玄関のチャイムは、愛梨が来たことを知らせる合図だ。今までは僕が彼女を迎えに行っていたものの、現在は愛梨が来るようになった。夫のために頑張るのが、妻の役割だとかなんとか。
というわけで、僕は玄関のドアを開けて母親に告げる。
「行ってくるよ。母さん、って……だから、キスをせがむのマジでやめろっ!」
「えぇーいいじゃんいいじゃん。減るもんじゃないしぃー。ケチンボぉー」
駄々を捏ねる母親はアヒル口にさせながら、
「あーもしかしたら今日は、お母さんのお友達が来るかもしれないから」
「あー分かったよ。それじゃあ、行ってくる」
手を振って玄関へと出ると、僕が出てくるのを待つ女の子の姿が。
言わずがもがな、愛梨だ。
「西田くん、家族とのスキンシップも大事だと思うけど、それ以上にお嫁さんとのスキンシップも大切だからね」
そういって愛梨は僕の腕を取り、たわわな乳房に挟んできた。
僕の腕はここにあるのが当たり前だと言うように。小さな子供がぬいぐるみを肌身離さず持っている姿に近いかもしれない。
一線を超えた日を境に、沢城愛梨の愛情は爆発した。性行為以外の愛情表現を知らないとでも言うように日々繰り返される性活。本人曰く「赤ちゃんを孕むまでひたすらに続けるのだ」のだと。処女を喪失した日の儚い少女の姿はなく、現在の愛梨は性の喜びを知った痴女だ。僕を求めてくれるのは嬉しいことだと思う反面、愛情と共に育った独占欲は
「ねぇー? どういうこと? わたし以外の女の子と喋ってたでしょ?」
授業が終わると同時に、愛梨は僕を教室の外へと連れ出した。
「やっぱり後ろめたいことがあるんだね? 逃げるってことはそういうことなんでしょ?」
シャツの襟をグイッと掴まれてしまい、僕は逃げ出すことができない。
「逃げてるってわけじゃないよ。ただ教科書を忘れたから見せて欲しいと頼まれただけで……」
「ありえないありえないありえないありえないありえないありえない」
ボサボサと髪を乱した愛莉は頭を抱え込んでしまった。十年以上研究に没頭したものの、あと一歩の時点で他の誰かに論文を先越されてしまった研究者のように。
「わたしは西田くんだけを思ってるんだよ。そ、それなのに……西田くんは浮気ばっかり。酷いよ……わたしのこと好きなんでしよ?」
「何回言えばいいんだ。僕は愛梨が大好きだよ」
そうだ。僕は沢城愛梨が大好きだ。この気持ちに間違いはない。
もっと彼女を笑わせてあげたい。もっと彼女のそばにいたい。
ただ、沢城愛梨の愛は奈落の底のように深く重かった。
「そ、それならもうわたしを悲しませないでぇ! お、お願いだから」
「分かったよ……もう愛梨が悲しむことはしない。ご、ごめん……」
僕の返答を聞き、愛梨はニコッと笑みを浮かべてくれた。
「それでいいんだよ。西田くんはわたしだけを見ていればいい」
と愛梨は呟いて、僕の腕にギュッと自分の腕を絡めてきた。
「ほらぁ、一緒に教室戻ろ?」
「腕を組むのはちょっと恥ずかしいんだけど……」
「ダメだよ。邪魔な雌豚さんたちに、西田くんはわたしだけのものだってことを教えてあげないと。そうしないと、あの豚さんたち全然分からないんだから。西田健一が誰のものかって、ふふっ♪」
***
彼氏彼女は如何なるときでも一緒にいたほうがいい。
そう思った愛梨は僕の家に度々通うようになってしまった。
「西田くん、今日はわたしが夕飯を作るよ。頑張るからね!!」
エプロン姿の愛梨は新鮮だった。制服とエプロンの相性はいいな。
「そう、その意気よっ! 愛梨ちゃんっ! 胃袋を掴めば、男心なんてすぐに落ちるんだからぁ!」
母親の指示を受けて、愛梨は「男心を掴むには胃袋から」と呟いて、メモ帳に書き書きしていた。どこまでも真っ直ぐでひたむきな女の子だ。
「それでは、まずは醤油とお砂糖……そ、それから……」
今日の夕飯は、西田家特製の生姜焼きらしい。
豚肉を漬け込む時間が短くても美味しく作れるのだとか。
「
「愛梨ちゃんー。もうスッカリ立派な主婦になってぇー。良かったわねぇー、ケンちゃん。良いお嫁さんが見つかって」
母親に認められたと思ったのか、愛梨は「お嫁さん……お嫁さん……」と口走って包丁を動かす速度を上げていた。余程嬉しかったのだろう。
***
「西田くん、アーンして」
昼休みは、決まって空き教室に向かうのが僕と愛梨の日課になった。
以前までは教室で僕は男友達と、愛梨は女友達と食べていたのに。
「どうしてアーンしてくれないの? わたしの弁当美味しくないの?」
口を開かない僕を見て、愛梨は落ち着かないようだ。
お弁当生活が始まった当初は、お世辞にも美味しいとはかけ離れていた。
ただし、少しずつ料理の出来は上達していき、現在は普通に美味い。
それだけ愛梨が一生懸命に頑張った証だ。
(レシピ通りに作らないのが、不味かった原因だったらしい)
「アーンというのは……は、恥ずか——」
「恥ずかしいことじゃないよ。彼氏彼女なら当たり前だよ?」
気を取り直したのか、愛梨は再度僕へと箸を向けてきた。
「自分のペースで食べたいなーと思って。愛梨にも悪いし……」
「うーうん。全然大丈夫だよ。逆にわたしは西田くんに尽くせるから嬉しいくらいだよ。だから、安心していいよ。ゆっくりペースがいいなら、わたし調整するから」
そういう問題じゃなくて……。僕が言いたいのは——。
「あっ、分かった。もうおぉー、西田くんー。言ってくれないと分からないよー。もうアーンじゃなくて、わたしの口移しがいいんだよね? ごめんねー。わたし、西田くんの気持ち全然分かってなかったよー。彼女として、ううん、一人の妻として、もっともっと西田くんを一番に考えないといけないのに。そ、それなのに……わたし、ごめんなさい。西田くん、わたし頑張るからぁ!!」
勘違いは甚だしいが、愛梨は意見を聞く耳を持たない。狂ったように「いいからいいから」「安心していいんだよ」「気付いてあげられなくてごめんね」などと言って、僕へと口移ししてくるのであった。
「実はね、玉子焼きに隠し味を入れてみたの。どうだった?」
全く気づかなかったが、愛梨を刺激するのはまずい。
「今日のは格段に美味しかったよ。ありがとうね、愛梨」
「……褒められた。褒められた。西田くんに褒められた。う、嬉しい」
王様に褒められた従者のように、愛梨は両手を顔に当てて「うへへ……西田くんに褒められた。褒められたよ」と言っていた。大袈裟すぎる反応だ。
「明日からも、わたしの愛液をいっぱいいっぱい入れてくるからね」
「えっ? あ、愛液……?」
「隠し味の正体だよ。わたしの愛情をね、西田くんにもっと知って欲しくて」
愛液とは何なのか、深く追求するのはやめておいた。知らぬが仏だ。
お弁当を食べ終わり、一服する僕たち。愛梨特製の得体の知れない謎の液体(愛梨特製ドリンク。何が入っているのかは知らない)を飲ませられ、僕はいつものように愛梨へとスマホを渡すことにした。
「大丈夫だね……西田くん、しっかりと約束を守ってくれているんだね」
毎日一回の浮気チェック。
僕が他の女性と関係を持っていないのかを確認するためだと言う。愛梨が豹変した日を境に、僕は家族と愛梨以外の連絡先を削除されてしまったのだ。
「でも、西田くんー。こっちのブラウザの履歴は何かなぁー?」
履歴に残っていたのは、人気の女優さんを調べた記録だった。
「昨日ドラマを見てて、そ、その気になっちゃって」
「……あ、ありえない。ありえない。ありえない。ありえない」
ライオンが恐れて逃げ出してしまうほどの睨みを利かせた愛梨は、
「可愛いければ誰でもいいの? わたしだけを見てくれてるんじゃないの?」
説教が始まった。今後、愛梨の目の前で他の女性の話はできないのだと。例え、人気のアイドルでも女優さんであったとしても。
***
「健一くん。最近顔色が悪いけど、大丈夫ですかー? あたしで良かったら相談に乗るよ。愛梨さんのことで困ってるんでしょー?」
平塚美咲が、愛梨の監視に隠れて僕に喋りかけてきたのは、昼休みが終わる五分前だった。トイレに行くと言って、僕は愛梨の監視から逃れた直後である。
「………………」
愛梨のために、僕は無視することに徹した。
もしかしたら愛梨に見られている可能性があると思ったからだ。
「大丈夫ですよ。安心してください。愛梨さんはいませんから」
それでも僕は口を開くことをしなかった。
「そうですか……健一くんは本当に可哀想な人ですね。あの人に束縛されて」
何かを悟ったかのような表情で、平塚美咲は哀れむ瞳を向けてきた。真夏日の昼過ぎに散歩に連れて行かれた犬を見るように。
平塚美咲は背筋を伸ばし、僕の耳元に口を当ててゆっくりと。
「健一くん、辛くなったらあたしのところに来てください。あたしがあなたを癒してあげますから。もうあの束縛ばっかりの彼女さんをさっさと捨てて、あたしのところに来た方が絶対に幸せになれますよ?」
僕の心を奪い癒してくれた甘くて蕩けた果実の香り。
嗅ぐ度に思い出すのは、夕暮れ時の教室で行った極上の奉仕の数々。
『健一くん、腰を動かしてください……んんぁ、上手です。流石ですぅ……も、もうあたし……す、すぐにイってしまいそうですっううぅぅ……』
『中に
『健一くんと繋がることができて、あたしは幸せです。あたしなら健一くんを幸せできる。彼女さんよりももっともっと
「どうかしたんですか? 健一くん……股間が疼いていますよ?」
まさかと思い、僕はズボンを確認するのだが……。
「ふふっ冗談のつもりだったのですが、本気だったんですね。変態ですね」
クスッと微笑んだ平塚美咲は、僕の前から立ち去っていった。
彼女の後ろ姿を見る度に、僕が犯した腰付きなのだと自覚してしまう。
あんな服の上からでも分かるくびれを持つ身体を……も、もう一度ぼ、僕は。
「って何を考えているんだ……僕には愛梨がいるのに……さ、最低だ」
***
「ごめんね……西田くん。今日……た、体調が悪くて……」
「大丈夫だよ。僕は愛梨が心配だから……うん、気を付けてね」
「も、もしかしたら……に、妊娠しちゃったのかも……」
本日の愛梨は体調が悪いのでそのまま家に帰るのだという。
久々の心休まる一人だけの時間。理由もなしに、僕は高揚していた。
「ただいまー」
自宅の玄関を開けると同時に、僕の目の前に現れたのは——。
「お邪魔しています、健一くん」
律儀にも深々と頭を下げるエプロン姿の女性は、平塚美咲に違いない。
長い黒髪をゴムで結び、服の裾を捲っている姿は別人に見えた。
山奥でひっそりと経営する旅館の若女将みたいだ。
「ひ、平塚……こ、これはどういうことだ?」
胸の内に広がる疑問を解き明かしてくれたのは、母親だった。
「言ってなかったけー? 今日はお友達が遊びに来るって」
言ってたような……言ってなかったような……。
「そもそも、平塚はクラスメイトだしっ! 友達じゃねぇーだろ」
「酷いっ!! お母さんだって友達が欲しかったんだもん」
膝から倒れこむように態勢を崩す母親を、平塚美咲は腕で受け止めて、
「大丈夫ですよ、お義母さま。健一くんは思春期なんです。反抗期なんです。もう少し時間が経てば、すぐにマザコンに戻りますよ」
「そ、そうね……ケンちゃん……すぐにお母さんの元に戻ってきてくれるよね」
「おい、ちょっと待て。人をマザコン呼ばわりするなぁ!!」
僕が叫ぶと、平塚美咲は驚愕の事実を知ったかのような表情で、
「えっ? 違うの……? 近所間で有名だよ? あと、学校でも」
一体どこからそんな噂が……母親と目が合った。
ピューと下手な口笛を吹き、ぎこちない笑みと目をしてやがる。
「おいっ。母親、お前は表出ろ。マジで今日という今日は洒落にならん」
「DV大好き息子さん、母親にSMプレイを強いるド変態だと……また言いふらしてもいいんだねー? 息子に家に追い出されました、って言い張るから」
目元を真っ赤にして、涙を堪えながら、母親は言ってきた。
これはもう脅迫に近い。マジでコイツ……敵に回すとヤバイな。
「すみませんでした。僕が間違っていました。お母さんがいつも正しい」
「はぁーい、よくできましたー。ご褒美のお母さんミルクを……」
「いらねぇーよ!! そもそも、息子のクラスメイトがいる前で何をやってやがるっ!」
「授乳プレイかなー?」
首を傾げる母親は悪びれた様子が一切なかった。
家族のスキンシップは大切だとぐらいにしか思っていないのだろうな。
「ふーん。平塚って意外とお菓子作りとかするんだな。知らなかったよ」
「一人の女の子としてお菓子作りぐらいはできたほうがいいかなと思ってね。将来を考えてさ」
ウインクをかましてきたけど、僕に向けてきてんのか。本当にブレないな。
キッチンへと移動して、母親と平塚美咲のお菓子作りが始まった。
歳の離れた二人がどんな遊びをするのかと思っていたが……なるほどな。
「け、ケンちゃんー、今歳のこと思ったよね?」
「いっ、言え、何も言ってません。母上」
「とりあえず、床に這いつくばって、腹筋100回やろっか?」
「あの……どうして腹筋を……」
「いいからやろっか?」
「あ、はい……」
腹筋開始。
母親に無礼な態度を取れば、罰を受けるのは当たり前。
流石は母親至上主義の家庭だ。父親は「ママのSなところもたまらないんだよなぁー」などと言って、毎日のように筋トレさせられていたな。そのおかげか、身体はムキムキになっていたけど。
「あっ……お義母さま、お砂糖が切れています」
お菓子作りに、お砂糖と乙女の愛情は不可欠だ。
「あちゃー、か、買うの忘れてたなー。愛梨ちゃんが言ってくれてたのに。今からお母さんが買いに行ってくるから、美咲ちゃんケンちゃんのお世話よろしくね」
「はい、かしこまりました。お義母さまっ!」
ビシッと警察官のように額に手を当て、敬礼する平塚美咲。
「多分、お砂糖買うのに、二時間ぐらいかかる思うから楽しんでね、お二人さん」
可愛らしくウインクしてきた母親はそのまま家を出て行ってしまった。
「ひっ、平塚……お、お前……な、何をやってるんだよ?」
腹筋する僕の元へとやってきた平塚美咲は、僕の足の上に座ってきた。そのまま艶かしく長い足を僕の足に絡めてきた。蛇が獲物を捕獲したかのように。
「一人で腹筋するの大変でしょ?」
「ちょっと……お、お前……何をするんだよ……て、手があ、危ないって」
疼く僕の股間へと手を伸ばした平塚美咲はニコッと笑いながら。
「本当に健一くんって変態さんだねー。もうとってもカタクなってるよ」
「だから、触るなぁって!! 腹筋は違うだろ?」
「下半身の腹筋だって必要だと思うけどなぁー?」
クスッと微笑む平塚美咲は小悪魔に見えた。
「ほらー腹筋しないとダメでしょ? ほらぁー」
「お、おい……平塚……そこにいたら口が当たるだろ」
「それが狙いなんだけど。健一くんはあたしとキスしたくないの?」
甘くて蕩けそうなマスカットの香りが漂ってきた。僕を惑わすのが得意な彼女の匂いは鼻腔を擽り、そして僕の脳までも蕩けさせてくるのだ。
「……や、やりたい……ひ、平塚……ぼ、僕は……お、お前とぼ、僕は——」
最後まで言わせてくれなかった。
我慢できなかったのは、平塚美咲も同じだったらしい。
ぷるっと潤いのある小さな唇を僕の口へと重ねてきたのだ。
「……け、健一くん……だ、大好き……んちゅ……んっちちゅ、んまぁ、んぅぁ、んうぅん、しゅ、き……健一くんのこと……だ、大好き……大好き、愛してる」