※この作品はR-18です。

屠殺鬼   作:赤だし滑子

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フェイムバウム

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

「救出隊を編制して! 今、すぐにッ‼」

 

 ドンッとテーブルを殴りつけたのはフェニキア。彼女は机を挟んで椅子に座ったオルランドに詰め寄っている。

 

「マコモを追跡に出したと言っただろうに! トゥルヤルを失った儂にそれ以上の手駒はないんじゃ。あのブッチャーと〈巨いなる花嫁(タイターニア)〉に下手な部隊を送り込んでも、戦力の無駄使いになる……気持ちは分かるが、(こら)えてくれ、フェニキア」

 

 オルランドはオーク顔をしわくちゃにして、渋い顔で答えた。

 

 そこに、壁に背をかけて立っていたダンタリオンが声を上げて前に出る。

 

「――フェニキア。あのブッチャーはフェリスを手荒く扱ったりはしないだろう。フェリスの騎士だと宣言していたそうだからな」

 

 彼はオルランドの机の上にあった一通の用紙を眺め、続ける。

 

「リディアの証言によると、制御装置を外した後も彼女達には手を掛けず、街まで懸命に護衛を続けたそうだ。実際、仕事に取り組む姿勢と執着心は目を見張るものがあったと方々(ほうぼう)から聞いている。そこは安心できる」

 

 リディアはあの日、帰宅後すぐに旅行先で起こった(こと)の顛末を親に報告した。すぐにそれはオルランドの耳に届き、急いでブッチャーの再手術を指示したのだったが、そんな彼の如才なき手際をあざ笑うかのように、ブッチャーの行動は迅速だった。全ては綿密に計画されていたかのごとくスムースで抜かりなかった。

 

 口を挟んだダンタリオンに、フェニキアが険しい視線を投げる。

 

「――あなたが面白いブッチャーがいるなんて、フェリスの護衛に勧めてくるから、こんなことになったのよ! 分かっているの⁉」

 

「分かっている、分かっている」と、両手でなだめるジェスチャーを送ったダンタリオン。唇を噛んだフェニキア。そこにオルランドが声を掛ける。

 

「ブッチャーの問題ではない。タイターニアじゃ。あやつがブッチャーを支配したに違いない。ブッチャーの件でダンタリオンを責めるのはお門違いというもの」

 

「そもそもよ、オルランド。どうしてインプ達の中にタイターニアが混じっていたのよ? あり得ないでしょう⁉ あなたの管理どうなってるのよ‼」

 

「むぅ……それがじゃな――」

 

 フェニキアの怒りの矛先が自分に向いて、たじろぐオルランド。

 

「分からん。気高い支配の一族(ドミニオンズ)が、よもやブッチャー用のインプの群れに混じっているとは……」

 

 喉を鳴らして続ける。

 

「この街を亜人から奪い取って、移民の準備をしとった時に連れてこられたインプ達なのじゃが……元は本国の大迷宮(タルタロス)にいたインプどもなのは確かなんじゃ。そこに混じっていたのだろうとしか言えん。あるいは、何らかの意図を持って紛れ込んできたか――」

 

 まさか……とオルランドは(かぶり)を振った。

 

 ほとんどの人間(エイリアンの意)はブッチャーの起源を知らない。

 

 しかしオルランドはかつて魔王と肩を並べ、共に勇者勢と戦い、またアガルタの勢力とも戦った、今でも魔王の信を受ける猛将の一人。ブッチャーの起源を知る数少ない人物でもあった。タイターニアとブッチャーに少なからず関係があることも知っている。タイターニアがブッチャーに近付いた動機も想像がつく。

 

 しかし今さらタイターニアがブッチャーを支配したところで……。

 

 ブッチャーは“廃棄物”なのだ。

 

 処理に困った本国〈エリジウム〉が、処分目的を兼ねて使い捨ての兵器として活用を試みたのが始まりだった。今から二十年程前のことだ。

 

 当初はそのまま使い切ってしまう予定だった。ところが、いざ亜人戦争に投入してみると、強力な兵器として極めて有益であることが実証されてしまう。いつでも気兼ねなく使い潰せ、文句も言わず、危険も(いと)わない。食事と女さえ与えておけば言うことを聞く都合の良い野獣。

 

 オルランドは反対だった。しかし結果は、制御方法も繁殖方法も確立され、時々不幸な事故を起こしながらも、今も前線で活用され続けている。

 

 とはいえ、所詮(しょせん)ブッチャーは狂った肉にすぎない。

 

 野生の化身。野蛮な(おす)の凝縮体。まったくもってケダモノだ。

 

 そう、ブッチャーはケダモノ。知性も理性も無く、ただ地上を彷徨(さまよ)い、目につく生物は雌雄(しゆう)関係なく犯し、殺し、食らうだけの不吉な(かす)。しかも一流の戦士でなければ返り討ちに遭うだけの戦闘力だけは残した、地上に放逐(ほうちく)するにはあまりに危険な廃棄物だった。

 

 ブッチャーは、もはや意思も力も失った化け物。いまさらタイターニアが支配したところで何もできはしない。支配とは他者を操る力ではないのだから。支配の対象にまともな魂が残されていなければ、なにも起こらない。そのはずだ。

 

 そのはず。なのだが――。

 

 街を焼き払ったあの力は――。

 

 オルランドは、かつて目にしたことがある。

 

 敵対者を無慈悲に薙ぎ払う超自然的な暴威(ぼうい)

 

 それは勇者勢を蹴散らし、その後、魔王軍すらも追い詰めた。

 

 あのブッチャーは、その力を存分に使いこなしていた。

 

 ――なぜあのブッチャーは意識を残していたのか?

 

 ブッチャーはそれ自体、何者の指示も聞かず暴れ回るだけのモンスターだ。

 

 しかし、ブッチャーに〈輸魂(ゆこん)〉することで、素直に言うことを聞かせられる傀儡(かいらい)に仕立て上げることができる。

 

 だがブッチャーに輸魂(ゆこん)した男の魂は例外なく、どす黒い(おす)の狂気に飲まれて壊れ、あの醜悪な肉に溶け込んでしまう。自我意識など残るはずもない。それでいいのだ。こちらが指示したことだけをすれば。そうでなければ危険すぎる。

 

 しかしリディアによると、あのブッチャーには自我があったとのこと。

 

 フェリスが付けたジボダンという、なんとも間の抜けた名前を使っていたそうだが、自由意志を持っていたと。

 

 ――ありえるのか?

 

 ブッチャーに輸魂した男の魂が、性欲と殺意と食欲の激浪(げきろう)の中で、その形を(たも)てるなどということが。

 

 いまだかつて、輸魂後に正気を維持できた男の報告はない。女を抱いて肉を食っている内に、いずれ自我意識はその獣の衝動の底へと沈んでいく。

 

 それゆえにブッチャーの覚醒後すぐにインプの群れをあてがって性欲を刺激するなどという措置も取っていた。場合によっては死刑囚や捕虜の亜人を食事に与えたりもする。早々にブッチャーの自我意識を飛ばして使いやすくするためだ。

 

 ブッチャー輸魂用に、この街を征服した時に回収した、めぼしい亜人の勇士達の中に、特別な資質の持ち主がいたということか。

 

 それをタイターニアが、どうにかして見出した。

 

 タイターニアが肉の中の魂をずっと(まも)り導いたから、あのブッチャーは力を引き出し、それを使いこなせた。

 

 ――そんなことが、できるのだろうか。

 

 〈アガルタ〉に住まう支配の一族(ドミニオンズ)の力の詳細は未だによく分かっていない。実は支配という力の詳細もオルランドは完全には把握していなかった。あまりにも人間との交流がなく、資料もないからだ。彼らは大自然の守り手。自然と共に生きるドルイドの(さい)たる種族なのだ。

 

 一般人が彼らについて知っていることは、容姿端麗で、一切の光沢を持たない黒髪。支配という謎の力を行使でき、戦慄の巨虫どもを従え、どこか遠くの地でアガルタという秘境を治めている。ということだけ。

 

 まさか髪の色を変えてまで、フェイムバウムのブッチャー性欲処理女の一群に混じっているとは、誰も夢にも思うまい。

 

 オルランドが支配についてはっきりと知っていること、それはすなわち、完全に支配された者の魂は二度と元に戻らない形で書き換わるということだ。それは確からしい。書き換えられた者はその事実に気付くこともない。

 

 昨日までは犬が好きだったが、今日は猫の方が好きになっていた。そんな心変わりとしか思えない、あまりにも自然な形で思考が侵食されている。

 

 やがていつしか支配者を神と崇めて自ら(しもべ)となり、それを至上の幸福と感じる。そこに疑問すら感じない。なぜなら、心変わりしただけなのだから。

 

 誰にだって心変わりはある。昨晩あれほど愛し合った女ですら、今朝には煩わしく思うことがあるように。

 

 理屈ではない。

 

 他者が干渉不能な魂の領域に起こる変化。すなわち、主観に帰着する全思考の根拠を握られてしまう。

 

 今日の心変わりは己の変化なのか、はたまた支配による影響を受けた結果なのか。それを判別することは誰にもできない。

 

 それは好き嫌いという単純な話に留まらない。喜怒哀楽から怨みに至るまでの感情、物の見え方、感じ方、考え方にまで至る変化――そして、魂が背負う宿命すらも。

 

 自分という存在が知らず知らずの内に書き換えられる。

 

 魂の色をまるっきり塗り替えてしまう恐るべき力。

 

 故に外道と呼ばれ、禁忌とされた。

 

 その力をもってして、あの醜悪な肉の中に囚われた魂を、ブッチャーの狂気から保護できるのだろうか。はたまた亜人の資質によるものだったのか。あるいは両方が必要だったのか。

 

 ――仮にそうしてブッチャーの中の魂が保全されていたとして、今度はどうやって(いみな)(生誕時に受ける名前)を知ったのか?

 

 支配の完成には婚姻の(ちぎ)りと同様に(いみな)が必要だ。諱がなければその支配は不完全なものに終わる。それゆえに、アガルタとの戦争の時は、戦士全員が渾名(あだな)をつけ合って、普段はそれを使うという対抗措置まで取ったのだ。

 

 フェリスが付けたジボダンという名は諱ではない。魂に紐付いた真の名でなければ。

 

 輸魂した瞬間から、両手ですくった水のように次々とこぼれ落ちていく魂の記憶。その中から、いったいどうやって最初期の記憶である諱を拾い上げたのか。

 

 ひとつひとつは小さな奇跡でしかない。しかし、信じがたい低確率であらゆる偶然が重なったならば――。

 

 そんなことは、あり得ない。

 

 しかし現実は残酷だ。タイターニアはフェイムバウムに潜んでいて、長年誰も気がつかず、最終的に力を取り戻し、どこからともなく〈巨いなる一族(タイタンズ)〉を集結させ、それは街を襲えるほどの勢力に膨れ上がり、実際にフェイムバウムは大ダメージを負った。そしてタイターニアは、あの特異で危険なブッチャーを連れて何処(いずこ)かへと去った――。

 

 考えるだけ無駄かも知れないと、オルランドは深く溜息をついた。

 

 タイターニアは、まだまだオルランドの知らない力を持っているはず。

 

 なにせ、あの妖精王の娘達なのだから――。

 

 どんな経緯にせよ、その暗躍(あんやく)を許した自分の不手際を咎められるのは間違いない。

 

 暗澹(あんたん)たる思いの中、無数に浮かび上がる疑問に必死に頭を巡らせる。

 

 まずは、あのブッチャーの輸魂記録を(さかのぼ)って、詳しく調べてみる必要がありそうだ――。

 

 そんな思索に沈んでいたオルランドを、ダンタリオンの声が引き上げた。

 

「入所検査でインプ達の魔力は調べたはずだ。そこで引っかかっていなかったのだから、なんにせよ、相当に弱っていたはずだ」

 

「弱っているのに、あれほどのタイタンズを生み出せるわけないじゃない。ちょっとした軍団レベルだったわよ」

 

「ミフォーシスから呼び寄せたのだろう。どうやったのかは不明だが……先日の異界門の襲撃は奴らの仕業で確定だ」

 

 ダンタリオンが小さく嘆息をついた。

 

 フェイムバウムを急襲したタイタンズは、街の五分の一を蹂躙して撤収した。あの場にダンタリオンやフェニキアを初めとする戦力が集結していなければ、街の半分近くを食い荒らされていた可能性すらあった。

 

 フェイムバウム側も相当数の巨虫を仕留めたものの、多くの住民の死体が見つかっていないことから、タイタンズの数がすぐに元に戻るのは間違いないと思われた。予断は許さない状況だ。

 

「あの奇襲のおかげで、とんでもない被害じゃ。しばらくはフェイムバウム単独で大規模な軍は編成できん」

 

 オルランドは頭を痛めていた。

 

 今回の襲撃では特に、先んじてブッチャーに殺された兵士の数が多く、フェイムバウムの戦力は大きく落ち込んでいた。

 

 亜人戦争の最前線に位置するこのフェイムバウムをこれ以上無駄に消耗させるわけにはいかない。今すぐに反攻してタイターニアとブッチャーを撃破、フェリスを奪還というフェニキアの上申は通りそうもない。

 

 フェニキアが何かを思い出したように、狐の耳をピクンと跳ねさせた。

 

「――デュポンは? デュポンならマコモと一緒に潜入してフェリスを助け出せるんじゃない?」

 

「それは……デュポンはかつて名を馳せた偉大な戦士じゃったが、今は引退した肉屋じゃぞ」

 

 オルランドがあきれ顔で言った。

 

「あのブッチャーを飼い慣らしていたそうじゃない」

 

 フェニキアの指摘に、ダンタリオンが割り込んでくる。

 

「昨日、俺がそれとなく聞いてみたが、ブッチャー討伐にはあまり乗り気ではなかったな。情が湧いてるようだ」

 

「ブッチャーに情って……」と、ダンタリオンの話に絶句したフェニキア。

 

 彼女は思い詰めたように続ける。

 

「なら、私が――」

 

「勘弁しとくれ。お前さんを失ったらフェイムバウムは立ちゆかんぞ」

 

 彼女の言葉をオルランドが慌てて遮った。

 

「やるなら、デュポンを説得し、アーシェラを筆頭とした個人戦力を付ける。マコモが戻り次第、敵情に鑑みて少数精鋭で救出部隊を編成する。ティリエルもやるかもしれんな。兄があのような、むごたらしい殺され方をしたんじゃ。さぞブッチャーを殺したがっておるじゃろう」

 

「ティリエルがそんなこと言うわけないじゃない。あの子、トゥルヤルのことすっごい嫌っていたのよ? いまごろ清々(せいせい)しているかも」

 

「そ、そうなのか?」と、オルランドが困惑気味に漏らし、部屋が静かになった。

 

 窓の外からは復興の喧騒が聞こえて来る。

 

「フェニキア、ひとつ確認しておきたいのだが――」

 

 沈黙を破ったのはダンタリオンだ。

 

「フェリスはなぜ〈リザレクション〉を使えた? お前の話だと、フェリスがリザレクションを使えるようになるのは、まだ数年先だったはずだ」

 

 リザレクションは極めて貴重な魔法だ。これが使えるのは大魔導の血脈である妖狐の一族でも、ごく限られた才を持って生まれた者だけ。

 

 その才能があったフェリスの世話役を、実の姉であるフェニキアが務めていた。

 

「ほんっっとに、なんでかしらねぇ……」

 

 はぁぁと、深い息をついて続ける。

 

「――リザレクションという奇跡の発現には恋が必要なのよ。十分魔力のキャパシティを伸ばしてから、本気の恋をすれば、花が咲くように自然と才能が開花するわ。だから定期的にお見合いパーティーなんてことまでしていたのに。全然興味なさそうだったのよ、あの子。そんな素振りずっとなかった。いったい、いつの間に……」

 

 軽く眩暈(めまい)を覚えたフェニキアが頭を押さえた。

 

「リディアか?」とダンタリオンが聞くと、「馬鹿言わないでよ」とフェニキア。

 

「魔王様に、報告せねばな」

 

 オルランドの苦々しいひと言に、二人の顔が強張った。

 

「ここがタイターニアの隠れ(みの)になっていたと知れたら、大目玉じゃ」

 

 誰のものとも知れない唸り声が上がった。

 

「しかも、偶然にせよ、ようやっと仕留めたはずのタイターニアを、よもや復活させてしまったなどと、どうやって申し開けばいいんじゃ……」

 

 机の上でがっくりと項垂(うなだ)れたオルランドに掛かる声はなかった。

 

 彼らは、タイターニアがブッチャーとフェリスを奪って逃げたと勘違いしている。

 

 まさかあの獣が自分達を滅ぼすつもりだとは、夢にも思っていなかったのだ。

 

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