「いつでもイッていいですよ♪」と甘やかす姉と「絶対イっちゃダメだから」と意地悪する双子姉妹に挟まれる先生の話 作:千吹つぐ
すべてを保留すると決めた翌日から、高木を待っていたのは激務だった。
自分ではよくわからなかったが、どうやら同僚たちは高木の調子が戻ったと感じたようで、これまでの仕事をすべて戻して、むしろ『助けてくれ!』とヘルプまで求められてしまった。
また、葵はともかくとして、さくらも受験勉強や生徒会で忙しかったため、三人が再び会えるようになったのは五日もあと、月の終わりになってからだった。
十月の下旬。すっかり肌寒くなった歴史資料室の扉が、コンコンと跳ねるように叩かれた。
「はい、どうぞ」
高木はなるべく平静に答えようとする。
「高木先生、ちょっとお時間よろしいですか?」
扉を開けた少女もまた、ことさら優等生らしく振る舞っている。だが高木にはその後ろで振られているしっぽが見えるようだった。
「もちろん、どうぞ」
「失礼します。…………せんせ!」
扉が丁寧に閉まる。冷静だったのはそこまでで、さくらは子犬のように駆け寄って、高木の胸に飛び込んだ。
「せんせ! 会いたかったです! せんせぇ!」
「ええ、私もですよ、さくらくん」
いきなりのハグを、しかし高木はもう咎めることはなかった。
彼女が求めるのなら、まずは受け入れよう。そんな風に思うようになっていた。
あたたかい。
二人はしばし抱き会って、おたがいの孤独を慰めあった。
「あ! そうだ! せんせ、聞いてください! 葵ちゃんが――」
さくらが顔を上げて、興奮したように話を始める。高木はそんな彼女とともにソファに座った。
「それで、葵ちゃんのお部屋すごくキレイだったんですよ。ほら、この写真、パソコンとかもかっこいいの」
その間も、さくらの話は止まらなかった。
葵ちゃんと一緒に遊んだ、葵ちゃんとおしゃべりをした。葵ちゃんと……。話はほとんどが妹に関するもので、話題はいつまでも尽きなかった。
それが、高木には嬉しかった。
「先生、ありがとうございます。これもぜんぶ、先生のおかげです」
「それはこっちの台詞ですよさくらくん。それに葵くんも……ああ、そうだ、葵くんはまだですかね」
高木がハッと気づく。もともと今日は三人で会う予定だったの。
ブルブルブル。と高木のスマホに震えて、ちょうど葵から連絡が来た。『ごめん、用事できたから行けない』チャットアプリにそんなことが書いてある。
「葵くんは来れないそうです。どうしたんでしょう、さくらくんは知っていますか?」
「え? い、いえ!」
間違いなく、なにか知っている態度だった。だが高木は追求しなかった。なぜならさくらの様子は決して深刻なものではなかったし、必要とあれば言ってくれるだろうと信頼していたからだ。
信頼、そう信頼だ。高木はさくらを信じている。
「え、えっとぉ……あ! せ、先生は! その後どうですか?」
「私ですか? 私は……」
高木は語った。最近ぐっすりと眠れること。食欲が戻ったこと。ずっと見れなかった大河ドラマを久しぶりに見たこと。
「わぁ、それはよかったですね。先生、先週の回はどうでした?」
「うーん、ちょっといまいちでしたね。考証はいいのですが、ストーリーが……」
こうして話しているあいだにも、癒やされていく自分を感じた。
すべてを保留にして未来に投げ出す。
そんな無責任な決断を、高木は最初疑っていた。ひとりで思い悩んで辞表まで書いた自分が、また耐えられなくなるのではと思っていた。
だが、そのたびにさくらからチャットが届いて、妹との仲直りを嬉しそうに報告してくれた。それが高木には嬉しくて、幸福を壊すことができなくなった。
『じゃあ、みんなで不幸になりますか?』
以前、さくらが言った言葉を思い出す。
『私は先生が好きで、葵ちゃんも先生が好き。それで先生も私達が好き。それのどこに問題があるんですか?』
問題はもちろんある。というより問題しかない。
だがそれでも、あのときのさくらは輝いて見えた。
絶望に落ちる二人の人間を、たったひとりで救い出すと決意した彼女。
「うふふ、よかった、せんせい、元気そう」
それはきっと、今もなのだろう。
さくらは笑う。高木の話を聞いて笑い、葵に抱きついて笑い、笑って、笑う。
それを演技とは言わない。この笑顔も本心には違いない。
だがその裏に必死の努力があることも、高木はすでに知っていた。
『私、もう終わっちゃうって思った。全部、また台無しになっちゃうんだって……』
きっとまだ、さくらはあの崖の上にいる。いまだ絶望の淵にぶらさがる二人の命綱をひとりでつないで、安心させようと笑っている。
それが申し訳なくて、愛おしくて。
いまはただ、その献身に報いたかった。
「……そうだ、さくらくん。これを、伝えねばと思っていたんです」
「え? ……なんでしょうか?」
さくらが一瞬緊張して、またすぐに笑顔になった。
無理をさせている、そのことが申し訳なくて、高木も不格好な笑みを浮かべる。
「以前この部屋で、君は私に告白してくれましたね」
「っ!」
「そのときの返事を、させてください」
さくらがカチコチに固まっていく。高木はその手を柔らかく包む。
「さくらくん。私は君が好きです」
高木は言った。
「あなたの笑顔が好きです。優しい言葉遣いが好きです。努力家で、がんばり屋な、あなたのその心が好きです」
「……せん……せい……」
「大好きです。さくらくん。私は君を、愛しています」
高木は告白を繰り返した。いまだ呆然としている彼女の心に響くまで、愛の言葉を何度も重ねた。
これまで何度も、彼女から好きだと言われてきた。だが高木からは一度たりとも、その言葉を返さなかった。それが教師としての最低限の線引だと思っていた。
「高木鷹也は、藤宮さくらを、愛しています」
「たかぎ、せんせい……」
やがて、さくらに言葉が届いていく。心が溶けて、強固な笑顔が崩れていく。
ぽろりと、最初の涙が落ちる。
その涙が高木には嬉しかった。頼りないところばかりを見せた自分にも、まだ笑顔以外の弱さを見せてもらえるのだと思った。
「さくらくん」
「せんせい……せんせい!」
抱きしめる。いままで決して自分からはしなかった行為に没頭していく。
「遅くなってすみません。寂しい思いをさせたでしょう……」
「……い、いいんです! そんなの! そんなの……」
まるで落ちる人と助ける人が、共に握り合っているような抱擁だった。
以前の高木はその手を振り払って、一人で奈落に落ちようとした。だがもう無理だ。彼女は決して手を離そうとしないのだから。
「約束します。さくらくん。私はもう二度と、ひとりで勝手に去りません」
いまだに裁きを求める気持ちはあった。というよりも、より強まったと言える。
「辞めるときは、必ずあなたたちに相談します。いまはそれで……」
「はい、はい……せんせい……せんせい……」
腕に力を込める。彼女の匂いに埋もれていく。
さくらもまた、同じようにしてくれる。高木の胸にすっぽりとおさまって、両手を背中に回してくれた。
「せん……せい……」
さくらが顎をあげる。
その瞳はうるみ、頬はバラ色に染まっている、濡れた唇がキュッと結ばれて、なにかを必死で我慢している。
さくらは幸福の頂きにいながら、それでもまだ飢えて、乾いていた。極限の欲望を抑え込んで、そんなことをしてはいけない、求めてもいけないと、わがままな唇を血が出そうなほどに噛み締めていた。
「さくらくん……」
高木は、今度こそ罪をおかした。
触れる。
「あ……」
まるで炎を舐めたように、あつく、やわらかな花弁に触れていく。
「あ……ああ……」
唇が応える。小さな口が懸命に開いていく。舌と舌が触れあう。最初はおずおずと、でもすぐに大胆に、お互いの形を確かめていく。
「ん……んん……」
そこから先はもう、どちらの罪でも罰でもなく。
二人は初めてのキスをした。