私は、誰よりも気高く在り続けることを第一の目標としてこれまでの人生を歩んできた。
才色兼備、威風凛々、清廉潔白。
周囲の人間は私のことをそんな言葉を使って評価してくれるし、実際私はそれに見合うほどのたゆまぬ努力を、幼い頃から日々重ねてきたつもりだ。
全ては、常に敬愛して止まない兄さんに恥じない
それは、
それなのに…………
全てはあの日。
彼に話しかけられたことから、私の人生の歯車は大きく狂うことになった。
そう、二度と噛み合うことがないほど致命的なまでに。
私が彼に味わわされた数々の敗北感、屈辱、恥辱、そして――――脳が焼き切れるほどの強烈な快楽。
全ての事が済んだ今でも私は、毎晩それらを思い出しては、背筋をゾクりと震わせてしまう。
私が彼にされた行為の数々をもし知ったら、兄さんは一体どんなことを思うのかしら……
これは、
* * * * * * *
堀北鈴音率いる、2年Bクラスの一員として迎えた文化祭の丁度翌日。メイド喫茶の裏方として働いていた俺は、前日の疲労が抜けきらないながらも、ケヤキモールのカフェでとある人物を待っていた。
クラスポイントのかかった激動の文化祭の翌日ということもあり、流石にカフェは普段より閑散としている。満席であることの方が多いのに、今日は片手で数える程の人数しか利用していないのが伺える。
その中でも一際目立つ、コーヒーを片手に本を読む青髪の文学少女――確か龍園クラスの生徒だったか――は今日一日どんな日を過ごすのだろうか、なんて取り留めないことを考えてみたりもする。
やがて約束の時間になり、目的の人物が、涼しい顔をしてこちらに近づいてくる。
「私に込み入って話したいことがあるとのことだけれど、一体何かしら?」
トレードマークだった長髪からのイメチェンにも慣れつつある、凛とした目付きが特徴的なショートヘアの美少女、堀北鈴音だ。
「綾小路くん達との先約があるから、なるべく手短に済ませてくれると助かるわ」
その口調はやや強いが、苛立っているわけでは無いだろう。単純に、普段クラスで全く目立たない俺、
「あぁ、悪い堀北。今日は堀北に見せたいものがあって、わざわざ時間を取ってもらったんだ」
「私に見せたいもの? もちろん個人的なことでは無いでしょうし――一体何かしら?」
堀北は怪訝そうな表情を浮かべる。
「口で説明するより、実際に見てもらう方が早いと思うから、まずはこれを」
俺は自らのスマホを取りだし、堀北に画面を向けてとある動画を再生する。
「っ――!」
堀北の表情は一瞬にして強ばり、警戒の目を俺に向けてくる。
俺はあえて意地の悪い笑みを浮かべて、堀北に問う。
「なあこれ、クラスのリーダーとしてどう思うよ?」
「・・・・一度、場所を変えさせてもらえるかしら。わざわざ私個人に話をもちかけてきたということは、あなたとしても他の人間にこのことを知られると不都合だからなんでしょう? 田中くん」
ここですぐに取り乱さず、あくまで冷静に事を進めようとする堀北は、流石に龍園や一之瀬を下した器というだけあるか。
俺は首肯しつつ無言で立ち上がり、場所を変えるという堀北の後ろに着いていく。
「ここなら、従業員以外は誰も通ることは無いでしょうね」
そうして連れてこられた場所は、ケヤキモール最上階の一番東側に位置するトイレ前のベンチだ。
「こんな穴場スポットがあったなんてな・・それはそれとして、話の続きを始めようか」
「ええ」
堀北は一度目を閉じ、深呼吸し、そして俺の目の奥を見つめてから言う。
「――まず最初に聞いておくわ。その映像は、捏造では無いわよね?」
「見ての通りが真実だ。俺は何の捏造もしていない。そもそも同じクラスの人間をわざわざ陥れるだなんて真似、する必要なんてどこにも無いだろ?」
「――プライベートポイントを脅し取るため、とかの目的なら十分する可能性はあると思うわ」
「かもな。でもよく考えて見てくれよ堀北。クラスの中でも全く目立たない日陰者の俺が、わざわざリスクを背負ってまでこんなことするはずが無いだろ?」
事実俺は何の捏造もしていないし、たまたま『現場』に居合わせてしまい、咄嗟に撮影したに過ぎないのだ。
「それは確かにそうだけど・・それでも、クラスメイトが――外村くんがこんなことをしていただなんて信じられない」
外村。フルネームは外村秀雄。一時は『博士』なんて呼ばれて池や山内あたりにもてはやされていた太っちょのクラスメイトだ。
動画の内容を簡潔に説明すれば、そんな外村が無人の教室の中で自慰行為を行い、クラスの女子(軽井沢や佐藤)の机に、精液をぶちまけているというものだ。
「堀北は信じられないかもしれないが、実際にこれを見た軽井沢達はどう感じると思う?」
「当然、最低な気分に・・なるでしょうね」
「その通り。確か去年の無人島試験の時、似たような事があったよな。ほら、軽井沢のパンツが盗まれた云々の。あの時の軽井沢の怒り方は異常だった。また似たような事があると知ったら、一体どうなっちまうんだろうな」
「今は彼氏の綾小路くんがいるから、あの頃の彼女とは心の強さが全く違うわ・・・・」
「そうか? こればかりは軽井沢の問題だからな。綾小路どうこうは関係ないように思うが。それに、外村はどうなる? こんなことが暴露されたら、羞恥のあまりもう二度と教室に入ってくることはできなくなるだろうな。それこそ自主退学なんてことになる可能性が高い」
俺は一旦一息吐く。そして続ける。
「この動画が外に漏れたら起こることは2つ。1つ目。さっきも言ったが、軽井沢や佐藤の精神状態の悪化。それに伴う外村へのヘイトの集中。したがってクラスの雰囲気は最低なことになる。クラスの空気感は直接、後の特別試験への士気にも関わる。そして2つ目。外村の行為は器物損壊にあたる。学内で犯罪行為が行われたのだから、外村への重大な処罰が行われるのは当然のこと。最悪の場合学校からの強制退学の通告もありえる。クラスから退学者を望まない堀北からしたら、絶対に避けたいことだ」
更にそれらは、今まさに手が届きそうなAクラスの座から、大きく遠のいてしまうことを意味する。
「それは・・・・とにかくまずここに外村くんを呼んで――」
「ダメだ。今俺は堀北と話してる。水を差すような真似はするな。それにここに外村を呼んだからってどうなる? 外村が喚き散らかした挙句に場が乱れるだけだろうが」
正論、ゆえに論理派の堀北は黙るしか無い。数秒の沈黙。ケヤキモールの従業員が作業する音がやけに大きく聞こえ始める。
そして堀北がアクションを起こす。
「悪く思わないで――!!!」
堀北は強引に奪い取ろうと俺のスマホに手を伸ばす。だがそれを事前に読んでいた俺は、堀北の腕をつかみ取り行動を制止する。
「――っ! すごい反射神経ね・・」
「人気の無いとこにわざわざ移動したんだからな。何かしら仕掛けてくるとは思ってたぞ」
俺の言葉を聞いて、堀北は大きくため息を吐く。
「どうやら手詰まりってことらしいわね」
そして、
「――それで、そのネタを使ってあなたが望むことは一体何なの?」
利口な堀北は、俺が何かを望んでいることを容易く見抜く。
「プライベートポイント? それともクラス内投票や満場一致試験のような特別試験が今後起こったとして、あなたが退学にならないよう仕向けることを私に強制させる? それとも――」
まくし立てるように言う堀北を俺は手で制止する。
「違う。そんなくだらないことはどうでもいい」
「プライベートポイントや退学が・・くだらないですって? じゃあ一体何のためにこんなことを・・・・」
「俺の要求はたった一つ。堀北、お前にはこれからの1ヶ月間、完全に俺の言いなりになってもらう」
「……っ」
堀北が汚らわしいものを見る目で俺を見る。しかし俺は引くことなく、堀北の目を見つめ返す。
「言いなりって――あなたの命令1つで私が――いえ、私達のクラスがこれまで積み重ねてきた全てが、一瞬にして水泡に帰す可能性があるということでしょう? 例えば『次の特別試験であえて敗北しろ』なんて命令を出されちゃ、完全に本末転倒じゃない」
「いや、それは違う。俺は堀北クラスがAクラスに上がる邪魔をしたい訳じゃないし、そんな意味合いを込めて『言いなり』なんて言葉を使った訳でも無い。俺が堀北に要求することはもっと分かりやすいことだ」
俺は堀北への距離を、鼻先が触れ合う程度にまで詰める。堀北の柑橘系の爽やかな匂いが鼻腔をくすぐる。
人形のように可愛らしい顔立ち。華奢ながらも、確かに女性的な魅力を含んだ男を魅惑する肉体の美しさ。
「簡潔に言うぞ。選べ、堀北。俺に肉体を許しクラスの秩序を守るか。それとも外村の動画をバラされ、今絶好調の堀北クラスにヒビを入れるかをな。」
静寂。堀北が生唾を飲む音さえ聞こえるほどの静けさ。
そして――
「私一人の犠牲でクラス全体の為になるのなら――飲むしか・・・・無いのでしょうね」
堀北は自嘲的に笑う。
これで契約は完了。
「それじゃあ早速、堀北の部屋にお邪魔させて貰おうかな」
僅かに頷いた後に立ち上がる堀北の後に続き、俺は歩みを進める。
高潔という言葉がよく似合う高嶺の花を、どうやって汚してやろうか。
それを考えるだけで、興奮が止まらなくなる。