言った方がいいのかな? なんてややこしい……。
『――はい。どう? 私の〈ソーマ〉も、エリートスキルなんだよ♪』
『フェリスのソーマは、普通の〈ライフギフト〉よりずっと高性能なスキルなんだよねー!』
フェリスの言葉に、リディアが補足を加えた。
ほほー。確かに。フェリスの回復は僕が見たことある中でも一番治りが早くて傷跡も残らず、綺麗になる。
『フェリスもすごい子なんだね。ありがとう』
にへらっ、と笑ったフェリス。
そんな旅がさらに二日続き、いよいよ目的地が見えてきた。
正面に鎮座する、ひときわ険しくて大きな山。その
街の門をくぐると、なかなか整った街並みだった。雰囲気が温泉街っぽい。
――いや。
立ち昇る湯気や、硫黄の匂い。ここは温泉地だ。よく見れば普通に湯畑とかあるし。出店もいっぱい出ている。リゾート地だぞこれ。
ただの温泉旅行なのでは……?
僕がそんな疑惑を胸に街を観察していると、歯の裏をコツコツする感触があった。かれこれ一週間近く僕の口の中で耐えていた五号君だ。
『ついたああああ~~~ッ!』
『長かったーーーーーッ‼』
フェリスとリディアがぴょーんと馬車の外に飛び出していった。
そこですかさず彼女達を追う素振りで外に出て、こっそり舌を伸ばし、ムカデを地面に
黒いボディに赤い多脚。普通のムカデにはない一本角が特徴的なムカデだった。
それを見ていたアビゲイルが、目で頷いた。
これで仕込みは全て完了だ。
僕は紙袋の上から、側頭部に刺さった制御装置を撫でた。
果報は寝て待て。
アビゲイルと存分に寝ながら待つこととしよう。