夜空に星。流れる天の川と、そこを横切る流星群。
それなのに、どうして織姫と彦星は、そこから動かないんだろう?
物語に聞く七夕の話では、彼らは仕事をサボるくらいに愛し合っていたらしいのに。
それが、僕の小さな頃からの疑問だった。
それを聞いた時の父さんは、少々困った顔で苦笑いをしていて。
それを聞いた時の母さんは「ははっ♪」と、愉快に顔色を変えた後、僕にこう言ったんだ。
「泳げないんでしょうね、きっと」
それはおかしい。本当に好きな人だったら、どんな川だって泳ぎきって、自分から迎えに行ってあげるべきだ。
子供ながらに憤慨する僕の頭を撫で「遥は父さんと一緒で、良い男になるね」と、優しく微笑んでくれたのをよく覚えている。
色々事情はあるんだろう。そもそも、ただの昔話にムキになる意味もない。
少しだけ大人になった僕には、そういった都合というのがあるのも分かる。
夏の夜空を見上げる度に思い出すのは、まだ本当に小さかった頃の朧気な記憶だ。
母さんの言う「良い男」に僕はなれているんだろうか?
そうあろうとして重ねた無茶の数々は、結局、母さんたちを心配させただけにも思う。
郊外の寂れたキャンプ場。遥は一人、夜空を見上げて自問する。
正確には一人と一頭。その傍らには、ハスキー犬の北斗が、夜風に目を細めながら半分眠りこけていた。
「ねぇ、北斗はどう思う?」
「?」
パタリ。遥かの声に反応して、北斗のミミが跳ねた。
顔を上げて、体を起こし、同じ目線にあった遥の頬をペロリと舐める。
「あははっ、くすぐったいよ。わかった、わかった。うん、いつも僕と一緒にいてくれてありがとう、北斗」
それが、北斗からの答えだったのかわからない。
勝手に僕がそう思っただけと言われればそれまでだけど、そこは飼い主の感ってやつだ。もう一緒にいて何年になるか、妹みたいに可愛がってきた彼女からの愛情表現を見落とせるほど軽い間柄ではないつもり。
それこそ、天の川の向こうで北斗が待っているのなら、泳いでだって行ってやる。彦星みたいになりやしない。僕にとっての七夕の教訓は、いつの間にか反面教師的な立ち位置になっていた。
「わふっ♪ わふっ♪」
戯れてくる北斗を抱き返しながら、一緒になって戯れていると、視界の端に星が走った。一つ、二つ。それは数を増していき、果たして何回のお願い事を口にする時間があっただろう。
「みてみて北斗っ、流れ星っ。なにかお願い事…あ、行っちゃった」
たった3回。されど3回。
夜空を走り抜ける星に願うには、なかなかにシビアな要求だ。
あらかじめ構えておかないと、気づいた頃には行ってしまっているし、構えていたとしても舌が回り切るかも分からない。
願掛けには丁度いい塩梅なんだとは思う。
ただ一つ、僕に恵まれていた点があるならば、ぱっと口に出すほどの願いがなかった事だろう。そりゃ、考える時間をくれるなら、お小遣いの話だとか、勉強の話だとか、友達とケンカしてしまった時の話だとか、願いたいことはいくらもあるけれど、そんなの全部後付だ。
だったら僕のは後回しで良い。その代わりに叶えて欲しいんだ。
「ぅぉおおおぉぉおぉぉ…っ!!」
耳朶を打つほどに、北斗の遠吠えがよく響く。
だだっ広いキャンプ場にそれを咎める人はなく、のびのびと良く通る北斗の遠吠えは、僕にとっても気持ちがいい。
1回、2回、3回…。
続いた遠吠えは、まるで流れ星に願いを込めるみたいだった。
「ははっ♪ 北斗は何をお願いしたの?」
「わふっ」
「ちょっ、もうっ…なんだよ、甘えん坊だなぁ」
小さく鳴いて、飛びかかられて、そのまま押し倒された僕は満点の星空を見上げていた。
「見て、北斗。あれ、北斗七星ってさ、北斗と同じ名前の星…」
僕の指先に誘われて、夜空を見上げた北斗の顔が不思議そうに傾いていく。
「?」
何があるの? 何かあったの?
そうも言いたげに、僕の方へと視線を戻した北斗は、右へ左へと、顔を傾けるのだった。
「あははっ。北斗には難しいかな」
正直、僕にだって分からない時はある。
見上げる夜空を綺麗だと思っても。無数の星の列を、天の川と称えたくなる気持ちに気づいてもだ。あれが白鳥で、大熊でって、サソリくらいなら許せるか?
でもアイツの本命は一際輝くあの星だろうし。昔の人の想像力についていけない部分は大きい。
「ふわぁぁぁ…。ぁぁ、そろそろ寝よっか」
立派な遠吠えの後のあくびは、随分と可愛らしかった。
なんとなく、そこに気恥ずかしさを覚えた僕は、ランプの明かりを消して羞恥の浮かんだ顔色を隠すと、すごすごとテントの中へと入っていく。
寝袋を下敷きにして、横になった僕の隣へくっつくみたいに、北斗も体を横たえた。
せっかく買ってもらった寝袋も、結局使うことはなかったな。
僕一人と犬一頭。寝袋に入ろうとすると、北斗まで中に入りたがるし、それをすっぽり収められるほど寝袋は快適に出来てはいない。
結果。そうそうにガバガバになった寝袋は、中でイチャつくんじゃねぇとばかりに、本来の仕事を放棄したのだった。
夏とは言え、山間の夜は都会に比べて肌寒い。
ただそれも、一人で寝ればという話だ。
一緒に寝息を立て始めた僕らには、夏の夜空が最高の掛け布団だった。