天雨アコ「こんなイヤらしい社長が支配する会社に、私はぜったい屈しません!」→なお 作:a-su
赤い首輪をつけられ、四つん這いの「犬」になったアコは、深夜の通路を社長室へと這い進む。廊下で失禁しても、アスナは「気にしなくていいの」と額にキスをし、汚れを拭い、「いい子」と褒めてくれた。その言葉ひとつで膣の奥が蕩ける。
エスカレーターで社員たちの視線に晒され、エレベーターではミカと並んで社長の股間に顔を埋め、アスナの指でオーガズムを迎えた。
「おちんちん、ほしい」
もう死にたいとは思わない。犬は、今この瞬間を生きるのに必死だから。
ひざが、しみた。冷たいものが擦りむけた皮膚に触れて、ぴりぴりと痛む。
その痛みで意識が浮かんだ。どうやらベッドに寝かされているらしい。
目を開けると、自分の膝元に太い指があった。消毒液に浸したガーゼを、赤くなった膝に押し当てている。不器用だが、力加減は丁寧だ。
(この、ゆび)
知っている。さっきまで自分の後頭部をつかんで、股間に押しつけていた手だ。
その同じ手が、傷の上に薄いテープを押さえている。
(……なんで)
犯されると思っていた。ベッドに突き飛ばされ、乱暴にされるのだと。なのに社長は絆創膏を貼っている。
アコの身体には、首元から太ももの半ばまでタオルケットがかけられていた。首輪とリードは外されている。
社長がアコの手に触れた。犬だから指を使わない、とアスナに言われてから、ずっと握りしめていた拳を社長の両手が包む。
「開いていいんだよ。もう罰はおしまいだから」
指が一本ずつ、ゆっくりとほどけていく。手のひらに爪の跡が赤く残っている。社長はそこにも消毒液を塗った。
(て、ひらいて……手を、開いて、いいの?)
体の力が、少しだけ抜ける。
社長の手が離れた。アコは首をめぐらせ、ぼんやりと部屋を眺める。
洋風のワンルームだ。白い壁に、天然木のフローリング。天井のダウンライトが暖色の光を落としている。広いと言えば広いのだが、最新技術を凝らした社屋と比べると平凡に見える。
壁の一面は本棚だった。背表紙が日焼けした本が、ぎっしり並んでいる。教育関係の本がほとんどだが、林真理子、向田邦子、瀬戸内寂聴といった女性作家のエッセイや小説の文庫本も混じっている。
下の段には、読み古された子ども向けの絵本が雑多に詰め込まれている。「ぐりとぐら」「はらぺこあおむし」など定番のものばかり。その中に、分厚い写真アルバムが見えた。背表紙に年号があるから、誰かの成長記録だろうか。
(…………シロコさん、の?)
別の壁には、額装された大判の写真が飾られていた。建設途中のビルを背景に、社長とスーツ姿の小柄な女性……早瀬ユウカが並んでいる。クレーンと鉄骨の前で、二人とも工事用のヘルメットをかぶっていた。ユウカは笑顔で、社長は真面目な顔だ。
あとはソファ。ローテーブル。花柄……花柄? のクッション。ミニキッチン。トイレや浴室に続くドアもあるが、それだけだ。
(え、え…………? ここが、社長室?)
アコが想像していたような、洗脳コンピューターを詰め込んだ部屋でも、女を侍らせる成金趣味の部屋でもない。なんの変哲もない生活空間にしか見えない。
(家だ。ここは、社長の家)
本棚と反対側の壁は、一面が窓だった。外がうっすらと明るくなり始めている。いつの間にか夜が明けていたようだ。
アコはふと違和感を抱いた。
(鏡が、多い)
テレビがあるべき場所に壁掛けの鏡がある。全てのドアに姿見が埋め込まれていて、壁にも装飾的な丸いミラーが二枚。なぜこんなに多いのかはわからなかった。ただの家なのに、鏡だけが妙に多い。
窓の前では、アスナがバニースーツを脱いでいた。レオタードの布地を腰まで押し下げている。
(……アスナさん、きれい)
改めて見ても、芸術的とさえ言える肢体だ。窓から入る朝日が素肌を照らし、汗を黄金に光らせる。今のアスナを見たら、ネアンデルタール人でさえ女神像を彫って「エロース」と名付けるかもしれない。
「あのマグカップ、まだあったんだね」
「うん。捨てられなくてね」
ソファに目を向けると、社長とミカが並んで座っていた。
ミカは裸のまま社長の肩に頭をもたせかけている。耳元のLEDが澄んだ空色に光っていた。もうイエローではないのだ。
「……って、まだ……え~♡…………やった☆」
ミカが社長の頬に、ちょん、と唇を合わせた。浅いキスだ。エレベーターで社長の股間にむしゃぶりついていたのと同じ人間とは思えない。表情や仕草から、ここに「帰ってきた」と思って安堵していることが、ありありと分かる。
また、ヒナの言葉が蘇った。
『人として見てあげて』
怒りも嫌悪も湧かない。犬になりきっていた感覚の残りかすなのか、感情がまだ鈍い。ただ、分からないのは苦痛だった。
「う…………!」
窓辺のアスナが、一瞬だけ窓枠に手をついた。体を支えているように見える。耳元のヒュプノスペックが、スカイブルーの光を不規則に明滅させる。
しかし、すぐに手を離して、何事もなかったようにアコのほうを振り返った。
微笑む視線に釣られ、ベッドに横たわったままふと横を向く。
サイドテーブルの上に写真立てがあった。小さな木製のフレームがテーブルランプの横に置かれている。
写真の中に、二人の人物がいた。
細身の青年……二十代後半くらいだろうか。髪にはくせがあり、きっちりとスーツを着て、穏やかな目をしている。どうやら写真館で撮ったらしいのに、妙に古い型のタブレットを持っていた。
その隣に、長い髪の女性。
(……シロコさんに、似ている)
成長した砂狼シロコその人にも見えるほどだ。だが写真の女性はげっそりとやつれていた。頬がこけて、目の下にくまがある。
(この人が彼女の……お母さん?)
つまり社長の妹だ。彼女はマタニティウェアを着ていた。お腹が大きくなっている。
「死んだんだ」
ソファの方から社長の声が聞こえた。ミカに語りかけているのか、独り言なのか分からない。「ぶひひ」と笑う脂が抜け落ちた、低く乾いた声だった。
「したくて妊娠したわけじゃなかったのに……無理をして産んだから、熱が下がらなくて」
沈黙。
「シロちゃんが三歳になっても病院で……出られたときには、
長い沈黙。
「私は………………だから僕は学校も、生徒も捨てて、ユートピアを……」
社長の目がこちらを向いていた。だが焦点が合っていない。アコを透かして、ベッドサイドの写真を見ている。
(学校。生徒)
その言葉が、頭の中でゆっくりと意味を持ち始める。
(──先生?)
その二文字だけが、思考の中にはっきりと浮かんだ。この男は、先生だったのか。
もう一度、写真を見た。やつれた女性。繋がれた手。優しい目をした、それほど背の高くない青年。
それから、ソファの社長を見た。太ってしまって、禿げてしまった、身長の低い中年男性。でも、目元が赤い。さっきまで何かをこらえていた顔だ。傷ついた子どものようでもある。
(あ、あら…………?)
我知らず。
あり得ないことに。
不覚にも。
信じがたいことに。
アコは、胸がキュンとするのを感じた。
「ご主人様」
「社長」
アスナとミカが社長のそばに寄った。両側から穏やかなキスをしながら、ワイシャツのボタンに手をかけている。慰めるような手つきだった。
(この人は──)
怪物ではない。性犯罪者という名前のキャラクターでもない。ただ、異性に包まれることを求める一匹の生き物。誰かを失ってここにいる、一人の人間。
彼は手の甲でまぶたを拭い、絞り出すように笑った。
「……ぶひっ。ぶひひっ。さぁ、いよいよご褒美の時間だよぉ。ミカとアコに、チンポぶっさしてあげないとねぇ」
その声を聞いた瞬間、下腹がじんと疼いた。写真のことも、呟きのことも、快楽への期待がすべてを塗りつぶしていく。
(続く)
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プロローグ
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ユウカの章-1
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シロコの章
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リンの章
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ユウカの章-1
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ミッドローグ
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ミカの章
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アスナの章
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アコの章-1
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アコの章-2